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第四一話 菖蒲の尊敬する人

「こんにちは。流々子さまはいらっしゃいますか?」

「ようこそいらっしゃった、えりず殿」

「絵里咲です」


 絵里咲は神宮寺菖蒲(あやめ)を連れて彦根守(ひこねかみ)邸に来ていた。

 すっかり顔なじみとなった門番の男は、にこやかに笑ってお辞儀した。


「そちらの方は?」

「流々子さまの古いお友だち、神宮寺菖蒲さまです」

「おお、菖蒲殿か! 数年以来でござるな!」

「お世話になってます~~!」

「姫もさぞ喜びましょうぞ」

「あの、門番さん。流々子さまをびっくりさせたいので、菖蒲さまが一緒ってことは内緒にしてくださいませんか?」

「はっはっは。粋ですね。お任せください!」


 彦根守邸の門番は、彦根守邸の中に入っていった。流々子に入邸の確認をしにいったのだろう。

 しばらく待つと、重々しい門が開いた。門の割れ目から、エメラルドのように鮮やかな庭園の緑が見えた。


「どうぞ、この俺に付いてこちらへお越しください」

「ありがとうございます!」



     ●○● ○●○ ●○●



「こんにちは、流々子さま。ご機嫌いかがですか?」

「史上最高よ」


 流々子は座敷に正座して、机に向かって手紙を書いていた。


 菖蒲は、(ふすま)の裏に待機させておいた。タイミングを図って、ババーンと登場してもらう予定だ。

 サプライズを控える絵里咲は笑いを抑えきれなかった。


「んふふふ」

「あら絵里咲。婚約でもしたの?」

「してませんよ! どうしてです?」

「なんだかニヤニヤしているもの」

「良いことがあったので」

「なにかしら」

「……実は、流々子さまに会わせたい方がいるんです」


 菖蒲いわく、流々子とは数年ぶりの再会だという。突然会ったらさぞ驚くだろう。

 サプライズ直前。絵里咲までドキドキしていた。


「来ていいですよーー!」


 絵里咲が叫ぶと、襖の裏から菖蒲がバタバタと飛び出してきた。


「流々子お姉さまーー! ずーーーっと会いたかったです!」


 最高の笑顔を見せる菖蒲は、勢いよく流々子に抱きついた。


 ノリの良い流々子なら「菖蒲ーーー!」と叫んでクルクル踊りだすだろう。絵里咲はそう予想していたから――


「あら菖蒲。久しいわね」


 ポンポンと背中を叩くだけで菖蒲の体を離してしまうそっけない反応は、正直、拍子抜けだった。


――あれ?


「流々子お姉さま、お変わりございませんか?」

「お変わりないわ。菖蒲はどうかしら」

「あ……ありません」


 線香花火より一瞬で話題の種が燃え尽きてしまった。

 微妙な沈黙が漂った。


「あの、流々子お姉さま。私、呪術がうんと上達したんですよ!」

「あら。見せてくれる?」

「もちろんです!」


 菖蒲は雪駄を履いて庭に出た。


 松の木の前で「――凍てよ!」と呪言(じゅごん)を唱える。菖蒲の目の前に大きな白煙が上がり、冷蔵庫を開いた時のように冷たい風が絵里咲の頬を撫でた。


 白煙が晴れて出現したのは大人の背丈ほどもある――――氷の塊。

 それは「ただの氷の塊」としか形容しようのないものだった。結晶は縦長に伸びているが、それが何を表現しているのかわからない。四隅が欠けた直方体。このあいだ弓道場で披露した、髪の毛一本一本まで再現されているくらい精巧な氷像からはほど遠かった。


「……あれ?」菖蒲も自身が作った氷の像を見て、動揺している様子だった。彼女の表情は、氷像が失敗であることを物語っていた。「ええっと、これはあの……」


 実は、大人の体積ほども大きい氷の塊を一瞬で錬成するだけでも、かなりの才能と高い練度が必要である。だが、最高水準の呪力を持っている菖蒲には正直物足りないと思われかねない。


 絵里咲はいたたまれない気持ちになった。菖蒲は数年ぶりに憧れの人と再会して、自慢の術を失敗してしまったのだから。


「あ……菖蒲(あやめ)さまはとても綺麗な氷像を作ったりもするんですよ! 今にも動き出しそうなくらい精巧なんです!」


 必死にフォローを入れるも、菖蒲の表情は晴れない。


「綺麗だわ。こんなに透明な結晶を作れるようになるなんてすごいじゃない」

「ありがとうございます」

「よかったですね! 菖蒲さま!」


 褒められている菖蒲は、悲しそうに唇を噛んでいた。

 あこがれの人の前で最高の技を披露できなかった後悔は、喉に刺さった魚の骨のようにしつこく残るだろう。


 「呪術には精神状態が反映される」と、いつしか流々子が言っていたのを思い出した。緊張していたり、焦っていたりすると、力んでしまって呪力の制御が難しくなってしまうのだという。――菖蒲が本来の力を出しきれなかったのは、まさしくそれが原因だろう。


「流々子お姉さま。姉上とは最近いかがですかか?」

「上々よ」


 嘘つけ。と思った。絵里咲は流々子と三ヶ月も一緒にいるが、椿と親しくしているところを見たことがない。


「昔はよく三人で遊びましたよね」

「私が藩に帰るまではね」

「そうですね。流々子お姉さまが藩に帰るまでは」菖蒲はすこし黙ったあと、意を決したように顔を上げて「あの、私たち三人で……昔みたいに遊べないかなって思うのですが!」と切り出した。


 健気に尊敬する人を慕う姿は可愛らしいと思った。


 ――だが、流々子はなにも言わなかった。


 賢い菖蒲は、わざわざ言葉にしてもらわずとも、流々子の意思を察することができる。口を引き結んで視線を落とした。


「……そうですよね。流々子お姉さまは開国で忙しいし、構う時間なんて無いですよね」

「申し訳ないわね」


 ぴしゃりと告げる流々子の顔からは、何の感情も読み取れない。


 震える拳を握りしめた菖蒲は、目をぱっちりと開いて感情が溢れるのをこらえていた。


 実の妹のようにかわいがってくれた、何年も背中を追いかけ続けたあこがれの人の態度がすっかり変わってしまったのだから、無理もないと思った。


 菖蒲は、消え入りそうなほど小さい声で「失礼します」とだけ言い残すと、座敷から出ていってしまった。


 絵里咲はその背中を追いかけようと一歩踏み出しかけたが、やめた。

 いまはそれよりも座敷に残って、流々子と話すべきだと思った。


「……流々子さま」

「なにかしら」

「菖蒲さまは流々子さまみたいになりたくて、呪術を何年も練習してきたそうです」

「最後に会ったとき、そうすると言っていたわ」

「なら……先ほどの態度はあんまりだと思います」

「……」

「椿さまとの間になにがあったかは存じ上げませんけど……けど、菖蒲さまは関係ないじゃないですか」

「関係ないわ」

「なら、菖蒲さまには優しく接してあげてくださいよ!」

「えりずは、菖蒲を追いかけたほうがいいのではなくて?」

「……」


 絵里咲は、流々子を問いただそうと思ったが、できなかった。

 流々子は菖蒲の想いを理解している。理解した上で冷たく当たっているならば、問いただす権利など自分には無いと感じたから。


 ふと菖蒲が去った出口を見遣る。まだ彼女の残り香が(かお)っていた。


「……失礼してもよろしいですか?」

「召使いでもないのに許可は要らなくてよ」

「恐れ入ります」


 絵里咲は早足で屋敷を飛び出すと、道に漂う残り香を追った。


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