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第四三話 水と油

「あら、菖蒲とえりず。二人は仲が良いわねぇ」

「でしょ~? なんでえりずなんですか?」

「えりずが本名なのよ」

「流々子さま。菖蒲さまにえりずって吹き込まないでください」


 絵里咲は再び流々子の屋敷・彦根守邸を訪れていた。

 菖蒲は絵里咲の手をギュッと握っていた。菖蒲が絵里咲と手をつないだのは、きっと流々子への当てつけだ。「流々子お姉さま無しでも私は楽しんでますよ」というところを見せつけたいのだと思う。


「今日は椿も来たのね」

「流々子。久しいですわね」


 そして、今回は姉の悪役令嬢も同伴だ。


「うちの門番は何をやっているのかしら」

(こころよ)く通してくれましたわ」


 流々子と椿という水と油のような取り合わせ(もちろん椿が油)が実現したのは、菖蒲の提案がきっかけである。二人を仲直りさせて昔みたいに遊びたいと思っている菖蒲が「姉上を連れて彦根守邸に連れて行ってください!」と頼んだきたのだ。

 修羅場になる予感がしたが、身分の低い絵里咲が断る力は弱い。菖蒲は嫌がる絵里咲の腕を引っ張り、なし崩し的に彦根守邸まで連れてこられてしまったということである。


「貴女が屋敷に来るのなんて何年ぶりかしら」

「昔はよくここで遊びましたのにね」

「遊んだわ」

百首千趣(ひゃくしゅせんしゅ)でも、貝合(かいあわ)せでも、貴女にはちっとも敵いませんでしたわ」

「運がよかったのよ」

「いま思えば、流々子はいつも呪術でいかさましていたのでしょう?」

「記憶にないわぁ。普通にやったら千里眼を持つ神宮寺に敵うはずがないから、椿が手加減してくれたものだとばかり思っていたけど」


 神宮寺に生まれた者は千里眼を持つと言われている。千里眼を持つ者はまるで防犯カメラのように壁の向こうや背後を見ることができるらしいのだ。戦中に千里眼を使えば敵襲に備えることもできるし、上空から俯瞰的に陣形を眺めることができる。便利なことこの上ない能力だ。平時はあまり使い道がなさそうだが、セコい神宮寺なら札取り(かるた)で詠み手の札を裏から覗くこともできる。

 千里(4000キロメートル)と名のつくわりに、その効果範囲は1町(100メートル)程度らしいが。


「残念なことに、なぜかわたくしには千里眼が備わっていませんのよ。――それに、神宮寺の武人は手加減などしませんわ。いかなる相手にも敬意を持って全力で臨みますの」

「神宮寺に生まれるのも大変ねぇ。手加減もできないなんて」

「義務を持って生まれついてくるのは喜びでもありますわ」

「私は気楽でよかったわ」


 昔の友人だけあって、思い出話には花が咲くようだ。どこかぎこちない雰囲気はあるが。


「――流々子よ。貴女がわたくしのことを嫌っていることくらい重々承知していますの」

「あら。椿を嫌いなんて言ったことはなくてよ」

「態度から分かりますわ! わたくしは鈍感ではありませんの」

「いや、お姉さまは鈍感だと思いますよ」


 妹の一言に勢いを削がれてしまった椿は、口をへの字に曲げた。


「と……ともかく! 通商条約が締結されたいまは、お国の一大事。過去の因縁で争っている場合ではございませんの。藩主の娘同士、一国の未来について意見を交わすべきですのよ!」

(いや)よ」

「どうしてですの?」

「むつかしいわぁ」

「ふざけないでくださる?」

「だって本当にむつかしいんだもの」


 椿は両腕を組んで、人差し指をチクタクと腕に打っていた。話に乗らない流々子に痺れを切らしているようだ。

 二人の掛け合いを見ていると、昔は仲が良かったなんて話をちっとも信じられなかった。茶々乃の自慢話並みに信じられない。


「事の重大さをわかっていて? 通商条約が結ばれて以来、英国の影響力が日に日に強くなっていますの。こんどは(みやこ)に英国の公使館を作るなんて話も上がっていますのよ。流々子だって噂は聞いておいででしょう?」


 公使館というのは、現代でいう大使館のことだ。大使館と公使館の役割は同じだが、対等な相手には大使館、見下している相手には公使館を用いるという違いがある。つまり、和国は見下されているということだ。とはいえ、英国は大抵の国を見下しているので気にする必要はない。


「風聞には疎いのよねぇ。私は目で見たことしか知らないわ」

「目で見たこと、とは?」

「父上が英国に烏丸(からすま)の土地を貸したこと、かしら」

「「えっ?」」


 驚きの声を漏らしたのは絵里咲と菖蒲だった。


「……彦根守上玄(じょうげん)殿が夷国に土地を貸すというんですの?」

「とっても高い賃料を払ってくれるの。使いみちが無い土地だったから助かったわぁ」

「そんな……信じられませんわ」


 椿はまるでムカデが腕に付いたかのように顔をしかめた。

 筋金入りの外国人嫌いである彼女にとって、(みやこ)、それもすぐ近所に和人が住むという嫌悪は相当なものなのだろう。椿に限らず、和人は外国人嫌いがほとんどだから、他の人も同じような反応を見せると思われる。


「神宮寺歳実殿と違って、うちの父上はずっと前から条約調印に賛成していたわ」

「存じていますわ。あまりに父上と反対意見ばかり言うものだから、彦根守(ひこねかみ)はわたくしたち神宮寺と決別したいように見えましたの」

「いえ。開国したいのよ」

「呆れましたわ。夷国人相手にのうのうと扉を開こうとするなんて……。彦根守には危機感というものが全くありませんのね!」

(かわず)が井戸の中で幸せに暮らしていても、いつかは井戸ごと埋められる。それなら井戸の外について学んだほうがいいでしょう?」

「戦って井戸を守ればずっと幸せに暮らせますのよ」

「あら。椿の口からそんな言葉が出るなんて意外だわ」

「なぜですの?」

「だって、那古野は開港を決めたんじゃなかったかしら。貴女の決断で」

「流々子さま……その話は……」


 椿は開港会議で開港するか、しないかという難しい決断を迫られたのだ。

 夷国が大嫌いな椿はもちろん開港などしたくなかっただろう。だが、貿易をすれば利益や関税によって藩の民を豊かにすることができる。

 開港は彼女にとって苦渋の決断だった。

 絵里咲は寝ていたから偉そうなことは言えないが。


 椿がギュッと拳を握りしめたのを見て、絵里咲は息を飲んだ。怒った悪役令嬢が武力を行使して、修羅場が始まるかもしれないと思ったから。

 椿が怒れば、この場にいる誰にも止められない。絵里咲の剣は未熟だし、流々子は武闘派ではないし、菖蒲も戦闘向きの呪術師ではない。


「……神宮寺と彦根守、千年に渡って続いた友情が終わるのは残念ですわ」

「残念ね」

「流々子がそのつもりなら……もう話すことはありませんわ。失礼しますの」


 椿は静かにそう言ったあと、スタスタと座敷を出ていってしまった。


「お姉さま! ――お待ちください!」


 菖蒲も追いかける。

 修羅場は起こらなかったが、大切なものが壊れた気がした。


「流々子さま。あんな風に椿さまを怒らせちゃっていいのでしょうか」

「怒らせてないわ。勝手に怒ったのよ」

「とはいえ、椿さまは旧友でしょう。仲直りしなくていいんですか?」

「怒られちゃったものは仕方ないわね。――それより、見に行きましょう?」

「なにを見に行くのですか?」

「決まってるじゃない。英国に貸した土地よ」

「……嫌な予感がするんですけど」

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