第五三話 Heel Heals an Eagle
「翼の骨が折れていますわ。それじゃあもう飛べませんわね」
「ピィ……(まじか……)」
――焼き鳥確定だ……
鷹の姿の絵里咲は布に包まれたまま、止り木に乗せられた。
三本足の烏に攻撃された絵里咲は、すっかり手負いの身。椿から逃げる体力は残っていない。
「準備してきますわ。ちょっと待っていなさいな」
「ピ⁉(なんの準備ですか⁉)」
焼き鳥の準備だろうか。
椿は絵里咲が入った籠を縁側に放置したまま襖から出ていった。
しばらくすると、戻ってきた椿は手に3つの薬瓶を持っていた。
「あら、えらいですわ。大人しくしていましたのね」
――痛くて動けないだけだけど
「始めますわよ」
「ピピィ……(焼かれる……)」
「この小枝みたいな棒は井守の尾。こっちの白い粉は石膏ですわ」椿は小瓶の中に入っている物体を指差して言った。「尻尾を切っても再生する井守の尾は再生の象徴。治癒術には必須ですのよ。そして、石膏は動物の骨と性質が似ていますの」
「ピピピピ(なるほど)」
「そして、これは弟切草ですわ」
「ピ?(弟切草?)」
「弟切草には物騒な由来がありますのよ――昔、とある医師が弟切草を薬草として使っていましたの。医師は弟切草を門外不出の薬草として、その効果を弟子や家族のみに伝え、固く固く秘密を守らせていましたわ。でも、あるとき彼の弟が言いつけを破って弟切草の秘密をよそ者に漏らしてしまいましたの。その知らせを聞いた医師は激昂し、刀を持って実家に行きましたわ。縁側で茶を啜っている弟を見つけると、医師は思いきり刀を振りかぶって、肩から袈裟斬りにしましたのよ。――こんな風に、弟を斬ったから『弟切草』の名が付きましたの。弟切草には……」
「――ピピ⁉(ちょっと! あたしを脅してますよね⁉)」
絵里咲は翼をバタバタ動かして後ずさった。
やはり、神宮寺邸から逃げなければなるまい。主人公チャーム無しでこの悪役令嬢と対峙するのは危険すぎる。
必死に羽ばたこうとしたが、折れた骨が痛んでうまく飛べない。絵里咲が無様にもがいている隙に、椿は絵里咲の首を捕まえてしまった。
「ふふ、逃げることありませんわ」
悪役令嬢がサディスティックに微笑んだ。
「ピー! ピピー!(逃げますよ! 焼き鳥にするんでしょ⁉)」
「最後まで話させなさいな。その医師が隠していた弟切草の秘密は――鷹を癒やす力のことですのよ。弟切草は鷹を治療する霊薬ですの」
「……ぴ?(……あたしを焼かないんですか?)」
椿は畳の上に木の板を敷いた。続いて、小瓶の中から呪術用の薬品たちを取り出し、板の上に並べた。
「神宮寺には秘伝の治癒術が伝わっていますわ。弟切草みたいに、門外不出の呪術ですのよ。神宮寺家の者に伝えることを固く禁じられていますわ」
「ぴ~(へえ~)」
「言い忘れていましたわね。――もし、この呪術を漏らしたら斬りますわよ?」
「ピヒャ⁉」
「――ふふっ。面白いでしょう? いまの、わたくしが考えましたの」
「ぴぃ……(ぜんぜん笑えないんですけど……)」
めったに冗談を言わない悪役令嬢が自分の冗談に自分で笑うなんて、らしくなさすぎる。普段、人前では気を張っている悪役令嬢だが、動物は言葉がわからないと思って油断しているのかもしれない。
「菖蒲と違ってわたくしは最高の使い手ではありませんけれど、動物の骨くらいなら癒合できるはずですわ」
「ピィ~……(よかった……。生きて帰してくれるんですね)」
「まだ一度も成功したことはありませんけれど」
「ピーーーー!(じゃあ菖蒲さまに任せてくださいよ‼)」
怖くて大暴れする絵里咲の反抗を意に介さず、椿は布の上から鷹の翼を強い力で押さえつけた。武人の怪力で強引に絵里咲の身体の自由を奪うと、有無を言わせず呪詞を唱えはじめた。
「――一二三四五六七八九十 悩ましき手負いを瀬の泡沫の消ゆるが如く 迅く速けく癒し給へと恐み恐み白す 瑞宝振‼」
唱え終わった瞬間、右翼に激痛が走った。人間の体で例えると、まるで二の腕に太い杭を打ちこまれたような衝撃だった。
鷹の黄色い嘴から激しい悲鳴が上がり、神宮寺邸に響き渡った。
――莫迦! めちゃくちゃ痛いじゃない!
動物の痛みへの耐性は、寿命の長さと反比例するという。たとえば、最長100年生きる人間の痛覚は、せいぜい20年しか生きない犬の5倍も強いことになる。
鷹は長くても30年しか生きないから、鷹の痛覚は人間のとき3分の1ほどしかない。それなのに、絵里咲は痛みに耐えきれず、叫んだ。
痛い。痛すぎる。もし人間の身体で同じ痛みを感じていたら、ショック死していてもおかしくないと思うほどに。
鷹の目から涙が溢れそうになった。鷹は痛みで泣くことはないのだが、それでも幻の涙が出そうだった。
右翼の激痛を数十秒耐えると……椿は絵里咲の身体をがっちりと固定していた腕を離した。鷹の胴体をぐるりを覆っていた布をはがした。
「まったく。空の王者が骨折程度で暴れすぎですのよ。綺麗な風切羽が折れてしまいますわ」
椿の拘束が解けると、左の翼から激痛がいつのまにか消え去っていることに気がついた。
おそるおそる両翼を広げてみる――もはや、痛みはほとんど感じない。椿の治癒術が骨を癒合してくれたのだろう。
だが、翼が重たかった。まるで羽根の一枚一枚が鉛でできているのではないかと錯覚するほどに――これではとても飛べそうにない。
試しに軽く羽ばたいてみるも、身体が浮かなかった。
「落ち着きなさいな、鷹さん。急ぐ必要はありませんわ。今晩はうちで休んでいきなさいな。――骨の治療には体力を使いますの。弱ったまま山に戻れば、人間か大鷲か烏に殺されますわよ」
「ピィ……(わかりました……)」
「それに、先ほどの金烏がまだ残っているかもしれませんし。長生きしたければここにいるのが得策ですのよ」
――椿さまと初めてのお泊りは鷹の姿で、ってことね……
できれば椿と長時間一緒にいるのは避けたかったが、飛べないのだから仕方がない。絵里咲はおとなしく翼を畳んだ。
「でも、鷹にとって寝心地のいい場所が思いつきませんわね……」
「ピー(その辺で寝ますよ)」
「ああ、わたくしの帳台で寝てもいいんですのよ?」
「ピピーー‼(寝ません‼)」




