第二七話 鸚鵡並みの呪術師
「――光明、けざやかに射し出でよ!」
鳰海藩の武家屋敷。
庭先の岩の陰には躑躅が、水辺には菖蒲が咲き誇っている。
まるで錦絵のように華やかな眺めだったが、絵里咲にそれを楽しむ余裕などなかった。苦手な呪術を克服しようと、何度も何度も呪言を唱えていたから。
いくら念を込めても、気合を入れて叫んでも、手のひらには蚊取り線香のような弱光が灯るだけ。蚊を取ることができないだけ、蚊取り線香よりひどい。
「笑いはとらなくていいのよ、えりず」
縁側に座ってお茶を飲みながら、絵里咲の蚊取り線香を眺めていた流々子が言った。
今日の流々子は山吹色の羽織りに、白い袴を合わせているゴージャスなコーディネートだった。その膝に、分厚い書物を乗せていた。茶色い表紙に『呪法大大大観』と書かれたそれは、呪術の指南書である。
「とってません!」
「知ってるわ」
「なら言わないでくださいよ」
流々子は『呪法大大大観』を脇に抱えて、立ち上がった。
「残念ながら絵里咲には光呪術の素養が無いわね。たぶん、鸚鵡か九官鳥のほうが上手よ」
「たしかに鸚鵡も喋りますけど……」
――鳥にすら負けるのか
「では練習を始めましょうか」
「おねがいします! あの、流々子さま。……鸚鵡より呪術が下手なあたしでも、いつかはみんなみたいに使えるようになりますか?」
「ならないわ」
「えっ⁉」
「みんなみたいには、ね。えりずにはえりずの方法で呪術を使えるようになってもらうわ」
「……絵里咲です」
――えりずって発音しにくいのによくやるわね……
「ところで、えりずからは並外れた呪力を感じるの。まるで、前世から呪術師だったみたいだわ」
「う~ん。みんなそう言ってくれるんですけど、実際問題、呪術が使えないんですよねぇ」
「それなのに、光を出したり、音を消したりすらできないってことは――きっと他にものすごく得意なことがあるのよ」
「ものすごく得意なこと……ですか?」
「ええ。呪力はあるのに、呪術は使えない。えりずみたいな子のお話は……この本『呪法大大大観』にも出てくるわ」
「前から思ってましたけど、そのタイトル適当すぎませんか?」
流々子は『呪法大大大観』の頁を広げた。そこには、「物体呪術と生体呪術の違い」について書かれていた。
「物体呪術と生体呪術の違いはわかるわね?」
「ええっと……説明してもらっていいですか」
いちおう、ゲーム中でも習ったはずの知識だ。絵里咲は攻略の効率が悪い呪術をほとんど使わなかったから、忘れてしまっていたが。
「〈物体呪術〉はモノを操る能力よ。呪言を唱えてモノに宿る神様と対話することで、火をおこしたりモノを浮かしたりといった奇跡を起こすことができるわ。いまえりずが学校で習っているのはこっちね」
「あたしが苦手なやつですね……」
「えりずが苦手なやつよ――それに対して、〈生体呪術〉は動物や人の身体に使う呪術。身体に宿る魂と対話することで奇跡を起こすの。たとえば、傷を癒やしたり、記憶をいじくったりできるわ」
「記憶までいじれるんですか? ……物騒ですね」
現世に存在したらCIAあたりが研究していそうだ。
「モノの呪術と身体の呪術。この二つは奇跡を起こしてもらう相手が違うから、才能も別々なのよ」
現代の学校に例えると、物体呪術は物理学で、生体呪術は生物学みたいなもの、ということだろう。物理学と生物学は似ているようで全然違う内容である。生まれつきそのどちらが得意かによって、使える呪術も違うということだ。
さまざまなモノや身体に宿る神との対話で奇跡を起こすというのは、八百万の神を信仰するアミニズムならではの魔法だと思った。
「つまり、あたしは生体呪術のほうが上手に使えるってことですか?」
「ええ。物体呪術は鸚鵡並みでも、生体呪術では伝説級の呪術さえ使えるはずだわ」
「鸚鵡並み……」
「どうしてここまで適性が生体呪術だけに偏っているのかが不思議なのだけれど」
そう言って、流々子は顎に手を当てて、考えるような素振りをみせた。おそらく、頭の中で常人には到底およばない複雑な思考を巡らせている。もしくは顎がかゆかったんだと思う。
絵里咲には、自分の呪力が生体呪術へ極端に偏っている理由について、思い当たるフシがあった。
彼女は現実で一旦死んでからゲームの世界に転生したのだが、なぜ転生できたのかという理由は今のところ不明である。だが、もし“転生したのが呪術のせい”だとしたらどうだろう。なんらかの理由によって現世の絵里咲に呪術が掛かってしまったのだとしたら、転生という常識の範囲外の現象が起こった理由も説明できる。
もし、その「絵里咲に掛かった呪術」というものを流々子が説明したとおりに分類してみたら、それはきっと“物体呪術ではなく生体呪術”であろう。
現世から異世界に飛ばす呪術なんて、とんでもない規模の呪力が必要に違いない。そのとき絵里咲の魂が強すぎる生体呪術の力を受けたせいで、絵里咲の体質が変わってしまったのだとしたら、呪力が生体呪術ばかりに偏ってしまったことも説明できる。
これはもちろん、絵里咲の勝手な推測にすぎないが。
何はともあれ、物体呪術が使えないのならば生体呪術を極めるしかない。大事なのは頭の切り替えだ。
「ところで、その生体呪術っていうのはいつから習えるんですか?」
「そうねぇ。生体呪術って難しいし、使い所が少ないのよぉ。学校だと再来年の冬から習うわ」
「え? ってことはあたし、再来年まで落ちこぼれじゃないですか!」
「鸚鵡並みに、ね」
「イヤぁぁ~~~‼」
これから二年間も、意地の悪い氷上先生にからかわれ続ける日々など想像したくもない。




