第十五話 剣術道場
「ねええりず~」
「絵里咲よ。どうしたの?」
話しかけてきたのは茶々乃。絵里咲と同じ部屋で暮らしているショートボブの女の子である。
彼女は紺色の袴を着ていた。紺色の袴は剣術用の道着である。
「えりずはさぁ、何の武器するの?」
「武器? なんのこと?」
「専攻武器だよ! 武人になるんだから戦いを覚えないとでしょ」
「ああ……専攻武器ね。――茶々は?」
「私はモチロン刀だよ!」
「あんたらしいわね」
乙女ゲーム『肇国桜吹雪』において、プレイヤーは〈専攻武器〉を選ぶことができる。どれか一つの武器を極めて、物騒になっていく京で生き残るのだ。武器は刀・薙刀・和弓・紙垂のうち一つを選ぶことができる。
それぞれの特徴を紹介すると――
○●刀●○
刀は携行性にすぐれているため、室内・屋外問わず、ほとんどのシチュエーションで使用できるバランスの良さが強みだ。時代劇のイメージもあって、プレイヤーからの採用率もいちばん高い人気武器である。
○●薙刀●○
リーチの長い薙刀は、四種類の中でいちばん一対一の勝率が高く、強力だ。しかし、狭い室内ではまったく使い物にならないこと、重くて持ち運べないことから、不遇をかこっている。
○●和弓●○
和弓はいちばんの不人気武器だ。200年以上前に戦場から姿を消した時代遅れ武器である。強くもないくせに難しいから習熟度が上がるのが遅いから序盤で使いものにならないという致命的な欠点があり、ようやく使い物になる後半になると銃が手に入って弓を使う意味が全く無くなる。直径2メートル20センチという大きさから持ち運びが難しいことも人気を落とす要因である。
○●紙垂●○
紙垂というのは、呪術を使うために使う、棒の先から四角形の紙が連なっている祭具だ。神社に行くと神官や巫女が紙垂を振っているところを見たことがあるはずだ。紙垂は呪術に特化した武器だが、そもそもこの世界の呪術は戦闘にあまり向いていないため、主人公単体だとあまり強くない。だが、武闘派の攻略キャラと組んで、サポーターとして戦うと途端に化ける上級者向けの武器だ(モ○ハンでいう狩猟笛みたいなもの)。刀の名人である東行春風攻略のときには紙垂を採用するのもアリだが、絵里咲が攻略したいのは流々子だから今回は選択肢に入らない。
――といった具合である。
「うん。十年習ってたから!」
「十年⁉ 知らなかったわ」
「えりずは?」
「あたしも刀にするわ。一緒の稽古になるけど、あたしは弱いからお手柔らかにね」
「よ~し。ぶっ潰すよ!」
「聞いてた?」
とはいえ、絵里咲も刀の扱いに覚えがないわけではない。
絵里咲は前世でフェンシングを習っていた。それも、何度か全国大会出場を果たしたことがあるくらいだから、初心者相手にはまず負けることはない。
もちろん、フェンシングと剣道は別物……別物なのだが、実は、剣道からフェンシングに転向して成功した人はかなり多い。国内のフェンシング代表の何割かは、剣道経験者で構成されるくらいだ。
その反対(フェンシング→剣道)で成功した話はパタリと耳にしたことがないが、できないことはないだろう。
剣術には一眼二足三胆四力という諺がある。大事なのは相手の動きを見る眼と間合いを測るフットワーク、そして懐に飛び込む度胸であるということだ。これはフェンシングでも共通している。
フェンシングには三種類の競技がある。そのうち、絵里咲が専門にしていたのは〈エペ〉という競技だ。斬り技が一切無く、突きだけで戦うのが特徴である。
エペというのは中世ヨーロッパで使われていた細剣術を競技化したもので、もっとも現実の決闘に近いスタイルといわれている。全身が有効面であり、手の指やつま先を狙う意表を突いた攻め技もある。肉体のチェスとも呼ばれる高度な駆け引きが醍醐味だ。
手前味噌ながらエペでは全国大会にも出たことがあるから、正直、ある程度は通用するんじゃないだろうかと思っていた。……大きな慢心だったが。
「腰が引けているぞ! 臆病者!」
「痛ぁっ!」
「返事は!」
「はいっ!」
怒鳴りながら絵里咲のお尻を後ろから竹刀で打ち据えたのは、剣術場で師範を務める熊沢先生。名前の通り、クマのような筋肉に覆われている強面の女性師範だ。
絵里咲はおっかなびっくり竹刀を正面に構え直す。
フェンシングでは片手で剣を持ち、突かれないように身体の側面を相手に向けるのだが、剣術では両手で剣を持って正面を向くのが基本。
絵里咲は腰が引けているわけではなく、フェンシングの癖で側面に構えてしまったのだ。
熊沢は腰が引けていると〈臆病者〉と叫び、負けにされてしまう。竹刀の一本を入れて小さく喜ぶと、〈残心〉が足りないとして負けにされてしまう。二百年続いた太平の時代に剣術は実戦における強さより精神修養としての色が濃くなり、実際の勝敗よりもこういった武人らしさが重視されていた。
頭の上に竹刀を持つ上段の構えで絵里咲に面を入れようと狙っているのは、一学年上の先輩である前田という男だ。
絵里咲は動きから剣術の経験者ということがバレてしまい、一生懸命素振りをする同級生たちとは離されて、屈強な上級生と試合をさせられている。
帰りたいと思った。
「ホォォォォアリャァァァ――――」
前田は身の毛もよだつような叫び声を上げながら、頭上に構えた竹刀を豪快に振り下ろした。必殺の唐竹割りは、西方の火護藩で流行っている流派の奥義である。
絵里咲はバックステップでなんとか躱した。
振り下ろされた前田の竹刀は跳ね返るような動きを見せ、二撃目の薙ぎ払いが絵里咲を襲った。絵里咲はその一撃を竹刀の側面で受け止めたが、あまりの威力に後ろへよろめいた。
「防ぐばかりでいいのか?」
「攻撃できないだけです」
前田は挑発するように言った。
前田は再び頭上に竹刀を構えた(上段構えという)。先ほどと同じ唐竹割りをくり出すつもりだろう。それに対して、絵里咲は竹刀を鳩尾の高さに保った姿勢――中段構えだった。
頭上から振ってくる唐竹割りはリーチが長く、こちらが攻撃体制に入る前に頭を打たれてしまう。対策が打ちにくい攻撃だ。その優れた攻撃力から、剣術の大会が上段構えばかりになったこともあるという。
絵里咲は間合いを長めに保ちつつ、ジリジリと距離を詰めた。
ほんのわずかでも近づきすぎれば、ふたたび必殺の唐竹割りが繰り出される。先ほどは命拾いしたが、今度は逃さないだろう。
――だが、上段構えにはひとつ、明確な弱点がある。
唐竹割りが届く境界線に入る。心臓が早鐘を打つように鳴っていた。
そこで、絵里咲は勝負をかけた。
左足を大きく曲げ、まるでバネのように勢いよく伸ばした。右足を思い切り踏み込んで――
「セイッ――‼」
高速で繰り出された絵里咲の突き技は、前田の首元にあっけなく命中した。
間髪入れずにバックステップすると、前田の竹刀が上段から振り下ろされ、絵里咲の顔を覆う面を掠めた。
「――突きありィィっ! えりず、一本!」
審判が赤旗を上げて叫んだ。「突きあり」というのは、突きで勝ったという意味である。
面を外した前田は呆然としていた。
「お前……今のはいったい……」
絵里咲が突きを繰り出す瞬間、前田は十分な間合いを取っていた。それなのに、突きをくらったから驚いているである。
突かれた瞬間の前田は、まるで絵里咲の竹刀の長さが如意棒のごとく伸びたように感じたことだろう。
「すみません。突いてしまって」
絵里咲が使ったのはエペの攻撃技――突進突きである。右足で大きく踏み込んで繰り出す片手突きは、和国の剣術にない動きだ。
フェンシング用のレイピアと違って撓らない竹刀で突進突きを繰り出すのは変な感覚だったが、剣の重さは大して変わらないからスピードも落ちなかった。むしろ、竹刀のほうが軽いとすら感じた。
上段構えの相手に、刺突は極めて有効である。
剣を上に構えているため胴ががら空きになっているから、咄嗟に遠距離から繰り出される突きを避けることが難しいのだ。上段構えはリーチの長さが大きなメリットの一つだが、突進突きは唐竹割りに匹敵するリーチとスピードを持っている。トッププロの突進突きは2メートル先まで剣先が届くという。
現代剣道の公式ルールにおいて、刺突が有効なのは喉だけ。かつて剣道で上段構えが流行した時代、胴への突きを有効にしたところ上段構えを使用するものが著しく減ったことから、再び胴突きが禁止されたという経緯がある。それだけ、上段構えに対する突き技は有効なのだ。まあ、意表を突ければの話だが。
「おい。えりず」
「はいっ!」
試合をじっと見ていた師範の熊沢は、ドスを利かせた声で絵里咲に話しかけた。
「遠くからひと刺し入れただけで勝ったつもりか? この卑怯者が」
「いえ……。運がよかっただけでございます」
だが、絵里咲は勝ちを素直に喜べなかった。
周囲も熊沢と同様の態度である。試合を見ていた者たちがコソコソと囁く声が聞こえてきた。
「(あの新入り、突きで勝ちやがった)」
「(剣が使えねえからって臆病なやつだなぁ)」
この道場では、突き技は親の仇のように忌み嫌われている。
なんでも、『武人たるもの、豪快に面を割るべし』という価値観が根強いらしく、遠くから簡単に勝てる(ように見える)突き技は卑怯に見えるようだ。フェンシングで突き技しか使わないエペを習っていた絵里咲は、すっかりこの道場の嫌われ者だった。
郷に入っては郷に従いたいのだが、斬りで上級生に勝つには圧倒的に鍛錬が足りない。絵里咲が突きを封印するということは、相撲取りに相撲で勝負を挑むようなものだから。
――とはいえ、負けるわけにはいかないのよねぇ
世渡り上手に生きてきた絵里咲は、顰蹙を買うのを好まない。勝って憎まれるくらいなら、負けて溶け込もうとするタイプである。
しかし、剣術では負けるわけにいかない。なぜなら、勝ち続けないと経験値が上がらず、筋力値を上げたり良い武器を手に入れたりしにくくなる。勝って強くならないことは、すなわち死に直結するのだ。
――それに、流々子さまをお守りしなきゃいけないし、流々子さまと結婚するために椿さまの死亡エンドも防がなきゃだし……そんなことできるのかしら?
試合を見ていた学生たちは、ヒソヒソ声で好き放題に絵里咲を罵倒していた。
突き技が嫌われる朱雀門学校の道場で、絵里咲はいじめにあうだろう。それでも、経験値を貯めるためには突きを封印するわけにいかないというのは、先の暗い話だが。
四面楚歌の道場。大勢が絵里咲に敵意を向けている。
そんな中、一筋だけ拍手の音が鳴った。
「――おまえ、おもしろい技を持っているなァ」
その飄々とした低い声には、聞き覚えがあった。