第三八話 結名の儀
「結婚式?」
「ええ。那古野藩の名家同士が京で式を挙げるんです――絵里咲お姉さまもいらっしゃいませんか?」
悪役令嬢の妹である菖蒲が、わざわざ絵里咲の寮まで訪ねてきた。
無礼千万な椿とは違い、黒髪が美しい彼女は誰に対しても人懐っこくて、百姓である絵里咲にも優しい。同室人であるお雛ともすぐに打ち解けていた(幸いなことに、茶々乃は不在だった)。
「う~~ん……」
「ご馳走も食べ放題ですよ?」
「ご馳走……」
椿と長時間過ごすのは辛いが、ご馳走は食べたい。にんげんだもの。
「遊びに行きたいのはやまやまなんですけど……あたしが行ったら浮くと思いますよ。部外者ですし」
「みんな歓迎しますよ! 絵里咲さんは次期藩主の妻なんですから!」
「違いますよ⁉」
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華やかな白い装束に、紫色の袴を着た神官が叫んだ。
「新郎・末本輪斉殿と新婦天白紫苑殿のご入場~~」
会場に詰めかけた200名近くが惜しみない拍手を送った。
結婚式は、京でも最大級の神社である〈鴨明神社〉の境内で行われている。
鴨明神社には千年を超える歴史がある。参道には豊かな森が広がっており、葉が風で擦れる音や、駒鳥のヒンカラカラと鳴く声が聞こえると、まるで深山にいるような心地になる。古代から変わらない自然と華やかな朱色の鳥居が調和した幽邃の地だ。
「二人ともお美しいですね~」
神社の中から腕を組んで現れた二人。
新郎の輪斉という男は色白でありながら目鼻立ちがはっきりしていて、この世のものとは信じられないくらいの美形だった。歳は25くらいだろうか。真っ白い袴に包まれている姿は神々しく見えた。
新婦の紫苑とやらはすらりと伸びた背筋が美しい、気の強そうな女性だった。もし現代に生まれていたら銀行とかで働いていそうだと思った。
「拍手している者の中には今にも泣き出したい方もいらっしゃるはずです」
「なんでですか?」
「輪斉殿は昔から那古野の娘たちのあいだで美丈夫として評判でしたから」
「あはは。幼いころから好きだった人の結婚式なんて喜べませんからねぇ」
「まるで我がことのように言いますね」
「まだそんな歳じゃないですよ⁉」
――もし流々子さまが誰かと結婚したら祝える気がしないなぁ。けど、推しに幸せになってほしい気持ちが勝つのかしら……。わからない……
ゲーム内では正式な手順を踏んだ結婚式を体験する機会はない。
月成との結婚式は駆け落ちしながらの簡素なものだったし、クレイグ・キャメロン(※未登場)とは英国式で祝った。
椿は会場の前にある貴賓席に正座している。赤髪に隠れた白い肌が日光に照らされて透き通っていた。彼女に並んで貴賓席に座っているのはいかにも「重役」然として偉そうな面持ちをした老人たちばかりだったが、椿の表情は彼らに負けずふてぶてしかった。
椿の隣には父である神宮寺歳実の顔も見えた。広い肩幅は灰色の着物に包まれ、落ち着いた迫力があった。やや老齢で、頭髪には銀色が差していた。
開始5分くらい経っただろうか。絵里咲は、自分が朝礼や始業式といった儀式が嫌いだということを思い出した。
――飽きてきたわね。食べ放題はまだかしら……
あらゆる儀式でそうするように、絵里咲はぽけーっと前に座る人が羽織っている着物の紋様に丸が何個あるのかを数えているうちに、式は進んでいった。
丸を1696個数え終わったところで、菖蒲に肩を叩かれた。極度の集中状態から我に返って、身体がビクンッと震えた。
「大丈夫ですか?」
「ええ……たぶん」
「これから〈結名の儀〉が始まりますよ!」
「ゆいみょーの儀? なんですか、それ」
「結婚式でいちばん大事な儀式です!」
「それって、結納ではなくて?」
「結名です! 神官の仲介でお互いの氏神さまを結びつけるんです」
「まったくわかりません……」
氏神というのは、一族の神のことである。
たとえば、源氏の氏神は八幡様といった具合だ。
巫女の一人が輪斉の喉に手を当てて、呪言を唱えた。目をつむっている。
「――氏神よ氏神よ、そなたがおぼゆ彼方の真名を我に告り給へと恐み恐み白す」
すると、巫女が触れた喉が光りだした。
巫女は目をつむったまま、ふらふらと歩き出す。まるで何者かに憑かれたような動きだった。参列者の前に立つと、野太い男の声で叫んだ。
「那古野は西尾の末本家に生まれし榮太郎よ。そなたの妻となる者に終生その身を捧げ、同じ墓に眠ることを誓うか」
「誓います」
「そなたの目の前にいる200余名に誓うか」
「誓います」
「代々末本の子を守ってきたこの私に誓うか」
「誓います」
「よろしい――そなたの妻となる者の手を取り、瞳をのぞき込みなさい」
「はい」
この儀式が、和国における『誓いの言葉』的なポジションなのであろう。
「あれ? あの人の名前って輪斉さんですよね?」
「そうですよ」
「いま、神官の人が榮太郎って呼んでいましたけど」
「榮太郎は出生名です!」
「出生名?」
「婚礼において巫女は新郎新婦を守る氏神さまに出生地と出生家、そして出生名をたずね、叫ぶのです」
「なるほど……。それって隠せないんですか?」
「はい。氏神さまは偽証しないので隠せませんね! ときには本人すら知らない真実が飛び出すこともありますの」
「ひぇ~~」
個人情報を大声でシャウトということか。大衆の前で戸籍謄本を朗読されるようなものだ。
現代だと個人情報保護法でアウトな気がするけど、この時代にプライバシーなんて言葉はない。個人情報は楽しい噂話のタネであり、隠せば怪訝な目で見られることになる。
現代っ子である絵里咲は、〈結名の儀〉の良さがどうしても理解できなかった。どうしてわざわざトラブルの火種を撒くようなことを儀式を祝いの場で行うのだろうか。結婚式は現代のほうがいいと思った。
ここまで読んできた人はお気付きかもしれないが、絵里咲は出自に大きな秘密を抱えている。だから、婚礼で自らの出生をシャウトされるのは大変マズく、下手すると首を斬られかねない。
暗い先行きを考えながら、肺が潰れるような深い深いため息を吐いた。流々子との結婚にまた一つ障害ができたから。
「やっぱり、なんか悪趣味だと思います」
「そうですか? 生まれたままの二人を結びつける大事な儀式ですよ!」
目を輝かせて主張するのは菖蒲。彼女はなにも恥じるところがないから、個人情報を白日のもとに晒されても不都合がないのだろう。
誰もが菖蒲のようになにも隠すことがない輝かしい過去を持っているわけではない。菖蒲自身にその自覚はないみたいだが。
「次は天白紫苑さまですよ!」
巫女が紫苑の喉に指先が当てる様子を、菖蒲は鼻息荒く見守った。
「那古野は池鯉鮒の文冬家に生まれし伊瀬よ。そなたの夫となる者に終生身を捧げるか」
巫女が出生名を叫ぶと、会場がざわついた。
「……捧げます」
紫苑は、気まずそうに俯きながらそう呟いた。
「なんだかざわついていますね」
「伊瀬……いえ、紫苑殿は天白家でありながら、出生家は文冬とやら。おそらく身分の低い家から養子をもらってきたんですわね」
「あら。それって問題なんですか?」
「問題ありません――事前にしっかりと相手に伝えていれば」
「……やっぱり問題なんですね」
「彼女が養子だということは、藩主の娘である私すら聞いていませんでした。新郎のご両親の衝撃がいかばかりか想像もつきません」
「う~ん。本人たちの愛の前ではそんなことどうでもいい気がしますけど」
「はい。本人たちよりも、むしろ家が気にしますね。結婚はお家同士を結ぶものですから」
絵里咲はまた一つ深いため息を吐いた。
――養子程度で大騒ぎするんだから、あたしの出生が明かされたら戦が起きるわね……




