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第六一話 寒天タクゾウ殿

「あら。流浪人風情がわたくしになにか用ですの?」

「なんの事はない。――ちょいと、大老の娘を探していただけだ」

「……探して、どうするつもりですの?」

「決まってるだろ? 首と胴を切り離すつもりさ」


――こいつら……椿さまに殺害予告を出した奴らか‼


 絵里咲は口を引き結んで、叫び声を上げそうになるのを堪えた。動揺を見せれば、すぐに椿が大老の娘だとバレると思ったから。


 だから、絵里咲はハッタリをかました。


「大老の娘さま? そんな方、ぜひ一度お目にかかってみたいですね」


 額ひたいに伝った一筋の汗が、彼女の困り眉を濡らした。


 椿の命を狙う5人組を目の前にして、ハッタリをかました絵里咲。

 その男たちの顔を見ていると、なにやら見覚えがあるような気がした。


「ところであんた達の顔……どこかで見た覚えがあるのよね」

「ああ? 俺はてめえなんか知らねえが?」


 記憶の糸を辿ってみたが、どこで会ったのかは思い出せない。もしかすると、ただの人違いかもしれないと思った。


「赤髪の武人なんて京にもそう多くはいない。鷹のように鋭い目も、燃えるように赤い目も、噂に聞いた神宮寺椿の通りだ。――さて、名を名乗ってもらおうか」


 五人組の浪人たちの顔をじっくりと見た。


「武人に名を訊ねるならば、先に名乗るのが礼儀ではなくて?」

「死人に名乗るのも時間の無駄だと思ったが、非礼の武人と(そし)られるのも不本意だ。冥土の土産に覚えておけ――俺は倉樹の加東退蔵(かとうたいぞう)だ」

「同じく倉樹の丹部芝常(にべしばつね)だ」

「倉樹の栂高吉(つがこうきち)である」

「神浜の麻倉三治郎(あさくらさんじろう)だ」

「大洗の窯元海経(かまもとかいけい)なり」


 と、立て続けに自己紹介をされたが、絵里咲は一人の名前も覚えられなかった。


「さて、てめえらにも名乗ってもらおうか」

「えーっと、この方はですねぇ……鈴木ひな子さんと申します! 宇治にある高名な茶問屋(ちゃどんや)の娘さんなんですけ――」

「――神宮寺椿ですわ」

「ちょっと‼ なにバカ正直に名乗ってるんですか‼」

「名を名乗っただけですのよ」

「せっかく偽名で名乗っていたのに!」

「わたくしの名は鈴木ひな子などではありませんの」

「知ってますよ!」


 ああもうバカ~っと叫びながら頭を抱える絵里咲。そんな彼女を尻目に、椿は武人モードに入った。


「――ところで、愚かにもわたくしを殺そうと企んでいるのは貴方たちですの?」

「ああ。今から愚かな企みを実行するところだ」

「本当に愚かですのね」


 不敵に笑う椿は、巾着袋の中から弓を取り出し、矢を(つが)えた。男たちも腰の刀を抜き、金属と鞘が擦れる音が立て続けに5度鳴った。


 絵里咲も、腰の(さや)から細剣(レイピア)を抜いて、浪人たちに切っ先を向けた。


 銀色に光る5本の切っ先が、自分の命を奪うために向けられている――そう思うと、心臓が激しく脈打った。


「そうれはどうかな? 俺たちゃ居合の達人っつぅ(なにがし)も殺したが、かすり傷すら受けなかったぜ」


 薄ら笑いを浮かべるのは、加東退蔵と名乗ったリーダー格の男だ。やはりこの顔に見覚えがある、と思って記憶の糸を辿ると……

 頭に電撃が走った。


「わかった‼ こいつら、島田直茂殺しの犯人です! 現場の近くであたしに斬りかかってきたのがこいつらでした!」


 絵里咲は興奮気味にまくし立てた。

 事件当日に絵里咲を襲ったのは黒バンダナを頭に巻いた男だった。彼の顔がなかったせいでなかなか思い出せなかったが、彼らは黒バンダナの男と一緒に座敷にいた者たちだ。


「あら。探しに行く手間が省けましたわね。――(めかけ)の家で寝ていた男を後ろから刺し殺した程度では武勲と呼べませんわ。のぼせ上がるのはおよしなさいな」

「そうかい? 身の程を弁えるのはアンタの方だぜ。――椿殿は弓遊びが大層お上手らしいと聞いているさ。だが、五人相手になにができる?」

「なにができるですって? ――浪士の五人くらい、寒天に楊枝を刺すがごとく殺せますわ」


 不敵に挑発する椿は、むしろ楽しそうだった。


「弓なんちゅうもんはとっくに時代遅れさ。ちっとも怖かねぇよ」

「聞いたこともない浪人の刀など、蚊ほども怖くありませんわ。――さて。どの寒天からかかってきますの?」


 挑発する椿の口上(こうじょう)に、浪士たちは顔を怒りに歪ませた。


「減らず口を叩くのも今のうちだ。弓で一人が撃たれようと、四人がかりで叩き殺してやるぜ――行くぞてめえらっ‼」


 威勢のいい「おーーー‼」という掛け声が響くはずだった。だが、その代わりに返ってきたのは血飛沫だった。――加藤退蔵の後ろにいた3人の部下が同時に地面に崩れ落ちたのだ。


 なにが起きたのか絵里咲には目視できなかったが、推測することならできた。


 弓は扱いが難しく、兵を鍛えるのに時間がかかる上、威力も弱い。そんな欠点ゆえに銃の登場によって戦場での居場所を失った弓だが、とある一点においては優位性がある。それは、術式を搭載できることだ。先日、三本脚の烏の尾を捉えた矢は金色の光の尾を引きながら、音速を超えて飛んでいたように。


 椿は弓に呪術を乗せることで、弓の短所を補っているのだ。先ほどの矢は、呪術によって散弾銃のように分裂したものと思われる。


 射抜かれた3人は、地面に崩れ落ちた。一人は太腿(ふともも)を抑えてうずくまり、もう一人は首から血を吹き出したまま白目を剥き、さらにもう一人は胸の真ん中にドーナツ状の穴が空いた状態で仰向けに(たお)れていた――いずれも重傷を負うか絶命するかして、戦闘を続けることが困難であった。


「あらら。5つあった寒天もあと2つですわよ? 寒天退蔵殿」

「……貴様‼ 俺の郷友(きょうゆう)たちをよくも……‼」


 一瞬にして3人の仲間を失って狼狽した加東退蔵とやらが、仲間の死体から目の前の椿に視線を移した。すると、すでにその時には椿の弓に次の矢が(つが)えられていた。


「ばかな……! こんな速さで弓を番えられるはずが……」

「ただの〈打ち切り〉ですわ」


 通常の弓術では、矢を放ったあとに弓が手の中で回転する〈弓返(ゆがえ)り〉という反動が起き、数秒の硬直を強いられる。弓返りには命中率を上げる効果があるが、実戦(特に中近距離戦)で硬直時間は仇になって、連射速度が落ちるのだ。だが、弓を握り込んで強引に弓返りを押し殺す技術が存在する。これを〈打ち切り〉という。

 打ち切りを使えば、多少の命中率を犠牲にして、素早く二射目を放つことができるのだ。戦乱の世だった200年前には盛んに用いられたが、弓矢が儀礼用となって久しい花園時代末期にはほとんど忘れ去られた技術である。もちろん、現代弓道でも使用されない。

 ちなみに、椿がいつも左手首に巻いている紅いリストバンドは(とも)という弓具で、打ち切りによって手首にかかるダメージを軽減する役割がある。ただの装飾品ではないのだ。


 弓とは思えない速射を、恐ろしい高的中率で行う椿。武具の進歩でほとんど実用性のなかった弓も、彼女の手にかかれば凶悪な兵器となる。(――とはいえ、非常に長期間の専門的な鍛錬が必要になることから弓が銃に取って代わることはない。銃の強みは誰にでも使える点にもあるのだ。)


 椿はもう一人の男の太腿をいとも簡単に矢で貫いた。そして、構えていた弓を下げた。


「絵里咲。怯えている獲物を狩るのはいい練習になりますわ。寒天タクゾウを捕らえ、縄で縛り上げなさいな」

「加東退蔵だぁ‼ さっきまで言えてただろ‼ なんで間違えた‼」

「今すぐ捕らえます」

「手脚くらいは斬り落としてもよくてよ」

「わかりました」

「お、俺の相手はちびっこい嬢ちゃんか……。お前なら大したことなさそうだな」


 加東退蔵改め寒天タクゾウは絵里咲を挑発するが、可哀想なことにその声は震えていた。

 椿にはさんざんビビっておいて、手合わせの相手が絵里咲だとわかった瞬間態度を翻した寒天タクゾウ殿。その変わり身の早さに鼻白(はなじろ)んだ絵里咲は、すこしからかってみることにした。


「ところで椿さま」

「なんですの?」

「目玉もくり抜いていいですか?」

「片目だけなら好きにしなさいな」

「片目だけですね。わかりました!」

「もう片方は大事に残しなさいな。拷問に使いますのよ」

「ヒィィィィ――」


 椿の言葉に、寒天タクゾウの顔は空よりも青く染まった。


 命のやり取りは怯えた方の負けである。以前対峙したときは絵里咲のレイピアが震えていたが、こんどは加東退蔵の刀を握る手のほうが震えていた。


 寒天のようにプルプル震える男に突進突き(ファンデヴー)を当てるのは簡単だったが、人の肉を刺す感触は気持ちのいいものではなかった。


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