第五九話 禊
「椿さま~~。どこに向かっているんですか~~」
「秘密ですわ」
絵里咲は神宮寺邸で駕籠に乗せられた。これまでに何度も登場してきた駕籠というのは、人が数人がかりで担いで貴人を運ぶという原始的な乗り物である。
二人乗りの駕籠は流々子が持っているものと違い、二人で乗っても広々としたスペースがあった。朱色の絨毯が敷かれた内装も座り心地がよく、ガタガタ揺れてもお尻が痛くならない。
駕籠一つにとんでもない金がかけられているのがわかる。
「目的地くらい教えてくれてもいいじゃないですか」
「落ち着きなさいな。平常心は武人にとって肝要ですのよ」
「椿さまのことだし、変なとこに連れて行かれそうで怖いんですけど……」
どこに行くかわからない恐怖は相当のものだ。目隠しされてタクシーに乗せられるようなものである。
「安心なさいな。もしわたくしが変なことをするつもりなら神宮寺邸にとどまりますわ」
「……たしかに」
妙に納得させられる答えが返ってきて悔しかった。
駕籠に揺られながら20分ほど経ったころ。
ようやく駕籠が下ろされると、外から引き戸が開かれて青い空と京の町並みが見えた。
「ここは……」
爽やかな川のせせらぎの音は、密室から開放された直後だとよけい清々しく感じる。川沿いの青々とした柳が風に揺れていた。
考えるまでもない。ここは、転生してから幾度となく訪れた鴨川である。鴨川沿いに並ぶ家屋の栄え具合からいって、ここは歓楽街であろう。
「河原町……ですか?」
「ええ」
「……結局、重要な用事って何なんですか?」
「これから三年坂と河原町に行きますのよ」
「三年坂と河原町って……ただの商店街じゃないですか! 重要な用事とか言って遊びに連れてきたんですか⁉」
「これは遊びではありませんの」
「遊びでなくて何なんでしょう」
「禊ですわ」
「……みそぎ?」
「ええ。貴女は以前、わたくしの誘いを断って、流々子と河原町へ逢引しに行っていたでしょう?」
「行きましたけど……」
思い出した。椿様をつっぱねて、流々子さまとデートしに行った日だ。まだ根に持っていたのか。
「だから禊が必要ですの」
「まったく理解できないんですけど。説明していただけますか」
「今から、わたくしと逢引していただきます。そして、流々子と歩いた時とまったく同じ道を通っていただきますわ」
「――はぁ?」
「同じ道を歩いて、流々子と遊んだ記憶をわたくしの記憶で上塗りするんですの」
「やっぱりただの遊びじゃないですかっ!」
「禊ですのよ」
「遊びです!!!」
ぜんぜん重要な用事じゃなかった。
椿は、駕籠を持っていた家来たちに言った。
「わたくしたちはしばらく出歩きますわ。七つ半(午後6時)には三条大橋でわたくしたちを迎える準備をしなさい」
「――はっ!」
「貴方たちは茶屋で休んでいなさい。代金はわたくしが払いますわ」
「――かしこまりました。有り難き幸せにございます!」
駕籠を持っていた8人の家来は椿に深々とお辞儀すると、空の駕籠を担ぎ上げてどこかへ行ってしまった。
「――あの~、椿さまって命を狙われてましたよね」
「そうですわね」
今、椿には殺害予告が出されているのである。それも、島田直茂を殺した連中から。
「それなのに、人目につく場所を護衛も付けずにぶらついていいんですか?」
「護衛ならいますわ」
「いま帰したじゃないですか!」
「絵里咲――月成殿より、貴女はわたくしの護衛に任命されましたのよ」
「う……。もうその報せが届いてたんですね」
「先ほど、月成から伝令が届きましたのよ。貴女も知っておいででしょう?」
「はいはい任命されましたよ~。断るつもりですけど」
「だめですわ。任命は受けなさいな」
「なんでですか」
「理由は二つありますわ」
「また始まった……」
椿のプレゼンテーションの時間である。外国嫌いのくせに、喋り方が妙にシリコンバレー風なのが解せなかった。
「まず一つ目。絵里咲の剣の腕前は道場でもピカイチと聞きましたの」
「誰に聞いたんです?」
「東行ですわ」
「春風さまか……」
さてや留学する前に余計なことを漏らしたな。
「だから背中は任せて平気でしょう?」
「ぜんぜん自信ないんですけど~」
平和な時代に生まれて戦争を経験せずに育ってきた絵里咲は、幼い頃から戦士として育てられてきた椿と違って、命を賭けた戦いの練習をしていない。
フェンシングや剣道は好きだが、それは純粋な駆け引きだけを楽しむものだ。安全面に最大限気を配り、選手たちが命どころ過擦り傷すら負わないような仕組みを作ってあるから楽しいのである。
フェンシングが多少できるからといって、実戦でも強いわけではない。
「二つ目の理由は――単純にわたくしが絵里咲と一緒にいたいからですわ」
「――なんで変なところだけ素直なんですか!」
予想の斜め上から核弾頭ミサイルが飛んできたので、心が受け止めきれなかった。
動揺で声量が制御できなかった。
「武人だからですわ」
「説明になってませんけど」
流々子や菖蒲も武人だが、いちいち遠回しな言葉を選ぶ。言動がド直球なのは武人だからとかはまったく関係ないだろう。
「はぁ~~……」
「ため息をつきますのね。そんなに逢引が嫌ですの?」
「逢引はいいんです。百歩譲って逢引するのはいいんですけど、命を狙われるのは嫌なんです!」
「命を狙われるのはわたくしだけですのよ」
「一緒にいたらあたしも斬られますよ!」
「逃げればいいじゃありませんの」
「でも、あたしだって襲われている椿さまを見殺しにはできません。一緒に戦います」
「優しいんですのね」
「ともかく、なんとかして安全に逢引する方法はありませんか?」
「わたくしの背中に隠れていれば安全ですわ」
「戦いを避けることを『安全に』って言うんです」
「戦っても勝てば安全ですのよ」
「それはただの勝利ですよ……」
「勝利こそが武人の仕事ですわ」
「う~~ん。どうしようかしら……」
椿に戦いを避けるつもりがないのなら、戦いを避ける方策は絵里咲が自分で考えるしかない。月成と椿のせいで疲れ切った脳みそにむち打ってフル稼働させ、敵に狙われない方法を検索した。
しばらく考えると、頭の中の電球が光るような閃きがあった。
「椿さま。名案を思いつきましたよ!」
「なんですの?」
「偽名を考えましょう!」
「偽名?」
「偽名です! 突然襲われても、偽名を名乗れば荒事は避けられるはずです! う~~んそうですね……たとえば――鈴木ひな子とかいかがです? 可愛いと思いません?」
ひな子と言ったのは、最初に思い浮かんだ京人の顔がお雛だったからだ。深い意味はない。
「なにをおっしゃいますの? わたくしは神宮寺椿ですわ」
「知ってますよっ! その神宮寺椿さまの命を狙っている者がいるから偽名を使うんでしょう」
「必要ありませんわ」
「なんでですか!」
「偽名など名乗らずとも、襲ってくる全員の命を奪えばいいんですの。それを続けていれば、そのうち神宮寺椿の命を狙っている者はいなくなりますわ」
「トンチはいいですから偽名を使ってください!」
「トンチではなく方策ですのよ」
「意味がわかりません!」
話にならなかった。
「話が通じませんわね」
「それはこっちの台詞です!!!!!」
――曲がりなりにも椿さまの寿命を伸ばそうとしてあげてるのに、本人がこの調子だと早死するわね……
はぁぁ~、と深い溜め息を吐く絵里咲。今日も大変な一日になりそうだなぁと思った。
椿の身なりを見る。真紅の袴は動きやすそうで、戦闘になっても邪魔になることはないだろう。腰には脇差と刀を提げて武装している。ただの町歩きとはいえ、『備えあれば憂い無し』の姿勢はさすが武人である。
だが、彼女のトレードマークである弓は持っていなかった。武人なので刀を振ることくらいはできるだろうが、椿が弓以外の武器で戦っている姿を見たことがない。
いざというとき、刀で戦えるのだろうかと不安になった。
「そういえば、椿さまって刀でも戦えるんですか?」
「その細剣で試してもいいんですのよ」
「いや、遠慮しときますけど……。今日は弓をお持ちでいらっしゃらないじゃないですか。それで大丈夫なのかな~って思って」
「弓ならもちろん持っていますわ。この中に」
椿は袖の裏から小さな巾着袋を取り出し、カチャカチャと揺らしてみせた。巾着袋は紅色で、お祭りで売ってる水風船ほどの大きさだ。とても弓矢が入るような大きさではないことは、脳の重さがマカロンほど(15g)しかないワニや、それ以下の茶々乃ですら分かる。和弓の直径は2メートル以上あるのだ。
「そんな袋には金平糖くらいしか入らないですよ~」
呆れ声で呟いていると、椿が「まあ、見ていなさいな」と言って巾着の中に浮遊の呪術をかけた。
巾着袋の中から浮き上がってきたのは、立派な矢筒だった。切り揃えられた矢羽根がついた本物の矢だ。明らかに巾着袋に入る大きさではないから、内部は四次元ポケットのようになっているのだろう。
「これは呪術道具ですの。名付けて〈袖裏武具入れ〉。二年前の誕生日に、菖蒲が作ってくれましたのよ」
椿は澄まし顔で紹介したが、鼻が高いと思っている気持ちを隠しきれていなかった。大好きな妹にプレゼントされたのがよっぽど嬉しいのだろう。
ちなみに、この時代にも誕生日を祝う習慣はある。現代ほど派手ではないが。
「売ったら流行りそうですね」
「たぶん流行りませんわ」
「なんでですか?」
「持てばわかりましてよ」
椿が巾着袋を絵里咲の掌の上に載せると同時に、
「うわ重~~~っっっっ――――‼」
絵里咲は頭から派手に転んだ。
巾着袋の見た目は小さいが、箪笥並みに重かったのだ。咄嗟に身体強化術を使うことでなんとかその重量を支えることができたが、地面と巾着袋のあいだに手を挟んで痣になってしまった。
ぎゃーぎゃー騒いでいる絵里咲を見て、椿はお腹を抱えてクスクスと笑い始めた。
「面白くないですよ‼」
とはいえ、仏頂面が通常な椿が笑いのツボに入るのを見たのは初めてだ。指が潰された甲斐があるのかなぁ、なんて、ちょっとだけ思ってしまった。
「体を鍛えなさいな、絵里咲。武人の妻としてこれくらいは持てるようになるべきですわ」
「この袋、身体強化術使っても重いんですけど! もしあたしが身体強化が使えなかったら大怪我してましたよ!」
「あらそう。わたくしは身体強化を使っていないから今ごろ大怪我だらけのはずですわね」
「椿さまみたいな筋肉だるまと一緒にしないでください‼」
「失礼な! わたくしだってだるまよりは美しいですわ‼」
いつもどおり煽り耐性ゼロな椿であった。




