第二〇話 神宮寺と石上
(※前回の続き)
「次、本気を出さなければ死罪にするぞ」
「ヒィィィ――」
月成の声は本気だった。
「始めっっ‼」
という審判の合図とともに、月成との二回戦目が始まった。
次期将軍に勝つことは許されない。だが、本気を出していないように見られると、死罪にされてしまう。
絵里咲はわざと負ける練習をしたことがないから、上手く負けることに自信がない。命懸けで戦うために準備してきたけど、命懸けで負ける演技をする機会があるとは予想できなかったのだ。
勝負は三回ある。一本目は月成が取った。
そのまま二本目も月成に取らせれば、逆に本気を出していないと怪しまれるのではないだろうか。であれば、二本目は絵里咲が取って、三本目で月成に花を持たせれば万事解決なのではないかと思った。
「では――いきますよ!」
「よし来い。その意気だっ!」
絵里咲は竹刀を胸の高さに構えた。対して、月成は剣を頭上に掲げるように構えている。
――上手く避けてね!
絵里咲は竹刀を右手一本に持ち替えると、右足を大きく踏み込み、月成の首めがけて突き出した。フェンシングの突進突きだ。
かなりゆっくりと放ったつもりだったが、突きに対応するのは慣れた者でないと難しい。竹刀の先端はあっさりと月成の首を打った。
「突きあり‼ ――勝者、えりずっ」
決まりとともに拍手が鳴り響いた一回戦目とは打って変わって、試合を見ていた門人たちは沈黙した。賢明である。次代将軍が一本入れられたところに拍手すれば、実家が没落しかねない。
――月成さま……怒らないかしら……
勝ったのは絵里咲だというのに、ビクビクしながら月成の顔色を伺った。面を被っているせいで、表情はちっとも読み取れなかった。
ただ、沈黙している。
――……マズったかしら?
「……月成さま? どうかなさいました?」
「――もうくだらん勝負は終わりだ」
「へ?」
月成は面を脱ぐと、地面にかなぐり捨てた。
なにを考えているのかわからなかったが、次代将軍が「終わり」と言えば終わりである。いくら花園幕府が一時の権勢を失ったとはいえ、名目上は全国の武人を統べる天上人。誰も逆らうことはできない。
「二人きりで話がある。こっちへ来い。絵里咲」
「…………話……ですか?」
その声には、確かな怒りが篭もっていた。そして、そのまま道場から出ていってしまった。
月成は残酷な男だ。二人きりで話をするなんて怖すぎる。できれば、誰かと一緒に行きたかった。この道場で唯一の友人である茶々乃の方を見た。気持ちよさそうに居眠りしていた。
絵里咲は身の振り方に困って、春風に目配せした。春風は腕を組んだまま、顎をクイッと上げるジェスチャーをした。付いていけと言いたいのだろう。
――あたし……このまま殺されるのかしら?
転生してたったの一ヶ月だが、ゲームオーバーの危機を三回も体験している。エンディングまでの三十五ヶ月も生き残れる気がしなかった。
●○● ○●○ ●○●
「月成さま……。どうなさいましたか?」
月成は道場の裏にいた。
ちょうど、屋根の日陰になる場所でジメジメしている。湿って黒くなった土には青々とした苔が生していた。
絵里咲は月成の背中に近づき、恐る恐る話しかけた。彼はこの国の次期最高権力者だから、すこしでも無礼を働けば本当に首が落ちる。
だが、月成は黙ったままだった。
「つ……月成さま?」
その大きな背中にさらに近づき、声を掛けた。
すると突如、月成が絵里咲の首に右手を伸ばした。喉をガッシリと掴むと、絵里咲の頭を道場の壁に頭を打ちつけた。後頭部に電撃のような激痛が走った。指で気道を締められて、息が苦しかった。
「痛ぁ――」
「絵里咲よ、貴様が使っていたのは西洋の剣術だろう。なぜ火護で習ったと嘘をついた?」
「違います……。火護の……道場で習いました……」
どうやら先ほどの対戦で、月成は絵里咲がフェンシングを習っていたことに気付いてしまったらしい。迂闊に突き技を出すべきではなかったと、今更ながら後悔した。
「嘘をつくな! 俺は見たことがあるんだ。貴様のように構え、貴様のように突く仏国人を」
「…………」
「それに、その榛色の瞳……。貴様……夷国の間諜ではあるまいか?」
夷国というのは、外国のことを外国嫌いの和人が嘲って使う言葉である。月成は、絵里咲がフェンシングを使いこなす上に榛色の瞳を持つせいで、外国人だと思ったということらしい。
「とんでもございません!」
「であればなぜ火護で習った剣だと嘘をついた⁉」
「う……嘘ではございません……」
「ならば貴様が火護の者だと証明してみろ。鶴前城の門前には何がある?」
「どうしてそのようなことを……」
「答えろ‼」
――ヒィィィ
月成は鼻がぶつかりそうになるほど顔を近づけて怒鳴った。鼓膜が破れそうなほど大声で、思わず涙目になった。
鶴前城というのは、火護藩の藩主が住む城の名だ。もちろん、行ったことも見たこともないので答えようがない。必死に頭をフル回転させて上手い返しを考えたが、思いついたのはごまかすような言葉だけだった。
「……わたくしは火護藩の中でも田舎者なので城下のことには詳しくございません」
「うまい言い訳をしたなァ。であれば、火護藩の御一門四家を挙げてみろ」
御一門四家というのは、火護藩の藩政で重要な役割を担う4家のことである。ゲーム中でも一度くらいは言及されていた気がしたが、脇役の脇役である。一度登場した程度では名前まで覚えられない。
「……失念いたしました」
「それくらい、農民の娘でも答えられるぞ?」
「あたしの記憶力が貧弱なせいで公に対する本物の忠義が疑われぬか不安です」
「やはり貴様。火護藩のものではないな?」
「いいえ、火護育ちです。家はしがない農民で、立派な教育も受けておりませんが」
もちろん嘘だ。言い訳として苦しいか。
「しがない農民がこのような学校に来れるはずがない。貴様、どこから来た? ――やはり夷国なのだろう?」
「…………」
「――もし火護と答えれば、二度と下らん嘘を吐けないように舌を斬り落とすぞ」
――ここまで追い詰められたら、話すしかないわね……
「……遠くです」
「遠くとはどこだ? 俺の家来どもに確かめさせるぞ」
「それは無理だと思います。火護よりも遠い場所ですから……」
火護よりも遠いというのは真実だ。
だが、頑なに口を割らないせいで、月成を怒らせてしまったらしい。
次期将軍は左手を腰に提げた脇差の柄にかけた。カチャッという音とともに、銀色の刃が顕になった。
「ならば仕方ない」
「お待ち下さい……なにをなさるおつもりですか? ――うあっ……まってくださいっ!」
月成は片手で絵里咲の両頬を掴み、強引に口をこじ開けた。剣術は下手だったが、その筋力は絵里咲よりも強い。まったく抵抗できなかった。
「将軍に嘘をつくような舌は斬り落としてやろう」
「おやめふああい……‼ ふひありはま……‼(おやめください! 月成さま!)」
脇差の冷たい切っ先が絵里咲の舌に触れた。チクリと傷んだ。
「――何をしていますの⁉」
道場の裏庭に、聞き慣れた女性の声が響き渡った。
絵里咲はその凛とした顔立ちを見て、安堵の息をついたことを認めねばならなかった。
「椿さま……!」
「――いますぐ絵里咲から手を離しなさい。月成殿」
椿は、自慢の眼力で月成を睨みつけた。その視線に、将軍に対する敬意のようなものはちっとも篭もっていなかった。
「椿殿。久しいな。――そなたの態度はずいぶんと不敬に見えるが」
悪役令嬢と次代将軍は二人は睨み合った。
二人の実家――石上家と神宮寺家は16年前に戦争をした因縁の仲だ。
〈花園の乱〉は、先代将軍が死んだときに跡継ぎを巡って起こった内戦だ。先代の将軍は継嗣として女性である石上花虎しか残さずに死んだため、「男子に継がせるべきだ」と主張する派閥が傍流である石上虎金を擁立してクーデターを起こした。第六代将軍は女性が務めたにも関わらず、そのような暴挙が行われたのだ。
花虎を支持した派閥は〈旧花園派〉と呼ばれ、神宮寺家はその中心的役割を務めた。対して、虎金を支持した派閥は〈新花園派〉と呼ばれた。
激しい内戦は数カ月に渡って続き、石上花虎が暗殺されたことで終結した。
矛を交えた神宮寺家と石上家は表面上の和解をしたものの、両家のあいだにはいまだに深い溝が横たわっている。
「とんでもございませんわ。――ただ、わたくしの絵里咲に手を出すのは見過ごせないだけですのよ」
「嗚呼なるほど。お前たち、そういう関係だったか」
「違います!」
月成はあえて冗談めかすように言って、カラカラと笑った。ここで争いに発展すれば、国中が二分される大戦争に発展しかねない。月成としても、そんな結果は避けたいのだろう。
だが、冗談めかされた椿のほうはまったく笑っていなかった。
「――月成殿。絵里咲から手を離していただきたいですわ」
「ああ、これはほんの冗談さ。そう怒るな」
椿の目は明らかな瞋恚に燃えていた。今にも腰から刀を抜きそうだった。
月成は、絵里咲の首を掴んでいた右手を解いた。気道が急に開いて、激しく咽せた。
「冗談で首を絞めますの?」
「この女は瞳の色が夷国人のものに似ていてな。間諜ではないかと疑ったのだ」
「絵里咲はわたくしの婚約者。間諜ではございませんわ」
「ああ……勘違いだったようだ」
しどろもどろになって言い訳する月成。そのこめかみからは一筋の汗が垂れていた。
「絵里咲は優しい。貴方が頼めば瞳くらいゆっくり見せてもらえるはずですわ。首を掴むようなやり方は必要なくってよ」
「もう頼まんさ。椿殿の婚約者に手を出したと勘違いされるのは心外だからな」
「そうしてくださいな」
「ああ。――俺は稽古に戻ろう」
道場裏から月成が立ち去ると、椿が駆け寄ってきた。
「絵里咲! ――どこも傷付けられておりませんの?」
「はい……ありがとうございます」
剣先を突き立てられた舌からは血の味がしたが、ほんのかすり傷だったから処置の必要はないだろう。もし、そのことを椿に話せば、両家の溝がさらに深くなりそうだから黙っておくことにした。
「許せない……。陰でこそこそといじめるなんて、武人の風上にも置けませんわ……」
「あはは……」
先ほどの月成はまるでゲーム内の椿みたいだと思った――ということも黙っておくことにした。
「でも、どうして椿さまが無心館に?」
「貴女の稽古を見物しに来ましたのよ」
「ずいぶんお暇なんですね……」
「お暇ですわ。もしお暇じゃなかったら、貴女は今ごろどうなっていましたの?」
「……喋れなくなってました。助けていただいてありがとうございます」
「素直でよろしいですわ」
「……」
椿は、内緒話をするように絵里咲の耳もとで囁いた。
「わたくしがいる限り、あのニセ将軍に手出しはさせませんわ」
「(椿さま! 誰かに聞かれたらまずいですよ!)」
「ふふ」
いくらなんでも、「ニセ将軍」呼ばわりはまずい。特に、虎金はクーデターで将軍になった経緯があるから、その手の悪口には敏感なのである。
絵里咲は怒ったが、椿は嬉しそうに笑った。
「いま、わたくしを気遣いましたのね?」
「だって、約束は守っていただかないと」
「約束?」
「その……養子にして流々子さまと結婚させていただくという」
「ああ。わたくしと結婚するという約束ですのね」
「もしあたしが求婚したらですけどね!」
――ぜったいありえないけど
「……ともかく、月成さまは次代将軍さまなんですから敬意を払ってください! でないと椿さまの身が危ないんですから」
「平気ですわ。ニセ将軍ごときに獅子の尾は踏めませんのよ」
椿はそう言って、いたずらっぽく笑った。
ちなみに獅子というのは、神宮寺家の紋章である。椿に限らず、この時代の人は自分のことを紋章で喩えたがる。
「だからそういうこと言っちゃダメです!」
「うふふ」
絵里咲は真剣に怒って椿の二の腕をポカポカ叩いたが、暖簾に腕押し。椿は気遣われたことがよっぽど嬉しいようで、微笑みながら絵里咲の髪を愛しそうに撫でた。絵里咲は口を尖らせることしかできなかった。
この悪役令嬢には、三年以内に死ぬという危機感がない。




