第十九話 絵里咲VS次代将軍
「この娘は、本日より入門することになった古読絵里咲だ。火護藩の小さな剣術道場で修行したらしい。斬りは甘いが、おもしろい刺突を持っている。みんな進んで面倒を見てやってくれ」
本日から、絵里咲は〈無心館〉という京でいちばん高名な道場で修行することとなった。
無心館の宗家である東行春風は、絵里咲のことを直々に紹介した。
火護藩というのは現在の九州一帯を支配する豊泉家の領地である。
絵里咲が習っていたのはフェンシングだが、火護藩の道場で習ったものだと嘘をついた。攘夷論が盛り上がっているこの時世、正直に西洋剣術を習ったと話せば背中から斬られかねない。
「よろしくおねがいします」
深々と頭を下げると、拍手が響いた。
続いて、春風は茶々乃の紹介をした。ちなみに、茶々乃も幼少から十年以上剣術を習っていたらしく、かなりの腕前を誇る。彼女は師範の熊沢に推薦されて、同じく無心館で修行することになった。「なんでやねん」と言いたいところだけれど、今回ばかりは心強い。
「そして、この女は天目茶々乃。宇治にある老舗茶問屋の娘だそうだ。京者の剣士らしい綺麗な型を持っている」
「正しくは茶々乃ですが、茶々って呼んでくださいませ! よろしくおねがいしまーす!」
元気よく挨拶した。だが、なぜか拍手はまばらだった。
「茶問屋のおじょーさまが剣術とはなぁ」
「刀で茶摘みでもすんのか?」
二人の男が冗談を飛ばすと、道場に嘲笑が広がった。
茶々乃は怒りで顔を赤くしていたが、珍しく何も言い返さなかった。修行を重ねてやっと入門することができた夢の道場。問題は起こせまいと考えたようだ。
「(茶々乃。笑ったやつを打っていいぞ)」
春風は茶々乃に耳打ちすると、手に持っていた木刀を渡した。
「はーい。師匠」茶々乃は春風に渡された木刀を握ると、茶摘みジョークを飛ばした男の頭めがけて木刀を振り下ろした。「セヤッ――!」
「うあぁァァァァ――――」
高速で振り下ろされた木刀は、男の頭の上で寸止めされた。
男は涙目になっていた。
男も剣術の達人だが、茶々乃の予備動作があまりに速かったため、一歩も動くことができなかった。
「あっぶねぇぇぇ、殺す気か! なにすんだよ!」
「茶摘みの練習ですわ」
どっと笑いが起こった。こんどは茶々乃の言葉に湧いた笑いだった。
――この様子なら、茶々乃はすぐに馴染めそうね。……問題はあたしだ
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「俺が教えるのは無心の剣だ。無我の境地に達して振るう剣は扶桑すら薙ぎ倒す」
扶桑というのは東方に生える中国の伝説の巨木で、頂上に太陽が住むという。その高さはおおよそ1億5000万キロメートルくらい。直径だけならベテルギウス並みだ。ちなみに、クワの木を指すという説もあるが、この場合は子供でもなぎ倒せる。
春風の道場で教える剣術は、禅の思想とよく似ている。心を無にして、何も考えずに剣を振るうという考え方は、まるで座禅のようだ。花園時代に仏教はあまり盛んではないのだが。
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稽古が始まると、絵里咲は何人もの門人から対戦を申し込まれた。皆、新入りの実力がいかほどのものか確かめたいと思っているのだ。
立ち合う相手はみな春風に選ばれただけあって、手強かった。
一人目には三本すべて取られ、二人目にも二度面を打たれた。
絵里咲は高度なフェンシングの技術を持ち、剣術もかじったから敵の出方はわかる。特に突進突きは強力で、初見殺しといえる威力を持っていた。だが、相手の間合い読みが上手くて仕留めきれないことが敗因だった。
二連敗を喫していた絵里咲だが、視界の端に流々子が立ち合いを見物しているのが映った。暇すぎて、血湧き肉躍る戦いを見に来たのだろう。彼女のおかげで、絵里咲の中に「好きな人にかっこいいところを見せなければ」という気持ちが燃え、そこから怒涛の三連勝を飾った。道場に拍手が響いた。
だが、新入りの絵里咲がそう勝ち続けられるはずがない。その次は無様に敗れた。
戦績は、六戦して三勝三敗だった。
三本勝負を六戦も通すと、竹刀を握る手が震えるくらいクタクタになった。控えめに言って限界だった。
絵里咲がなんとか勝てているのは、門人たちが突進突きに慣れていないからである。もし門人たちが絵里咲の突き技に慣れてきたら、戦績は下がるだろう。その前に、突きに頼るスタイルを改めなければ負け続けることになる。
七人目に立ち会った相手の首に突きを入れると、見ていた門人たちから拍手が上がった。学校の道場で突き技を使うと目の敵にされたが、無心館では突き技を使っても煙たがらない文化があるらしい。
ちょうどそのとき、道場の入口にいた門人たちがざわめき始めた。
そして、門人たちが地面に頭を付けた。――貴人が来たのだろう。
「おう春風。久しいな」
「これは月成殿……!」
入口から現れたのは、赤髪短髪の色男だった。平均よりも少し高い背、迫力のある切れ長の目、がっしりとしたアゴ。絵里咲はその美顔が浮かべる不遜な笑みを見て、懐かしさすら感じた。
彼は花園幕府の次代将軍であり、乙女ゲーム『肇国桜吹雪』のメイン攻略キャラクターでもある石上月成。
絵里咲と月成は何度も永遠の愛を囁かれたり、駆け落ちしたりした仲だ(※画面越しで)。その、典型的というべき俺様王子キャラはファンから絶大な人気を誇る。
「相変わらず汚い道場ではないか」
「ご容赦くだされ。事前に参られるとご通達いただければ、相応の準備もできようものだが……」
仲良さそうに喋る二人。東行春風の父は、月成が幼いころの剣術の師匠だったという。
春風と月成の二人は幼少時代から交流があったらしく、ゲーム中でも月成は時々この道場へ顔を出す。
「よいさ。俺も久しぶりに身体を動かしたくなってなぁ。学校では貞観政要やら三十六計やらを覚えさせられるばかりで退屈なのだ」
月成や椿、流々子といった藩主たちには『貞観政要』や『孫子三十六計』といった帝王学の授業がある。貞観政要というのは唐の名君が著した政治の心得をまとめた書物で、孫子三十六計というのは戦に勝つ心得をまとめた兵法書だ。抽象的な話ばかりだから、退屈な人には退屈だろう。
「それに、京は物騒です。出かける前に、御身のお立場を一考して頂きたい」
「よいのだ。道では誰も俺の顔など知るまい?」
「知らぬでしょう。だが、目利きが腰の宝刀を見れば分かります」
「はっはっは。そうだなぁ。失念していた」
月成の腰には、漆塗りの黒と、金の蒔絵が美しい鞘に収まった剣が提げられていた。
一振りで、ちょっとした城くらいの価値があるだろう。それほど高価な剣を持ち歩ける男は、天下に将軍だけである。
「――そこな娘。お前は新入りか? 豪快な刺突だったぞ。面を脱いで顔を見せてみろ」
月成が誰かに話しかけた。目は、絵里咲のほうを見ていた。
絵里咲は左右に首を振って周りを見た。先ほどの相手はすでに面を脱いでいる。ほかに面をかぶっている者もいなかった。
「………………え? あたしですか?」
「あたしだ。ほかに誰がいる?」
背中に汗が伝った。
――どうしよう。
激しく試合したせいで、髪の毛は汗でぐっしょり重くなっていた。額に髪の毛がへばりついて、みっともないことこの上ない。この格好で次代将軍さまの前に出るのはいかがなものだろうかと思ったが、次代将軍の命令を無視するのはもっと不敬だ。
たっぷり数秒悩んだ挙げ句、絵里咲は面を脱いだ。
俯いて前髪を整えてから、月成を見た。
「おい。そなたは学校に盗賊が入ったときの娘ではないか」
「その節は助けていただいてありがとうございました」
「よく見るとなかなか美しいな」
「ありがとうございます」
―ーよく見ると?
「そなたの腕前があれば盗賊程度退治できたのではないか?」
「滅相もないです‼ 実戦の経験が浅いもので」
「いい片手突きだったぞ。まるで天下三名剣の益次郎みたいだ」
「ありがとうございます」
「俺の練習相手にふさわしいかもしれんな。――竹刀を取れ」
「竹刀をですか……?」
「そうだ。お前の腕がいかほどのものか見せてみろ」
「え……? そんな、恐れ多いですよ!」
――え? 将軍さまに竹刀を打ち込めるわけなくない?
「よいのだ。立場など忘れ、お前の本気を見せてみろ‼」
絵里咲は困ってしまい、春風に目配せした。
春風は、何も言わず頷いた。「付き合ってあげなさい」ということだろう。
困ったことになった。
「おっ……お手柔らかに!」
月成は防具を着た。
絵里咲も面を被る。視界にブラインド状の横線が走り、左右の視野が塞がれた。
月成は生まれつき武芸に優れるという評判だ。だが、絵里咲は月成が剣を持って戦うところをついぞ見たことがない。ゲームを何周もしたのに、一度もないのだ。
だから、月成の実力がどれほどであるかは未知数である。
審判の「始め!」という合図とともに、月成は頭上に振りかぶった竹刀で力いっぱい斬りかかってきた。慌ててバックステップで避けようとするも、月成の踏み込みは深く、絵里咲の面めがけて竹刀が振り下ろされた。中段から上段に構え直すも、間に合わず、あえなく一本。
という風に見えるように、絵里咲は避けなかった。
――うまくできたかしら……
月成の攻撃は予備動作が大味で、肩と足が大きく動いたから簡単に予測できた。避けようと思えば、そうするのは簡単だった。
だが、絵里咲は次代将軍と本気で戦うほど愚かではない。さっさと三本取られておき、穏便に勝負を終わらせたいと思っていた。
「おい貴様。わざと避けなかっただろう?」
「とんでもございません! 目にも留まらぬ早業に身体が追いつきませんでした」
「わざと竹刀に当たりにきただろう?」
――まじで?
一瞬のことで自覚はない。だが、もしかすると自分から頭を下げて、竹刀に当たりにいったかもしれないと思った。そうでもしなければ、月成の竹刀は外れてしまいそうだったから。
「そうでしたかね……」
「遠慮しているな?」
「そ、そんなことありませんよ?」
「次、本気を出さなければ死罪にするぞ」
「ヒィィィ――」
月成は、弱かった。竹刀と割り箸でも勝てそうなくらい弱い。
だが、妙に自信満々だ。それはおそらく、月成と向き合った相手はわざと負けてきたせいだろう。周りがわざと負けるせいで、月成は自分が強いと思い込んで、間違えた自信を付けてしまったというわけだ。
弱いが、わざと負ける相手を見抜く目は肥えている。
それはわざと負ける家来たちを見つづけてきて、白々しい演技を見抜けるようになったからなのだろう。――厄介が過ぎる!
――みんなどうやって負けてんのよ!
「――始めっっ‼」
上手い負け方を考えているうちに、月成との三本勝負の二回戦が始まった。