第八話 お花見中にゲームオーバーなんてイヤですけど⁉
「花見団子にきな粉ってどうなのかしら」
「きな粉はなんにでも合いますよ」
枝垂れ桜。八重桜。御車返桜。
小ぶりな花房をたわわに付け、その重さに枝をしならせたような祇園桜は特に圧巻だった。絵里咲はあまり桜に興味がなかったが、あまりに見事だったので3分も見飽きなかった。
花が見頃を迎えた祇園社は多くの武人や公家(貴族のこと)で賑わっていた。町人もいないことはないが、酔った武人たちに手打ちにされるのが怖くて近寄らないようだ。
流々子や鳰海藩士たちは、地面に蓙を敷いて、その上に花見団子や酒を並べた。蓙というのは持ち運べる畳のような敷物のことである。蓙がそこら中に並んでいる光景は絵巻物みたいで風流だった。
絵里咲が花見団子にきな粉をまぶして食べていると、流々子に怪訝を顔をされた。流々子をドン引きさせるのは至難の業であるので、ちょっと嬉しかった。
「花見団子が三色なのには意味があるの。〈赤・緑・茶〉はそれぞれ〈桜の花、葉っぱ、枝〉を表しているのよ。――かわいそうに……ぜんぶ砂を被っちゃってるわ」
「砂じゃなくてきな粉です! きな粉職人に失礼ですよ!」
「酒は伏見に限るわねぇ~」
「聞いてないし」
流々子は杯を傾けて幸せそうな顔をした。
絵里咲も酒を勧められたが、断った。未成年が酒を飲んでも問題はないのだが、変に律儀な性格のせいで、現世の法律の束縛から抜け出せなかったのだ。
鳰海藩士たちは次々とお猪口を空け、流々子は彼らの輪の中心に入って話で楽しませていた。
絵里咲は彼らの話に割り込めず、仲間はずれになった気分だったが、藩士たちと楽しそうに話している流々子を見るのは苦行ではなかった。
背後から足音がしたのは、花見酒はこれから盛り上がろうというときだった。
「あらあら。奇遇じゃありませんの。流々子」
「久しぶりねぇ。椿」
――うげ……
息を吐くような嫌味とともに登場したのは、赤髪をそよがせる弓取り。乙女ゲーム『肇国桜吹雪』の極悪令嬢・神宮寺椿だった。
「ちょうど那古野藩士たちも連れてきましたのよ。あなた方もわたくしたちに混ざりませんこと?」
「遠慮しておくわ。今日は友人が一緒なの」
流々子は目線で絵里咲を指した。
突然注目を浴びた絵里咲は、ギョッとして背筋を正した。
「これが友人? ……ただの百姓ではありませんの」
流々子はなぜか、椿に対して冷たい。
すげなく誘いを断られた椿は、不愉快そうに絵里咲を睨んだ。百姓に幼馴染を横取りされて悔しいのだろう。
絵里咲のこめかみに汗が伝う。
「百姓。なぜ貴女がここにいますの?」
「それは……お誘いいただいたからです」
「――流々子っ! 百姓と花見をかこつなんて、高貴な家の名に傷が付きますわよ!」
「友人と一緒に団子を食べたくらいで彦根守の名が神代の記録から消されはしないわ」
「貴女一人が百姓と仲良くすることは、貴女一人の問題ではありませんわ。武人全体の沽券に関わりますのよ!」
「大げさだと思うわぁ~。私にそんな影響力はないもの」
「流々子は次期彦根守藩主としての自覚が足りませんわ。武人は皆、貴女を真似しますのよ」
「真似すればいいのよ。友人が増えるでしょう?」
「流々子……。すっかり百姓にそそのかされていますのね……」
絵里咲は流々子をそそのかした記憶などまったく無いのだが、椿はそう勘違いしてしまったらしい。
「――百姓。流々子の側を離れなさい」
「お断りします」
「なぜですの?」
「流々子さまの友人だからです」
「武人は武人と。百姓は百姓としか友人にはなれませんのよ。格が違いすぎますわ」
「友人に格なんか関係ありません! あたしは流々子さまのお側にいたいんです!」
「無芸な百姓風情が流々子の側にいて、なにができますの?」
「話し相手になります。それに、あたしは学校で武人になる訓練をしている途中です。ですから、必要であれば盾に――」
「――遅いですわ‼」
「イタタタタタっ……!」
悪役令嬢は絵里咲の首を左手一本で掴んで、その体ごと持ち上げた。
約50キロある絵里咲を片手で持ち上げるには、常人離れした握力と腕力が必要だ。絵里咲の首を掴んだ左腕は、細いながらも野生動物のように隆々とした筋が浮かんでいた。
「あらら。この程度では盾にすらなりませんわね」
「んん~~……‼」
首が締まって苦しむ絵里咲を見ながら、椿は嘲笑を浮かべていた。
でも、ここで逃げるわけにはいかない。先ほど、流々子は身の上を明かしてくれた。ずっと寂しかった彼女には、「側にいたいという意思」を態度でも言動でも示すべきだと思ったのだ。
たとえ悪役令嬢に立ち向かってでも。
「流々子を護る矛はわたくし一人で十分ですわ。百姓は引き返して、箪笥の塵集めでもしていなさいな」
「……お断りします」
「なんですって?」
「お断りしますって言いました! ――エホッエホッ……」
椿は絵里咲の首から手を離した。気道が急に開き、咳が止まらなくなった。
視界もゆらゆら歪んで、地面に倒れた。脳の血流を止められて目眩が起きた上、首を絞められたことで自然と涙が出てきたのだ。
「惚れられたみたいですわね。流々子」
「モテちゃって大変だわ~」
流々子は状況が緊迫しても態度が変わらない。
ちなみに、モテるは漢字で「持てる」と書き、この時代にも使われていた。
椿は、背中に掛けてあった大弓に手をかけた。
「では、わたくしと決闘なさい。百姓」
「エホッエホッ…………え?」
「わたくしと戦って、どちらが流々子を守るに相応しいか決めますのよ」
――まずいことになったわね……。
「自分を抑えなさいな、椿。ここで百姓をいじめても、何の利得にもならないわよ」
流々子が助け舟を出してくれた。
「わたくしは流々子の古い友人として、付き纏う害虫を払うだけですわ」
「友人じゃないわ」
「流々子っ……!」
さらりと突き放す流々子。
椿は一瞬唇を噛んで切なそうな表情を浮かべたが、すぐに厳しい表情に変わった。流々子からの拒絶が、絵里咲に対する怒りをさらに燃え上がらせてしまったらしい。
椿は刀を鞘ごと絵里咲に投げると、弓を引き絞った。
「武器を取りなさい。百姓! ――貴人に対する看過できない無礼の数々。正義のもとに、わたくし自ら裁いてみせますわ」
絵里咲は剣術に多少の覚えがある。
だが、〈京一の弓取り〉と名高い椿に勝てる見込みはほぼ無い。
「椿さま。このような理由で打ち捨て御免が通用するとお思いですか?」
絵里咲は苦し紛れに言い返した。打ち捨て御免というのは、武人が著しく名誉を傷つけられたときに相手の首を落としていい権利のことである。実はこの権利、適用がかなり厳しく、大抵は武人側も切腹になってしまうものだった。
しかし、椿の父上は大老。将軍に次ぐ役職で、幕府のナンバー2である。神宮寺にとって百姓の首を斬るなど、まさしく蟻を踏みつぶすようなもの。絵里咲のような百姓を殺したところで、どうとでも言い訳できる。
「ハッタリですわ。わたくしの弓を恐れているんですのね」
「恐れているのは死ではありません。流々子さまのお側に居られないことです」
絶体絶命である。
勝負に挑めば必ず負ける。幼少期から厳しい武術の指南を受けてきた椿さまと戦えば、こちらが鉄砲・あちらが素手でも勝ち目はないだろう。
死ぬのはもちろん嫌だったが、何より流々子に自分の遺体を見られるのが嫌だった。
先日、椿に射殺された盗賊の遺体が脳裏に浮かんだ。矢が心臓に刺さったら、目をかっ開き、口を歪めてひどい表情をする。
好きな人の前でそんな醜態は晒したくないと思った。
そんな生への執念が、絵里咲に〈禁じ手〉を使わせた。
――もしかしたら……アレを使えば切り抜けられるんじゃないかしら……。
――イチかバチかだけど、試してみる価値はある……‼
「椿さま」
「なんですの」
「――好きです!」
そう。〈主人公チャーム〉の使用である。
『肇国桜吹雪』という乙女ゲームの主人公に転生した絵里咲は、好意を向けただけで惚れられてしまうという呪いを授かった。
それを利用して、“椿を自分との恋に落としてしまおう”という目論見である。いかに冷酷無比な氷の女王・椿といえど、恋に落ちた相手の首を落とそうとは思わないはずだから。
だが、効かない可能性もある。唯一わかっている理由は、「既に誰かを熱烈に愛している人には効かない」ということだが、流々子に対して効かない理由はまったくわからない。
もしかすると、幼少期から精神的な修練を積んできた武人には効かないのかもしれない。だとしたら、椿に効かない可能性だって十分にありえる。
その結果だが……
「なんの世迷い言ですの? 武器を抜く前に首を落としてもよろしくてよ?」
椿は顔色ひとつ変えなかった。
それどころか、さらに怒らせてしまったようにも見える。
――あちゃあ~~。失敗だったからしら……
主人公チャームが椿に効果がないというのは、らしいといえばらしい。やはり、精神的な修練を積んできた武人は、簡単に惚れたりしないのだろう。
ようやく主人公チャームの謎が一つ解けたと思ったが、時すでに遅し。
主人公は悪役令嬢に殺されようとしている。
――ここまでかしら……。ゲームオーバーね……
せっかく流々子とお近づきになれたのに、こんな序盤で死んでしまうのは残念だったが、椿に勝てるはずもないので仕方がない。理不尽を受け入れるしかない。
椿が引き絞った弓の弦が、キリキリと張り詰めた音を立てている。数秒後には、力いっぱい引いた矢が絵里咲の心臓を吹き飛ばすだろう。
――あー終わったわ……。アーメン
絵里咲は死を受け入れ、目を閉じた。そのとき――
「まあ……今日のところは見逃して差し上げますわ」
「――え?」
椿はそう言って、プイッと後ろに振り返ってしまった。あまりにも簡単に態度を翻すものだから、逆に困惑した。
「でも、すぐに殺しますわよ。首を洗って待っていなさいな。百姓」
まったくこちらに顔を見せない。何か隠しているのだろうか。
「えっと、椿さま。どうして敵であるあたしから顔を背けるんです?」
「うっ……うるさいですわね! 目が合うだけで怨情が湧き上がるからですわ!」
振り向いた椿さまの顔は、その耳朶までもがリンゴのように真っ赤だった。
――あらぁ~。そういうことね
前言撤回。効果、てきめんだった。
「それは失礼いたしました」
「あなた達! 移動しますわよ! 駕籠を祇園桜まで運びなさい!」
「「ははぁっ‼」」
椿が駕籠を持った御者たちに指示を出すと、大急ぎで担いできた。
そそくさと駕籠へ乗り込もうとすると、木の棒につまずいて転びそうになった。
「――痛あっ! 誰ですの‼ こんなところに罠を仕掛けたのは!」
キャンキャン怒っているが、椿がつまずいたのは罠でもなんでもない。
木の枝だった。
「椿さま。それ、罠ではありませんよ」
「罠に決まっていますわ! 誰かが駕籠の前に仕掛けましたのよ!」
「枝です。桜の」
「枝……⁉」
悪役令嬢は足元を確認すると、ただでさえ赤かった顔をさらに火照らせた。
恥と恋情という二つの強い感情が混じって、本人でもわけがわからなくなっていると推測される。
「掃除人を叱りつけたいところですが……今回は見逃しますわ。行きますわよ!」
「「御意!」」
椿はまるで戦に負けた大将のように、慌ただしく駕籠へ乗り込んだ。その背中に、京一の弓取りのかげはどこにもない。ただの恋に恋する乙女だった。
――もしかしてあたし……取り返しのつかないことしちゃった?
すっかり取り乱してしてしまった悪役令嬢の背中を眺めながら、そう思い至るのだった。