第六話 ルームメイト
「真魚鰹の旬は夏だと思われているけど、本当の旬は冬なのよ。冬のほうが脂身が濃くて柔らかいの」
「へぇ~~すごいですね~~」
盗賊侵入事件のあと、絵里咲は流々子の部屋へ夕食に招かれた。気に入られてしまったみたいだ。
夕食には、彦根守家の家臣である料理人が作った魚料理が出された。真魚鰹という聞いたこともない魚を、幽庵焼きという聞いたこともない料理にしたものだという。(ちなみに、前者は西国でしか獲れない高級魚で、後者は甘いタレに柚子と魚を漬け込んで焼いた料理だという)。
「でもねぇ、冬の真魚鰹はなかなか獲れないのよ。この子は迷い子かもしれないわ」
流々子は料理を箸でつつきながら、饒舌に語った。真魚鰹に興味が無い絵里咲は、お経を聞いている気分になった。
流々子は「前世の話を聞かせて」と言っていたくせに、かれこれご飯の話ばかりしている。
だが、絵里咲はあんまり聞いていなかった。なぜなら――
「この真魚鰹ってお魚、クセがなくてすっごく好きです」
好きと言うだけで惚れられる魔法・〈主人公チャーム〉を流々子にかけることに躍起になっていたから。
「あらよかった。私の大好物なのよ」
しかし、流々子に効いている様子はちっともない。
――なんでだ?
「あとこのタレも、甘いのに柚子の風味が爽やかで好きだなぁ~」
「幽庵焼きが好きなら、うちの料理人が書いた製法書を渡すわ」
「いえ、大丈夫ですよ! こんなにうまく再現できないし!」
――幽庵焼きが好きなわけじゃないのよ! いや、美味しいけど、幽庵焼きじゃないの!
「真魚鰹も幽庵焼きも好きなんて気が合うわねぇ」
「はい。大好きです!」
「私も大好きよ」
やはり、まったく効果がないようだ。
――〈主人公チャーム〉にはなにか他の条件があるのかしら……。流々子さまに掛ける前にもっと実験しとけばよかったわ。
「えりずちゃんみたいに気が合う子と会えてよかったわ~」
「だからえりずじゃありません!」
――名前も覚えてくれないし!
結局。
その日のうちに流々子に惚れてもらうこともなく、名前を覚えてもらうことすらもなかった。
唯一の収穫は、ゲーム中の主人公と同じように流々子とお近づきになれたことである。
「はぁ~~~」
――どうして流々子さまに好きになってもらえないのかしら……
転生から数日後。
絵里咲は寮の部屋で深いため息をついた。
絵里咲は流々子との会話でさり気なく「好き」と言い続けた。だが、これっぽっちも態度が変わることはなかったのだ。
転生によって主人公チャームという呪いを授かって以来、「好き」と言っただけで簡単に惚れられてしまうせいで、多方面から恨みを買っている。もともと恋愛に淡白な絵里咲にとって、モテまくると嬉しさよりも心労の方が多かった。もはや災いと言っていい。
だが、主人公チャームを使っても本当に好きな人には振り向いてもらえないのだから、現実世界は難しい。ここが現実世界なのかはわからないが。
「はぁ~~~~」
自然と深い溜め息が漏れる。
――流々子さまに甘えられたいな~
そんな絵里咲の顔を、黒髪ポニーテールの女の子が心配そうにのぞき込んだ。
「大丈夫? 絵里咲さん、顔色悪いですよ?」
「ありがとう、お雛……。名前を覚えてくれて嬉しいわ」
彼女の名は楠木雛。町の商人の娘である彼女のチャームポイントは、パッチリとした目元だ。
お雛の性格は、典型的な優等生。自己主張が苦手な面はあるが、とても優しくて思いやりに溢れている。ルームメイトになれるのはこれ以上ない幸運である。委員長気質の絵里咲にとっては、いちばん仲良くなりやすいタイプの子だ。
彼女の愛称は『お雛』。江戸時代の女性の名前はほとんどが平仮名二文字で、名前の前に『お』を付けて呼ばれることが多かった。それに対して、花園時代の女性は三文字以上の名前を持つ人も多いが、二文字の名前の前に『お』を付ける慣例があるところはよく似ている。
「ありがとうって……それくらい当たり前ですよぉ」
「世界中の人がみんなお雛みたいだったらって本気で思うわ」
ここ数日、多方面から「えりず、えりず」と呼ばれ続けたせいで、自分の本名がえりずであるように錯覚していた。いや、この世界における本名は実際「えりず」なのだが。
安定して「絵里咲」と読んでくれるのは、いまのところお雛くらいであった。
「絵里咲さん、疲れてるんですね。私でよかったら何にでも相談に乗りますよ?」
「ありがと~、お雛。じゃあ、お言葉に甘えようかしら」
お雛は嬉しそうに笑った。
「うんうん。なんでも言ってくださいね」
「――好きよ」
試しにそう言ってみると、
「え――――――⁉」
とたんに頬をリンゴのように赤く染めた。それは恋する乙女だった。
「いきなりなんてこと言うんですか⁉︎」
「言ってみただけよ。忘れて」
「忘れてなんて……そんなぁ。絵里咲さんが先に言ったんじゃないですかぁ。好きって言っておいて『忘れて』なんて勝手すぎますよぉ。ずるいですよぉ……」
――主人公チャーム……乱用してたら刺されかねないわね……
お雛の過剰な反応を見て、遅まきながら「言うべきじゃなかったなぁ」と後悔した。
近しい人に主人公チャームを掛けると、のちのち遺恨を残しそうである。ルームメイトで試してはいけないやつだ。
「ご、ごめんなさい。友達としてよ? 恋愛対象としてではなくね。だから気にしすぎないで?」
「気にしますよぉ。一生忘れられませんよ。だって、胸が詰まるくらい嬉しかったんですからぁ」
お雛は赤く染まったほっぺを両掌でおさえて、上半身をメトロノームのように揺らしてもじもじしている。
これから三年間この状態だと大変そうである。解除する方法はあるのだろうか。
――ここまで強力なのに、どうして流々子さまには効かないのかしら……。
そんな二人の様子を見ていたもう一人のルームメイトがいる。
抹茶のようにあざやかな緑色の髪をショートボブに切り揃えている小柄な少女。
彼女の名は天目茶々乃。みんなからは愛称で「茶々」と呼ばれている。
輪郭が丸い童顔で、ぱっちりとした二重が羨ましかった。頬には、いたずらっ子特有のえくぼがある。まつ毛も長く、街で見かけたら二度見しそうなくらいには美形だった。
同室に元気で可愛らしい子がいるのは目の保養になって喜ばしいことなのだが、絵里咲はイマイチ喜べない。その理由は――
茶々乃はそーっと忍び足で、絵里咲の背後に近づいた。そして、絵里咲の顔に湿った物体を乗せた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ‼︎ ――いきなりなにすんのよ⁉︎ 顔にカエルを乗せないでよ!」
「あははははは」
――茶々乃が生粋のお莫迦だからである。
「しかもガマガエルじゃない! 有毒よ有毒! なに寝室に持ち込んでるのよ! 本気で危ないわじゃない!」
「災難だったねー」
「災難はあんたの脳みそよ‼ 触ったらちゃんと手を洗いなさい! 毒が付いたら腫れるわよ」
お腹を抱える茶々乃の笑い声が部屋に響いた。
彼女は、宇治にある茶問屋の一人娘だという。しかし、おおよそ「茶問屋の娘」という言葉から連想されるお淑やかなイメージからは程遠く、チワワのように落ち着きがない。二人のルームメイトの性格は、面白いくらい正反対だった。
「あははは。えりずこそ顔を洗いなよ」
「えりずじゃない!」
絵里咲は布を取り出して、顔に付いたガマガエルの汁を必死に拭いた。早く処置しないと腫れてしまう。
ちなみに、ガマガエルの汁は目に入ると失明しかねないので、本当に笑い事ではない。
「いいじゃん。カエル乗っけるくらい」
「ガマガエルはダメ。次やったらぶっ叩くわよ」
「心が狭いなぁ」
「いまぶっ叩いてやろうかしら」
「ふたりとも喧嘩しないでぇ~~~‼」
お雛の声は悲鳴に近かった。
「喧嘩じゃないわ。教育よ」
「絵里咲ぢゃん! 私たち三年間おんなじ部屋なんだよ? 仲良くしようよぉ〜」
「だって茶々乃がガマガエルを――……あ〜ごめん。ごめんねお雛。泣かないで! すぐ仲直りするから! ほら。茶々と握手してる! 仲いい!」
生粋の委員長気質である絵里咲は面倒見がよく、泣いている子を見ると頑張ってあやしてしまう。損な役回りだから、割りを喰うことも多い。
「ほんとに?」
「ほんとほんと。ねー茶々?」表向きはニッコリ笑いかけて、小さい声で「(ほらっ。あんたも仲直りしたっていいなさい!)」と言った。
だが、茶々乃はキョトンとしていた。
「――ねえねえ、えりず」
「えりずじゃない。なに?」
「握手してるけどさー。私の右手、ガマガエルの汁ついてるよ?」
絵里咲のフルパワー張り手が頬めがけてさく裂。茶々乃はブホォっという悲鳴を上げて布団に倒れた。お雛の泣き声が派手になった。
「ああ茶々。顔を洗ったほうがいいわよ? あたしの手、ガマガエルの汁ついてるから」
思いきり打ちつけた掌にしびれるような痛みを感じながらも、心から望む復讐を果たした絵里咲の表情は誇らしげだった。暗い宿舎にお雛の泣き声が響き渡った。