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第五話 嫉妬

「一件落着ね~。動いたから晩ごはんにしたいわぁ」


 盗賊進入事件の後始末を終えると、流々子が背伸びをしながら言った。


「いや、あたしは食欲があんまり無いんですけど……」


 絵里咲は、グロテスクなものを見たせいで若干(じゃっかん)気持ち悪くなっていた。


「そうかしら?」


 流々子は武人である。血や死体など見慣れているのだろう。平和な現代で生きてきた絵里咲とは死生観が違うらしい。


 流々子のおかげで、盗賊侵入イベントは無事に切り抜けることができた。

 侵入した四人組の盗賊のうち三名は拘束に成功し、奉行(現代でいう警察)に身柄を引き渡した。どこかの命を軽視する悪役令嬢のせいで、約一名は残念ながら命を落としてしまったが。

 最初に肩を切られた女学生も傷は浅く、命に別状は無いとのことだ。


――さて……!


 絵里咲は流々子に向き直った。

 流々子にふたたび例の〈主人公チャーム〉を掛けてしまおうと思ったのである。


 絵里咲には「好き」と言っただけで、相手に惚れられてしまう不思議な能力(チカラ)がある。乙女ゲームの主人公(ヒロイン)のモテは凄まじく、初対面の相手だろうと好意を向けただけで恋に落ちられてしまう。

 それを利用して、会話の途中でさり気なく「好き」と言って流々子を惚れさせてしまおうという作戦だ。


 先ほどは主人公チャームが効かなかったが、手違いかなにかだろう。今日は“滑舌の調子が良くない”から聞き取れなかったのかもしれない。


 ならば、何度でも繰り返すまで。


 絵里咲は「好き」と言おうと意気込んで流々子に向き直った。だがそこには、ザ・和風美人の顔があって、天使のように柔らかく微笑みかけてきた。

 計算ミスだった。こちらに惚れさせるつもりが、逆に見惚(みと)れてしまった。


――アカンアカン。推しの顔、眩しすぎる……


 しっかりしろ! と目を覚ますように頬を両手でパチパチ叩くと、キメ顔(当社比)を作った。


「なにはともあれ、事件を解決できたのは流々子さまのおかげです。とってもカッコよかった! もう、()()になっちゃいそうでした!」


 決まった。さり気なく混ぜた「好き」の言葉には、魔性の破壊力がある。乙女ゲームの主人公(ヒロイン)は、好きと言っただけで簡単に惚れられるのだから。

これで流々子は主人公(ヒロイン)(とりこ)になるはずだ。


「えりずちゃんこそ、土壇場で見せた伊勢エビ跳びはかっこよかったわよ」

「えりずじゃないです! 伊勢エビ跳びって絶対バカにしてますよね!」


――……あれ? なんか違うような……


「バカになんかしてないわ。身を守るための神秘的な生態だと思うわよ」

「それ、伊勢エビしか擁護できてませんよ」


――主人公チャーム、効いてなくない?……


 絵里咲の主人公チャームは、団子屋の売り子に「あたし、きな粉が大好きなんです」と伝えただけで惚れさせてしまったほど強力なのだ。それだけ強力なら、真っ向から好きと言えば流々子の顔から火が噴くくらいのことは想定していたのだが――反応はドライアイスのように素っ気なかった。


「う~ん。どうしてかなあ~~」


 なにか条件があるのかなぁ。もうちょっと実験してから試すべきだったなぁ。と、くよくよ後悔していると、背後から冷たい女の声がした。


「あら。百姓風情が流々子に何の用でして?」


――うえ~~~


 キャンキャンと耳障りの悪い声でイヤミを言われた絵里咲は、深い溜め息を吐いた。振り向くまでもなく、この声の主が誰だか分かったのだ。

 振り向きたくないが、振り向かざるをえない。武人相手に無視などという無礼を働けば、殺されてしまいかねないから。


 そこに居たのは、悪役令嬢だった。


 しなやかな真紅(しんく)の髪は、動きやすそうに後ろでまとめてある。石英の真ん中にルビーの結晶が嵌ったようなツリ目気味の目は、切れ長で目力が強い。何が気に入らないのか知らないが、口を不愉快そうな「へ」の字に結んでいる。


――神宮寺……椿……


「流々子さまに助けていただいたので、挨拶をしておりました。なにか問題がございますでしょうか?」


 そう返すと、椿は眉間に皺を寄せた。本物の武人のしかめっ面は恐ろしい。絵里咲は背筋を凍らせながら、彼女の神経を刺激しないように愛想笑いを浮かべた。


――この人だけは敵に回したくない……


 神宮寺家は現在の愛知・三重・岐阜・静岡の辺りを支配する超大国・那古野(なごの)藩の藩主であり、幕府のナンバー2である大老でもある。称号が多すぎてよくわからないが、この国で二番目くらいにエラい人だ。

 十六年前に起きた大戦争で将軍の権威は地に落ちたため、大老の実質的な力は将軍を上回るとさえいわれている。将軍が重要事項を決定するときには必ず歳実公のご機嫌をうかがうという話だ。


 そんな神宮寺の一人娘である椿を敵に回すのは、とても厄介である。権力の絶頂期にある彼女にとって、百姓の命など風の前の塵に同じ。絵里咲の人生など、吹いて飛んでしまうくらいちっぽけなものである。

 蚊に刺されたら叩き潰すように、(かん)に障った百姓も始末してしまうのだ。


「問題も問題。百姓が流々子のような貴人に話しかけるというだけで大問題ですわ」

「いえ。あたしから流々子さまに話しかけたわけでは……」


 絵里咲が話しかけたのは流々子ではなく、猫ちゃんである。


「ならば、話をすぐに切り上げるべきでしたわね。貴人相手に長話をしていると、百姓風情が増長しているように見えますのよ」

「お……おっしゃるとおりでございます。立場を弁えぬ振る舞いをお見せして申し訳ございません」


 大藩主の元で蝶よ花よと愛でられながら育った椿は、自尊心(プライド)を手がつけられないほど膨張させた。

 彼女はプライドが高いせいでカッとなりやすく、機嫌を損ねると簡単に主人公を手打ちにする。特に序盤の椿を刺激するのはかなり危なく、主人公の死因ランキングの上位に『椿さまの手打ち』がランクインするほどだ。

 ゲーム中であまりに理不尽に殺されることと、その尊大な態度から、絵里咲は椿のことが大の苦手である。


「百姓にしては物分かりがよろしいですわね」


 言い返したい気持ちをぐっと堪え、


「あ……ありがとうございます」


 さらにぐぐぐっと堪えて感謝した。


 こんなに理不尽な忍耐も、三年の我慢である。

 流々子との話を中断されてしまったのは残念だけれど、これから流々子と仲良くなるためには、まず生き延びなければならない。こんなところで椿を怒らせて処刑されるわけにはいかないのだ。


――どうせ三年経てば椿さまは死ぬんだから


 これはゲームの知識だが。

 椿は、三年以内に死ぬ。

ゲーム『肇国桜吹雪』には数恒河沙(ごうがしゃ)通りのルートがあるといわれているが、確認されている全てのルートで死亡する。


――それまでの我慢よ


 だから、今は引き下がるべきだろう。

 絵里咲が深々とお辞儀をして、(きびす)を返すと、


「――待ちなさいな、えりず」

「絵里咲です!」声をかけてきたのは流々子だった。「どうされました?」

「貴女の前世の話を聞きたいわ」

「……へ?」


 流々子はまったく唐突である。


「なに? 前世ですって?」

「ええ。なんでも、えりずは前世で私と会ったそうなのよ」

「くだらない。百姓の戯言(たわごと)など聞き流しなさいな」

「聞き流すかどうかは聞いてから決めるわ。ねぇ。いいでしょう、えりず?」

「だから絵里咲です‼」

「どうしましたの、流々子。昔の貴女は頭の回転が速かったのに、このような百姓の妄言に振り回されるようになりましたの?」

「私は失った前世の記憶を取り戻したいだけよ」

「しっかりしなさいな流々子‼ 貴女はそもそも前世の記憶など持っていませんのよ!」

「でもえりずは持っているそうよ」

「絵里咲です!」

「だからそれは嘘ですわ!」


 流々子がふざけるせいで、話がどんどんおかしな方へ進んでいた。流々子はわがままな椿をコントロールできる唯一の存在である。


 椿の言い分を聞いていると、分かってきたことがある。椿は流々子を独占したいのだろう。それなのに百姓が流々子といつまでも喋っているから、腹を立てたということだ。


 椿と流々子は幼馴染だったというが、ゲーム中でも椿は流々子に過剰なほど執着しているシーンを何度か目にしたことがある。

 もしかすると、椿が主人公をいじめるのは、流々子と引き剥がしたいのが理由なのかもしれない。

 だが、不憫(ふびん)なことに彼女たちは両想いではない。流々子から椿に仲良くする様子は見られないのである。誰に対しても朗らかな流々子が、椿にだけ冷たくする理由は原作でも語られていない。椿の人柄を見ていれば、語られなくてもわかる気はするが。


「とにかく、前世の記憶なんて馬鹿げていますわ! ――この百姓は魔女に違いありませんの。流々子を騙そうとしていますのよ」

「魔女は私。えりずは百姓よ」


 流々子は最高水準の呪術を涼しい顔で使いこなす、作中屈指の呪術師だ。だから、魔女という言葉の定義にこの場でもっとも当てはまるのは彼女である。『魔女は私』というのはそれを踏まえた上での発言だった。


「ねええりずぅ。前世の私、どんな子だったのかしら~」

「流々子さまはふつうに流々子さまでしたよ」

「そうなのね。もっと詳しいお話を聞かせて? 私の部屋に来ない?」

「やったぁ! ぜひぜひ!」

「ぬぬぬぬぅ~~」


 幼馴染を横取りされたことがよほど悔しいのだろう。椿は、鋭い眼力で絵里咲を睨んだ。その眼光には、明らかな殺意が籠もっていた。絵里咲は、こわばった苦笑いを浮かべることしかできなかったが、正直心の中では嬉しかった。だって、最推しの流々子が幼馴染より自分を選んでくれたのだから! 惚れてはくれないけど。


「さあ行きましょう? えりず」

「はいっ‼」


 流々子が絵里咲の手を掴んで、七階へ向かった。絵里咲にとっては幸せなことこの上なかったが、椿にとっては面白くないはずだ。流々子の行動はまるで、絵里咲と仲がいいことをあえて椿に見せつけているようにも見えた。


 背中に怨嗟(えんさ)の籠もった眼差しで睨みつけてくる椿の視線が突き刺さった。後ろ髪を引かれるような思いだったが、逃げるような早足でその場を立ち去った。


 あとで復讐されないといいけど、と願った。


――いや、多分されるわよね……


 椿はそういう人だ。


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