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第五四話 椿の夢

 椿は絵里咲を鳥かごに入れると、出かけてしまった。

 椿が出かけてから半刻(1時間)ほど経つと、夕日の沈んだ空はすっかり暗くなり、夜の虫が鳴き始めた。


 すっかり暗くなった部屋の(ふすま)が開き、ふたたび現れたのは悪役令嬢だった。


 その左手には木箱を抱えていた。箱の中からは鳥の雛が鳴く声がした。


――あれ? なにを持ってきたのかしら


「大人しく待っていましたのね。いい子ですわ」


 椿が呪術で行灯(あんどん)に火を点けると、部屋がぼんやりと明るくなった。


角鷹(くまたか)は生き餌しか食べないと聞きましたの。――嵯峨野の養鶉場(ようじゅんじょう)から(うずら)の雛を買ってきましたわ」

「ピピピィ……?(うずらなんて……そんな高級品を……?)」


 椿は(うずら)の入った木箱を床に置いた。木箱の中には、かわいらしい(うずら)の雛が3羽、短い脚でよちよち歩きしていた。


 人間のときには(うずら)の雛を殺すなんて想像もしたくなかった。だが、鷹の姿の絵里咲は、鷹の本能に従っている。不思議なことに、よちよちと歩く鶉の雛を見ると、まるでこんがり焼けたハンバーグからあふれる肉汁を見たときのように目を釘付けにされた。


 椿が鳥かごを開くと、絵里咲はうずらに向かって飛び出した。意図した行動ではなく、身体が勝手に向かっていったのだ。


「ぴぴぴーぴー(いただきます!)」

「――よい食いつきですわね。わたくしは食事と風呂を済ませてきますから、そのあいだに英気を養っておきなさいな」


 椿はそう言い残して、部屋から出ていった。


 絵里咲は、くちばしで(うずら)の皮を剥ぎながら、椿のことを考えた。


 椿は骨折した骨を治療した上、一晩保護しようと申し出てくれた。さらに、超高級品である(うずら)の雛まで持ってきてくれた。

 すっかり自分が焼き鳥にされて美味しく食べられるものだと思い込んでいたから、その驚きの大きさはひとしおだった。


 (うずら)の雛の肉はほっぺたの肉みたいに柔らかくて、絵里咲にとって焼きたてのハンバーグに匹敵する美味しさだった。絵里咲は生命と椿に感謝すると同時に、いままで椿に対して冷たく当たりすぎちゃったかもしれない、という後悔がこみ上げてきた。


 椿はゲーム中で極悪令嬢だったから、絵里咲はずっと毛嫌いしていた。けど、転生した後のことをよくよく思い返せば、椿は行動が突拍子もないだけで、これまでずっと絵里咲に対して優しくしてくれている。


 そんな椿の優しさに対して、絵里咲は何も返していない。

 不器用ながらも好意から絵里咲に尽くしてくれる椿に対して、絵里咲の反応はひどいものだった。


 たとえば、椿が那古野藩の職人に(くし)をオーダーメイドさせたときには、受け取りをすげなく拒否したり、砂浜で適当な宝貝(たからがい)を拾ったときには、それを高級品っぽくしつらえてお土産にしたり……。


 (うずら)の肉をおいしく感じるほど、椿への申し訳なさが(つの)った。


――うう……。なんだか急に謝りたくなってきた……


 求婚を断るのは仕方がないとしても、冷たく()ねつけるのはかわいそうである。彼女は流々子にも冷たくされているのだから。


 (うずら)の雛を綺麗さっぱり完食した絵里咲は、残った骨と皮を板の上に並べた。


 お腹がいっぱいになると、(まぶた)が重くなってきた。

 今日は巨大な(からす)と戦ったり、骨折の治療を受けたりしたせいで、肉体に疲労が溜まっているようだ。襲ってきたのは耐えがたい眠気だった。

 それでなくとも、野生動物の夜は早い。今はおそらく8時を回った頃だが、野生の鷹は眠る時間だ。


 そろそろ眠ろうかと思ったそのとき、


「――あら。(うずら)はすべて食べきりましたのね。えらいですわ」


 悪役令嬢がふたたび現れた。


 椿は風呂を済ませたのだろう。先ほどとうって変わって、ゆったりとした服に着替えていた。彼女のモデル体型を包んでいるのは純白の寝衣(しんい)――白綸子(しろりんず)という羽織ものだった。

 全身が真っ白い彼女を見たのはこれが初めてだ。悪役令嬢だから暗めの色調が似合うと思っていたが、清廉な色合いでもサマになっていた。純白を(まと)っても悪役っぽさが消えないのはさすがだが。


 椿は絵里咲の顔に顔を近づけた。


「鷹よ。おまえはどこで寝ますの?」

「ピィ……(別に、床でいいですけど)」

「……ねぇ、鷹よ。今晩はわたくしと一緒に寝てくれませんこと?」

「ピィ?(へ?)」

「わたくし、幼いころから猛禽類(もうきんるい)や獅子といった強い動物に憧れていまして――とくに鷹への憧れは格別でしたの。いつの日か、野生の鷹を抱いて眠りたいと思っていましたわ。野育ちのお前に無理なお願いだとはわかっていますけど……」


――まあ、命を助けてもらったし


 椿が言い終わる前に、

 絵里咲は鷹の翼を広げてひとっ飛びすると、椿の帳台(ベッド)の枕元に降り立った。


「あら、賢い鷹ですのね」

「ピ~ピピ~(人間ですから)」

「わたくしが抱きついてもいいってことですのよね?」


 絵里咲は、椿の目をじっと見つめた。椿はそれを是の意思表示ととったみたいで――


「では、遠慮なく抱きつかせていただきますわ」


 と言った。


 ずしずしと帳台(ベッド)に入ってきた椿は、おもむろに白綸子(しろりんず)を脱ぐと、下着姿になった。白羽二重(しろはぶたえ)襦袢(じゅばん)だ。その薄い絹は行灯(あんどん)の灯りを受けてほのかに発光し、まるで天女がまとう羽衣のように見えた。


「ピ⁉ ――ピィ⁉(え? ちょっと‼ どういうおつもりですか⁉)」

「あら。この期に及んで嫌がりますの?」

「ピーピー‼(だって下着姿じゃないですか!)」


 絵里咲は知らなかったが、高位の武人が寝るときには下着の襦袢(じゅばん)姿になり、羽織りものの白綸子(しろりんず)を掛け布団代わりにするのである。だから、椿の行動に何らおかしなところはない。


 だが、絵里咲は普段から変な行動ばかりする悪役令嬢のことを心底信用していなかったから、それが奇行にしか見えなかった。絵里咲の顔はこれ以上なく引きつっていたが、鷹の表情は人間ほど豊かではない。椿にはちっとも伝わらなかった。


「ねえ、この襦袢(じゅばん)、さわり心地がよいでしょう? 白羽二重(しろはぶたえ)寝衣(しんい)にするのはわたくしのような大藩主だけに許された特権ですのよ」


 白羽二重――格別のさわり心地を誇る絹織物で、その美しさから光絹(こうきぬ)と呼ばれる。こまやかな繊維の束に光が射すと、乱反射して絹自体が光って見えることがその由来だ。まるで、天女が纏う羽衣(はごろも)のように光っていた。


 椿は襦袢(じゅばん)(そで)を絵里咲の頬にすり付けた。彼女が言うとおり、白羽二重(しろはぶたえ)の絹は空に浮かぶ雲のような柔らかさだった。大藩主にしか許されないというのも頷ける。


「では、わたくしは寝ますわね。おやすみなさい」


 椿は絵里咲の顔を胸に抱き寄せると、頭頂部に頬をすりつけてきた。ウェーブのかかった赤髪が顔にかかってくすぐったかった。


――まさか椿さまに猛禽類(もうきんるい)をもふもふする嗜好があったなんて……


 椿の腕の中は(うずら)の雛の肉よりも柔らかかった。いい匂いがして、不覚にも心臓が高鳴った。


――しかし、なかなかの破壊力ね……。まあ人格はともかく、お顔は美人だしな~


 なんてことを考えながら、椿との添い寝を承諾したことをいまさら後悔した。なんだか危ない感情が芽生えそうになっていた。

 だが、もう帳台(ベッド)から抜け出すことはできない。一度入って抜け出すには、あまりにも寝心地が良すぎた。


 やがて、心地のいいまどろみが襲ってきた。あと数秒で寝そうだった。

 絵里咲は椿の腕の中にすっぽりと包まれたまま、ふと、彼女の胸元に目を遣った。すると、そこに見たくなかったものが目に飛び込んできた。


「ぴひゅん……(やばい…………)」


 それまで柔らかなまどろみに包まれていた絵里咲の意識は、即座に覚醒した。


 椿が纏っている襦袢(じゅばん)(えり)のあいだに、白い糸に繋がれた首飾り(ネックレス)が揺れていたのだ。その糸の先端には、くすんだ紫色の宝貝が吊るされていた――間違いなく、絵里咲が砂浜で拾った貝だ!


「ピィィィィィ――‼」

「うぇっ? ――突然どうしましたの⁉」


 絵里咲は大慌てで、椿の胸元に吊り下がる首飾り(ネックレス)めがけて、勢いよく(くちばし)を突き出した。

 宝貝は、絵里咲が嘘をついた証拠である。そんなもの、ぶっ壊してしまえ。証拠はぶっ壊してから、新しくてちゃんとした品をプレゼントし直そうと思ったのだ。


「こら! 帳台で暴れるのはやめなさいな!」

「ピィィィィィ‼(壊させてください‼)」


 帳台(ベッド)(またた)く間に戦場と化した。


 絵里咲は(くちばし)を使って必死に宝貝を(つつ)こうとしたが、武人の反射神経はさすがだった。あざやかな体術でいなされ、宝貝に嘴を当てるどころか近づくことはできなかった。たっぷり1分続いた激しい攻防は、しびれを切らした椿が左手で鷹の首を掴んだところで終了のゴングが鳴った。


「――いい加減にしなさい‼ これ以上暴れたら焼き鳥にしますわよ‼」

「ピピ~~~(怖いです~~~)」


 鼻をつきつけて怒鳴る椿。それは、いままでに見たこともないほどの激怒だった。絵里咲は思わず泣きそうになった。


「この首飾りはわたくしの想い人に初めて頂いた品。見た目は不格好でも宝物ですのよ。――鷹よ、もし首飾りにかすり傷ひとつ付けたらお前を朝食に出しますわ」

「ピィ……ピーピピ!(だって……()()()()()()()()じゃないですかっ!)」

「うるさいですわ」

「ぴ?(伝わるんですかっ⁉)」


 応答は無かった。


 椿は、無事に守りきった宝貝を愛おしそうに抱きしめたあと、頬をすりすりと擦りつけていた。

 鼻に宝貝を近づけて、クンクンと匂いを嗅ぐと、


「あぁ絵里咲の匂い~」


 と、生々しい感想を洩らす悪役令嬢。


「ピピィ……(うえぇ……)」


 きもちわるいと思った。


 恋の病は、悪役令嬢のキャラすらも崩壊させてしまうらしい。

 椿は目の前に本人がいるとは露知らず、婚約者について饒舌(じょうぜつ)に語りだした。


「この首飾りをくれたわたくしの婚約者は、魅力的ですのよ。百姓でありながら自立していますし、それに、世にも(まれ)な美人なんですのよ。性格には難がありますけど」

「ぴぴー(椿さまにだけは言われたくないんですけど)」

「――それに、わたくしの妻となるにあたっては、あと幾許(いくばく)かの教養を身に着けてほしいところなのですけれど……。まあ、求婚させたあとに考えればいいですわ」

「ぴぴぃ!(求婚しませんから!)」

「お前も早く寝なさいな。明日は森に帰りますのよ」


 椿は宝貝を抽斗(ひきだし)に仕舞うと、鷹が待つ帳台(ベッド)に戻ってきた。

 天女の羽衣のような白絹をまとった悪役令嬢は絵里咲に抱きつくと、すぐにスヤスヤと寝息を立て始めた。


 絵里咲はこの期に及んでも宝貝を破壊したかったが、武人の無防備な寝顔を観察する機会はなかなかないから、邪魔はしたくない――などと葛藤しているうちに意識が途切れた。

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