第四〇話 百首千趣
堅苦しい婚礼の儀が終わってからは、華々しい宴の時間だった。
尺八や三味線を構えた出囃子隊が奏でる賑やかな音楽に合わせて、面白おかしい恰好をした男女が舞台の上で激しい舞を踊った。
鴨明神社の境内は、まるでお祭りのように騒がしくなった。
出席者には上等な酒や茶、超貴重品である羊羹や金団などの菓子が振る舞われた。
鮮やかな着物に身を包んだ会場の面々は、野点傘の下で歓談や連歌に興じている。
絵里咲は、菖蒲と〈百首千趣〉という遊戯で遊んでいた。
百首千趣のルールは、百人一首と同じである。
蓙(畳でできたレジャーシートのような敷物)の上に、百枚の札が並んでいる。
それぞれの札には和歌の下の句――「五・七・五・七・七」の後半「七・七」――が書かれている。
詠み手が上の句を読み上げると、競技者は下の句が書かれた札を取ればいいというゲームだ。
「絵里咲お姉さまは百首千趣をやったことがありますか?」
「これが初めてです。でも似たような遊びならやったことがあります」
もちろん、百人一首のことである。
絵里咲が百人一首をやったことがあるのは数回で、初心者に毛が生えた程度の実力ではあるが。
「それなら遊び方はわかりますよね?」
「わかります。やってみましょう!」
「亀井、お願いします!」
読み手となったのは亀井という絵里咲と同年代の男だった。
亀井は札に視線を落とすと、口を開く――
「――む…………」
――と同時に、菖蒲の右手が一閃。場にあった札の一枚を弾き飛ばしてしまった!
「え? …………え?」
あまりに一瞬のできごとに、絵里咲は酸欠の金魚みたいに口をパクパク開くことしかできなかった。
「菖蒲さまの札です」
「えへへ~」
亀井が言った。正解ということである。
絵里咲はすかさず抗議した。
「ず、ずるいですよ菖蒲さま! まだ一文字しか読まれてません! そんな早くわかるはずないじゃないですか!」
「ふっふっふ。ズルはしていませんよ」
「超能力とかを使ったんでしょう?」
「たしかに私は生まれつき超能力というか……〈千里眼〉は使えるんですけど、いまは使ってません。不公平ですからね!」
「それじゃあどうやって……?」
「百首千趣の札はぜんぶ聞かなくても、一文字目だけでわかるんですよ。――『む』は一字決まりなんです!」
「いちじぎまり?」
菖蒲は手に持った札をこちらに見せて、和歌を諳んじた。
「――群咲きの 娘を誘ふ 鳥兜 愛さば愛せ 殺さば殺せ~♪ 一文字だけで分かるのは、『む』から始まる札がこれ一枚しかないからです! 同じように一字で分かる札はぜんぶで7枚もあるんですよ」
「なるほど~……。なんだか物騒な歌ですね。どんな意味が込められているんだろう」
「要約すると、恋した男がことごとくダメ男だった女の嘆きです」
「あはは……。次回の恋ではぜひ幸せになってほしいな」
「ちなみに、歌人の中都小町は極度の面食いだったそうです」
「気をつけよう……」
流々子の顔を思い浮かべながら言った。
「疑ってごめんなさい菖蒲さま。本当に超能力かと思っちゃいました」
「えへへ。絵里咲さん相手に千里眼は使いませんよ」
「それにしても、すごい反応でしたね」
「これくらい朝飯前です!」
「こんど、ぜひ百首千趣を教えてください!」
「教えるなんてとんでもない。私なんか半人前ですから。流々子お姉さまのほうがよほどお強いですよ」
「流々子さまが? ちょっと意外かも」
――運動音痴だし。
「はい。あのお方は字が読まれてから手を動かすまでがズルいくらい速いんです。あまりにも速いので、ときどき一字目が読まれる前に取られることもあります」
「それ、本当にズルされてませんか?」
どうせ、読み手の後ろから札を覗く呪術でも使っているのだろうなと思った。
「ところで、流々子お姉さまは結婚式に来ないのでしょうか? 招待状は送ったんですけど」
「どうせ来ませんわ」
答えたのは、側で聞いていた椿だった。
「来ない? どうしてですか?」
「さあ。最近、わたくしに対して感じが悪くて……。わたくしはもう流々子に嫌われたみたいですの」
不機嫌そうに愚痴をこぼす椿。流々子に嫌われているのがよほど堪えているようだ。
「そうですか……」
菖蒲はしんみりと目を伏せた。椿と流々子は親密な幼馴染だったというから、当然菖蒲とも深い親交があっただろうことは容易に想像がつく。
「菖蒲さまも流々子さまがお好きなんですね」
「ええ。昔からずっと尊敬しています。――お綺麗なのに、なんでもできるところとか。面白いのに、いざというときには頼りになるところとか!」
「わかりますっわかりますっ! たまに意地悪なのも素敵ですよね!」
菖蒲は「最高ですー!」と大声で反応した。
彼女はさらに、絵里咲の耳元に顔を近づけ、声を潜めて「ここだけの話なんですけど」と前置きし、
「(実は……私が呪術を一生懸命練習しているのも流々子お姉さまに憧れたからなんです)」
と大暴露した。絵里咲は思わずのけぞりながら「ええええええ!」と大袈裟に叫び声を上げた。現世の同人誌即売会で同類と話しているときと同じテンションになった。
「そのお気持ちとってもわかります! 推しの服装とか口癖とか真似したくなりますよねっ!」
「いっそ流々子お姉さまになりたいです!」
「――なにお二人で通じ合ってますの?」
それから半刻(1時間)に渡って、絵里咲と菖蒲は早口で流々子の好きなところをまくしたて合った。
絵里咲は久しぶりの推しトークに花を開かせている気分になって、つい熱量が籠もった話し方になってしまった。菖蒲も似たようなものだった。彼女にもオタクの資質があることがわかった。
二人は気が合いすぎて話しすぎてしまい、推しの良いところを言い終わったあとには酸欠になって、ゼェハァと荒い息を吐きながら肩を上下させていた。
喋り疲れた二人のあいだに微妙な沈黙が流れた。
少しすると、菖蒲が急にしんみりと視線を落として言った。
「でも、姉上が流々子お姉さまと喋らないなら、私はもう会えないかなぁ……。流々子お姉さまと仲良くなったのは、姉上の腰巾着で遊びに付いて行っていたからなんです」
絵里咲は、椿と流々子の仲が悪いことを初めて残念だと思った。
椿が傍若無人に振る舞いすぎたことの被害者が、こんなところにいるなんて可哀想だと思った。
いや、菖蒲が推しと喋るチャンスを失ったわけではない。
流々子は椿と仲が悪いが、絵里咲とは仲がいいのだ。ならば、自分が二人の架け橋になってあげればいいではないか。
絵里咲は、菖蒲の両肩をガッチリと掴んで言った。
「――会えますよ!」
「え?」
「あたしはよく流々子さまと呪術の練習をするんです。だから、あたしならいつでも会えます。――今度、あたしと一緒に流々子さまに会いに行きましょうよ!」
「え! ホントですか⁉」
「もちろんです。あたしが今度流々子さまに頼んでみます」
「絵里咲お姉さま! 大好きです!」
菖蒲は絵里咲の胸に飛びこむ勢いで抱きついた。それは戦争を終えた友人同士が再会したときのような、熱烈な抱擁だった。流々子という共通の推しを触媒にして、二人のあいだには金石の友情が生まれていた。
いっぽう、置き去りにされた椿は二人の抱擁を不服そうな表情で眺めていた。
「あら。わたくしを差し置いて流々子と三人で遊ぶつもりですの?」
「椿さまだって流々子さまと仲直りしたいんですよね?」
「ええ、まぁ。なんで仲違いしたのかもわかりませんけれど」
「だったらなおさら菖蒲さまと流々子さまを仲良くさせたほうがいいですよ!」
「どうしてですの?」
「だって、菖蒲さまの居るところに椿さまが出てくるのは自然でしょう? だから、二人が遊んでいるところにさり気なく混ざっちゃえばいいんです! お二人のあいだになにがあったのかはわかりませんけど、三人で一緒にいれば時間が解決してくれますよ!」
絵里咲は表向きそう言いながらも、とある企みがあった。
流々子は、傍若無人な悪役令嬢が気を遣う唯一の相手だ。この二人の仲が回復すれば、流々子は椿をうまく制御してくれるだろう。そうなれば、絵里咲はもはやあれこれ振り回されなくなるという算段だ。
「なるほど……。人付き合いだけは貴女に敵いませんわ」
「えへへ~」
この機会に、因縁の二人を仲直りさせてしまおう。
「って……ちょっと! 人付き合いだけってどういう意味ですか!」
「本当でしょう?」




