第二八話 変体術
絵里咲は連日、流々子の屋敷で呪術の練習をした。
特に、学校では教えてもらえない〈生体呪術〉に焦点を当てた。
●○● ○●○ ●○●
まず、初日に習ったのは〈治癒術〉だった。
治癒術は便利な技だ。切り傷程度ならすぐに塞ぐことができる。絵里咲ほど強大な呪力があれば、戦いでも大いに役立つことだろう。
だが、一つ欠点があった。内臓に負った傷を治すには長い時間がかかるという。内臓に致命傷を負ってしまった人の命を助けることは難しいそうだ。
また、いまのところ脳を治癒する呪術は見つかっていないらしい。残念なことに、茶々乃がまともになることはないようだ。
二日目には、〈身体強化術〉を学んだ。
その名の通り、筋力や骨、関節の強度を増強する呪術だ。絵里咲は身体強化術を使うことで、200キログラムはありそうな石すらも持ち上げることができた。こちらも、今後の動乱で役に立ちそうだ。
だが、そんな身体強化術にも欠点がある。自分の筋力の限界を超えるような身体強化術を使うと、身体に大きな負担がかかるそうだ。肉離れ程度であれば治癒術で治せるのだが、負担が重いと肩を脱臼したり、骨が砕けたりすることもあるらしい。
調子に乗って身体強化術を使いすぎた絵里咲は、次の日に激しい筋肉痛に襲われた。
●○● ○●○ ●○●
そして、今日は三回目の授業になる。
「あたしの覚えは早いですか?」
「普通よりはねぇ。でも、才能の割には遅め……かしら」
「えー! 予習復習ちゃんとしてるんだけどなぁ」
「できれば、初回で〈操命術〉まで教えたかったのよ」
「奥義じゃないですか‼」
操命術とは、ゲーム中ではシークレット扱いされている禁忌の呪術である。条件を満たすことで相手を殺す術。要は、ハリーポ○ターにおけるアバタケ○ブラだ。
流々子は操命術が便利ということは、カジュアルに殺しているということだろうか。
「便利よ?」
「便利に使っちゃダメですよ‼ 命を大切にしてください!」とはいえ、殺しを生業とする武人に現代人と同じ死生観を求めるのは無理があるのは絵里咲もわかっているが。「――それで、今日はなにやるんですか?」
「〈変体術〉よ」
「変体術?」
「ええ。動物の骨を触媒として、その動物の姿に変身する呪術なの。私が始めて絵里咲に会ったときも、猫の姿だったでしょう?」
「あぁ。あれ、変体術だったんですね」
「変体術だったのよ」
覚えているだろうか。絵里咲が盗賊の凶刃から猫を守るために抱き抱えたところ、猫が突如、流々子の姿に変身して、絵里咲の上にのしかかった。それが、この世界における流々子との最初の出会いだったのだ。
絵里咲は、ゲーム中で変体術を見たことがないからわからなかったが、設定資料集で変体術について読んだ覚えはあった。
――あれはたしか「禁忌の呪術」……という項目にあって
「あのぉ……流々子さま」
「なに?」
「変体術って……使用が禁止されていませんでしたっけ?」
――花園幕府の呪術会の許可なく使用することができないはずなのよね。それで、その許可は容易に下りない。だから、主人公はストーリー中で変体術を使うことはできないのよ
「えりず、よく周りを見て? 何が見えるかしら」
「なにがって……」言われたとおり、辺りを見回した。目の前には彦根守家の美しい庭園が広がっており、後ろには立派な武家屋敷がある。二人のほかに人の気配はない。「流々子さまのお家が見えます」
「そうね。そこにはなにが見える?」
「そこには? 木と、屋敷。あとは池と、灯籠と、塀ですか……?」
塀というのは、敷地の境界に建っている壁のことである。瓦屋根のある高い塀だった。
「そう。塀があるわ」
「?」
「高い塀があれば、ここで何をしても見えないのよ」
「見えないって……やっぱり違法なんじゃないですか! もし誰かに見られたり聞かれたりしたら大事ですよ!」
「見えても平気よ」
「だめですよ!」
「えりず。うちの周りに住んでいるのは鳰海藩の藩士たちなのよ。私の家来」
「そうですけど……」
「もしあなたが藩士だったとして、藩主の娘が使っちゃいけない呪文を使ってるのを見たら、奉行に密告するかしら? それとも、見て見ぬフリ?」
「自分で使っちゃいけない呪文って言ってますし」
「そうね。見て見ぬフリをしてくれるわ。故郷には家族も待っているもの」
「あたしはなんにも答えてないですよ~」
「これで心配事はなくなったわね」
「心配事しかないんですけど」
「それでは始めましょっか」
「聞いてないし」
どうやっても流々子にペースを握られてしまう。
ルール破りが苦手な絵里咲が禁忌の呪術を習うことになったのは、こういった経緯だった。




