第六四話 大名行列横切り事件
「下にーーー! 下にーーー! 神宮字歳実公の行列でござるぞーーー! 頭を下に垂れよーーー!」
馬で走ってくる3人の異国人に向かって、武人が声を張り上げた。英国人相手が和国語を解すはずがないのに。
外国人たちの馬は、武家行列の前で速度を落とした。本当ならば馬から降り、藩主に礼儀を示すため頭を下げなければいけない。だが、外国人は和国の慣習を理解していないようだ。
武人たちは、まるで侮辱されたように感じているだろう。その高圧的に見える態度に苛立ちを募らせ、ざわめきがさらに大きくなる。
外国人たちは道の脇で静止して、なにやら相談しはじめた。
「(なんだよこの行列は! 通れねえのか?)」
「(この和人ども、俺たちを親の敵みてぇな目で見てやがるぞ)」
「(いつもじゃないか)」
英国人だった。英国訛りですぐにわかる。
――あたしの出番ね!
「ちょっと行ってきます!」
「奥方さま! 奥方さまが夷人の前に参ずる必要などございませぬ!」
「あたしの仕事は夷人と話すことです。今あたしが参ぜずに、いつ役立つのでしょう」
「奥方さまぁーー!」
絵里咲は膝に手をついて息を整える女性を尻目に駆け出し、馬に乗った英国人の前に立ちふさがった。
「(こんにちは)」
「(なんだ? 小娘)」
「(あたしは那古野藩の通訳・古読絵里咲と申します。貴方たちが目にしているのは那古野藩の行列ですので、申し訳ありませんが、馬から下り、頭を下げてくださいますか?)」
「(はあ? あんでだ?)」
三人組の先頭に立った男が、高圧的に言った。歳は20代後半だろうか。濃い黒ひげを蓄えた偉丈夫だった。
「(これは那古野藩主の行列です。和国で藩主の行列と出くわしたときには、馬から降りて、頭を下げなければいけません。そういう決まりなんです)」
「(てめえらの決まりなんか知らねえよ。英国民の俺には関係ねぇだろ)」
「(関係あります! もし藩主に失礼だとみなされれば、首を落とすことも認められているんですよ)」
「(首を落とすだとぉ?)」
すると、黒ひげ男の右後ろで聞いていた金髪の青年が口を開いた。
「(バークレイさん。武家行列のことですよ。ここは大人しく馬を下りましょう)」
金髪の青年はそう言うと、素直に馬から下りた。彼を見て、絵里咲は眼を丸くした。その顔に見覚えがあったからだ。
くしゃくしゃっとした茶髪のくせっ毛がふんわりと柔らかそうな彼は、ロレンス・キャメロン。乙女ゲーム『肇国桜吹雪』の攻略キャラの一人だ。
シュッとした顎や切れ長の目がまるで王子様みたいにかっこいい。四人いる攻略キャラの中で、いちばん顔がハンサムなのは彼だと思う。
いまの彼はただの通訳見習い生にすぎないが、将来的には和国語を身につけ、和国の政治に大きく関わってくることになる。
「(なんだよ。和国にはそんなくだらねぇ決まりがあるのか)」
先頭に立っている黒髭男――バークレイと呼ばれていた――が怒鳴った。
「(そんなくだらない決まりがあるのです。なので、ぜひみなさんに周知してください! バークレイさんだって無駄な殺生は避けたいでしょう?)」
「(通りかかっただけで殺されるたぁ原始時代か? 俺は頭を下げたくねぇ)」
「(ウォーカーさんも武家行列を見たら必ず頭を下げるようにと言っていましたよ)」
ウォーカーというのは、英国公使――つまり和国に居る英国人でいちばん偉い人である。マーガレット・ウォーカーという老婦人だ。のちのち登場するだろう。
「(ロレンス。おめえはこいつらに頭を下げるのか?)」
「(僕は下げます。Do in Rome as Romans do(ローマではローマ人と同じように振る舞え=郷に入っては郷に従え)っていうでしょう。バークレイさんも異国の慣習を無視して寿命を縮めないほうがよろしいかと)」
ロレンスは膝を折って正座すると、武家行列に向かって深々と頭を下げた。もう一人のほとんど喋っていない英国人もロレンスに従った。
あとはバークレイと呼ばれていた男だけだ。彼は不服そうに馬から下りると、武家行列をじっと見据えた。
「(バークレイさん! 頭を下げてください!)」
「(俺は従わねぇぞ)」
3人とも非常に若い。ロレンスは25歳ほど。最年長と見えるバークレイも20代後半だろう。いちばん血気盛んな時期だ。
絵里咲の背後で騒ぎを見つめている武人たちは、荒々しい怒声で英国人を罵っていた。かなりひどい言葉で悪罵しているが、和国語だからバークレイにはわからないのが幸いだった。聞こえていたら、戦争が起きるだろう。
――ああもう、どうしよう~
言うことを聞かないバークレイはへそを曲げてしまい、こちらの話をちっとも聞き入れてくれない。
せっかく英国語が話せるのに、通訳としてなんの役目も果たせていない。銀10貫もの報酬を貰っているのに、些細な喧嘩すら止められないようでは通訳失格だ。
絵里咲は泣きそうになりながら途方に暮れている間にも、バークレイは絵里咲を怒鳴っていた。
すると、後ろから差し出された優しい手が絵里咲の肩を包み込んだ。振り返ると、そこには菖蒲がいた。
「絵里咲お姉さま。ご対応ありがとうございます!」
「しょっ……菖蒲さま!」
「なんだか手こずっていらっしゃるみたいですね」
「そうですけど……わざわざこんなところに菖蒲さまが来ることありませんよ!」
藩主の娘である菖蒲は、わざわざ駕籠から降りて歩いてきたようである。
「藩主の娘として当たり前の行動です。藩民が困っているんですから。――それで、この男はなんと言っているんです?」
「それが、正座して頭を下げるのが屈辱的に感じるらしくて、どうしても頭を下げたくないと言っているんです……」
「なるほど」
「どうしましょう~~」
絵里咲が対応を一歩間違えれば、生麦事件のような悲劇が起きるかもしれない――自分がうまく折衝できなかったせいで戦争が起き、数百、数千人と死ぬかもしれないのだ。
重い責任が背中にのしかかっているのを感じた絵里咲は、すっかり焦ってしまっていた。
だが、菖蒲は澄まし顔をしていた。これが政治経験の差というものだろうか。
おかしいなぁ。一つ歳下なんだけどなぁ。と思った
「ご安心ください。私に考えがあります!」菖蒲はそう言うと、髭の男に向き直って声をかけた。「――黒ひげさん。大変おそれいりますが、頭を下げてくださいますか。英国の慣習では屈辱的と感じるかもしれませんが、こちらとしても藩主や武人たちの顔を立てなければならないのです。何卒よろしくお願いします」
「(なに言ってんだ? 意味わかんねえぞ。――おい、そこの困り眉女。通訳しろ)」
バークレイはまるで部下に命令するような口調で絵里咲に言った。
困り眉と言われて腹が立ったが、反論をぐっと呑み込んで、菖蒲の言葉を通訳した。そして、丁寧な口調で続けた。
「(この方は那古野藩主の娘・神宮寺菖蒲さまです。争いを避けるため、とても丁寧な言葉で頭を下げてほしいとお願いしています)」
「(イ・ヤ・ダと伝えろ)」
「菖蒲さま~! イ・ヤ・ダと言っています!」
「なら仕方ありません。あたまを――下げてくださいっっっ!」
菖蒲は左手を男のほうへ突き出し、ハープ奏者のように指先を軽く曲げた。――呪術を使うときの姿勢である。
「(うぉっ……うぉぉぉぉどうなってやがる! 頭が鉛みてえに重い! うぉぉぉぉぉぉぉぉ)」
バークレイはみるみるうちに頭を下げ、膝を折って、地面に突っ伏した。頭を抑えながら、自然と土下座のようなポーズを取っている。その額がついに地べたとくっつきそうになったところで、菖蒲は地面に手ぬぐいを敷いた。
お優しい菖蒲さまは、バークレイ氏の額が地べたについて汚れぬよう配慮したのである。
「絵里咲お姉さま。この黒ひげさんに、その手ぬぐいは私からの贈り物だとお伝え下さい」
「わかりました。――(バークレイさん)」
「(あんだコラァ!)」
「(その手ぬぐいは菖蒲さまからのプレゼントだそうです。有難くお受け取りください)」
「(ふざけんな女ァ! 俺の頭を直しやがれ!)」
菖蒲はぎゃんぎゃん騒ぐバークレイににっこり笑いかけながら、口を開いた。
「ごめんなさい。なにを仰っているのか分かりません」
「(いま和国語で馬鹿にしただろ! 俺にはわかるぞォ!)」
「わかりません」
「(わかってんじゃねえかァ!)」
地面を頭に付けたまま怒鳴り散らすバークレイ。その様子を後ろから見ていたロレンスの肩がプルプルと震えていた。
「(おいロレンスてめえ! なに笑ってやがる!)」
「(……見えますか?)」
「(見えなくてもわかるんだよ‼ 笑うんじゃねぇ‼)」
大名行列横切り事件は、こうして一件落着となった。




