第四七話 初めての殺し合い
「――茶々! お雛! 走って!」
「なんで?」
「どうしたんですか?」
「逃げるのよ!」
「……逃げる?」
身の危険を感じた絵里咲は前を走っていた二人を急かせて走り出すと、後ろの家から男たちが飛び出してくるのが見えた。
「コイツだ! 俺たちを見たぞ!」
間違いない。男たちは先ほどの殺人事件を起こした犯人たちだ。血を拭いているところを見た絵里咲たちを生かしておくはずがない。
バンダナ男は、血液の跡が残っている刀をこちらに向けた。
「悪いな。お前に恨みはないが、死んでもらう」
――ヒィ~~~
路地裏は人は一人しか通れないほど狭く、相手をするのは黒バンダナの男だけで済む。
一対一なら勝てないこともない、と思った。絵里咲には突進突きという必殺の一撃がある。事前情報が無ければ、決まる可能性が高い。
狭い場所では突きと唐竹割りしか使えないから、和国の剣術は大きく制限される。だから、突きのみを得意とする絵里咲の剣術は相対的に有利だ。
絵里咲は動揺しながらも、勝つ可能性を見込んで、腰に下げた細剣・〈若水〉を抜き放って黒バンダナの男に向けた。
だが、これから生身の人間に剣を突き立てるのだと思うと、肉を突くという感じたこともない感触を想像して、気持ち悪くなった。油汗が湧き出てきて、剣先がプルプル震えた。
震える若水を見て、黒バンダナの男は鼻で笑った。
「細いな。おもちゃの剣か?」
「本物よ」
「そんなものは仕舞ったほうが楽に死ねるぞ?」
「……死なないわ」
「どの口が言う。血を見るだけで動揺しているじゃないか」
「……!」
絵里咲は何か言い返そうとしたが、殺人鬼を目の前にした恐怖で言葉にならなかった。背中は滝のような汗でぐっしょりになっていた。
絵里咲が剣術を習っているとはいえ、竹刀と真剣は別物である。人を斬ったこともない絵里咲が、人を殺したばかりの相手に勝てるのだろうか。
腕の震えが次第に大きくなってきた。
「お雛、茶々! ――二人とも逃げてぇ‼」
絵里咲の叫び声は恐怖で裏返り、細剣を握る手はブルブルと震え、柄を握る手のひらは油汗で滑りそうだった。
――こんな精神状態で勝てるわけない!
脈打つ心臓が口から飛び出そうになり、吐きそうなほど気持ち悪かった。体温が上がっていくのがわかった。
「えりずが逃げてよ! 私が戦う!」
「だめよ! あんたには家族がいるでしょ!」
「えりずだっているじゃん!」
「あたしにはいないのよ!」
絵里咲の家族は現実世界にいる。おそらく全員死んだが。
「え? でも、火護藩にいるって……」
「そんなの嘘よ。――いいから逃げなさい!」
「えりず……」
「逃げても無駄さ。お前たちは全員ここで死ぬ。――覚悟しろ‼」
絵里咲の後ろにはお雛がいて、そのさらに後ろに茶々乃がいる。狭い路地裏で茶々乃が入れ替わることはできない。
茶々乃はぎゃーぎゃー騒いでいたが、絵里咲は
「早く行きなさい!」
と一喝した。
間もなく、男は刀を頭上に掲げて絵里咲の脳天に打ちかかってきた。
絵里咲はレイピアで弾こうとしたが、細い剣で唐竹割りを防ぐのは難しい。おもわず自分の身体が脳天から真っ二つに割られる映像を想像してしまった。
殺される! と思ったその瞬間――
「絵里咲ちゃん! 茶々ちゃん! 目をつむって!」
背後からお雛の声が聞こえた。絵里咲はバンダナ男に斬りかかられるのが怖くて、目をつむる余裕などなかった。
正常な判断力を無くしていた絵里咲は、続けて発されたお雛の呪言が起こす現象を予測することもできなかった。
「――光明、いとけざやかに射し出でよ‼」
鋭い詠唱が終わると同時に、薄暗かった路地裏に細い光の筋が走った。それはたちまちのうちに小さい太陽が現れたような大光球に変化し、路地裏を真っ白な世界に変えた――お雛の光呪術である。
その光は絵里咲の背後で放たれたにもかかわらず、絵里咲の視界にも緑色の残像がこびりついて、目の前がほとんど見えなくなってしまうほど強烈だった。
もし光源を直視していれば、軍用に使われる閃光弾のごとく網膜を焼いたはずだ。モロに喰らったバンダナ男は、目に大きなダメージを負ったに違いない。
「……くそ!」
バサッと人が倒れる音がした。あまりの光量が目眩を引き起こしたのだろう。
とはいえ、絵里咲の視界も緑色のペンキで塗りつぶされたように不自由になっていた。
「絵里咲ちゃん! 逃げるよ‼」
「……うん!」
お雛は、目の前がほとんど見えない絵里咲の腕を掴んで、裏道を疾走した。




