第二一話 レイピア
「ねぇ師匠~。お風呂入ってきたよ。稽古つけてよ~~!」
「午前だけで29回も戦ったじゃないか」
「まだ半分!」
「あと29回か⁉」
茶々乃には、絵里咲以上に剣術の才能があった。入門して二ヶ月も経っていないというのに、その勝率は五割近い。無心館が京で屈指の道場だと考えると、とんでもない好成績である。
彼女の舞を舞うような剣技には、絵里咲も見惚れることがあった。
「私が勝つまでやろうよ~」
「やれやれ。それじゃあ十年は休めんな」
「バカにしないで!」
甘え上手な茶々乃は春風から特にかわいがられており、道場の春風ファンたちから羨まれていた。かくいう絵里咲も春風は嫌いじゃないので、イケメンの春風が茶々乃の頭をクシャクシャに撫でる様子を、遠くからぼんやりと眺めていた。
――いちおう、あたしが主人公なんだけどなぁ~
とはいえ、春風にかまってもらうために主人公チャームを使うのはマズい。春風ルートは100パーセントの確率でバッドエンドの〈開国戦争〉に突き進むという退廃主義的なストーリーなのだ。
春風ルートのあらすじはこうだ。――和国が東西に二分する〈開国戦争〉が始まると、春風や主人公は軍を引き連れて各地を転戦し、北国に追い詰められる。北の最果てで、行き場がなくなったところに敵の大群が襲来。春風は死の運命を分かっていたが、武人の魂を守るために抗い続ける。獅子奮迅の活躍を見せるも、仲間たちは次々と死んでいき、最後には春風自身も雪が舞う戦場で潔く討ち死にする。――という涙なしには見れないエンディングが待っている。
――画面越しなら感動の最後も一興なんだけどねぇ。生身でそんな悲劇を味わうのはまっぴら御免だわ
ちなみに、開国戦争では主人公と悪役令嬢が共闘するという熱い展開もある(もちろん討ち死にする)。椿のファンが意外に多いのは、きっと春風ルートで共闘したせいで、彼女が善人だと勘違いしてしまったプレイヤーが多いからだろう。いつも意地悪なジャイアンが映画版でのび太を助けると惚れるのだから、チョロい人たちだと思った。
絵里咲は彼ら(彼女ら)と違って、チョロくなんかない。たまに優しい人よりも、いつも優しい人がいいのだ。――だから、悪役令嬢に求婚なんかするわけない。
●○● ○●○ ●○●
そんなある日。
絵里咲が竹刀で素振りしていると、東行春風に声を掛けられた。
「絵里咲よ、話がある。道場裏に来い」
「――いま行きます!」
――ついに来たわね!
と、心の中で快哉を叫んだ。絵里咲は〈とあるイベント〉を待ちに待っていた。その時がついに来たらしい。
最初の専攻武器として〈刀〉を選ぶと、二ヶ月くらいで確定イベントが発生する。それは、刀のプレゼントだ。東行春風は主人公の能力パラメータの育ち具合を見て、主人公に合った刀を渡してくれるのである。
〈肇国桜吹雪〉を幾度となくプレイした絵里咲としては、ついに来たかという感想だった。
プレゼントされる刀は、以下の三種類だ。
●○〈火雷〉○●
筋トレを繰り返して筋力パラメータを上げると渡される、大振りの新刀だ。新刀というのは百年以上前に流行った種類で、やや大きく古刀の特徴が残っている。
●○〈驟雨〉○●
走り込みや試合形式で敏捷性を上げると渡される居合刀だ。幕末には鞘から抜いて一撃で仕留める居合斬りという技術が流行っており、居合斬りに特化した刀は鞘から抜きやすいように短くて軽く作られている。だが、平和な時代に育った技術だということもあって、実践における実用性もやや疑わしい。
●○〈京護〉●
型の練習や試合形式で技術パラメータを上げると渡される、バランスの取れた新々刀だ。新々刀というのは、刀鍛冶の最新技術で作られたもので、幕末の志士はほとんどこれを使っていた。
ちなみに、京護という名は春風の愛刀である〈神護〉をもじったものである。こちらは、神州である和国を護る、という願いを込めて名付けられたそうだ。愛国心が強い春風らしい銘である。
以上の三つの中では〈京護〉がもっとも扱いやすく、戦闘イベントにおける生存率が安定して高いことが知られている。ゲームクリアを目指すプレイヤーは京護を手に入れるために、春風さまから刀をプレゼントされるまでは技術パラメータばかりを上げるのがセオリーだ。
絵里咲は、間違っても他の二つを渡されないように、技術パラメータが上がるような稽古――とくに型稽古と試合形式をしつこく繰り返していた。すべては京護が手に入れるためだ。命が懸かっているから、毎朝早起きして必死に稽古した。
だから、〈京護〉以外が来たらどうしようと内心ビクビクしていた。
「よく稽古しているではないか、絵里咲。お前の上達には目を瞠るものがあるぞ」
「ありがとうございます」
茶々乃や流々子と違って、毎回「えりず」と呼ばれないのはテンポが良くていい。春風はくだらないことを言って人をからかったりしないから好きだった。
「そんなお前に渡したいものがある」
「渡したいもの……ですか?」
絵里咲は刀を渡されると知っていたが、不審がられないようにしらばっくれた。
「大事に使うといい」
春風から手渡された布包みのシルエットは、ゲームでも見たことがない形だった。
その剣身は明らかに京護より細い。まるで大きな針のようだ。
――うそ。京護入手に失敗した?
胸に一抹の不安がよぎった。
京護入手に失敗すれば、ゲームクリア失敗の確率が大幅に上がる。これから何度も発生する戦闘イベントで勝ちにくくなるのだ。
「あ……ありがとうございます」
お礼の声すら恐々と震えてしまった。
包みを解き、鞘に入った剣をまじまじと眺める。――布の中に包まれていたのは、想像もできないような剣だった。
「嘘でしょう……。信じられない……!」
「あっはっは。気に入ったか。お前のような剣筋にはふさわしいだろう?」
その剣はとても細かった。
鍔には十字の装飾が施され、剣身には日本刀のような反りがない。試しに鞘から抜いてみると、両刃だった。
それは和刀ですらない。――レイピアと呼ばれる、中世ヨーロッパで使われていた剣によく似ていた。
「ありがとうございます! ちょうど、こんな形の剣があったらいいなと思っていたんです……」
「ああ。刺突が上手いお前にピッタリだろう」
実は、レイピアは絵里咲と非常に馴染みのある武器である。
絵里咲はフェンシングの〈エペ〉という競技を子どもの頃から習っており、何度か全国大会にも出場するまで鍛えてきた。そのエペというのは、もともと中世のイタリアで行われていたレイピアによる決闘術が起源とされているのだ。
絵里咲が10年も習ってきたのは、もともとレイピアを扱うための技術だったのである。絵里咲が自ら使うにあたって、レイピア以上のものはないだろう。――おそらく、京護よりもずっと肌に合う。
「本当に……これ以上なく嬉しいです……。こんな剣をどこから輸入したのですか?」
「いや、輸入物ではない。鍔を見てみろ」
鍔には小さく「慶政元年」と記されていた。今年は、慶政元年である。
「――国産⁉」
「ああ。刀匠も分からん。由来も分からん。ただ確かなのは名剣ということだけだ」
「こんな剣、一体どこで見つけたのですか?」
「とある高貴な武人殿から頂いたのだ。其奴からは口止めされていてな。生憎教えることができんが」
高貴な武人殿?
誰だろう。
まさか、椿ではないはずだ。ゲーム中の春風は、椿のことをあまり良く思っておらず避けるような節があるから(至極まっとうな感覚だと思った)。
「貰いものだったのですね。でも、このような珍しい刀を本当にいただいてよろしいのですか?」
「譲るには惜しいが、俺には使えん。名剣を使わず飾りものにするのは刀匠に不敬だから、相応しい者に振らせたいと思っていたのだ。――お前なら使いこなせるだろう?」
「――精進いたします!」
武人の時代において、刀剣は最高の贈り物だった。
たとえば江戸幕府は禁門の変で活躍した武士たちに対し、現代の価値で数億円もする宝刀を褒美として下賜している。春風が絵里咲の剣技を見てレイピアを渡したということは、好感度パラメータがかなり上がっている証拠だろう。
春風を攻略すると百パーセントの確率でバッドエンドとなる〈開国戦争〉が始まるので、攻略は躊躇われる。だが、見目麗しく人間的にも尊敬できる春風のような人から気に入られるというのは、たとえそこに恋愛的な意味がなくても光栄に思えた。
「頼もしいな。――これで安心して旅に出れる」
「旅かー。いいですね! どこの藩へ行くんですか?」
「どこの藩でもない。もっと大きな旅をする。海を超えて、清国を見物するのだ」
「清国っ⁉」
清国というのは、和国から海を隔てたところにある大国だ。強大な力を持ち、世界中の誰もが恐れる存在だった。二十年前までは。
二十年前まで、清国はほとんど鎖国に近い状態だった。茶や陶磁器が大好きな英国は清国と貿易をするために何度も使節を送ったが、その強大な軍事力を振りかざされ、為す術もなく追い払われた。
だが、英国で起こった魔術革命によって情勢は一気に変わった。蒸気船や魔術兵器によって国力を上げた英国は、軍を使って無理やり貿易の扉をこじ開けたのだ。
現在、英国人は清国に依存性が高い薬物であるアヘンを無理やり売りつけ、茶を持って帰るという理不尽きわまりない貿易をしている。英国のせいで市場には山のようなアヘンが流通し、清国民の半数がアヘン依存に苦しんでいる。煙臭い路地にはアヘン依存で働けなくなった男女があふれ、痩せこけた頬で物乞いをしているという話だ。
「どうしていきなり清国なんかに行くんですか!」
「知っているか? 丸い形をしている世界で、俺たちが知る和国は、そのほんの片隅に付いた埃のように小さいらしい」
「……どうやらそうらしいですね」
「お上が鎖国を解いた今、氾濫を堰き止めていた堤防が決壊するように夷国の濁流が流れ込むはずだ。清国を呑み込んだのと同じ濁流がな。――俺は、夷国を受け入れた和国がこれからどうなるのか、清国を見て学んでくるつもりだ!」
「志には感服いたします。ただ……」
「ただ?」
「清国は治安が悪化していると聞きます。春風さまに何かあったらと思うと心配でなりません」
春風は、絵里咲が転生してからいちばん頼りにしていた男だ。
茶々乃や道場の者たちからも尊敬されており、人間的な器量も大きい。剣豪だから滅多なことでやられはしないだろうが、もし万が一の事態が起こればと想像するだけで心臓がすくむような思いだった。
「治安が悪いのは京も変わらんだろう? いや、武人に限ったら京のほうが危ないかもしれんな」
「それはそうかも。――でも、やっぱり心配です」
「心配するな。剣術は俺の代わりに桑部が教えるさ。あいつは俺より教えるのが上手いからな」
桑部というのは、道場で二番目に強い人だ。なんと、女性である。
「心配なのはそこじゃないです!」
「ともかく、俺は明日にも清国へ発つ。俺がいなくなっても修行は怠るなよ」
「わかりました……。くれぐれも気をつけてくださいね!」
「お前こそ、京は危険だから気をつけるんだぞ」
「あはは、ご冗談を」
「では、道場の皆にも別れを告げねばな」
「猛反対に遭うと思いますよ?」
「だろうな。だから今日まで言わなかったんだ」
「……賢明だと思います」
春風は、別れを告げるために道場へ戻った。
突然、留学の話を告げられた門人たちは泣いたり叫んだりしていたが、茶々乃は「去る前に一本だけ!」と試合を申し込んで、ボコボコに打ち負かされていた。




