第二話 えりずちゃん
「こんにちは。朱雀門呪術学校へようこそ。学校の雰囲気は気に入ってくれたかしら?」
医務室を出ると、お団子頭の若い女性が声を掛けてきた。絵里咲より10歳くらい上で、落ち着いた濃緑の着物がよく似合っている。
彼女には見覚えがあった。
――あっ! NPCの海堂さんだ。
「こんにちは! 校舎が綺麗で感動してました!」
海堂は朱雀門呪術学校で事務や経理をこなす有能な女性だ。ゲーム本編ではチュートリアルを担当する。
チュートリアルにおいて、主人公はまずこの世界における名前――プレイヤーネームを決める。そのプレイヤーネームを決めるとき、上手に聞いてくれるのが海堂さんである。
「ところで、古読さん。ええっと……古読……何さんだったかしら?」
わかりやすい誘導である。
ゲーム本編で必ず聞かれるこの質問に答えた名前が、そのままプレイヤーネームとなる。ゲーム画面だったら、ちょうど今ごろ画面上に名前を入力するためのキーボードが表示されているはずだ。
なにかしら名前を入力すると、確定で「○○ちゃん……か。かわいい名前だね!」と褒めてくれる。たとえば「ヒョウモンダコ」とか「チャイコフスキー」みたいに適当な名前を名乗っても褒めてくれるから、海堂は懐が深い女性である。もちろん、「ヒョウモンダコ」に愛をささやくイケメンたちを見たところで、ちっともときめかないだろうが。
ちなみに、ここで海堂さんに向けて名乗った名前は、この世界における本名になる。「チャイコフスキー」と名乗れば、戸籍台帳には「古読ちゃいこふすきい」で登録される。
その名前でゲームクリアまでの三年間を生活していくことになるわけで、今後を決定するとても大切なシーンだ。だから、絶対にふざけてはいけない。
エリサは大きく深呼吸し、はっきりとした大きな声で名乗った。
「私の名前はえりzっ……」
――あっ…………ああ~~~~‼ 噛んだぁっ~~~‼ 最悪のタイミングで噛んだっっ‼
「えりずちゃん……か。かわいい名前だね♪」
「待ってください! 噛みましたっ‼ 絵里咲です‼ 今から変更できますか⁉」
「私は海堂美沙。学生のみなさんの暮らしを支える学校職員です」
「あの! 海堂さん! 名前の訂正をしたいのですが!」
絵里咲は必死の説得を試みるも、チュートリアルモードに入った海堂はまったく聞いていない。
絵里咲の反論には耳も貸さず、朱雀門呪術についての説明や、京の町についての情報を懇切丁寧に教えてくれた。すでにゲームをプレイして知っている絵里咲にとってはどうでもいい話ばかりだった。
「ここは和国。京に天守を置く花園幕府が治める国よ。――200年間、和国は鎖国を続け、花園幕府の将軍のもとで平和に暮らしていたわ。そんな日常を揺るがす事件は3年前に起きた。兵庫津にやってきた黒船が平和な時代を揺るがしたの」
「あの……それは知ってます。まずはあたしの名前を……‼」
「朱雀門呪術学校は急速に変わる世相に対応できる人材を育てるため、一昨年に建てられた学校よ。あなたたち学生にはここで武芸や呪術、詩歌管弦、そして洋学を学んでいただくわ。外国との競争に負けない、強い人材に育ってもらうためにね」
「う~。チュートリアルって途中で止まらないんですかね……」
「あなたは平凡な百姓の血筋でありながら、高い呪力を見込まれて特待生として入学を許可されたんだったわね。だから、一つ注意しておかないと。――この学校には将軍や各藩主の継嗣といった貴人たちも一緒に学んでいらっしゃるわ。お会いしたときには……くれぐれもご無礼のないようにね」
「もしもし~? 聞こえてますか~?」
絵里咲の必死の訴えも柳に風。海堂はNPCとしてのチュートリアルを粛々とこなした。
海堂のくどい説明は、たっぷりと十分ほどに及んだ。チュートリアルが終わった頃には、抗議に疲れた絵里咲の喉はすでに枯れていた。
「――朱雀門学校へようこそ! これからよろしくね、えりずちゃん!」
「だからえりずじゃありません‼」
ゼェハァと肩で息をしながらツッコんだ。聞いちゃいないが。
「学生には三年間、寮で寝泊まりしていただくわ。でも、実はまだ学生を収容する準備が整っていないの。夕方ごろには用意できると思うんだけど……。――せっかくだから、寮の準備が整うまで街を散策して時間を潰していらっしゃいな。京は和国の臍。面白いものがたくさん見られるわよ」
文字通り機械的にチュートリアルをこなした海堂は、小唄を口ずさみながら帰ってしまった。
「はぁ……。なんつぅミスをしちゃったのかしら……」
ゲームをプレイする時はいつも『絵里咲』という名前を使っていた。
それなのに、よりにもよってやり直しできない本番に噛んでしまうとは不覚である。自分の滑舌を呪いたくなった。
ちなみに、『肇国桜吹雪』に登場するNPCは海堂だけである。海堂もチュートリアル以降はごく普通の人間らしい人間に戻るので、実質0人と考えていい(チュートリアル直前の彼女になにがあったのか深く考えてはいけない)。
「うっそあたし……これから「えりず」として生きていくの……?」
全国津々浦々のえりずさんには申し訳ないことだが、朝のホームルームや病院の待合室とかで「えりずさ~ん」とは呼ばれたくない(この世界の病院に待合室があるのかもわからないが)。
後日。戸籍台帳を確認したところ、綺麗な字で『古読えりず』と記されていた。
●○● ○●○ ●○●
「さっすが和国の臍。おいしそうな店がたくさんあるわねぇ~」
チュートリアルを終えた絵里咲は、さっそく京の街へ遊びに出かけた。
石畳の道を、華やかな色の着物をまとう人々が行き来している。京に住む若者は、現代の若者に負けずおとらずのお洒落さんたちばかりのようだ。
柳が揺れる道の両脇には、純和風な町家建築が立ち並んでいる。
町家の一階はそれぞれ個性的な商店になっている。その一つであるお香屋さんからは白檀の香木を焚いた甘い香りが漂ってきた。小物屋に並ぶ櫛や簪はまるで飴のように透き通っていて、おもわず食欲がそそられた。その隣の、井守の尾や鳥兜の根といった禍々しい物品が並んでいるのは、呪術道具店だろうか。
絵里咲は〈振り分けもの(かばんの一種)〉に入っていたなけなしの銀5匁を持って、この世界の生活というものを体験してみることにした。銀5匁は現代の価値で6000円くらいである。ちょっとくらい散財しても問題あるまい。
「あっ! 団子屋がある‼ 餅は餅屋。団子は団子屋よねぇ~」
おいしいものに目がない絵里咲の心は花開いた。
現世で乙女ゲーム『肇国桜吹雪』をプレイしていたとき、雅な町で団子をおいしそうに食べている主人公を見て嫉妬したものだ。
いつか京の団子を食べてみるのが夢だった。自分がその主人公となった今、その夢はいくらでも叶う。お金さえあれば。
京の美食を味わえば、本名がえりずになってしまったショックも一時的に忘れることができそうだ。
団子屋で売り子をしている女の子は、頭の上に黒髪でお団子ヘアーを作っていた。団子屋の娘が団子ヘアーなのはそういう宣伝なのだろうかと勘ぐった。たぶん違う。
「こんにちは~~! お団子1本っておいくらですか?」
「5文(160円)になります。みたらしと、きな粉、あんこのどれになさいま――」
「――きな粉で‼」
絵里咲は前のめりになってお金を渡し、串を一本受け取った。お団子ヘアーの女の子は怯えていた。
串には小ぶりな団子が5粒刺さっており、白い湯気を上げていた。
「ひとつの串に5粒も付いているんですね。普通の団子って3粒だと思ってました」
「はい! 京の団子は特別なんです。5粒なのは呪術的な意味があって、上からそれぞれ頭、右手、左手、右足、左足を表すんですよ!」
「そうなんですか~~」
無宗教の絵里咲には難しいお話だった。
転生で大量のエネルギーを使ったせいか極度にお腹が空いていた絵里咲は、口をあんぐりと空けると、1口で団子を2粒も食べた。お淑やかとは言えない豪快な食いっぷりに、お団子ヘアーの女の子は引いていた。
「んん~~おいひぃ~~」
「よ、よかったです」
「あたし、きな粉が大好きなんです~~」
「す……好き?」
すると女の子は、ポッと頬を染めた。
「ん?」
「いきなり好きだなんて……そんなぁ……。二人きりのところで言ってくださいよぉ……」
様子がおかしい。
「あの~、きな粉がですよ?」
「あらやだっ。私ったら……。つい早合点しちゃって……。私に向けて言ってくれたものだと……」
きな粉が好きと言っただけで告白と勘違いするなんて、変わった子である。
「いえいえ。あたしこそ勘違いさせるようなこと言ってごめんなさいね」
――あたし、謝る必要あるのかな?
と思いつつも、ついつい謝ってしまった。謝罪はタダなのだからなるべくトラブルは回避したほうがいい、というのが絵里咲の哲学だ。
「あぁお恥ずかしい……あぁお恥ずかしい……」
「いえいえ、お気になさらず。お団子美味しかったです! どうもありがとうござました~」
「また……来てくださいね」
「来ます来ます~」
絵里咲は串に残った三粒の団子をパクパクと食べ切って、そそくさと団子屋を離れた。
モジモジする女の子を置いていくのはちょっと申し訳なかったが、これ以上事が深刻になる前に離れたのは賢明だったと思う。
まだお腹が空いていた絵里咲は次の店を探した。
●○● ○●○ ●○●
次に絵里咲の目に留まったのは味噌屋だった。
風化して文字が読みにくくなった店の看板が、長いあいだこの場で愛されてきたことを物語っていた。
売り子をやっているのは、鉢巻を巻いた若いお兄さん。その顔は、ちょっとねずみ小僧に似ているなと思った。
「へいいらっしゃい‼ 試食してくかい?」
「どうも~」
お兄さんが渡してきたのは、半分に割ったきゅうりの上に味噌を塗ったものだった。
きゅうりの断面は徳川家の家紋である葵紋に似ているため、現実の江戸時代ではきゅうりを切るのは不敬とされ禁止されていたのだが、こちらの世界の将軍は徳川家ではなく石上家。家紋は虎だから心配はいらない。
店内から漂ってくる味噌麹の香ばしい匂いが鼻をくすぐって、口の中がよだれで満ちた。きゅうりは世界一栄養の少ない野菜ではあるが、極度に腹をすかせていた絵里咲にはごちそうである。
「うちの味噌は天下一さ! 一口試すと故郷の母さんに買って行きたくなるぜ」
「さっそくいただきま~す! ――う~~んまっっ」
ちょうど塩味を欲していた身体が喜んだ。しょっぱい味が血液に沁みわたり、脳下垂体から快感物質が分泌される。身体が塩分を欲していたのだろう。
もしかすると、医学的にも転生には塩分をたくさん使うのかもしれない。専門家の見解が待たれる。
「あっはっは。いい反応だな、嬢ちゃん。う~~んまいだろう?」
「はい! あたし、きゅうりが大好きなんです~~」
絵里咲は満面の笑みで言った。
「へ?」
ねずみ小僧似のお兄さんは眉を顰めた。
もしかするとなにか失礼を働いてしまったのかと思い、背筋が凍った。
――ああそうか……。きゅうりが大好きすぎて、ついきゅうりを褒めてしまったわ……。お味噌屋さんなんだから、お味噌を褒めておくべきよね。あたしったらしっかりしないと!
絵里咲は慌てて笑顔を作った。
「いやぁ、このお味噌がきゅうりを最高にうまく引き立ててるんだなぁ! 故郷のお母さんに一つ買っていこっかなぁ~」
なんとか誤魔化しきれたかしら……、と思ってねずみ小僧似のお兄さんを見ると、不思議なことに頬を真っ赤に染め、伏し目がちに目を逸らしていた。
先ほどの女の子と似たような表情である。とても嫌な予感がした。
「なあ、お嬢ちゃん……」
声が、妙に色っぽかった。
「……どうしましたか?」
「そ……そんな目で俺を見るない」
お兄さんは照れくさそうに言った。
「だからきゅうりぃ~~~~~~~‼」
●○●○●○●○●
絵里咲はお礼を言うと、スタスタと逃げるようにきゅうり屋から立ち去った。
「はぁ……。」
初対面の相手から二度も告白だと勘違いされて疲れ切ってしまったえりず……いや、絵里咲は、深いため息を吐いた。
――乙女ゲーム主人公に転生した絵里咲には、「好き」と言っただけで相手に惚れられてしまう能力があるらしい。
団子屋の娘、きゅうり屋のお兄さん。絵里咲が「好き」と言ったあと、二人がみせた反応を見れば明らかである(そもそも、絵里咲が好きと言ったのは彼らではなく、きな粉ときゅうりなのだが)。
――乙女ゲームの主人公……恐るべし!