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第十六話 東行春風

(※前回の続き)

「――面白い技を持っているなァ。見覚えのない流派だ」


 味のある低い声だった。

 声がした方を見ると、背の高い男が両腕を組んで壁に寄りかかっていた。紺色の短髪がよく似合う色男である。


宗家(そうけ)さま! いらしていたんですか⁉」


 宗家というのは、武道や華道において流派を継いだ者。その流派でいちばん偉い人のことである。

 つまり、彼はこの剣術道場の流派――〈無心一刀流〉――の最高権力者である。


「俺はここでずっと見ていたぞ」

「そんな。居るなら居るとおっしゃってくださいよ! お迎えの準備もできず申しわけありません」

「黙っていたのだ。宗家の俺が見ていると学生たちは動きを変えるからな」

「春風さま……」


 泣く子も黙らせる鬼師範・熊沢をタジタジにしている。なにも知らない新入生たちは「熊沢さんを怖がらせるなんて」「何者?」「マタギじゃない?」「マタギには見えないけど」などと噂していた。


 でも、絵里咲は彼の名を知っている。

 東行春風(とうぎょうはるかぜ)。乙女ゲーム『肇国桜吹雪』第4番目の攻略キャラクターだ。

 この世界で最強と呼ばれる剣術の流派〈無心一刀流〉の頂点に立つ彼は、自身も天下三名剣に数えられる剣豪である。その戦闘力は、和人の中では椿と並んで最強の部類に入る。


 四つ割菱という華やかな文様に彩られた紺色の着物をまとう春風は、〈かぶき者〉という言葉がふさわしい男だ。その立場に似合わず自由人で、ふらっと学校の道場に顔を出しては門人たちに冷や汗をかかせている。

 最初はキザな口調が鼻につくが、見た目がいいので様になっている。


 彼は攻略キャラクターの中で二番目の人気を誇る。絵里咲がもっとも推しているキャラでもある(男性キャラの中では)。


「名前はなんというんだ?」

「この者は新入生の古読えりず――」

「絵里咲ですっ!」


 熊沢の言葉を遮って、なんとか訂正した。最推しの流々子にはすでに「えりず」呼びが定着してしまった。これで春風にまで定着したら笑えない。ゲームオーバーして最初からやり直すことを検討するくらいの惨事だ。死んでやり直せるのかはわからないが。


「絵里咲か。――俺と戦え」

「はい! …………ひゃぇ?」


 絵里咲と呼ばれた安堵から、二つ返事でオーケーしてしまったが、よく考えたらとんでもない。和国でも最強クラスの剣士と戦ったところで、大恥を晒すだけだ。


「あはは。そう怖がるな、絵里咲。竹刀で突いても死にはしないさ。()()()な」

()()()そうですね……」


 竹刀は木刀より安全な稽古を行うために発明された道具だが、それでもたまに痛ましい事故が起きる。

 いたずらに振り回してはいけない。


「有効となる部位はお前の流派に従おう。面と胴と小手と、他にあるか?」

「あたしの流派は()()()()です」

「そりゃぁ実践的だなァ。おもしろい。――おい、誰か審判をやってくれ。三本勝負だ」


 春風は悠々と道場の中心に歩いてくると、防具も付けないまま絵里咲に竹刀を向けた。


「待ってください。防具は付けないんですか?」

「町中で浪士と戦うとき、防具は付けておるまい?」

「もし万が一のことがあったら危ないですよ」

「それは俺に一太刀入れられると思っているということか?」

「とんでもないですけど、万が一お怪我をさせないか心配です」

「気にするな。俺に怪我をさせたらお前を宗家にしてやろう!」


 審判は「始めェェッ!」と叫んだ。


――もし一本を入れられるとするなら


 東行はゆったりと構え、攻撃してくる気配はない。絵里咲の技を引き出そうとしているのだろう。


――不意打ちしかないわね!


 絵里咲は竹刀を大きく振りかぶり、いきなり春風の脳天に打ちかかった。先ほど前田が見せたのと同じ唐竹割りである。しかし、春風は首をひねっただけで簡単にいなしてみせると、絵里咲の腰に軽く竹刀を当てた。


「――胴あり‼」


 力の差は歴然である。完全に遊ばれていた。


「どうした、そんなものか? この程度ではお前が打ち負かした前田殿に失礼だぞ。お前の全力を見せてみろ」

「とっくに全力です……!」


 春風が指摘したことは正しい。

 絵里咲は突きを使うまいと思っていた。宗家相手に卑怯とされる突き技を使えば、道場から追い出されるほどの総スカンをくらうと思ったからだ。

 とはいえ、春風が見たいのは本気で戦う絵里咲のようだ。春風に気に入られれば、道場での地位も向上するだろう。


「始めェェ‼」


 審判の掛け声がしても、両者は動き出さなかった。

 絵里咲は竹刀を鳩尾の高さに構え、春風の唐竹割りが届かないギリギリの範囲に位置取った。攻撃を仕掛けるように見せるフェイントをかけながら、春風が絵里咲の突きの攻撃範囲に入る瞬間をうかがう。


――剣術では小手に突きを当てても有効にならないはず。だから、対策されにくいはずだわ。小手に突きを当てれば……もしかすると!


 絵里咲はやや遠めの位置に立ちながら、春風が竹刀を握る指に突きを入れる機会をうかがった。


「中段なら間合いを詰めてこい。間合いを長めに取るのは、突きを出すと相手に教えているようなものだぞ」


――読まれてる!


 とはいえ、うかつに近寄れば斬りが襲ってくる。飛び道具である突きしか使えない絵里咲が優位性を保つには、離れておくしかない。


「そうか。斬りが心許ないのだな?」

「なんで分かるんですか!」

「剣の道は(いち)に目あり。剣で語り合うのが剣士だ」


――それならフェンシングだって!


 絵里咲は思い切り右足を踏み込むと、攻撃圏内に入り込んだ。

 いける! 春風さまの指に突きを当てられる! と確信して、竹刀を握った右手を伸ばした。だが、春風はヒョイッと手を引っ込めると、竹刀の先は空を切った。絵里咲の腕は伸びきってしまい、大きな隙を晒し……


 パシーンっと、軽い力で脳天を打たれた。


「――面あり!」


 まるでフェンシング上級者が見せるような、鮮やかなカウンター攻撃だった。


 隙がない。横向きの剣山と戦っているみたいだ。


「間合いで語りすぎだ」

「春風さまが読みすぎなんですよ!」


 三本目。


「俺も打ちに行くぞ」

「ヒィィィ――」


 竹刀を振りかぶってくる春風を想像すると恐すぎて、悲鳴を上げてしまった。


 今まで、春風さまは攻撃を受けてばかりいたから、正確なカウンターを当ててきていた。しかし、それは彼本来のスタイルではない。絵里咲の剣技を観察するために手加減していたのだ。

 本来のスタイルは――中段・下段からの超攻撃型。

 わずかな隙を突いて間合いを詰め、袈裟斬りを叩き込み、仕留めきれない相手には下から上へ切り上げる〈逆風(さかかぜ)の太刀〉を叩き込む。防ぐことが困難な一連の早業で、たいていの相手を仕留めてしまう。


 春風は竹刀の切っ先を地面スレスレに垂らして、下段に構えていた。

 下段構えは面ががら空きになるため上段構えに負けやすく、現代剣道ではなかなか使われない。だが、実は実戦において二つほどメリットがある。突きに対処しやすいことと、突きを繰り出しやすいことだ。

 絵里咲が胴を狙った突きを繰り出すと見て、下段に切り替えたのだろう。


 下段に下段で対抗したら膠着する。絵里咲は仕方なく竹刀を頭上に構えて様子を見た。

 しかし、春風は下段の構えを解かない。絵里咲が唐竹割りを繰り出すのを誘っているのだろう。


――乗ってやるわ!


 絵里咲は何度かフェイントを交えたあと、春風の面に向かって思い切り打ち込んだ。だが、空を切った。同時に、絵里咲の胴めがけた高速の突きが襲い、後退しながら弾いた。


「踏み込みが甘い‼」


 踏み込まなかったのではない。踏み込めなかったのだ。思い切り踏み込んでいたら、間違いなくいまのカウンターの餌食になっていたから。絵里咲の唐竹割りはまだ付け焼き刃。熟練の剣士である春風を仕留めるほどの技量はない。


 だから、唐竹割りを攻撃を誘う撒き餌に使ったのだ。


 絵里咲は前足のつま先を上げ、地面を滑るように距離を詰めた。フェンシングの歩法・前進(マルシェ)である。遠くまで突き技を届かせることに特化したステップは、氷の上のスケートのような滑らかさで懐に迫ることができる。


 春風は危機を察知して後退(あとずさ)ったが、右足を前に残していた。右利きの剣士は必ず左足から後退りする。だが、右足を戻すのは一瞬遅くなる。絵里咲はそこに今日初めての隙を見つけた――


「ッセヤァァァァァ――‼」


 気合を(ほとばし)らせ、つま先をピンポイントで狙った突進突き(ファンデヴー)を放った。

 前進(マルシェ)を組み合わせた突進突き(ファンデヴー)の剣先は想像以上に遠くまで伸びる。さらに、前足のつま先はもっとも防御が難しい部位であり、無理に避けるとバランスを崩す。気づくといつの間にか当たっている。まるでピストルの弾のような一撃だ。


 つま先突きは、世界選手権で優勝する選手もしばしば得意とする技である。絵里咲が現世で大会に出ていたときも、つま先突きはいちばん狙いやすい必勝パターンだった。


 竹刀の剣先は春風のつま先をはっきりと捉え、右手に手応えを感じるとほぼ同時に、脳天に竹刀を振り下ろされた。


「突きあり‼ 勝者、えりず」


 判定では勝ち。だが、実戦では負け。頭を割られて死んでいた。


――やったぁ……。一本……入れられた……!


 フェンシングをやっていたときの癖で、試合後に剣をぐるぐると回してしまったが、「残心なし!」と怒られかねないので、慌てて止めて礼をした。


――つま先突きはゲームクリアの鍵になるかも……


 和国の住人はフェンシングを知らない。だが、絵里咲は剣術を(多少)知っている。この差は大きい。

 絵里咲が剣術を学べば、絵里咲は和人の剣術に対応しやすくなり、あちらは未知のフェンシング術を見せられて驚くのだから。

 突進突き(ファンデヴー)

 この一撃を上手く使えば、もしかすると実力差のある相手にも勝てる――ゲームでは主人公が勝てなかった相手にも勝てるかもしれないと思った。


「やはり、おもしろい突きを持っているな。――とはいえ、斬りまだまだだ。選択肢が増えれば狙いを読まれなくなる。さすればお前は強くなるぞ。だから、斬りを鍛えろ」

「ご助言いただきありがとうございます」

「――俺の道場でな」

「え?」

「明日から学校道場(ここ)ではなく、俺の道場に来い。俺が本家の天下一の斬りを教示しよう」


 かぶき者は、そう言い残して去ってしまった。

 春風が去ると、先ほど打ち負かした前田や道場の学生たちが絵里咲のもとに集まってきた。


「おいお前! 東行さまの直弟子になれんのかよ!」

「ええと……そんなすごいんですか?」

「そりゃもう。各道場を回って春風さまが認めた奴しか入れねぇんだ」

「こんな卑怯剣士が? つま先にへなちょこ突きを入れただけで?」

「……あはは」


 言われ放題である。


「えりずの一本は必然だよ」

「え?」


 知った風に語りだしたのは、春風の前でずっとタジタジだった熊沢師範。いまの今までほとんど喋らなかったのだが、春風がいなくなった途端、先輩風を吹かせはじめた。


「春風さまは相手に花の一本を持たせるんだ。どんな相手にも、尊敬の気持ちを込めて一本を土産に差し出す」

「土産って……」

「春風さまに一本取ったといえば自慢になるだろ? だが、他の二本は誰がどう頑張っても取れないんだ。春風さまの土産にぬか喜びしているようじゃあ、先は知れてるねぇ」


――とほほ……。あたしは無事、お土産を持ち帰ったということね……


 すると、茶々乃が近づいてきて、絵里咲の肩に手を置いて言った。


「お土産もらえてよかったね、えりず」

「絵里咲よ」

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