第六三話 武人たちのパレード
「奥方さま! 駕籠にお乗りください! 奥方さま!」
「あたしは奥方さまじゃありません!」
京から那古野への道のりは、徒歩でおおよそ4日かかる。
京にいた那古野藩士たちは、藩主である神宮寺歳実を筆頭にした〈武家行列〉を組んで故郷への道を下っていた。那古野藩の行列は和国でも屈指の規模であり、総勢2500名を数え、長さは1キロメートルにもおよぶ。
一般に武家行列はとにかく派手であるが、那古野藩の行列は特に派手である。
旗手たちは民衆に対して大いなる威光を示すために那古野藩の紋章である獅子が描かれた旗を高々と掲げている。旗の印を見れば、最も教育のない農民でもどこの藩の行列かすぐにわかるのだ。
武人たちは藩の威光を示すために、派手な羽織を纏っている。那古野藩士たちが纏うのは藩旗と同じ紅色の羽織だ。紅色を纏った2000人の武人たちが槍や弓・鉄砲などを天に突き上げて規律正しく歩く姿は迫力満点である。
武家行列は、非礼を働いた者に対して厳しい罰があることでも知られている。
たとえば、大名行列に通りかかった者は道を譲って、行列が通り過ぎるまで頭を下げなければならない。那古野藩の場合、なんと10分以上も頭を下げ続けなければならない計算になる。通りすぎた頃には腰を痛めるだろう。
また、行列を横切ることは〈供先を切る〉と呼ばれ、非常に失礼な行為だ。最悪の場合には殺されることもある。
以上のような話は現代でも知られており、武人の行列は恐ろしいというイメージを持たれている。もちろんそういう側面もあるが、そう悪いことばかりでもない。娯楽の少ないこの時代の百姓にとって、武家行列はパレードのようなものだったのだ。
近くにいる者は頭を下げねばならないが、遠くから眺める場合にはルールがない。だから、やんちゃな年頃の少年少女たちは、遠目に武家行列が通り過ぎる様子を目を輝かせながら見つめるのだ。
絵里咲はそんな由緒正しい武家行列の前方の駕籠に乗せられていた。しかし、人をこき使うのが苦手な絵里咲は、百姓でありながら駕籠に乗っているのが申し訳なくなってきた。さらに、ガタガタと揺れるたびに固い椅子と尾てい骨が擦れるので、お尻が痛くてたまらない。
だから、駕籠を降りて自分で歩こうとした。若くて健康な絵里咲にとっては、駕籠に乗るより自分で歩いたほうが肉体的にも精神的にも楽なのである。
すると、駕籠を運んでいた女性から「お乗りください!」と注意された。さらに絵里咲が駕籠に乗るのを断ったら、追いかけてきた。
だから逃げたのだ。
「言い訳はよろしいのでお乗りください! 次期藩主の奥方さまに地べたを歩かせることなどできませぬ!」
「なら次代藩主の奥方さまを乗せてください! あたしは次期藩主の奥方さまではありませんから」
絵里咲が那古野に行くのは、新しく外国に向けて開かれる那古野港の通訳をするためである。決して、椿と結婚するためではない。
にも関わらず、不思議なことに藩士達は絵里咲が次期藩主である椿の許嫁だと信じ込んでいるのだ。誰の仕業か考えるまでもないが。
「奥方さまではありませんか! だからこうして乗せようとしているのです! 乗ってください!」
「だからあたしは奥方さまじゃありません!」
「奥方さまぁ! どうか……どうか藩主に嫁ぐ者としてのご自覚を持ってください!」
「嫁でもないあたしをダメな嫁扱いするのはやめてください!」
類まれな生体呪力のおかげで高レベルの身体強化術が使える絵里咲は、追いかけてくる女性よりもかなり長く走れたため、女性のほうが先にバテバテになってしまった。
肩を激しく上下させながら「おくがたさまぁ……」と嘆く女性を見ていたらいたたまれない気持ちになった。絵里咲は近づいて、肩を貸してあげた。
「あぁ……情けのうございます。本来わたくしがお守りすべき奥方さまに肩を貸していただくなんて……」
「だから奥方さまじゃないのよ!」
後ろを振り向くと、武人の列が田んぼの向こうの森まで続いているのが見えた。森の向こうまで永遠に続いている気がする。遊園地のパレードなんて目じゃないほどの規模である。いったいこれだけの人を歩かせるのに、どれくらいの人件費が掛かっているのか。想像したくもない。
そして、前方を見遣った。武家行列の最前列には現藩主である神宮字歳実の黒い駕籠がある。
そのすぐ後ろに続く椿は、立派な筋肉が付いた白馬に跨っていた。彼女も絵里咲と同じく駕籠に乗るのがお嫌いなようである。
菖蒲の駕籠は椿の一列後ろ、そして絵里咲のすぐ目の前だ。赤と金色で塗られた派手な駕籠は絵里咲の駕籠の倍近く大きい。おそらく二人乗りの駕籠だろう。
すっかり武家行列に見惚れていると、武人たちがざわめき始めた。
遠くから馬が地面を蹴る音がした。
「おい。あの馬――止まらないぞ!」
「どういうことだ⁉」
音のする方向を見遣ると、田んぼの向こうから3匹の馬が走ってくるのが見えた。
「どこの藩士の馬だか見えるか?」
「いや、まだ遠すぎる」
「あの馬――夷国のもんじゃないか?」
武人たちが慌ただしく騒ぎ始めている。
遠くからやってくる3匹の馬は、このままだと武家行列を横切りそうだったのだ。先ほど述べたように、武家行列を横切る行為は〈供先を切る〉と呼ばれ、厳しい罰則がある。
だから、普通の人間は止まるのだが――3匹の馬たちは猛然と駆けてきた。
「いっ――夷国人だーーーー‼」
誰かが叫んだ「夷国」という言葉に、武人たちは怒声を上げはじめた。
基本的に、この時代の武人たちは外国人を侵略者だと思っている。だから大嫌いなのだ。
絵里咲の額にも汗が伝った。
歴史の教科書で見た「生麦事件」というワードが頭をよぎったからだ。――生麦事件とは現世の幕末で実際に起きた事件である。
馬に乗ったイギリス人が薩摩藩の大名行列を横切ろうとして、刀で斬られたのだ。もし大名行列を見たら頭を下げて通り過ぎるのを待つのがセオリーであり、大名行列を横切れば斬られてしまうのが当たり前だったのだが、外国人にそういった文化を理解することは難しかったゆえに起きてしまった悲劇だ。生麦事件は幕府とイギリスの間で大きな外交問題に発展し、ついに〈薩英戦争〉が勃発した。
生麦事件に似た事件はゲーム『肇国桜吹雪』の中でも発生する。どこかの藩と外国の小競り合い程度で済めばいいが、誰かが外交問題の扱いを間違えて幕府vs外国になるとバッドエンドとなってしまう。
遠くに見える外国人が、武家行列の前では頭を下げるというルールを理解してればいいが……。
そう願ったが、猛スピードで走る外国人の馬は止まらなかった。




