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第十四話 コッヒー

 椿の強引すぎるアプローチを断り続けるのにも疲れてきたある日。目の前に見慣れた武人が現れた。

 溜まった疲労のせいか、ちょっとだけ美人に見えた。


――相当疲れているのね。


「百姓」

「絵里咲です。なんですか?」


 ここまでがテンプレになりつつある。

 椿が威圧的に百姓と言うと、周りにいるほかの百姓もびくっと反応してこちらを向くのでやめてほしい。


「欲しいものはありまして?」

「唐突ですね」

「答えなさいな」

「欲しいもの……。蓬莱の玉の枝、とか」


 かぐや姫が求めたアレである。


「そんなものはなくてよ」

「じゃあ作ってください!」

「嫌ですわ! 最後は大恥をかかされるじゃありませんの」


 蓬莱の玉の枝は15文字で要約すると、偽物を作ったらバレて大恥かいたというストーリーである。

 もちろん、椿への嫌味だ。


「なにか他のものはございませんの? 現実に存在するものならいかなる難題でも叶えてみせてよ」


 椿はあくまで絵里咲が欲しいものを聞きたいらしい。どうせだから、とびっっっっきり難しいものを言ってみることにした。


――あたしを殺そうとした椿さまにはなるべく困ってほしいし


「それなら、珈琲が欲しいです」

「こおひい? それも物語のもの?」

「ええ。ご存じないでしょうね。あたしも噂を伝え聞いただけですが」

夷国(いこく)(=外国)のもの?」

「珈琲は西洋世界で飲まれる黒い薬湯です。一杯飲むと目が醒めて、二杯飲むと頭が冴える万病治癒の霊薬と聞きました」


 ここで珈琲を挙げたのにはワケがある。実は絵里咲、転生する前は周りからドン引きされるくらい珈琲が好きだったのだ。農場にまでこだわって豆を選定し、自らフライパンで焙煎して抽出した珈琲を1日に5杯は飲んだものだ。

 ひどいカフェイン依存症で、珈琲が切れると頭痛がすることもあった。こちらの世界に来てからはお茶で代用しているが、そろそろ()()()()の味が恋しいと思っていた。


 なるべく椿の興味を引きたくて、カフェインの効能ばかりを大げさに語り、不眠とか動悸といった副作用は黙ってみた。

 好意を利用するのは気が引けるが、どうせなんでも手に入るなら蓬莱の玉の枝よりも珈琲がほしい。


「それは現実に存在するのかしら?」

「もちろん。――もしかすると、手に入れるのは蓬莱の玉の枝のほうが簡単かもしれませんが」


 椿はタスクが難しければ難しいほど燃えるタイプと見たので、煽ってみると――


「なにを仰いますの。わたくしは天下の那古野藩主・神宮寺歳実の娘。存在するものなら何でも手に入りますわ」


 人差し指の先端を眉間に当てて目をつむり、悪役令嬢ポーズを取ってみせた。まるで世界を手に入れたようなイケイケっぷりである。3年以内に死ぬけど。


「あの、本当に難しいと思いますよ?」


 黒船が来航して間もない時代。珈琲を手に入れるのは本当に本当に難しかった。現実の江戸時代では、長崎の出島などでわずかに飲まれていた程度。日本人が生活する領域に珈琲が入ってくることはほぼなかった。

 ということはつまり、和国人にその存在を訊ねてもわからないのである。捜索は難航を極めるはずだ。


「貴女を手に入れるよりは簡単ですわ」


 嫌味を残すと、小袖を大きく翻して去ってしまった。

背中が小さくなっていくのを見送りながら、何かを思い出し……


「あ! つっ……椿さま! 待ってください! 椿さま! ああ……」


 行ってしまった。


――しまった……。この時代だと、『コーヒー』は『コッヒー』と呼ばれている……って教えてあげないと……!




 次の日。毎日のように絵里咲に付き纏っていた椿は現れなかった。先生方に訊ねてみると、彼女は授業にも出席しなかったという。


 また次の日。椿は学校を休んだ。

 その次の日も、また次の日も。

 次の日も。次の日も。次の日も……。


 嫌な予感がする。椿が学校を休んでいる理由って……


 次に悪役令嬢が姿を見せたのは、十四日後だった。

 絵里咲の前に現れた椿は、真珠のように白かった肌が少し焼けていた。左手に大きな麻袋を抱えている。

 嫌な予感しかしなかった。


「久しぶりですわね、百姓」

「絵里咲です。どうして学校を休んでいたのです?」


 そう訊ねると、悪役令嬢は誇らしげな笑みを浮かべた。


「コッヒーをコーヒーと嘘をつきましたのね。おかげで手間取りましたわ」

「すみません。それはわざとじゃなかったんですけど……」


 だって現代でコッヒーとは言わないし。


「出島にいた蘭国商人に大判小判を積んで、豆を全て持ってこさせましたわ」

「全て⁉ ――うわっ、重っ‼」


 椿は左手に持っていた巨大な麻袋を手渡してきた。絵里咲は両腕で抱えたが、あまりの重さに支えきれず、たちまち地面に下ろしてしまった。今までに持ったどんなものより重かった。


 顔を近づけると、樽の中から珈琲の薫りが立ちのぼる。久々に嗅いだ甘美な薫りに、思わず深呼吸をしてしまう。


「いくらなんでも全部はやりすぎですよ!」

「これが和国にあるコッヒーの全てですわ。神宮寺の妻は全てを手に入れますの」

「愛が重いです……。物理的に……」

「では小分けにして渡しますわ。残りは貴女の部屋に届けさせましょう」

「あたしの部屋はダメです! こんなにあったら寝床が無くなるし、部屋がコッヒーの香りになって茶々乃に怒られます‼」

「では、うちに保管しますわ。必要になったら、そのたびにわたくしに頼みなさい。頬に口づけ一回につき一斤(600グラム)を――」

「しませんからね‼」

「冗談ですのに」


 椿は懐から拳大の巾着袋を取り出し、珈琲豆を入れて渡した。

 関係ないが、巾着袋はかなり仕立てがいい。珈琲豆の油が染み込んでしまいそうなのだけれど、よいのだろうかと心配になるくらい。


「椿さま」

「なんですの?」

「……これを受け取ったら、あたしは椿さまの妻にならなければいけませんか?」

「先日申し上げたとおりですのよ。求婚するのはわたくしではなく貴女。わたくしを欲しがるから。愛しくてたまらないから求婚するのです。決して、コッヒーのためなどではなくてよ」

「そうですか……。では美味しくいただきます」


――極悪令嬢だと思っていたら、意外に尽くしてくれるのね……


 なにはともあれ、コッヒー……間違えた、珈琲が手に入ってしまった。

 これさえあれば異世界から帰らなくても生きていける


ここまで読んでいかがだったでしょうか。

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