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第二二話 椿と流々子

 授業が終わると、光の速さで荷物をまとめた。帰り支度を終えた絵里咲は、まず女子(トイレ)に駆け込んだ。鏡で自分の顔を見ながら髪型を整えて、授業中に崩れた化粧を整え直す。


 うっすらと浮かんでいた隈にはコンシーラーの要領で濃い目の白粉(おしろい)を塗って、覆い隠した。


――よし。ギリ合格点!


 顔面の調子を整えると、ニコッと笑顔を作ってみた。その様子を見ていた知らない女学生が怪訝な顔をした。

 絵里咲は(トイレ)を飛び出すと、学校の大広間へ向かった。

 今日はずっと楽しみにしていた予定がある。絵里咲の胸は高鳴っていた。


――いた!


 長椅子にちょこんと腰掛けているのは、薔薇のように上品な朱色の着物を纏った女性。彦根守流々子だ。くしゃっと遊びのある長髪には艶があり、頭頂部には天上の灯りを受けて天使の輪が掛かっていた。


「流々子さま! お待たせしました!」

「あら。今日はやけに華やかじゃない。(かんざし)が似合ってるわ」


 好きな人に気合を入れたお洒落を褒めてもらえたことが嬉しくて、絵里咲は思わずはにかんだ。


 本日は流々子と町へ遊びに行くとあって、いつもの実用(というか生存)重視のファッションとは趣向を変えている。流々子が武人だとバレてはまずいので、普通の町娘と同じような恰好をすることにしたのだ。

 朝顔が刺繍された紅色の着物の鳩尾から下に、お目出度(めでた)い山吹色の袴を合わせるという、絵里咲史上いちばん派手な色合わせだった。お雛に試着させてみると可愛かったのに、自分で着て鏡で確認したときには色合いが目立ちすぎて思わず恥ずかしくなった(でも、やめようとは思わなかった)。

 髪型も変えた。いつもであれば肩まで伸びた茶髪を後ろに流すかポニーテールにするのだが、今日は丁寧に後頭部で結い上げて(かんざし)で留めていた。いわゆる町人風である。京の娘のあいだでは、派手な簪で髪の毛を複雑に編み上げることが流行っているのだ。


「もちろんです。せっかくのデー……逢引(あいびき)なんですから!」


 絵里咲は「デート」という言葉が口から漏れそうになって、咄嗟に言い換えた。攘夷(じょうい)が活発に議論されている今、不用意に外来語を口にするのは控えたほうが安全だからである。

 まるで外来語禁止ゲームみたいだと思った。罰ゲームが死亡(ゲームオーバー)でさえなければ楽しいのだが。


「河原町で店を回るだけなのに、逢引だなんて大袈裟ねぇ」

「気分は逢引ですから! 徒歩で行くんですか?」

「ええ。町歩きはお忍びだから、駕籠は使えないの」

「ああそっか。駕籠から下りたら貴人だって即バレますもんね」

「そうね。鯉のいる池に投げ込まれた煎餅の気分を味わえるわ」

「あはは。大人気ですね」


 治安の悪い京で、貴人が護衛も付けずに歩いていたら盗人が群がってくるだろう。貴人は一生分の小判を持っている(と百姓は信じている)のだから。


「友人と町歩きするのなんて三年ぶりだわ」

「そっか……。流々子さまくらいの身分になると、自由に出歩くこともできないんですね……」


――身分が高すぎるのも考えものだなぁ


 と同情したが、


「いえ。友だちが少ないのよ」

「あはは……」


 もっと寂しい理由だった。苦笑いしかできなかった。


「じゃあ今日のあたしは流々子さまを精一杯お導きします!」

「頼もしいわね。団子をおごってほしいわ」

「え? あたしがおごるんですか⁉」


 財政が潤っている藩主の娘が百姓に「おごれ」だなんて横暴だと思ったが、


「おねがい。絵里咲」

「……もちろんです!」


 猫なで声に負けた。


 二人がまさに学校を出ようとしたとき、正面に人影が現れた。

 逆光のせいでその人相は見えなかったが、胸を張って顎を上げる堂々とした姿勢のせいで誰だかすぐに分かった。


「あら、流々子と百姓。奇遇ですわね」


 弓好きの悪役令嬢。デートに行く前に、いちばん会いたくなかった人である。


「百姓じゃなくて流々子よ」

「いやそれ、あたしのセリフです」

「お二人で外出ですの?」

「えりずと逢引するだけよ。椿には関係ないわ」


 流々子の言葉に、椿は眉をしかめた。

 絵里咲のことも流々子のことも大好きな椿としては、自分を放っておいて二人が逢引に行くと聞けば面白くないのである。

 椿を避ける流々子は、椿の気持ちを知った上で素っ気なく突き放したのだ。先ほどは「逢引」を大袈裟だと言っていたくせに、椿の前では逢引と言い換えるのだからたちが悪い。


 誰にでも優しい流々子が椿だけに冷たいのは、ゲーム中でも同じだ。


 本編では脇役である二人の関係が深く掘り下げられることはなく、疎遠になった理由は語られない。

 「世界一の流々子さまファン」を自称する絵里咲は、流々子のセリフをすべて読むために数百通りのストーリーを完走したが、やはり椿について語ることは少なかった。流々子に直接訊ねても適当なことを言ってはぐらかされるだけだから、事情を知りたいなら椿に訊くしかない。


「なら、わたくしも混ぜなさいな」


 絵里咲は正直、せっかく好きな人と二人きりでデートする予定だったのに、苦手な悪役令嬢が参加するのは嫌だなぁと思った。

 もし、椿を連れていけば面倒なことになる。たとえば、絵里咲と流々子が仲睦まじくすれば、ひっきりなしに邪魔しようとしてくるだろう。……それに最悪の場合、町人を殺しかねない。死体なぞ見た日には、デートなんて全く楽しめない。


 だが、椿の参加の可否権を持つのは絵里咲ではなく、身分の高い流々子である。

 分をわきまえている絵里咲は、流々子が口を開くのを待った。


「せっかくのお誘いだけれど、また次の機会にするわ」

「なぜですの? 昔はよく一緒に町へ遊びに出かけた仲じゃありませんの」

「ご存知かしら。逢引は二人でするものよ? 特殊な趣味でもないかぎり」


 そう言うと、椿へ向けて意味深な視線を投げかけた。


「――失礼な! ありませんわ‼」


 大声で反論する椿。

 完全に遊ばれていた。将軍すら気にかけない節がある椿にとって、流々子は唯一敵わない相手なんじゃないだろうか。


「なら、逢引には二人で行くべきよねぇ。どうしよう、えりず?」

「えっ。あたしに振るんですか?」

「私は二人だけで行きたいわ。でも、私たちはえりずを取り合っているんだから、えりずに決めさせるのが筋でしょう?」

「……えりずじゃなくて絵里咲ですよ」


 流々子は椿に諦めさせるため、絵里咲にも「二人で行きたい」と言わせたいのだろう。争いごとを避けたい絵里咲にとっては最悪だった。


「望むところですわ。わたくしに夢中な絵里咲はわたくしを選ぶはずですのよ」

「夢中じゃないですけど……」

「ねええりず。私と椿、どっちと逢引したい?」


 最悪の展開になってしまった。

 どっちを選んでも絵里咲は得をしない。

 もちろん、絵里咲は流々子と二人で出掛けたい。

 だが、椿は般若のような眼で絵里咲を睨んでいた。正直、彼女を怒らせると後が怖い。


――眼力がお強いわね……


 悪役令嬢の迫力に気圧されてはっきりイヤと言うこともできず、しどろもどろになりながら


「こ……今回は流々子さまと先に約束していたので~……」


 と言った。


「――では失礼するわ」


 流々子は流れるような動作で絵里咲の手を引いて、外へ向かって歩き出した。まるで、乙女ゲームの攻略キャラのように見事なエスコートだった。

 普段ならこんなこと絶対にしないのに。まるで、椿に見せつけているかのようだ。


「……恩知らずですわ、流々子。幼い頃からわたくしが護ってきましたのに」


 歩き出した二人を見つめる椿は、まるで仕事に向かう母親を見送る子どもみたいだった。その寂しそうな顔を見ると、ちょっとだけかわいそうだと思ってしまった。ちょっとだけ。

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