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第五〇話 禁呪法

「ご……ご用事とはなんです?」


 月成は細い眉の間に皺を寄せた険しい表情で、絵里咲に顔を近づけてきた。友好的な話をしたいのではないことはすぐに分かった。


 また、小刀を突きつけるつもりだろうか。

 今度は殺されるかもしれない。


 咄嗟に主人公チャームの使用を迷ったが、逡巡(しゅんじゅん)したのちやめた。もし因縁の敵同士である椿と月成に同時に惚れられることになれば、絵里咲を巡って戦争すら起きかねない。

 開国戦争が起これば主要キャラクターの多くが死に、ほとんどバッドエンドが確定する。絵里咲は自分の存在が戦争を起こすと思うほど夢見がちではないが、和国はすでにそこらじゅう火薬だらけなのだから余計な火種は蒔きたくない。


――ここは主人公チャーム無しで乗り切るしかないわね


 絵里咲も眉間に皺を寄せ返した。


「ははは」

「なにか可笑しいですか?」

「屠殺所の羊のように震えているではないか」

「屠殺所の羊は言い過ぎです!」

「絵里咲よ、俺が次期将軍だからといってそう身を固くすることはないぞ」

「固くしますよ! 以前お会いしたときは舌に小刀を突きつけられましたから」


 舌に冷たい刃が当たった感触を思い出して、身震いした。月成はさらに笑った。


「ははは。もっともだな。であれば、固いままでいろ」

「そうさせていただきます」

「それでよいさ。武人を目指すならば常に身構えていろ」

「先ほどとおっしゃっていることが逆ですよ?」

「将軍に指摘するとは、肝の据わった百姓じゃないか。椿に見初められた理由がわかったぞ」

「椿さまは変わった方ですから、理由は誰にもわかりませんよ」


 主人公チャームだから。


「わかるさ。お前は美しいからなぁ」

「ありがとうございます。でも、流々子さまの前では言わないほうがよろしいかと」

「気をつけろ」

「はい?」

「そなたは肝が据わっている。でも、気をつけろ。俺は友人ではなく次期将軍だ」

「すみません……。分をわきまえます」

「ああ。そうしろ」


 打ち解けられそうだと思った会話の途中で月成の表情が豹変して、絵里咲は再び身震いした。

 月成が怒るポイントはどこにあるかわからない。そこが萌えポイントなのかもしれないが、絵里咲にとっては恐怖でしかない。


「ところで絵里咲よ。なにかやましいことはないか?」

「やましいこと……ですか?」


 絵里咲は少し考えた。


「そう考え込むとは、やはり言いにくいことがあるのだな?」


 というより、やましいことがたくさんありすぎて、どれだかわからなかったからなのだが。


「う……浮気とかはしていませんよ?」

「そんなことを聞いているのではない。正直に申せ。たとえば――口外すれば朱雀門を放校される程度の重罪といえば、心当たりがあるだろう?」

「放校⁉」

「とぼけるな。将軍の前で偽証は打首だぞ?」

「ええっと……、そうですね」絵里咲は打首になりたくないので、頭の中から自分が犯した罪を必死にひねり出した。「――椿さまの婚約を断り続けています」

「そんなことではない」


 月成が言う()とやらが何を指すのかまったくわからず、目を泳がせまくりながら必死に考えた。


「あとは~……えっと~…………。――最近……」

「最近?」

「最近……椿さまに安物の宝貝(たからがい)を高級品に見せかけて渡しました……」

「それは放校どころか打首(うちくび)相当だな」

「ええ~~~! どうしよう……あたし、殺されるんですか?」

「その罪でそなたの首を切るのは俺ではなく椿だ。墓まで持っていくのが吉さ」

「……ご忠告ありがとうございます」


 月成に余計な秘密を握らせてしまったことを後悔した。


「そんなことはどうでもよいのだ」

「ええっと……本当に心当たりが無いんですけど……あたしが知らぬ間に重罪を犯していたのですか?」

「あくまでシラを切るつもりなら教えてやるさ。――絵里咲よ。そなたは禁呪(きんしゅ)の変体術を使うそうじゃないか?」

「うえっっっ⁉」


 絵里咲は後頭部をハンマーで殴られたように驚いた。

 すっかり忘れていたが、幕府の許可なく変体術を使うのはそれなりの重罪だ。流々子と一緒にやったから罪の意識が薄れていたが、奉行にバレれば放校どころか牢にぶちこまれる。

 体中の汗腺という汗腺から汗が吹き出し、視線はカジキのように泳ぐ――ウソ発見器を使うまでもないほど激しい生理反応だった。


「やはり図星だなぁ」

「とっ……突然なにを言い出すのでしょう」


 絵里咲は疑われないように月成の目をまっすぐと覗き込んだ。もう手遅れかもしれないが。


「俺の情報網を侮るなよ?」

「……身に覚えがないもので」


――めちゃくちゃ鮮明にあるけど


 絵里咲が1秒間に5回くらいまばたきしていると、月成は豪快に絵里咲の背中を叩いた。


「はっはっは。そう身構えるな、絵里咲。禁呪破りが重罪とはいえ、俺の一声で無罪放免にすることもできる」

「はあ……」

「だが――次代将軍への嘘は死罪になろう?」


 月成はマグマのように赤い瞳で絵里咲の目をじっと覗きこんだ。


「……月成さまには敵いません」

「ああ。そうやって素直になればよい」

「それで……月成さまが鶴の一声をかけてくださるのですか?」

「それはお前次第だなぁ」


 厭らしく含みを持たせる月成。

 この腹黒将軍は他人の精神を弄ぶのが大好きなご様子である。


「交換条件……ということですか」

「島田直茂という幕臣が先ほど殺されたことは知っていよう?」

「ええまぁ……」――犯人を見たし。「月成さまのお知り合いだったのですか?」

「知り合いどころではない。――直茂は倉樹のしがない神主の息子だったが、俺の母上が取り立てて以来、我が石上(いそのかみ)家に固い忠誠を誓っていてな。俺も幼いころからたいそう親切にしてもらった。俺の父上は忙しかったから、直茂に構ってもらったのだ。俺にとって、直茂は二人目の父と言ってもいい」

「それは……お気の毒でしたね」

「俺は犯人を見つけて首を切る。それは確実さ。――だが、それだけでは足りん。犯人に命令を下した奴も殺さねば気が済まん。絶対にだ」

「意外に熱いのですね」

「お前はどう思う?」

「……ここは月成さまの国です。生かすも殺すも月成さまが決めればよろしいかと」

「ああ。俺はもう決めたさ。犯人もその命令者も殺す。――そして、お前に犯人探しを手伝ってもらう」

「あたしがですか⁉ ただの百姓ですよ?」

「絵里咲よ。お前が適任なのだ。――おそらく命令を下したヤツは、お前もよく知っている武人だからな」

「……あたしの知り合いが殺しの命令を?」

「ああ」


 少し考えたが、赤髪の悪役令嬢の顔しか思い浮かばなかった。


「……もしかして、椿さまとかですか?」

「惜しいな。――神宮寺歳実(としざね)。犯人は椿の父親さ。俺はヤツこそが命令を下した黒幕だと思っている」

「歳実さまがっ⁉」


 神宮寺歳実は悪役令嬢の父親ということで、ゲーム中にも時々登場する。だが、転生してから彼と直接話したことはないから、詳しいことはわからない。

 ただ、歳実は長女の椿と違って非常に穏やかな人柄だということは知っている。彼は茶や書といった文化的な趣味があり、詩歌管弦(しいかかんげん)といった貴族的な教養でも知られる。絵里咲が彼をよく知らないとはいえ、重要人物の暗殺を命じるほど大胆な人物だとは思えなかった。


「なぜそのように思うのですか?」

「直茂は俺の父上と同じく開国派だったが、歳実公は頑なな鎖国派だった。そういうわけで、常日頃から神宮字歳実と真っ向から意見を戦わせていたのさ」

「それがなんの関係があるんです」

「直茂が勝手に調印したと知ったとき、歳実の怒りようは常軌を逸していたらしいぞ」

「あまり想像つきませんけど……」

「神宮寺邸を(あさ)れば、なにか見えてくる情報があるやもしれん。――とはいえ、神宮寺邸に間諜(かんちょう)を放つわけにもいかん」

「戦争になりますからね~」

「――そこで俺は思いついたのだ! 絵里咲よ。そなたが自慢の変体術を使って神宮寺の屋敷に入り込めばよいではないか!」

「変体術でですか⁉」

「そうだ。鳥に変じて神宮寺邸に入り込み、歳実の書斎にある手紙を読むのだ。もし怪しい手紙を見つけたら持ってこい。――さすれば、奉行(ぶぎょう)も禁呪法違反くらい目をつむってくれるだろう」

「はぁ……」

「どうする?」


――スパイをしろってことね……


 正直、心の底からイヤだ。

 イヤだが、次期将軍の頼みを断るわけにもいかない。秘密をばらされれば放校は間違いない上、最悪の場合には将軍の命にそむいた罪で打首になる。


 月成が話したのは考えれば考えるほど欠陥だらけの作戦だった。

 まず、もし暗殺の司令を下すのなら手紙ではなく伝言で伝えるだろう。手紙を盗まれれば秘密が明らかになるが、記憶は盗めないのだから。

 神宮寺歳実がもし本当に島田直茂暗殺犯の犯人と手紙を交換していたとしても、その手紙を書斎に置いておくはずがない。手紙を読まれれば失脚するのだから、読んだらすぐに燃やすに決まっている。


 絵里咲が神宮寺邸に入り込んだとして、手紙を見つけることは絶対にないだろう。

 とは思いつつ……


「わかりました。鷹に変じて手紙を盗んできます」


 そう伝えると、月成は満足げに頷いた。


――適当な手紙を1枚盗んで月成に届ければ、それで納得してくれるわよね


 真剣に任務を遂行する気なんかサラサラ無い絵里咲だった。


「――絵里咲よ」

「はい。まだ何か御用ですか?」

「いや。そなたは美しいな、と思っただけだ。将来、俺が将軍になった暁には側室(そくしつ)にしてやってもよいぞ」


 側室(そくしつ)というのはつまり、幕府公認の浮気相手のことである。


 もし側室になれば、莫大な金銀を使い放題だし、国中から尊敬されるほどの地位を手に入れることができる。

 さらに、(たぐい)まれな美男で鳴らす月成とキスか、それ以上の段階を踏むこともできる。――世の中に大勢いる月成ファンにとっては、願ってもない申し出だろう。


「え……遠慮しておきます」


 ただの百姓にとっては身に余るような提案だったが、絵里咲は吐き気を抑えながら断った。


「なぜだ? 百姓が将軍の側室に上り詰めるなど、前代未聞の特権だろう?」

「いえ。ただ、流々子(正室)を悲しませるようなことはしたくないのです」

「そうか」

「そうです」

「……益々気に入ったぞ。友人のために理性を保てるのも今のうちさ。将軍になったのち、もう一度訊こう」


 と言って、次期将軍は部屋を出ていった。


――どうしてこうなるのよ! 主人公チャームは使ってないのに……


 鏡で自分の顔を見たら、頬がげっそりとやつれていた。



     ●○● ○●○ ●○●



 月成は流々子のいる部屋に戻ると、断定するような口調で言った。


「流々子よ。そなたが朱雀門学校を出たら俺の妻にする。その百姓との婚約は断れ。――これが次期将軍たる俺の最終決定だ」

「……」

「また来るぞ」

「いつでもいらっしゃいな」


 大きな音を立てて(ふすま)を閉めると、去ってしまった。



     ●○● ○●○ ●○●



「なんだか変わった方なんですね~。月成さまって」

「この世の人は多かれ少なかれみんな変わっているのよ。――まあ、月成殿は(こと)にそうだけれど」

「あはは。確かに……」


 変人の代表格である流々子から見ても、月成は変人らしい。


「あの、流々子さま」

「なに?」

「ちょっと聞きにくいんですけど……どうして月成さまからの求婚を断ったのですか? 月成さまは色男だし、それに、将軍家との結婚は彦根守家にとっても大きな利益があると思いますけど」

「決まっているじゃない」

「何がですか?」

「先に絵里咲に求婚されているからよ」

「あたしにって……いつもはちっとも(なび)いてくれないじゃないですか!」

「へぇ。それなら月成殿の求婚を受けてほしかったの?」

「いえ……別にそういうわけではないんですけど……。――意地悪」


 頬を膨らませた絵里咲は拳を持ち上げて、流々子の二の腕に軽く振り下ろした。流々子は拳を避けたから、空を切った。絵里咲はさらに頬を膨らませた。


「私は結婚してはいけないのよ」

「どうしてですか?」

「さあ。使命でもあるんじゃないかしら」

「……使命?」


 絵里咲は視線を落として、ゲーム中の流々子の振る舞いを思い返してみた。


 『肇国桜吹雪』の全ルートのうち、エンディングまでに流々子が死んでしまう分岐は5割くらい。お助けキャラ的な立ち位置である流々子が死んでしまうと、国を二分する開国戦争が起こってバッドエンドになる確率は飛躍的に上がる。その意味で、彼女はプレイヤーから見えないところで大事なことをやっていたのかもしれない。


 だが、使命という言葉で検索して引っかかるような場面はない。もし何かをやっていたと仮定するならば、プレイヤーの見えないところでやっていたはずだ。――だとしたら、そんな重荷を流々子一人に任せておくわけにはいかないと思った。


 絵里咲はゲーム中の主人公(ヒロイン)と違って、選択肢を選ぶのではなく自分の意思で行動することができる。転生した今なら、流々子のお手伝いができるかもしれないと思った。


「流々子さま……。重荷をぜんぶ一人で背負い込まないでくださいね。あたしは流々子さまが困ったときにはいつもお側で支えますから――……って、あれ?」


 絵里咲が顔を上げると、目の前の座布団には誰も座っていなかった。

 慌てて流々子を探すと、流々子はいつのまにか縁側に出ていた。縁側に腰掛けて、手にした(ふか)し芋を幸せそうに齧っている。


「ちょっと! あたしの話を聞いてましたか!」

「あら。もう一回言ってくれる?」

「言いません!」

「苛々しているのね。苛々(いらいら)するときは胃を満たすといいわよ」


 流々子は蒸し芋をひとつ分けてくれた。


「流々子さまが怒らせなければいいんです!」

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