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第五一話 Spy in the Sky

 スサーーッ スサーーッ


 と、絵里咲の耳もとで松の葉が激しく擦れる音がした。

 風が強い。

  枝をしっかりと掴まないと、落ちてしまいそうだった。


 遥か眼下には神宮寺家の武家屋敷が見下ろせる――人間には考えにくいシチュエーションだが、鷹にとってはわりと日常的な光景だ。


「ピィーー……」


 絵里咲は変体術によって角鷹(くまたか)に変じていた。

 鷹の姿のまま、神宮寺邸に植わっている高い松の木に()まっている。高いところから武家屋敷の様子を窺っていた。


 変体術で角鷹になるメリットは多い。


 まず、鷹の姿は松の幹とよく同化してくれるので、遠くからはなかなか見つからない。もし見つかったとしても、高いところにいれば人間から危害を加えられることはない。


 鳥に危害を加えるのは人間ばかりではない。


 たとえば、(からす)は縄張り意識が強く、生意気にも自分より身体の大きいタカ科の(とんび)を集団で襲って追い払ったりする。だが、そんな彼らも角鷹(くまたか)を見るとビビって逃げていく。


 変体術を使って雀にでもなれば、鷹に殺されかねない。だが、角鷹を殺せる鳥は少ないから心配はいらない。唯一角鷹に喧嘩を売れるのは大鷲(おおわし)くらいのものだが、大鷲なんて京の街にいるはずがない(角鷹もいないが)。

 

 以上のように、角鷹に変身するのは何かと便利だった。


 人間のなかにも美しい羽根欲しさに角鷹を殺そうとする不埒(ふらち)な輩がいる。とはいえ、街中で銃を撃つことは禁じられているから、それも怖くない。



――う~~~むぅ。人が消えない……


 絵里咲が神宮寺邸の松の上で屋敷の様子を観察しながら、侵入する機会をうかがっていた。


 絵里咲が神宮寺邸に侵入することになったのは、月成に脅されたからだ。


 神宮寺邸の家主である神宮寺歳実(としざね)は花園幕府の大老であり、那古野藩主であり、椿の父親でもある。月成は、彼が島田直茂暗殺事件を指示したのではないかと疑っているのだ。


 鎖国派だった神宮寺歳実は、英国との通商条約の締結を断るべきだと主張していた。那古野という強大な藩の殿様である彼の発言権は将軍に匹敵するほど大きく、実際に幕府の大御所会議は条約の拒否に流れが傾いていたという。


 しかし、そんな鎖国ムードをぶち壊したのが島田直茂である。彼は、黒船まで交渉しにいくと、その場にいた英国人に丸め込まれてしまい、勝手に通商条約の文書に判を押してしまったのだ。将軍の許可すら得ないまま。

 一度受け入れた条約を破れば、和国の信用は失墜する。島田直茂の失態によって、再鎖国は事実上不可能になってしまった。神宮寺歳実は島田直茂に対してカンカンに怒っていたという。


 以上のような経緯から、月成は「神宮寺歳実こそが島田直茂の暗殺を指示した犯人じゃないか」と疑っているのだ。シャーロック・ホームズ並みの推理だと思った。もちろん嫌味で。


 絵里咲の本音として、「カンカンに怒っていた」程度の理由で殺人を疑うのは莫迦(ばか)らしいと思っていた。カンカンに怒っていただけなら、和国じゅうの攘夷派がカンカンに怒っていたのだ。その中でも神宮寺歳実が疑われたのは、カンカンに怒っていた人の中でいちばん月成の近くにいたからだ。


 月成が大老の家に間諜(スパイ)を送るという大胆な手に出たのは、彼にとって父親同然だった島田直茂の仇を何としても討ちたいからだろう。これは月成にとっても危険である。16年前に起きた〈花園戦争〉の結果として将軍の権威は弱まり、神宮寺家は強くなった。それ以来、幕府のナンバー2である神宮寺歳実はその同盟を含めると将軍を転覆させかねない力を持っている。

 政治に関してはズブの素人である絵里咲から見ても、獅子(しし)の尾を引っ張るのはいかがなものかと思うのだが――今回は月成の怒りが理性を上回ったようだ。


――さすがは武家屋敷。隙がないわね……。


 人がいなくなり次第急降下して屋敷内に入り、変身を解いて証拠となりそうなものを物色したいと思っていたのだが、簡単にはいかない。


 門番の二人は交代制で、常に監視の目を切らすことはないが、彼らが見ているのは門の外。目を絵里咲の姿には気付かないだろう。問題は、頻繁に庭へ出てくる召使いたちと、縁側でお茶を(すす)りながらくつろいでいる菖蒲だった。


 そろそろ、枝を掴んでいる脚が(なま)ってきたから思い切り翼を羽ばたかせたいところなのだが……このタイミングで鷹が飛んで屋敷に入ると相当目立つ。まだ辛抱が必要そうだ。


――菖蒲さま。見れば見るほど綺麗だなぁ~


 鷹の目はきわめて鋭く、30メートル先の砂粒に空いている穴を見つけることすらできる。

 やることが無い絵里咲は、庭から人がいなくなるまでのあいだ、鷹の鋭い視力で菖蒲の整った顔を観察していた。菖蒲がうちわでパタパタと顔を扇ぐと、もみ上げが涼しげに揺れる。肌は真珠のようにすべすべで、鷹の目で見ても毛穴ひとつ見つからなかった。


――これ、中毒性が高いわね……。変体術が禁じられているのって、のぞきに便利だからなのかしら


 菖蒲の姿を眺めること数時間。

 いつのまにか、真上にあった太陽は西に傾いてきた。


 絵里咲はそのあいだもじっと枝に留まっていた。

 長いあいだじっとしていると、絵里咲の脚を枝と勘違いした蟻たちが登ってきた。蟻たちは羽根の上で行進をはじめ、痒くて仕方がなくなってきた。

 そのころようやく、屋敷に動きがあった。――菖蒲が縁側から屋敷内に戻り、庭が無人になったのだ。


 庭には誰もいない。門番は向こう側を見ている……。


「ピィ!(今だ!)」


 絵里咲は畳んでいた翼を大きく開くと、両脚で松の枝を蹴って身を投げ出し、急降下の体勢に入った。神宮寺歳実の書斎がある西側の窓を目指して、鷹の身体は一直線に落ちていく。そのとき――絵里咲の側面から飛翔体が突っ込んできた。


 猛スピードで絵里咲の脇腹に迫る物体は角鷹より一回り大きな物体で、金色に輝いていた。


「ピィィィィィーー‼(危なぁぁぁい‼)」


 絵里咲は咄嗟に身体をひねってかわそうとしたが間に合わず、バサァッッという音を立てて脇腹に激突した。羽根が舞い上がる。


「ピィィィィィヒョロロロロ――」


 嵐山まで届きそうなほど大きな悲鳴が響き渡った。

 鷹となった絵里咲の身体は揚力を失い、地面に向かって一直線に落下した。


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