第二五話 連理の真珠貝
「(兵庫津に黒船が来航したんですって!)」
「(見物に行きたいわ)」
「(やめなさいな! そんなことしたら英国人に喰い殺されるわよ⁉)」
「(キャーーー)」
――野蛮人じゃないんだから……
ひそひそ声で喋っているのは、名も知らぬ学生だ。彼女たちは、英国人を鬼か何かだと思っているらしい。
今日の授業は、やけに教室の学生たちが騒がしかった。
それもそのはず。今朝、英国女王の親書をたずさえた黒船が兵庫津に到着したという報せが京に飛び込んできたのだ。(※前話参照)
〈兵庫津〉というのは現代でいう神戸港の近くであり、京から目と鼻の先の20里(80キロメートル)ほどにある。京の者たちにとって身近に感じるのだ。
「(和国はこのまま英国の植民地にされちゃうのかな……)」
「(なに弱気なことを言ってるの? もし私たち和人に手を出そうとすれば将軍さまが叩き切ってくれるに決まってるでしょ)」
「(そうよね! 将軍さまだもの!)」
――たぶん刀じゃ勝てないのよね……
絵里咲が、名も知らぬ学生のひそひそ話に心の中でツッコんでいると、先生である氷上は両手をパシンッと打ち鳴らした。
「しーずーかーにー! いまは授業中ですよー!」
センセーショナルなニュースの話で持ち切りだった教室は、氷上先生の鶴の一声で静まった。
「知らない世界のお話は楽しいでしょうが、黒船も赤船も虹船もみなさんとは何の関係ありません。まずは目の前のこと、みなさんと関係のあることに集中してください」
――黒船はみなさんと関係大アリなのよねぇ
絵里咲は心の中でボヤいた。
黒船来航からの三年間で、花園幕府は転覆する。新しい政府ができて、武人は消え去り、世界が一変するのだ。
その激しい動乱の中で、教室にいる全員も運命の荒波に揉まれることになる。ある者は没落し、ある者は英雄になり――またある者は命を落とす(教室にいない椿も含む)。
絵里咲はあえて何も言わなかったが。
「本日の授業は呪いについてのお話です。――この貝殻と真珠を使って、みなさんに呪いの例を見ていただきます」氷上が手に持っていたのは、ホタテに似た手のひらサイズの二枚貝。そして、黒く光る小さな真珠だった。「みなさんの中で、この貝と真珠の名前を知っている方はいらっしゃいますか?」
「はいっ!」
「どうぞ。お初さん」
お初は、噂が大好きなポニーテールの女の子である。意外なことに、成績はとても優秀だ。
「〈連理の真珠貝〉ですよね!」
「さすがはお初さん、その通りです。〈連理の真珠貝〉は呪術に使われる道具です。――お初さん。この貝にどんな力があるのかもご存知ですか?」
「はい! 連理の真珠貝とは、運命に呪われた阿古屋貝のことです。貝殻を開くと、真珠が輝きながら大声で叫び出します。その叫び声は鼓膜を破るほどうるさくなるそうです」
「完璧ですね。――真珠と貝殻は運命によって呪われています。二つをどんなに遠くに離そうとも、貝殻を開くと真珠が叫ぶ。二つの運命がからみあっていることから連理と呼びます」
――叫ぶ真珠貝なんて勉強して何の意味があるのかしら……
絵里咲は賢い子である。
だから、呪術学校の授業を二ヶ月も受けると、授業で扱うのは古くて実用性がない呪術ばかりだということに気付いていた。
使えないことを学んでいる時間には、ただ未来への不安が増すばかりだった。
50年前、英国では〈魔術革命〉が起こった。その影響は凄まじかった。魔術を兵器や日用品に応用することで他国を圧倒して、世界一の大国になったのだ。英国はその強大な力を振るって世界中の国を従わせ、植民地にした。かつて〈眠れる獅子〉と呼ばれた清国だって、今では英国の言いなりになっている。
このままでは、和国が英国の植民地になるのも時間の問題である。
世界で起きている戦争では魔術式ライフルや火炎ロケットといった魔術系の兵器が主流になっているというのに、いまだ和国の戦場では刀や槍が幅を利かせているのだから。
英国の脅威に危機感を抱いた花園幕府が、重い腰を上げて国立の呪術学校を設立したのが三年前。『呪術を広く振興し、英国を凌ぐ呪術師を育てるべし』という理想を高々と掲げて、朱雀門に優秀な呪術師の卵を集めた。――とはいえ、朱雀門呪術学校は理想とはほど遠い現状にある。この学校で習う呪術といえば、「叫ぶ真珠貝」やら「一瞬だけ手から光を放つ」といった実践とはほど遠いものばかり。前者はやたらうるさいだけだし、後者は一瞬で終わるから実用性ではマッチの火にすら劣る(特に絵里咲の場合)。
もし、和国が清国と同じ運命を辿りたくないのであれば、一刻も早く和国や外国の呪術を若者に学ばせるべきなのは間違いない。なんの用途もない「叫ぶ真珠貝」の勉強をしている暇などないはずなのだが。
――そんなことを言ったところで、氷上先生が耳を貸すとも思えないのよねぇ……
氷上は〈連理の真珠貝〉を顔の横に掲げて、学生たちに告げた。
「ではさっそく試してみましょう! 真珠の叫び声を聞くと鼓膜が破れますが、防音の術を使えば安全です。――どなたか最初に試してくれる勇敢な方はいらっしゃいますか?」
乙女ゲームの主人公でありながら、なぜか呪術の才能に恵まれなかった絵里咲は、防音の術を使うこともできない。
もちろん、鼓膜が破れるのは嫌なので、立候補する気はサラサラない。
「(あ~あ。肩がなまってきた。早く道場行きたいなぁ~)」
と、小さな声で愚痴るのは、絵里咲のとなりに座っている茶々乃である。勉強が苦手な茶々乃は、授業中も竹刀を振りたくて仕方がないようである。
「(ちょっと、顔上げなさいよ。机にうつ伏せになるなんてみっともないわよ)」
「(だってつまらないんだも~ん)」
「(氷上先生は地獄耳だから聞かれちゃうわよ?)」
「(別にいいよ。だってえりずも思うでしょ? あんなガラクタの使い方より黒船のほうが関係あるって。剣術の練習したほうがお国のためになるよ)」
「(シーーッ! そろそろ黙ったほうがいいわよ!)」
すると、耳聡い氷上が内緒話をする二人をキッと睨みつけた。
絵里咲の背筋が凍った。
「――えりずさん」
「な……なんでしょう?」
「こちらへいらっしゃい」
「へ?」
氷上が笑顔で手招きしていた。恐怖だった。
「あの……ガラクタって言ったのあたしじゃないですよ?」
「ガラクタ? ……なにがガラクタなんですか?」
「いえ……なんでもありません……」
――ガラクタに反応したんじゃなかったのかよっ!
「ふん。高級な呪術道具をガラクタ呼ばわりだなんて……いい度胸ですね」
「だからあたしじゃなくって……」
「この真珠を持って、教室の後ろに立ちなさい」
氷上は、手に持っていた黒い真珠を絵里咲に渡した。
〈連理の真珠貝〉は、空の貝殻を開くと、離れたところにある真珠が途端に叫びだすという呪われた呪術道具だ。氷上は絵里咲を後ろに立たせて貝殻を開くことで、「貝殻と真珠を遠くに離しても真珠は同じように叫びだしますよ」ということのデモンストレーションを見せたいのだろう。
「ええっと……あたし、まだ防音の術を使えないんですけど……」
「真珠を落とさないように気をつけるのですよ。この真珠は一粒で貴女のご実家の俸禄より高価なんですからね。――先ほどはガラクタ呼ばわりしましたけど」
――めっちゃ怒ってる……
「……気をつけます」
絵里咲が同室人を睨みつけると、彼女はリスみたいに頬を膨らませて笑いをこらえていた。あとで倍返しすることを誓いながら、教室の後ろの壁まで歩いた。
「よく見ていてくださいね。私が貝殻を開くと、えりずさんが持っている真珠が叫び出します」
「「は~~~い」」
「ひとつ注意事項ですが、えりずさんの近くにいる方は特に強力な〈防音の術〉を掛けてください。至近距離から叫び声を聞くと、鼓膜が破けるだけでは済みませんので」
「ま、待ってください!」絵里咲は叫んだ。「あたし、まだ防音の術は使えなくて……」
「防音の術は教えましたよね?」
「はい……。ですが才能が無さすぎて使えなかったんです……」
「なら、今は使ってください。でないと鼓膜が破れますよ」
「――だから使えないんですっ‼」
学生たちは口々に「――かまびすき音よ鎮まれ!」と唱えていた。この呪言を唱えることで防音の術が発動するのである。絵里咲以外は。
「それではいきます。三……」
「待って待って‼」
「二……」
「かまびすき音よ鎮まれ! かまびすき音よ鎮ま……」
絵里咲は何度も防音の呪言を唱えたが、まったく効果はなかった。
「一……」
「――先生おねがい! 貝を開かないで!!!」
絵里咲は必死に訴えかけたが、その声は届かなかった。先生も防音の術を掛けていたのだ。
氷上は、貝殻に手をかけ……
――ギィィィィィィアァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
――アァァァァァギィアァァァァァァァァァァァァァァァァァ
――ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ
耳をつんざくような大響音が教室を揺らした。
激しい音波は絵里咲の三半規管を掴んで揺らしたせいで、絵里咲の頭部に激痛が走った。世界がぐらんぐらんと揺れ始めると、立っていられなくなり、目の前がひっくり返った。それからすぐに、目の前が暗くなった。絵里咲は失神した。




