第四四話 英国公使館
「ほへ~~~」
「驚いたかしら」
「驚きました。京に西洋風の建物が建つなんて……」
「英国公使館よ。よく、見てすぐに西洋風ってわかったわねぇ」
絵里咲は屋敷で駕籠に乗せられて、半時間ほど揺られた。硬い椅子とこすれたお尻が痛くなってきた頃、ようやく外に出ることができた。
引戸を開けて外に出ると、そこにあったのは白い石で作られた洋風の館――ドラマで見るような英国館だった。
一階部分の壁までは白い大理石が積まれていて、そこから上は屋内がむき出しになっている。進捗は5割といったところだろう。
つい先日この場所に来たときは工事をしていた記憶はないから、相当な早さで建てられている。
未完成の館の前には建材と思しき木材や大理石のブロック、ペンキが入ったバケツなどが置かれていた。
大理石のブロックをブルドーザーもない時代にどうやって高所まで持っていくのだろうかと興味深く眺めていると、突如、一メートル四方はありそうなブロックがひとりでに空中に浮き上がった。それは意思を持ったように五メートルほど浮遊し、二階の壁に積み上がった。
「ほ……本で読んだので」
――ダウン○ン・アビーで見たとか言えない……
「絵里咲の読んだ本、ぜひ私も読んでみたいわ」
「やめておいたほうがいいですよ。眠れなくなるので」
「眠れなくなるの?」
「依存性が高くて危険なんです」
「ますます興味が湧いたわ」
アマゾ○プライムは罪深い。
「でも、ちょっと前までここは更地でしたよね。いつから建て始めたんですか?」
「十日前くらいね」
「十日っ⁉ もう半分以上できてますよ?」
「そうねぇ。英国の建築魔術を使うと一月で豪邸が建つそうよ」
「一月……?」
驚いた。現代の建築よりずっと速い。
「月末には完成して、来月内装を整えるの。長月(9月)の朔日には公務が始まるそうよ。そうしたら、私は父上の代理人として頻繁にここを訪れることになるわ」
流々子の父・彦根守上玄は幕府の老中である。
上玄は外国に寛容で、親英派の筆頭だから、幕府から英国との交渉を任されたのだろう。
「大変そうです」
「大変だわぁ」
藩主の娘というのは責務が多くて骨が折れるに違いない。
外国嫌いが多い京で、街の真ん中に英国公使館などが建ったらテロに遭う可能性だってある。
「そこで、絵里咲には通訳を務めてほしいのよ」
「あたしがですかっ⁉」
「厭かしら」
「いっ……いえ、そんなことは……ないですけど」
「助かるわぁ」
もちろん、大好きな流々子の頼みを断れる絵里咲ではない。
だが、とんでもなく過酷な運命の濁流に巻き込まれる予感がしていた。
「でも、ほかにいくらでもいるんじゃないですか? 英国語を喋れる人なんて」
「いないわ」
「一人もですか⁉」
「一人もよ。少なくともうちの藩には」
「じゃあ、いままでどうやって話してたんですか?」
「おたがいに、蘭国語の通訳を雇って話していたの。挨拶するだけで骨が折れるのよ。『ごきげんよう』って伝えたら、まず、こちらの通訳が蘭国語に直して、相手側の通訳は蘭国語から英国語に訳すと、ようやく英国人に伝わるのよ。それで、またしばらくすると『体調はいかがですか?』って頓珍漢な返事が返ってきたの。だから『健康ですよ。ありがとう』って答えたら『ご病気だったのですか?』って心配されたのだけど、どこかで話が噛み合ってないと思ったの。そのときようやく、西洋では『体調はいかがですか?』がただの挨拶ってことに気付いたのよ。たったそれだけの会話に芋が蒸かせるくらいの時間がかかったわ」
たぶん、「体調はいかがですか?」というのは「How are you?」のことだろう。典型的な意訳のミスである。
「流々子さまは蒸かし芋がお好きですもんね~」
「それに、こちらの通訳は蘭国語が流暢ではないから、むつかしい話になると何を言っているのかちっともわからないのよ」
「ぜんぜん連携取れてないじゃないですか。そんな調子でよく公使館を建てましたね……」
「齟齬があったわ。もともと、父上は町人を刺激しないために和国風の建築にすることを条件に建築許可を出したのよ――父上はカンカンに怒っていたわ」
流々子の父の配慮は正しい。
和国には外国人嫌いが多い。町人たちを刺激しないためにも英国公使館は和風の建築にするべきだっただろう。
和風建築が立ち並ぶ町にいきなり英国館を建てて景観を壊せば、英国が和国を侵略しようとしていると恐れられても仕方がない――実際、その恐れが完全に間違ってるとは言えないのだが。
外国が嫌いな和人たちが住む町の真ん中に洋館を建てるなんて、スズメバチの巣に指をつっこむような暴挙である。賢明な支配者なら誰もやらない。
だが、洋館は実際に作られてしまっている。
大理石の建築に見慣れている絵里咲にとっては美しい館に見えるが、生まれてこのかた木造の建築しか見たことがない和人にとってはさぞかし奇天烈に映ることだろう。
「もっと早くあたしに頼んでくれていればこんなことには……」
「頼もしいわね。では長月には通訳を努めてもらうわ。それまで死なないでね」
「……気をつけます」
思った以上に英国人と和人のコミュニケーションが取れていない。
絵里咲が通訳を断れば、まっすぐバッドエンドに突き進む予感がした。




