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第四八話 荒天の霹靂

(※前話のつづき)

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「はぁ~…………」

「はぁ……はぁ……」

「どうしたの?」

「はぁ……はぁ……」

「……ゴクッ。はぁ……」

「とってもお疲れのようだけど――」

「はぁ……」

「はぁ……ヘクシュッ。はぁ……」

「――なにがあったのかしら?」

「流々……はぁ……子……はぁ……ざま……」

「ブエクシュンッッ」

「やっぱり息を整えてから話すといいわ」

「……はい」


 人斬り事件の犯人を目撃した絵里咲たち三人は、犯人の一人である黒バンダナの男に襲われた。絵里咲は殺されそうになったが、お雛の機転で男の目を潰し、その隙に裏路地を全力疾走した。

 数分走ることで、命からがらバンダナ男たちの凶刃を逃れることができた。


 とはいえ、ふたたび(まみ)えたら逃げ切ることはできないだろう。

 朱雀門学校の寮まで歩くと数十分かかるから、流々子の屋敷まで保護を求めにやってきたという次第である。


 すっかり顔パスで門を潜れるようになっていた絵里咲は、門番に扉を開けてもらい、二人を連れて屋敷の裏庭までたどり着いた。

 縁側でお茶をすすっていた流々子の顔を見ると、安心して縁側の床にへたり込んでしまった。


「はぁ……流々子さま……突然すみません……。実は……辻斬りに……はぁ……命を狙われて……」


 絵里咲と茶々乃は肩で呼吸しながら、必死に状況を説明した。


「辻斬り?」

「はい! 先ほど木屋町(きやまち)で男が殺されたんです!」

「もしかして、島田直茂(なおしげ)を斬った男かしら」

「……ご存知なんですか?」

「今しがた、遣いの者がきたわ」流々子は特に驚いた様子もなく続ける。「斬ったのは六人組の浪人という話ね。『国賊に天誅を下す』とかなんとか言っていたらしいわ」

「私たちを襲ったのも六人組の浪人でした」

「運が悪かったわね。しばらく町には出ないほうがいいわ」

「そうします……」


 やはり、先ほどの武人たちは人殺しだったのだ。


「島田直茂は幕府の重要人物で、通商条約を調印した男よ。通称条約の文書に調印したから、先日から殺害予告が出ていたの。話ではたいそうな居合の達人だったそうだけれど、殺されてしまうなんてねぇ」


 流々子の言葉に反応したのはお雛だった。


「じゃあ、犯人は居合の達人を殺したほどの腕前なんですね……。そんな相手と絵里咲さんが戦わなくてよかったぁ」

「ええ。お雛がいなかったらあたしは今ごろ真っ二つだったと思うわ。――命の恩人ね」

「ああ……絵里咲さん! こんなところでだめですよぉ」


 絵里咲は感極まって、お雛の頭を胸に抱き寄せた。お雛はすこし抵抗したが、すぐにおとなしくなった。

 お雛の頭を腕から解放してあげると、フラフラとよろめいた。まるで閃光の一撃をくらったようだった。絵里咲に恋しているお雛にハグするのは過激すぎたかもしれないと反省した。


「居合の達人が浪人(ろうにん)に負けるなんて……」


 肩を落としたのは茶々乃。剣術を身につければ最強だと思っている彼女にとっては悪いニュースか。


(めかけ)の家にいたところを急襲されて、刀を構える間もなかったそうよ。首と左手は持ち去られたまま見つかっていないんだとか」

「どうしてそんなひどいことを……」


 お雛は両手で口を覆っている。死体の様子をありありと想像してしまったのだろう。


 茶々乃に至っては、首のない島田をまともに見てしまったはずだ。気の毒だと思う。

 凄惨な光景を目にしたあとだから精神にダメージを受けているのではないかと心配になって横顔を見たが、澄まし顔をしていた。


「島田を斬った犯人は攘夷派って話だけど、疑わしいのよねぇ。城内にも敵も多かったし」


 庭を眺めながらため息をつく流々子。疲れた顔も素敵だなぁと思った。


「流々子さまは個人的に島田殿を知っていたんですか?」

「もちろんよ。――生まれは東国にある小さな神社の神主。そこから将軍・石上虎金殿の妻である倉樹(くらき)藩の藤沢華月(かげつ)重用(ちょうよう)されて、中央で幅を利かせていたわ。最近では老中格(ろうじゅうかく)にも比肩(ひけん)する権勢を誇っていたのよ」

「すごい人だったんですね」

「その勢いから、城内では今太閤(たいこう)との呼び名もあったらしいわ。もう死んでしまったけどね」

「死んでしまいましたね」


 太閤というのは二百年前に天下を統一した男の代名詞である。島田直茂につけられた今太閤という呼び名は、卑しい生まれから大きな権力を手に入れた経緯を太閤になぞらえたものであろう。


「島田殿が殺されたのは勝手に通商条約を調印したからなんですよね」


 島田直茂は将軍の許可を得ず、和英修好通商条約の議定書に判を押してしまったのだ。和国から外国人を排除したい攘夷派たちは、島田直茂を国賊として激しく憎んでいた。


「通商条約を調印したからなのは間違いないわね。でも島田殿が勝手に調印した、とは言い切れないわ」

「そうなんですか?」

「あまり知られていないけど、調印に使った幕印(ばくいん)は花園城のなかでも将軍が住んでいる中奥にあるの。島田殿が独断で持ち出せるものではないわ」

「ってことは……誰かが島田殿に幕印を持たせたってことか。誰がそんなことを……」

「さぁ。英国と貿易が始ったとき、関税の収入で潤うのは誰かしら」

「関税を徴収するのは幕府だから――ひょっとして将軍が幕印を?」

「むつかしいわね」

「それ……闇が深いですね」


 島田直茂は誰か――おそらく将軍の密命を受けて調印しに行ったということだろう。その調印が()()()()()()()()()ように。そうすれば、将軍は条約に調印することができる上、国中から批判されることもない。

 島田は汚れ役を押し付けられたに過ぎないのだ。その結果として、殺されてしまったけど。


 お雛は目を白黒させながら必死に話についていこうとしているが、難しすぎたようで、酸欠の魚のように口をパクパクさせていた。茶々乃は理解を諦めて、庭を翔んでいる紋黄蝶(もんきちょう)を眺めていた。

 条約の話に付いていくのは絵里咲にも骨だ。兵庫津で流々子が解説してくれなかったら、彼女も茶々乃と一緒になって紋黄蝶を眺めていただろう。


 そのとき、裏庭に男が走ってきた。絵里咲は彼に見覚えがある。最初に会ったのは転生して間もない頃、祇園社(ぎおんしゃ)へお花見へ行ったとき流々子に伝言を持ってきた男だ。たしか、名は猿川といった気がする。


 目をキョロキョロと動かして、なにやら慌てふためいている。


「流々子さま! 大変です!」

「もうじゅうぶん大変よ」


 聞きたくなさそうな流々子。


「本当に大変なんです!」

「また誰か斬られたのかしら」

「いえ……。もっと大変なことです」

「どうしたの?」

「たった今――次代将軍・石上月成殿が門前へお見えになったのです。用件を伺ったのですが、お教えいただけず……」

「そう」

「いかがいたしましょう?」

「……私が迎えるわ」


 流々子は珍しくため息を吐いた。事件が重なって疲れているのだろう。

条約締結、公使館建設、幕臣の暗殺……それらが重荷となって、彼女の細い肩にのしかかっているに違いない。


「猿森。貴方は、絵里咲の友人二人を朱雀門学校に送り届けなさい。安全を保証するために護衛も二人付けなさい」


 猿川ではなかった。


「かしこまりました!」

「あたしはどうすればいいですか?」

「絵里咲は私と一緒に来るのよ」

「……え⁉ あたしがですか?」

「あたしがよ」


 絵里咲は石上月成に小刀を突きつけられる脅しを受けたことがある。

 できれば二度と会いたくないと思っていたのだが……。


「月成殿の持ってきたお話は、きっと貴女にも関係があるでしょうから」

「……わかりました」


 流々子は月成が何の話をしに来たのか分かっているように見える。嫌な予感しかしない。


「でも、大丈夫かなぁ。これ普段着なんですけど」

「大丈夫じゃないわね」

「やっぱり!」

「だから私の着物を着ればいいわ。好きな着物を選びなさい」

「ホントですか! やったーー!」

「変なコトはしないでね」

「変なコトなんてしません!」


 絵里咲はさっそく流々子の着物を着付けると、こっそり袖の匂いを楽しんだ。

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