第四話 悪役令嬢
「大好きです……」
「?」
「流々子さま……大好きです!」
絵里咲は流々子に主人公チャームを掛けてしまった。
団子屋の少女や味噌屋のお兄さんのように頬を染め、絵里咲に惚れると思ったが。
流々子の表情は涼しいままだった。
――あれ?
「あら。貴女とは初対面よね。それとも前世とかで会ったのかしら?」
「……はい」
前世で会ったなんて言うと狂人と思われかねないが、本当に前世で会っているので仕方がない。
流々子の瞳には、ダイヤモンドのようにキラキラとした光粒が輝き、背景には薔薇や牡丹の花びらが舞っていた(ただし、絵里咲の目を通して見たときに限る)。
もう、直視するのもしんどいほどの美しさだった。
『肇国桜吹雪』の主要キャラクターである彦根守流々子は、現在の滋賀・福井・岐阜一帯を支配する武家貴族・彦根守家の生まれである。
その飄々とした言動からは何を考えているのかわからないところがあるが、ゲーム中では主人公と攻略キャラがくっつくのを華麗にアシストしてくれたり、ピンチを救ってくれたり、いわゆるお助けキャラのような立ち位置である。
普段はおっとりしていてギャグ要員にも見えるが、いざというときになると見せる活躍は下手すると他のどの攻略キャラよりもかっこいい。そのギャップが数多くの固定ファンを作ったのだ。かくいう絵里咲もその一人だった。
「なら前世以来ね。再会できて嬉しいわ」
「あたしも嬉しいです!」
変なノリで会話が始まってしまった。
飄々としていてなにを考えているかわからない流々子は、わけのわからないことを言って相手をからかうのが趣味。原作を何周もした絵里咲は流々子のセリフを読んてきたが、半分くらいはなにを言っているのかわからない。
「ところで、失礼ながら私には前世の記憶が無いから、名前を教えてくださる?」
「古読絵里咲です。絵里咲って呼んでください!」
「ああ、噂のえりずちゃんね。新入生に変わった名前の子がいるって話題になってたわ」
「違います! 絵・里・咲です!」
「よろしくね、“絵・里・咲です”ちゃん」
「“絵里咲です”じゃなくて“絵里咲”が名前です!」
「……ごめんなさい。間違えは許してほしいわ。記憶が苦手なのよ」
「むむぅ~~~。でも流々子さまになら何て呼ばれても許しちゃいます……」
「どうもありがとう。“絵里咲ですじゃなくて絵里咲が名前です”ちゃん」
「ちが~~~う‼ 記憶力めちゃめちゃいいじゃないですか‼」
桜色の唇をほころばせて絵里咲をからかう流々子。
――お美しい
ふたたびその顔に見惚れていると、いまが緊急事態であることを思い出した、
推しの顔を鑑賞している場合ではない。
「――っと、いけないいけない。まだあと盗賊が一人いるのよね。警告しに行かないと!」
「私も行くわ」
「流々子さまもですか⁉ やったぁ!」
憧れの流々子と共闘できるなんて! と、思わず口元がほころんだ。
一般人である絵里咲が高度な呪術師である流々子と共闘したところで、ただの喋るお荷物となるに違いないが。
絵里咲は吹き抜けになった廊下から身を乗り出して泥棒を探した。まだ、建物のどこかに盗賊が一名隠れているはずだ。放っておけば、誰かが被害に遭うかもしれない。
序盤の敵とはいえ、油断できない。刀を持ち、容赦なく人を斬りつける残酷な連中。丸腰で戦うには恐ろしい相手である。
だが、こちらには流々子がいる。
流々子は卓越した呪術師であり、先ほども盗賊を軽々と捕らえてしまった。彼女と一緒ならば、なんとかなるだろう。
と思っていた矢先。学校中に甲高い悲鳴が響いた。
「イャァァァ~~~~‼」
「しまった……もう誰かが襲われたっ⁉」
声が聞こえたのは一階の大広間からだった。吹き抜けになった廊下の手すりから身を乗り出して、一階の様子をうかがう。
赤い絨毯に、着物の女性がへたり込んでいた。
絵里咲は階段を走って下り、一階の大広間に駆けつけた。
流々子は水晶で雁字搦めにした泥棒男とともに三階から一階まで飛び降り、呪術によってふんわりと着地した。
「大丈夫ですか~~~~!」
「大丈夫じゃないわよ! 大事なものを盗まれたわ‼」
女性を襲ったと思われる盗賊が、高級そうな桐の箱を持って全力疾走していた。
桐の箱には金貨でも入っているのだろうか。それとも、親の遺品みたいにお金とは代えられない品物なのだろうか。どちらにしろ、気の毒である。
「なにを盗まれたんですか?」
「へその緒よ! あの箱には私のへその緒が入っているの!」
――いや……盗まれる品のクセが……
“へその緒”というのは、出産のときまで母親と子どもを繋いでいる管のことである。母親の腹の中で、赤子はへその緒を通して栄養を摂っている。
この国ではへその緒を縁起物として丁寧に保管する風習があるが、この女性がどうして学校に持ってきたのかは謎である。
「お母様との思い出の品なのよ! 誰か取り返してぇぇぇ~~~~!」
――確かに大事なものだけど……
桐箱を抱えた盗賊は器用に壁をよじ登り、高窓から外に逃げようとしていた。
現代で死刑を適用される犯罪は少ないが、ここ花園時代だと金額次第では死罪になる。だから、盗みは人生を賭けた行為である。他人のへその緒は人生を賭けるに値するものではないような気がするが、彼は必死だった。
月成の部下や流々子といった猛者を目撃したせいでパニックになり、判断力が落ちているのだろう(本当にへその緒がほしいのかもしれないが)。
へその緒泥棒が高窓に手をかけて、窓ガラスを割った。窓ガラスを乗り越えれば外である。
このままでは盗賊に逃げられてしまうと思ったその瞬間――
――――ヒュイッ
という小気味よい風切音とともに、まばゆい光の筋が走った。その光はまるでレーザービームのように直進し、泥棒の胸の中心部を貫いた。
空気中の塵や建物の木材が焼け、焦げた臭いが漂った。
光の筋が直撃した泥棒の胸部には、ぽっかりとした大穴が空いていた。
「「ヒィィィっっ! 死んでる⁉」」
水晶で雁字搦めになった泥棒と、絵里咲の悲鳴がシンクロした。気が合いそうだった。
へその緒泥棒は胸にぽっかりとした大穴を開けられると、地面に倒れてピクリとも動かなかった。
即死である。
「容赦ねぇ……」
武器は矢であろう。それも、呪術を載せて破壊力を高めた矢だった。へその緒を盗んだだけの泥棒に対して、心臓を吹き飛ばすのはやりすぎである。彼は次期将軍に白刃を向けていたから、死罪になっていたかもしれないが。
ゲームをプレイしていた知識から、人をすぐ殺す無慈悲な弓士には心当たりがある。
射手は二階にいた。身長よりも大きい和弓を左手に携えた赤髪の女性だった。
彼女は二階の廊下から大広間へ飛び降り、赤い髪をそよがせて落下すると、スチャッという音を立てて華麗に着地した。
赤髪の弓女――神宮寺椿は、幕府のナンバー2に君臨する大老の一人娘である。
そして、絵里咲がこの世でいちばん会いたくない人だった。
椿は涼しい顔で言った。
「他愛もありませんわね」
――椿さまには他人への愛がないわよ!
彼女は那古野藩という和国屈指の大藩主の一人娘である。那古野藩は現在の愛知・静岡・三重・岐阜にまたがる超大国。武力だけなら幕府さえも凌ぎかねない実力を持っている。
そしてなにより、神宮寺椿は乙女ゲーム『肇国桜吹雪』の主人公を殺そうとする難敵として立ちふさがる悪役令嬢である。
しなやかな赤髪を肩まで垂らしている彼女の、人を見下したようなつり目。固く引き結んだ口元。ウエストをキュッと締める真紅の袴。そしてその尊大な態度は、まさに「悪役」という言葉がぴったり似合っていた。
最大の特徴は、身長よりも長い大弓である。彼女は「京随一の弓取り」との評判だ。呪術を載せた弓矢を自在に操り、中~遠距離戦においては無類の強さを誇る。作中屈指の強キャラである。
味方であればこれ以上なく心強いキャラなのだが、残念ながら彼女は筋金入りの悪役令嬢である。
その悪役度は他作品の悪役令嬢たちと比べてもことさら悪質。なぜなら、彼女は簡単に人を殺すのだ。敵対する者たちには容赦なく手をかけ、そう低くない確率で主人公や攻略対象を射ち殺す。
特に物語序盤における主人公の死因は、半分くらいが椿によるものである。百姓が大嫌いな椿は主人公に理不尽な難癖をつけ、うまく機嫌を取ることができなければ弓で殺されてしまうのだ。せっかくいいところまでいったところで椿に理不尽な殺され方をしてゲームオーバーとなり、地団駄を踏んだ経験のあるプレイヤーは多い。
ゲームをプレイした絵里咲も、何度となく椿に殺され、そのたびに腹を立ててきた。
椿に殺されて喜ぶ変わったプレイヤーも居るらしいが、それはごく少数の話。絵里咲をはじめとした大半のプレイヤーは椿のことが本気で苦手である。
気の毒にも、そんな悪役令嬢による最初の犠牲者となってしまったのは“へその緒泥棒殿”。
胸部に大穴が空いた姿は、あまりにも痛々しかった。
彼のことをかわいそうだと思ったのは絵里咲一人ではなかったらしい。その場にいた一人の武人が、おそるおそる椿に話しかけた。
「つ……椿殿……」
「なんですの?」
「この者はただの盗人です。な、なにも殺すことは無かったのではございませんか?」
「この男は月成殿に刃を向けた。どのみち死罪になっていたはずですわ。わたくしは死期を三日早めただけですのよ」
「は……ははぁ」
「なにか言いたいことでもありまして?」
「いえ……。さすが、椿殿はご賢明だなぁと思いまして」
「あら。そうですの」
武人は完全にビビってしまって、正直な意見を口にできずにいた。
盗賊だって人間である。家族を守るための行動かもしれない。事情を聴きもせずに即殺すのはいかがなものだろうと、椿の人間性を疑った(悪役令嬢の人間性が疑わしいのは理に適っているが)。
椿は、自ら手を下した“へその緒泥棒”(だったもの)にスタスタと歩み寄った。そして、へその緒泥棒が手に持っていた桐の箱を拾い上げた。箱は血液でベタベタに汚れていた。
椿は被害者の少女に歩み寄ると、
「ほら、百姓。へその緒を取り返しましたわよ」
と言って、血まみれの桐箱を差し出した。
「イヤァァァァァァ――――‼」
少女は指先だけで桐箱を持ち、お礼も言わずに走り去っていった。
椿は血まみれになった手を懐紙で拭きながら、不思議そうに呟いた。
「なぜ逃げますの?」
――椿さまが怖いからでは?
その場にいた全員が心の中で思った。