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第六〇話 祇園白川の寒天と甘党令嬢

「聞いてくださいよ椿さま。このお団子屋さんで流々子さまに一本おごらされたんです」


 清水(きよみず)の近くにある三年坂(さんねんざか)は古式ゆかしい商店街が並び、京の内外から訪れる若者たちで賑わっている。


 そんな三年坂に立ち並ぶ店のひとつに、餅米(もちごめ)が焦げる香ばしい煙を通りに吹かせては通行人の腹を鳴らせている罪な団子屋がある。以前、絵里咲が流々子と共に三年坂を訪れたときおごらされた思い出深い店だ。


「不思議ですわね。流々子の家は和国でも(こと)に裕福で、絵里咲は貧乏百姓(びんぼうびゃくしょう)ですのに、なぜ絵里咲が払いましたの?」

「あたしが聞きたいんですよねぇ。あたしは抗議したんですけど……なんか、流々子さまの微笑みに負けちゃったっていうか」

「ふぅん」


 不満そうに鼻を鳴らす椿。なにか気に触るようなことを言っただろうか。


「まあ、流々子さまが喜んでくれるならいいかなーって思っちゃったっていうか。そんな感じです」

「絵里咲」

「なんですか?」

「――わたくしに団子をおごりなさい」

「…………はあ⁉」

「聞こえませんでしたの? 団子をおごりなさいと言いましたの」

「聞こえたからびっくりしたんです!」

「団子を奢りなさいな」

「ええ~……」

「なぜ、流々子にはよくてわたくしはだめですの?」

「いや、普段はおごりませんけど、あのときは流々子さまの笑顔に負けたんです」

「それでは……」


 悪役令嬢は眉間に皺を寄せ、至近距離から絵里咲を睨みつけながら言った。


「へ……?」

「――団子をおごりなさいな」


 般若のごとく怖い顔が絵里咲の視界を覆って、涙目になった。


「こーわーいー! 貴人ともあろうお方が貧乏百姓から喝上げ(カツアゲ)するつもりですか‼」

「? 流々子と同じように『おごって』と言っただけですのよ?」

「同じじゃありません! 流々子さまはニコ~って微笑んでくれたんです。そんな怖い顔で脅してきたりしませんでした!」

「わたくしは流々子と同じことをしただけですのに……」

「さっきの顔、あれ笑ってたんですか? 般若みたいでしたよ⁉」

「しっ……失礼ですわよ! ……絵里咲には効きませんのね。家来相手ならわたくしの微笑みは効果抜群ですのに……」

「たぶん怖がってるだけだと思いますけど……」


 悪役令嬢は機嫌を損ねて面倒くさかったので、団子をおごってあげた。



     ●○● ○●○ ●○●



 二人は、以前に絵里咲と流々子が通った道とまったく同じ道のりをたどった。

 まず、河原町から鴨川沿いに清水(きよみず)へ歩き、Uターンして花見小路(はなみこうじ)を通って祇園の方へ戻ってくるという風に、繁華街をぐるりと一周するルートだ。

 和国を代表する貴人の一人と町歩きをしているのに、やっていることは修学旅行に来る高校生と大差ないのが不思議だった。


 前回は快適だったが、今回は違った。絵里咲は内心、倒れそうなほど疲れていた。

 椿が暑苦しいのも理由の一つだが、それだけではない。気候も暑苦しいのだ。


 それもそのはず。

 流々子と歩いたときは五月(さつき)上旬だったが、いまは文月(ふづき)(七月)の14日。いまは1400年-1900年まで続いた小氷期(しょうひょうき)といわれる冷涼な時代の最中(さなか)とはいえ、盆地である(みやこ)の夏が厳しいのは変わらない。人を殺すような猛暑が京を襲っているのだ。


 あまりの暑さに、遠くの景色が陽炎(かげろう)によってゆらゆら揺れている。絵里咲はまるでお好み焼きを作る鉄板の上を歩いているような気分だった。


 着物の中は汗ばんできて、涼しげなものが恋しくなった。クーラーの効いた部屋でコーラを飲みながら乙女ゲームで遊びたいと思った。


 白川は柳と小川が合わさって風光明媚(ふうこうめいび)な通りだ。川のせせらぎが心地よい小路(こみち)を歩いている途上、ふと椿が話しかけてきた。


「絵里咲よ。小腹が空きませんの?」

「いえ。満腹ですよ。いま冷麦(ひやむぎ)を食べたばかりじゃないですか」

「あら。そうですの」

「椿さまはお腹が空いたんですか?」


 武芸を修める人は基本的に大食いである。たとえば、茶々乃は身体こそちっこいが、絵里咲とお雛を合わせた3倍ほど食い意地が張っている。信じられない量を食べるのだ。剣術の鍛錬で筋肉を使うぶんATPを多く消費するのだろうが、それを考慮しても胃下垂(いかすい)を疑うほどだ。


 椿の食事風景を目にしたのは先ほどの冷麦(ひやむぎ)が初めてだが、彼女もおそらく常人離れした食欲を持っているに違いない。


 椿は、店の軒先を指差した。赤い椅子が並ぶ菓子屋だった。


 絵里咲にはその店の名前に見覚えがあった。転生前――現世においてだ。

 その店は絶品の(くず)きりを売っていることで有名な老舗(しにせ)の菓子屋だ。現代では四条通(しじょうどおり)にあったはずだが、この時代には白川沿いにあったのか。


「腹を満たしたあとは甘味を食べると強健になりますのよ。そこの菓子屋に入って寒天でも食べませんこと?」

「甘味の摂取と強健さは関係ないと思いますけど。椿さまが食べたいだけなんじゃないんですか?」

「絵里咲の弱々しい筋力が心配なだけですのよ。〈袖裏武具入れ〉すら持てないようでは困りますわ」


 袖裏武具入れというのは、椿が菖蒲にプレゼントされた弓矢や武具を入れるための巾着袋(きんちゃくぶくろ)である。小さいながらも非常に重いので、絵里咲は手のひらが潰されそうになった。


「あたしの筋力は平均くらいありますよ! 椿さまが筋肉ダルマなだけでしょう」

「わたくしをダルマと呼ぶのは不敬ですわ! 改めなさいな!」

「はいは~い」


 筋肉ダルマと呼ぶたびに本気で怒る悪役令嬢の気持ちはわからなくもない気がした。絵里咲だって、流々子から「筋肉ダルマ」と呼ばれたら嫌だ。口喧嘩でもしない限り、やめてあげようと思った。


「――でも、意外です」

「なにが意外ですの?」

「椿さまって甘いものとか苦手だと思ってました」

「苦手ですわ。――ですが、苦手とはいえ強くなるためには忍び難きを忍ぶのが武人ですのよ」


 腕を組んで誇らしげに武人の心意気を説く椿のことを、絵里咲は見栄を張る5歳児に接する保育園の先生のような目で眺めた。(いつく)しみの籠もったジト目だった。

 筋肉を付けるために甘味が必要なんて話は聞いたことがない。むしろ、逆だろう。一流のスポーツ選手は糖分を制限するくらいなのだから。


「――そ、その目はなんですの」

「本当に甘味が必要なら高級な寒天よりも蜂蜜を舐めたほうが楽だと思いますけど」

「それは財布が軽い庶民の考えですわ。寒天はわたくしのような貴人の(たしな)みですのよ」

「あっ! いま『嗜み』って言いましたね! やっぱり甘いものが大好きなんだ!」

「黙りなさいな! 不敬ですのよ‼」


 悪役令嬢は議論が弱いので、嘘をつくと簡単にボロが出るのだった。


「………………」

「本当に黙りなさいと言ったわけではありませんの!」

「………………」

「『黙りなさい』は『謝りなさい』という意味ですわ! 文脈を読みなさいな」

「失礼いたしました」


 空気の読めない椿から文脈を読めって言われたことで、絵里咲は満足した。


「ではさっそく寒天をいただきましょっか」

「ここはわたくしが払いますから、財布の心配はいりませんのよ」

「ありがとうございます」


 店に入って席につくと、すぐさま奥座敷に案内された。どうやら、店の人は大老の娘である神宮寺椿がお忍びで来店したことに気付いているようだった。さすが古くから続く名店だけあって、お忍び客の対応に慣れているのがわかる。


 『金魚鉢』というおもしろい題の菓子を注文した。運ばれてきたのは、金魚をかたどった赤い寒天を、水をかたどった空色の寒天で閉じ込めた菓子だった。夏らしい清涼な意匠に、椿も唸っていた。

 一口目を食べたときの椿は今日いちばん幸せそうだった。



     ●○● ○●○ ●○●



「椿さま。今日は満足でしたか?」


 鴨川沿いの広い道を歩きながら問いかけた。

 空に浮かぶうろこ雲は、西日が当たって黄色く染まっていた。


「あえてなにも言いませんわ。――絵里咲こそ。わたくしのような貴人と一緒に京を散策できて、さぞかし光栄だったでしょう?」

「そうですね~。貴人にお団子をおごりましたし、色々なことも知れましたから」

「色々なこと?」

「たとえば天下一(てんかいち)弓取(ゆみと)りも菓子を食べるとおもわず口元が(ほころ)ぶってこととか」

「絵里咲! そのことには触れない約束ですわ!」

「えへへ。椿さまが甘党だって学校のみんなが知ったら喜ぶと思います」

「やめなさいな! いくら未来の妻といえど度を越していますわ!」

「そうですか?」

「わたくしが甘味好きなんて噂が流れたら……那古野藩の面子(メンツ)に関わりますわ……」


 むしろ那古野藩の『恐い人ばかり』というイメージが改善されそうだと思ったが、なにも言わなかった。


「ともかく、甘味処で見たことは忘れなさいな」

「残念ですけど、記憶は呪術でも消せませんので」

「わたくしの生体呪力さえ強ければ消せますのに……」

「甘党がバレたくらいで物騒なこと考えないでくださいよ!」

「とにかく、甘味処の件は絶対に秘密になさい!」


 絵里咲はガシッと両肩を掴まれ、前へ後ろへ揺らされた。あまりに激しい揺れに脳震盪(のうしんとう)を起こしそうになった。


「わかりました……わかりましたから肩を揺らすのやめてください!」

「信用なりませんわ。天地神明に誓いますの?」

「誓います! 誓います! ――だからやめてーー!」


 椿と絵里咲がギャーギャーと騒いでいたその背後から、なにやら近づいてくる影があった。

 影は、二人の背後から声を掛けた。


「――おうおうおう。そこの赤毛の武人さん。ちょいと、こちらを向いてもらえるかい?」


 絵里咲と椿は同時に振り返った。

 そこに居たのは、腰に刀をぶらさげた五人組の男たちだった。


――? ナンパかしら……


 ナンパ程度なら、追い払えばいい。帯刀している時点で武人かそれに準ずる階級だということがわかるので、ナンパされたことないのだが。


 男たちの尊大な態度を見て、ひどい胸騒ぎがした。


「あら。流浪人風情がわたくしになにか用ですの?」

「なんの事はない。――ちょいと、大老の娘を探していただけだ」

「……探して、どうするつもりですの?」

「決まってるだろ? 首と胴を切り離すつもりさ」


――こいつら……椿さまに殺害予告を出した奴らか‼


 絵里咲は口を引き結んで、叫び声を上げそうになるのを堪えた。動揺を見せれば、すぐに椿が大老の娘だとバレると思ったから。

 だから、絵里咲はハッタリをかました。


「大老の娘さま? そんな方、ぜひ一度お目にかかってみたいですね」


 (ひたい)に伝った一筋の汗が、彼女の困り眉を濡らした。

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