第十八話 金剛石と流々子の母
(※前回の続き)
教室を見回すと、あちこちで光が上がっていた。ほとんどの学生が作る光は、絵里咲のそれよりもよっぽど立派な光だった。クラスメイトと比べてしまうと、絵里咲の呪力は平均よりかなり見劣りするのかもしれない。さすがにお雛のように、誰かを失明させかねないほどの大光球を作る者はいなかったが……。
――ゲーム通りなら主人公には高い呪力が備わっているはずなのに、平均以下だなんて……なにか間違ってるわ
転生直後のチュートリアルでも、海堂さんは「絵里咲には非常に高い呪力がある」と言っていた。だから、呪力を使えないのにはなにかしらの理由があるはずである(と信じなければ立ち直れないほど絵里咲はショックを受けていた)。
絵里咲は流々子のもとへ行って、呪術がうまく使えない理由について流々子に相談しようとした。
だが、流々子はお取りこみ中だった。
なぜか、先生である氷上に詰め寄られていたのだ。流々子は藩主の娘だというのに、氷上はまったく物怖じする様子はない。流々子がなにか悪いことをしたのだろうかと心配になった。
「ところで流々子さま」
「なんでしょう」
「先ほど、お父上である彦根守上弦殿からのお達しがありました。『流々子さまは呪術に優れる故、学校において初歩の授業を免除し、〈朱雀門学問所〉で研究に充てさせるように』と。これは流々子さま自身のご意見でもあると受け取ってよろしくて?」
「ええ。父上がそうおっしゃったのならば私はそう致します。悪く思わないでくださいね」
――あ。これ、ゲームでも見たことあるイベントだ
〈朱雀門学問所〉というのは和国で最高峰といわれる呪術の研究機関である。
流々子の父親が、彼女にそこで学ばせたいというのには理由がある。
流々子は並外れて高い呪力を持っている。その呪力は主人公をはるかに上回り、作中に登場する呪術師の中では屈指といえるほどのものだ。さらに、幼少期から呪術の研鑽を積んできたため、その扱いにも通暁している。
先進的な思想を持つ彦根守上玄が、学校で呪術を初歩から学び直すのは時間の無駄だと考えるのも無理はない。数学者が九九の授業を受けるようなものだから。
「私たち朱雀門学校の教師たちは将軍様から使命を賜った身――貴女たち有望な学生が和国を興起できるよう育て上げるという使命です。その使命は鳰海藩主が容喙しようと不変にございます」
だが、授業を受けなくていいと言われれば、教師としてはおもしろくない。研究所で上級レベルを学ばせたいという父親のお達しも、謙虚さに欠けて映っただろう。
古風な価値観を持つ先生には特に。
「おっしゃるとおりです」
「貴女はまだ若く、指導者のもとで志学向上すべきです。いくら優秀だからといって特別扱いをすることには賛同いたしかねます」
ゲームでは、先生の熱意に流々子が折れて、主人公と同じ教室で授業を受けることになる。
その結果、流々子は呪術の授業で学ぶことが無く退屈する。主人公は時間を持て余した流々子に呪術を教えてもらうことがきっかけで仲良くなり、流々子を通して攻略対象の貴人たちと繋がりを持っていくことができる。
だが、絵里咲はすでに流々子と友人になっている。
もし、放置しておけば流々子は退屈するだろう。
学校の授業についていけなくて辛い人もいれば、授業がすでに知っていることばかりで学校が辛くなる人もいる。絵里咲の姉はそういう類の人だった(絵里咲は真逆だった)。
絵里咲の姉は優しい人だったが、学校で辛いことが重なったせいで闇を抱えていた。このあたりは、絵里咲と姉が撃ち殺されてしまった理由にも関わってくる。
流々子だって、九九の授業を毎日受けるのは辛いはずだ。
だから、助け舟を出そうと思った。
「あの、氷上先生」
「なんですか? えりずさんは席について光を出す練習をしていなさいな」
「そ、そのお話は置いといて……」さっそく傷をえぐられて怯んだが、心の傷に絆創膏を貼って続けた「まずは流々子さまのお力を見てから指導するか決めてみたらいかがでしょうか。先生は流々子さまが呪術を使っているところを見たことありませんよね?」
「流々子さまの呪術は見ていませんが……私は多くの学生を指導してきました。学ぶ余地がない学生など一人もいません」
「それだったら、ぜひ一度見てからお決めになってください。――流々子さまには学問所で学ぶ余地のほうが大きいとお考えになるかもしれません」
「ふぅん……」氷上は腕を組んで、流々子に向き直った。「学問所はこの国でも比類なく難解な呪術理論を扱う場です。もし研究の場を借りたいと申し上げるならば、まず、それだけ高度な呪術の使用に堪えることを証明していただけたらと存じます」
「わかりました」
流々子さまは指先で机に触れると、机が宙に浮いた。
そのまま空中でホバリングすると、突如大きな炎が上がった。教室中がオレンジ色の光で照らされ、熱波が頬を撫でた。机は真っ黒く炭化し、その後ろの壁がもやもやと揺れていた――熱せられた空気が膨張したため、屈折率が変わって陽炎を見せるシュリーレン現象が起きていのだ。
突然の火災に、教室は大混乱に陥った。
「流々子さま! 流々子さま! なにをなさっているんですか!」
「流々子さま!」
学生たちは慌てて避難したが、炎はすぐに収まった。
炭になった机は不思議な力で折りたたまれ、まるで圧縮されたスポンジのように小さくなっていく。圧縮され続け、球に近づいていった。もはや机は見る影もない炭の玉になった。小さくなった球は、赤い光を発しはじめた。とんでもない温度で熱せられているに違いないが、先ほどのような熱を感じない。呪術で熱の伝わりを遮断しているからだろうか。
数分後。すっかり小さくなってしまった机は、ストンと床に落ちた。流々子はそれを拾い上げると、布で磨きはじめた。
呪術の実力を見せろといわれたのに、なにをしているのか分かった人は一人もいなかった。
「な、なんですか、それ?」
あたしが近寄ると、布の中にあるものを見せてくれた。
それは、ガラスのようだったが、光の加減で七色に光る石だった。
「金剛石よ」
「だいやもんど⁉」
あまりにもあっけらかんと言ったせいで、思わず外来語が出てしまうくらい驚いた。
氷上は口をポカンと開けていた。
流々子は綺麗になったダイヤモンドを布の中からつまみ上げると、仕上げとばかりにフーっと息を吹きかけ、氷上に差し出した。
「先生。机を壊してしまったお詫びに、これを差し上げます。価値を知る者に売れば、新しい机が好きなだけ買えるでしょう」
「流々子さま……恐れ入ります……」
氷上はダイヤモンドの輝きに目を奪われ、完全に恐れ入ってしまっていた。
「ところで、学問所の件なのですが」
「……学長殿に献言させていただきます」
「恐れ入ります」
宝石を手にした先生は、すっかり上気していた。
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流々子には並外れて高い呪力が備わっている。主人公や、作中に登場するほかの呪術師と比べても、特に強い。だが、彼女の呪力には謎が多いのだ。
呪力の強弱は血の影響が強く、基本的には両親の呪力が強いほど子どもは強い力を持つ。たとえば、神宮寺家の者は天下屈指の呪術師を輩出してきた家系だ。椿の母親である神宮寺巴も、非常に高名な呪術師だった(残念ながら去年亡くなってしまったそうだが)。
椿の呪力がそれほど強くないのは、神宮寺家に婿入りした父親の血を強く引き継いでしまったせいであろう。
だが、不思議なことに彦根守家には目立った呪術師がいない。彼女の父親である彦根守上玄やその先祖が呪術でなにかを成し遂げたという話はついぞ耳にしたことがないのだ。
強さの秘密があるとすれば、彼女の母親だと思われる。
以前、お花見へ行ったとき話を聞いたように、流々子は本当の母親を知らない。おそらく花街の遊女だろうとのことだが、もし花街に流々子のごとき美しさと類まれな呪力を兼ね備えたがいたとすれば相当目立っていたことだろう。強大な呪力は時に暴走して災害を引き起こすから、その力を隠すことはできない。もし呪力の扱いを学んでいない遊女であればなおさらだ。流々子の母親はその呪力のせいで、花街の噂になっていたはずである。人工ダイヤモンドを製造できる流々子と同等の呪力を持った母親であれば、何かしらの逸話を残しているはずだ。
流々子の母親について、ゲーム本編では触れられることが無かった。
それは、主人公の行動が選択肢によって制限されていたからだ。
だが、ゲーム世界に転生した絵里咲は自由に動き回ることができる。
花街へ行って、強大な呪力を持ったという遊女の逸話をたどれば、流々子の母親を見つけることができるかもしれない。
絵里咲は流々子の真の母親を探し出そうと思った。いつか、必ず。




