第十三話 勝負ですわ!
朝。
教室に入ると、絵里咲の机に人だかりができていた。
――何の騒ぎかしら
机に集まった学生たちは、絵里咲の顔を見るなりどよめいた。
朝食のパンに塗ったジャムが顔に付いているのかしら? とか思ったけど、この世界にはジャムなんて無いのだった。
人だかりをかき分けて自分の机を見ると、そこには赤い櫛が置かれていた。ハイビスカスのように鮮やかな赤だった。
――プレゼントかしら……
差出人の名は無かったけれど、聞かなくてもわかる。櫛の隣に、季節外れの椿の花が添えられていたから。
●○● ○●○ ●○●
「百姓」
「絵里咲です。なんですか?」
授業が終わると、椿さまが教室の前で腕を組んで待っていた。
「櫛は気に入りまして?」
「とても美しいですね」
「那古野藩一の名工に彫らせましたもの。これで結婚を受ける気になりまして?」
「なので、お返しします」
「なんですって⁉」
江戸時代、櫛を送ることには意味があった。「苦しいとき」も「死ぬ」ときも一緒にいよう。苦しいと死ぬの頭を取って、「くし」という洒落だ。江戸時代の庶民に流行ったものだから、椿が意図したものかはわからないけれど、花園時代は江戸時代と似ているので、おそらく似たような迷信があると思う。
櫛の意匠が「椿」と「矢」なのも、「絵里咲を自分色に染めてしまおう」という椿さまの意図を感じる。これを受け取ることは、すなわち結婚を受けるという意味にとられかねない。
貴人の強権をふるって寝室を変更するという暴挙に出たあとだ。警戒して損はない。
「あたしはあんなに美しい櫛を使えませんので」
「わざわざ那古野に遣いを送って、貴女のために作らせたんですのよ?」
「美しい櫛は、美しい人が使うべきだと思うんです」
「なっ――」
椿さまは顔を真っ赤にして、後ろに背けた。ちょっと褒めただけで照れないでほしい。やりにくい。
「なので、椿さまが使ってください。お気持ちだけ受け取っておきます」
「実は……」
椿さまが真っ赤な顔を伏せた。なにか言いにくいことを言うのだろう。次は何だろうか。
「なんでしょう」
「実はわたくし……同じものを持っていますの」
「お揃いってことですか⁉」
「……二つは要りませんわ」
「要りませんね……」
深く恥じているのが伝わってきて、こっちまで気まずくなる。
「お母上にあげたらいかがですか?」
「わたくしの母は去年死にましたわ」
「そ、それは……。大変失礼いたしました」
自分が地雷を踏んだことに気が付いた絵里咲は、シュンとして謝った。
不用意な発言をしたことが恥ずかしくなった。椿の母親が死んでいることは、『肇国桜吹雪』本編でもわかることだ。椿の母親である神宮寺巴は、彦根守家から人質にとられて、鳰海藩にて客死したのだ。流々子が椿を避けているのは、これが理由の一つなのかもしれない。
顔を上げて、椿を見た。
椿はいつもどおり、無表情だった。口を引き結んでいる椿の顔は、怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。なにも考えていないのかもしれないけど。
母親の死という傷をえぐってしまって、なんだかかわいそうに感じてしまった。
椿に貸しを作りたくはない。けど、ここは受け取るしかないのだろう。
「椿さま。この櫛は大切に使わせていただこうと思います」
「受け取って、その美しい髪を保ちなさいな」
「あの……もし、この櫛を受け取っても、結婚を承諾したことにはなりませんよね?」
「もちろんですわ。櫛なんて神宮寺の婚礼の品にふさわしくありませんの」
「そうなんですか?」
「わたくしとの結婚には……そうですわね、国を贈りますわ」
「国⁉ 要りませんよ! 統治とかできませんし……。というか結婚しませんし」
「なかなか素直になりませんのね」
「素直ですよ。素直すぎましたか?」
椿は顎に手を当てた。
家柄にも容姿にも武芸の才能にも恵まれ、いままで人から求められるのが当たり前だった椿は、求婚を断られるのが解せないのだろう。
「そもそも、貴女はなぜ求婚を断りますの?」
「好きじゃないからです!」
「好きでなかろうとわたくしは神宮寺。国で二番目に高貴な家の生まれですの」
「生まれで好きになったりしません」
「それに、今は愛せなくとも、この容姿ですわ――」
誇らしげに目をつむり、自分の胸元に手を当てて
「――決して見飽きませんわよ? わたくしの見た目に結婚してから惚れればよいじゃありませんの」
と言った。
「美しいって自分で言っちゃうんですね……」
絵里咲はげんなりした。
――奥ゆかしい人が好きなんだけど、椿さまは正反対なのよねぇ
「幼少より見栄えを褒められてきましたのよ。多少の自負はありますわ」
悪役令嬢はそう言って、赤髪をファサーっとかき上げた。たしかに、絵になる美貌だ。写真を撮ったら売れそうなくらい(撮らせてくれないだろうけど)。
でも、椿がいくら美しかろうと、絵里咲を熱烈に求めようと、求婚を受ける気はさらさら無い。
なぜなら……
「せっかく求婚いただいてなんですが、あたしには既にお慕いしている方がいるんです」
「お慕い?」
「ええ。その方以外と結婚する気はございません」
「その方って……まさか……。流々子でして?」
「よくお気づきですね。流々子さまをお慕いしています」
「ぬぬぬ……。よりにもよって流々子ですのね……」
椿と流々子の関係は複雑である。
椿はさんざん流々子に話しかけているけど、流々子は幼馴染の椿を避けているのだ。
その避けられっぷりといったら、見ててかわいそうになるほどだった。
「……こうなったら仕方ありませんわ」
「ええっと、なにがですか?」
「勝負をしますわよ」
「え? 流々子さまをいじめないでくださいよ?」
絵里咲が流々子をかばうような発言をすると、椿は悔しそうな顔をした。
「流々子とではありませんの。勝負をするのは絵里咲とですわ」
「あたし……⁉」
「ええ。覚悟はよろしくて?」
「あの……勝負の聞いてから考えていいですか?」
とても嫌な予感がした。
椿は顎と口角を上げて、傲慢不遜な悪役令嬢スマイルを見せた。
イヤな予感が増幅した。
「もちろんですの。――わたくしは貴女から求婚させてみせますわ」
「はぁ⁉」
「わたくしに求婚したら、わたくしの勝ち。結婚していただきます」
「……絶対しませんけど」
――うん。絶対しない
「さて。勝負を受けますの?」
「受けるわけないじゃないですか! あたしはまったく得しないですもん!」
「その代わり――」
「その代わり?」
「絵里咲が求婚しなかったら、貴女は望むものを手に入れますのよ」
「望むもの……? なんですか?」
椿はふたたび悪役令嬢スマイルを見せた。絵里咲はげんなりした。
「ええ。もしわたくしが学校を出るまでに求婚しなかったら――」
「しなかったら?」
「わたくしは貴女を神宮寺家の養子に迎えますわ」
「……はい⁉」
よくわからなかった。
神宮寺家の養子になって、絵里咲になんの得があるというのだろう。
もちろん大量の資産は手に入るが、邪智暴虐の悪役令嬢と姉妹になるのは全財産を投げうってでも避けたい。
だが、椿が続けて提示した条件は、予想をはるかに上回る魅力を持っていた。
「絵里咲を神宮寺家の娘として迎え入れ――流々子と結婚させてあげますの」
「え⁉ ホントですか⁉」
「目が輝いていますわよ?」
「輝きますよ。だって、そんなに簡単に流々子さまと結婚できるなんて思わないじゃないですか!」
「簡単ではなくてよ。貴女はわたくしに惚れ、求婚することになりますの。実質不可能ですわ」
「さあ、椿さまこそ難しいと思いますけど?」
「なぜですの?」
「だって、椿さまは祇園社であたしを殺そうとしたじゃないですか。そんな人に求婚すると思いますか?」
「今までの非礼を詫びますわ。本気でも無い脅しのことはお忘れなさいな」
「素直に謝られても反応に困るんですけど……」
お花見のとき絵里咲に弓を向けた椿の殺意は本物だった。
あの理不尽決闘が始まっていたら容赦なく射殺される、ということをゲームをプレイした絵里咲は知っている。
「それでも、貴女はわたくしに惚れますのよ。だから勝負を持ちかけたんですの」
「ふ~ん」
「半信半疑ですのね」
「半信半疑ですから。――では、教えてください。どうしてあたしが流々子さまではなく椿さまに求婚なんてするんですか?」
椿は腰に拳を当てて、自信げに言った。
「わたくしは己を知っていますわ。――流々子は人に好かれるけど、わたくしはそうではない。最初から人柄で好かれようなどとは思っていませんのよ」
――嫌われ者の自覚はあったのね……
「……では、もっと人に優しくなさったらいかがです?」
「武人は決して媚びませんのよ。好いてもらうために諂いもしませんの」
「それだと、あたしが椿さまを好きになることは無いと思いますよ」
「好きになりますわ。――わたくしは武人。力と見た目ですべてを手に入れますの。絵里咲は全てを手に入れるわたくしに惚れて求婚しますのよ」
――自信満々だなぁ……
やっぱり苦手だ。
「でも、あたしは流々子さまが好きなので、ほかの方に求婚することはありません。分の悪い勝負を挑んでしまったのではないですか?」
「いいえ。わたくしが勝ちますわ。――貴女が流々子ではなくわたくしに求婚する理由は3つあります」
椿のプレゼンが始まった。
PowerPointはまだ発明されていないが、頭の後ろにごちゃごちゃとして読みにくいスライドが見えるようだった。椿は現代人に生まれなくてよかっただろう。間違いなく機械音痴になる。
「どうぞ」
「まず第一に、わたくしは流々子より強い」
「そうですね。流々子さまは荒っぽい喧嘩よりも上品な呪術がお得意ですから」
もちろん嫌味である。
「第二に、虎は鳰より強い」
椿の言葉は、家紋を引き合いに出した喩えだ。
虎は神宮寺家の家紋。そして、鳰というのは鴨に似た水鳥で、彦根守家の家紋だ。
つまり、「神宮寺家は彦根守家より強い」と言いたいのだろう。
これも真実といえる。
両家とも和国有数の名家で、その系譜を神代まで辿ることのできるやんごとなき血筋である。古代は彦根守家のほうが強かったらしいのだが、近年の幕府で重要な地位に就く人物をより多く排出しているのは神宮寺家のほうだ。
とはいえ、百姓である絵里咲にとってはどちらも空に浮かぶ火星と金星みたいなものである。どっちと結婚しようが、はるかに格上なのは一緒である。
「あたしは家名で人を好きになったりしませんよ」
「そうですの。ではなぜ流々子を慕うんですの?」
「性格が良くてかっこよくてお美しいからです」
「あら。それなら、ちょうど今わたくしが言おうとしていたことですわ。――第三の理由。わたくしは流々子より美しい」
その赤髪を左右に振って靡かせてみせた。
「それは……見る人の好みによりますね」
まったくいい加減な根拠だった。
椿も珠のように滑らかな肌を持った明眸皓歯の美人。だが、流々子を推している絵里咲の目には流々子のほうが百兆倍も綺麗に映っている。好きな人補正というものだ。
大差がつくのも無理はない。流々子と恋に落ちたのは、この世界に生まれるずっと前からなのだから。
「わかっていただけまして?」
「……いえ全然」
「呑み込みが悪いですわね。――わたくしはこの力と見た目で望むものを全て手に入れるのですわ。北の果てから南の端まで、藩主以下全ての者がわたくしの一言に恐れ慄き、わたくしの寵愛を得るために手土産を参ずる。目も眩むような金銀の山から龍の目玉に眠る宝玉まで、わたくしが望めば自ずから集まってくる。いずれ、この世はわたくしのものになる。貴女は隣でそれを見届けるのです。魅力的でしょう?」
「魅力的ですねー(棒)」
ゲームでは没落を宿命づけられた当て馬ポジションであることなど露知らず、椿は調子に乗ってイケイケ絶好調だった。“あなたは3年以内に必ず死ぬのですよ”とは告げなかった。
先ほど“北の果てから南の端まで”と言ったが、椿にとってはそれが全世界なのだ。そんなもの、地球儀で見てみるとサッカーボールにくっついたバッタのようにちっぽけなのに。
「先ほど、負けるからイヤと言っていましたわね? 貴女は負けますわ」
「負けませんよ。流々子さまとの結婚生活を楽しませていただきます」
「よろしくて? 百姓。――かならずや、わたくしを欲しいと言わせてみせますわ。すぐにでもわたくしの顔を見るだけで頬を染め、口づけを夢に見るようになるでしょう。反抗できるのも今のうちだけ。せいぜい楽しむといいですわ」
そう言い残して、絵里咲の前から立ち去った。
どうしてここまで自信があるのかはわからない。
とはいえ、流々子さまと結婚できるチャンスが巡ってきたのはありがたいことだ。
問題はたった一つだけ。ゲームのストーリーでは、椿が3年以内に必ず死ぬということだ。どうあがいても学校を卒業できない。そうなれば生前の約束は水の泡となり、流々子と結婚のお話もご破産になるだろう。
――最悪、椿さまは死んでもいいけど、流々子さまと結婚できないのは困る……!
絵里咲は、椿に約束を守らせるため、悪役令嬢を確実な死の運命から救ってあげようかと決意したり、しなかったりした。