第四六話 暗殺事件
女の悲鳴を聞いた三人は大通りに出た。そこは多くの人でごった返していた。
群衆は悲鳴を上げながら同じ方向へ走っていた。まるで何かから逃れるように左側へ流れている。
人の流れに逆らうように、青い旗を持った武人たちが走ってきた。町人の波をかき分けながら
「そこ退け~~~! そこ退け~~~!」
と叫んでいる。
奉行たちは、町人が逃げている原因を追いかけているようだ。
「――なに? 事件?」
「なんだか……ただごとじゃなさそうですね」
「私が様子を見てくるよ! 二人は危険だからそこで待ってな!」
「首を突っ込んじゃダメよ、茶々。ここは奉行に任せなさい」
「私も行かないと。奉行だけじゃ心配だからね~。それじゃっ――」
「茶々ちゃん待ってくださいよぉ!」
二人の声も聞き入れず、茶々乃は群衆に突っ込んで姿を消してしまった。
「あの莫迦ッ!」
「茶々ちゃん、危険な目に遭わないかなぁ……」
「間違いなく遭うわよ。ちょっと様子を見てくるわね。――お雛は寮で待っているのよ?」
「……」
「わかった?」
「……はい」
絵里咲は町人の濁流に突っ込むと、川を遡上する鮭のように人の流れをかき分けながら上流を目指した。逃げ惑う流れに逆らうほど、事件発生現場に近づくはずだ。
群衆の流れに逆らい続けること数分。
逃げ惑う人の数が少なくなってきた頃、ようやく立ち止まっている茶々乃の背中が見えた。茶々乃の背中越しには、水色の服を着た奉行たちが十数人集まって、なにやら話し込んでいた。
絵里咲は唇を尖らせて、茶々乃の肩を掴んだ。
「なにやっているのよ茶々! 危ないじゃな――」
「――ダメ‼」茶々乃は背後から追いついてきた友人の声に気付くと、咄嗟に両手で絵里咲の目を塞いだ。「えりずは見ないで」
「え?」
「見ちゃダメ。えりずは」
「平気よ」
「ダメ」
「……手を離してよ」
「イヤだ!」
絵里咲の目を覆う茶々乃の手は力強くて、引き剥がそうとしてもビクともしなかった。授業中に筋トレしているだけあって、筋力は段違いだ。
「……どうなってるの?」
「人が死んでる」
「……手を離して。平気だから」
「ダメ。…………首が無いの。……どこにも」
「それって……」
「とにかく、えりずは見ちゃダメ!」
絵里咲の頬がプルプルと震えた。すぐに、震えているのは絵里咲の頬ではなく、絵里咲の目元を覆っている茶々乃の手だとわかった。
「そうね。……武人の最期を見るのは失礼よね」
「……」
「帰りましょう」
「うん」
二人が踵を返すと、後ろからポニーテールの少女が顔を真っ青にして走ってきた――お雛だ。
「二人とも! 心配しましたよぉ!」
「お雛! 寮に帰りなさいって言ったじゃない!」
「いやですよぉ。二人を置いていくなんてできませんよぉ」
「お雛は危険なところに来ちゃだめだよ! 戦えないんだから!」
「お二人だって戦ったことないじゃないですか!」
「そうだけど……」
「なら危険なところに行かないでください! ――特に茶々ちゃん。あなたですよ!」
「そうだね」
茶々乃はそっけなく言った。
「なんだか元気がありませんね。なにかあったんですか?」
「……人が死んでいたの」
「人が? ……殺されたんですか?」
「そうみたい」
「ひどい。……どんな風に?」
「私は見ていないけど、茶々いわく誰かに斬り殺されたみたいよ。その……」
「首が無かった」
「そんな……」
三人のあいだに重い空気が漂った。
しばらく沈黙が続いたあと、絵里咲が切り出した。
「お雛。茶々。ここにいたら死者に失礼よ。私たちは帰りましょう?」
「はい……。でも、人混みにはまだ犯人が紛れてるかもしれません」
「そうね。人混みは避けたいわね……」
「任せて。京育ちの私なら、裏道も表道も全部知ってるよ」
「表道って何のことよ」
「京育ちじゃない田舎者も使う道のことだよ!」
「さすが茶々ちゃん。頼りになりますね!」
「えっへん。天下の京育ちの背中に付いてきなさい!」
「……あんた、宇治育ちじゃなかったっけ?」
●○● ○●○ ●○●
茶々乃は商店と商店のあいだの細い道をスタスタと歩いていく。二人は茶々乃の背中を追った。裏道はじめじめとしていて、肌に張り付くような気持ちの悪い空気が垂れ込めていた。
茶々乃は抜け道を曲がり、さらに細い道へ入った。茶問屋の娘がどうしてこんな道を知っているのだろうかと疑問に思いながら必死に追いかけた。
そのとき通りかかった家の中から、興奮した男たちが激しく言い合っている声が聞こえた。曰く「とどめをさしたのは俺だぞ!」「黙れ。初撃は俺が当てた。首も俺が取ったんだ。手柄は俺に……」「何だと⁉」
なにやら意味ありげな会話である。
壁越しでは満足に会話の内容を聞き取ることができず、もどかしく思った絵里咲は、壁を物色した。
すると、木の壁に空いている親指大の穴を発見した。ここから中の様子を覗くことができそうだ。
絵里咲は息を呑んだ。ゴクリ、とやけに高い音が鳴った。
好奇心は猫をも殺す――覗かなければよかったのに、絵里咲は中を覗いてしまった。
狭い家の中には六人組の男たちが座っていた。
まるで魚が腐ったような生くさい臭いが漂ってきた。
黒いバンダナのようなものを巻いた男が懐紙で刀を拭いていた。懐紙には真っ赤な液体がベッタリと付いていた。真っ赤な液体の先には……無残に切り取られた髪の毛が……
――なにかしら。あれ
壁の穴が小さすぎてよく見えなかった。
もっと中の様子をはっきり見ようと、顔を近づけると、額が壁にぶつかり――
ゴンッ
――あっ
その瞬間、黒バンダナの男と目が合った。まるで時が止まったように感じた。
三白眼気味の目は、狂犬病にかかった犬のように血走っていた。目が血走っているということは、なにか興奮状態になるようなことをした直後なのだろう――たとえば、人殺しとか。
――ま……まずい!
「――茶々! お雛! 走って!」




