第四五話 鎧袖一触の鎧
「知ってますか? 今朝、幕臣の島田殿に暗殺予告が出たらしいですよ?」
隣を歩くお雛が心配そうに呟いた。
島田殿というのは、島田直茂のこと。英国との通商条約を勝手に調印した男である。彼は英国の脅しに負けて勝手に条約を調印したから、和国中の攘夷派から死を望まれている。
「ああ。みんな騒いでたわね」
「こんなご時世なのに暢気にお出かけしていいんですかね……。最近、人斬りが増えて物騒になっているし、わたしたちだって危ないことに巻き込まれるかもしれないのに」
「へーきへーき。お雛に変なやつが近づいてきたら私がやっつけてあげるよ!」
心配そうなお雛を安心させるように、茶々乃は腰に提げた刀を親指でチャラリと鳴らしてみせた。
「茶々ちゃんが戦う姿なんて想像できませんよぉ」
「私の演舞を見たこと無いからだよ。私、チョー強いんだよ!」
「でも……まだ刀で人を斬ったことありませんよね?」
「これから斬る。見境なく」
「やめなさい」
絵里咲は二人の同室人とともに河原町へ来ていた。
河原町は〈京の台所〉といえる場所である。
目抜き通りには魚屋や簪屋、裏道には高級料亭からひっそりとした飴細工屋まで、ありとあらゆる享楽がここで手に入る。その豊富な楽しみは、80年も京で暮らす町人すら退屈させないほどだ。
三人は店先に並ぶ商品を見物しながらぶらぶら歩く。髪飾りを試しに付けてみたり、きな粉団子を食べてみたりと、若い町人らしいことをした。
「見て! 甲冑が置いてあるよ!」
「置いてあるわね」
茶々乃が目をキラキラさせて見つめるのは、武具屋の甲冑だった。
絵里咲はイヤな予感がした。武人を目指している茶々乃は武具に目がない。
「ねえ! 見ていこうよ!」
「イヤよ。こういうのって武人さんを相手に商売しているんでしょ? あたしたちなんかお呼びじゃないわ」
「私たちも卒業したら武人になるんだよ!」
「そうね。でも、まだ百姓よ」
「帯刀してるからばれないよ!」
「こら、茶々! ――待ちなさい!」
興奮した茶々乃は友人二人の制止を振り切って、ズシズシと敷居をまたいでしまった。
仕方無く、二人も店の中に入った。錆びた鉄のにおいがした。
「やあ。武人さんたちかい。安くするよ」
頭に鉢巻を巻いた三十くらいの男が爽やかに挨拶してきた。
「はい!」
「(茶々ちゃん、ウソを言っちゃだめですよ! わたしたちはまだ武人じゃないんだから!)」
「(だって、武人って言っとかないと甲冑とか刀とかに触れないよー?)」
「(触らなくていいですよ!)」
という会話を二人はわりと大きめの囁き声で繰り広げていたので、絵里咲はおろか店主にも聞こえていた。
「なんだ、君。百姓のくせに甲冑に興味があるのかい?」
「はい! これから武人になるので」
「そうかい。あんたら朱雀門の学生さんかい」
「はい! 私たちが和国を守るので期待しててくださいね」
「頼もしいなぁ。」
えっへんと言わんばかりに腰に手を当てて胸を張る茶々乃。気分はもう歴戦の武将のようだ。
「ところで、このお店って取り置きはできますか?」
「できるけどよぉ……金は持ってんのかい?」
「これから稼ぎます!」
「それは持ってねぇ奴のセリフだ」
「武人になったら甲冑を着て主君のために戦うので、そのために最高の甲冑を探してるんです」
「おう。威勢がいいじゃねぇか。夷国と戦うつもりか?」
「必要ならぶっ潰します」
「ははは。なら、コイツはどうだい?」
光沢のある朱い塗料で仕上がった甲冑は、どちらかといえば小さめだった。茶々乃の身長にもピッタリはまるだろう。
「十六年前に起こった花園の乱で、旧花園派の総大将だった石上花虎殿が纏ったっつー甲冑と同じ品だ」
石上花虎とは、第十四代将軍となるはずだった女性である。戦の最中、城内で暗殺されてしまったが。
「買います! おいくらですか?」
「最近、黒船が来ただろ? みんな甲冑を買ってくから、値上がりしちまっててなぁ。だいたい200両くれぇだ」
「たかぁっ!」
現代の価値に直すと400万くらい。
絵里咲は「仮にも将軍が着る甲冑がそんなに安いわけないでしょう」と思ったが、黙っておいた。
「頑張って稼げよ。こいつぁ薄いのに頑丈でなぁ。夷人が使う〈つんなーる銃〉の弾丸を受けてもびくともしないんだぜ?」
「すごーい!」
「ほら。胴に小せぇ傷があるだろぉ? ここ、〈つんなーる銃〉を撃って耐久性を試したんだ。この通りへっちゃらだったがな」
店主が指差した傷を見ると、まるで爪で引っ掻いたような塗装の剥がれだった。銃撃を受けた金属が、引っかき傷ですむわけがない。大きな弾痕が残るはずである。
絵里咲は、この期に及んでようやくこの店主が適当言って自分たちを騙そうとしていることに気が付いた。――この爽やかな鉢巻男は、茶々乃の武人になりたい気持ちを踏みにじって、一儲けしようとしているのだ。
「買います! 300両でしたっけ?」
「400両だ!」
「あのねぇ……。ぼったくりすぎよ」
「ぼったくりとは失礼だな。この甲冑を着れば、つんなーる銃の一撃もハエみたいに弾き飛ばすんだぜ。むしろ安いくらいだろ?」
そう言って爽やかに笑う鉢巻男。茶々乃は目を輝かせて聞き入っていた。
武人の夢に取り憑かれた茶々乃の目を醒まさせるために、絵里咲はちょっと強硬な手段に出ることにした。
「馬鹿らしい、そんな甲冑あるわけないじゃない。――茶々、もう行きましょう?」
「ホントだぞ! 俺は嘘つきじゃねぇ!」
「そうだよえりず! 本物の甲冑を着れば鉄砲で撃たれても死なないんだよ!」
――甲冑がマジ=マジの水みたいな存在になってるわね……
マジ=マジというのは、「体に当たった銃弾を水のように溶かす」効果があるとされた魔法の水である。タンザニアがドイツ軍と戦ったとき、現地民たちはマジ=マジを飲んで銃弾の雨に突っ込んでいったが、残念ながら効果が現れることはなかったという。
「残念だけど、甲冑の時代は終わるわ。銃が強すぎるの」
「終わるわけないじゃん‼」
「200年前の初代将軍・石上家虎さまは西洋式の甲冑を着ていたわ。西洋は当時最高の甲冑を作っていたからね。――でも、その西洋では甲冑が衰退したの。なんでだかわかる?」
「重いから?」
「銃が強すぎるからよ。甲冑じゃあ銃弾を防げなくなったの」
「おい嬢ちゃん、なに適当言ってるんだ!」
「適当言っているのはアンタでしょ。この甲冑はいくらなんでも薄すぎるわ。裸と大して変わらないわよ」
「てめぇみたいな若造が甲冑の何を知ってるっつうんだよ!」
「そうだそうだー!」
茶々乃はすっかり適当店主に感化されているようで、語気を強めて同調してきた。絵里咲は、茶々乃がこれからの人生でもっとひどい詐欺に引っかかるんじゃないかと心配になった。
「大して知らないけど、これじゃあ薄すぎて鉄砲は防げないってことくらいわかるわ。――茶々、出るわよ」
「いかないーー! 買うのーー!」
茶々乃の首根っこを掴むと、鉢巻男の怒号を聞き流しながら店の外へ連れ出した。
敷居をまたいで大通りに出た絵里咲は、茶々乃に顔を近づけて言った。
「茶々、よく聞いて! 〈つんなーる銃〉の銃撃を受けてかすり傷しか付かない甲冑なんてこの世に存在しないわ。甲冑の傷はただの引っかき傷よ。店主はアンタを騙そうとしてるの」
「してないもん! ホントだもん! だってあのおっさん、めっちゃいい人だったよ! えりずみたいな困り眉女より百倍親切だったもん!」
「困り眉女で悪かったわね! ――いいかしら、茶問屋の娘さん。あんたに優しいのはお母さんとあんたを騙そうとする人だけよ」
「私のお母さんは優しくないもん‼ 店主の方がやさしかったもん!」
「なら余計警戒しなさい」
「えりずの嘘つき。本当はえりずがあの甲冑を欲しくなっただけでしょ?」
「いつか〈つんなーる銃〉が手に入ったら、試しに鉄板を撃ってみるといいわ。誰が嘘つきかすぐにわかるわよ」
「えりずが嘘つきに300両賭けてやる」
「あはは。あたしはお金持ちになるね」
「このぉ~~!!」
茶々乃は絵里咲の二の腕をポカポカと叩いてきたが、店に戻る素振りは見せなかった。甲冑の購入は諦めてくれたようだった。
同室人が詐欺にひっかかるのを止めることに成功した絵里咲は、ほっと一息ついた。
――そのとき、大通りのほうから耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。聞いたこともないほど壮絶な、女の金切り声だった。




