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第十二話 お引っ越し?

「えりず様。お時間よろしいですか?」

「絵里咲ですけど、どうなさいました?」


 茶々乃と話しながら廊下を歩いていると、話しかけてきたのは濃緑の着物をまとった中年女性。海堂だった。覚えているだろうか。このゲーム世界に入り込んだとき、学院の説明をしたNPCの女性だ。

 チュートリアルが終わってからはNPCではなく、自由意思を持った人間として動いているのだが、絵里咲を「えりず」と呼ぶのは相変わらずだ(まあ本名なのだが)。


「申し伝えることがございまして」

「なんでしょう」

「今夜からえりず様の寝室が変更になりました」

「なんですって⁉ せっかくお雛と仲良くなれたのに!」


 えりず呼びに突っ込む余裕もないくらい衝撃だった。

ルームメイトのお雛とは馬が合うから、よく街へ出かけることもあったし、夜通し喋ってしまうこともあった。寝室が変更になるということは、お雛と離れ離れになるということだ。いたずらっ子の茶々乃とも離れるのはラッキーだったが。


「ねぇえりず!」


 隣で話を聞いていた茶々乃が話しかけきた。


「絵里咲よ。なに?」

「私は〜? 私とも仲良くなれたでしょ〜?」

「どうかしら。まだ名前も覚えてくれないじゃない」

「覚えたよ。古読えりずでしょ! ――ブフォォッ‼」


 絵里咲の左手が不思議な力にひっぱられて茶々乃の頬に迫り、茶々乃は不思議な力で後ろに吹っ飛んだ。



     ●○● ○●○ ●○●



「それじゃあ……お世話になったわね。お雛」

「わたし、絵里咲さんと離れ離れになっちゃうなんて寂しいですよぉ」


 お雛は目を潤ませていた。

 彼女には〈乙女ゲームの呪い〉が掛かっているせいで惚れられてしまっているけれど、それが無くとも性格が合ういい友達だ。たとえ絵里咲に対する恋愛感情が無くとも、同じように悲しんでくれていただろう。

 彼女のようなルームメイトを失うのは本当に寂しかった。


「私は私は~?」


 相変わらず元気そうな茶々乃は無視した。


「あたしもお雛と離れちゃうのはヤダなぁ」

「絵里咲ちゃん……」


 抱きついてきたので頭を撫でてあげると、肩口が湿っていくのがわかった。


――泣いているのね……


 同じ部屋ではなくなるだけで、一生離れ離れになるわけではないのだが、別れ際に泣いてくれるなんてありがたいことだ。

 せめて、泣き止むまで抱きしめてあげようと、お雛の背中をなでた。


「泣かないで、お雛。短い間だったけどありがとうね……――イダァァッッ‼」


 感動のお別れを、後頭部を殴られたような衝撃が邪魔した。

 枕が落下し、大量の埃が舞った。


「ふっふっふっ」

「ちょっと茶々! いきなりなにすんのよ‼」


 茶々乃が両手に枕を構えていた。


「最後の枕投げは私が勝つ!」

「……アンタの死体は埋めないわよ‼」

「二人とも喧嘩しないでぇぇぇ」


 10分後。茶々乃の死体はしわくちゃになった布団の上に遺棄された。お雛が泣く声が寮に響き渡った。



     ●○● ○●○ ●○●



「お足元に気をつけてください、えりず様」

「絵里咲です。……本当にこんなところにあたしの寝室があるんですか?」


 海堂に案内されたのは、朱雀門呪術学校の7階。つまり最上階だった。

 最上階はある意味、神聖な区域だ。高位の武家貴族や公家といった貴人が寝る場所で、一般の学生には立ち入りすら許されない。


 その美しさも段違いだ。


 暗い廊下には、やさしい白檀の香りが立ちこめている。

 左右の襖には、山紫水明の風景が描かれている。まるで美術館に迷い込んだような心地がした。ただの廊下なのに。

 絵里咲が寝泊まりしていた寮とは大違いである。(ふすま)が傷だらけだったり、天井に謎の茶色いシミが付いていたりはしないのだから。

 ここで寝れば、夜中に天上の茶色いシミが人の顔に見えて怖くなる、なんてこともないのだろう。


 学校ってこんなに広かったっけ? と疑問に思うほど長い廊下を歩くこと数分。ようやく廊下の突き当りにたどり着いた。

 そこには、ひときわ豪華な金箔が貼られた襖があった。部屋の入口から、庶民を寄せ付けない雰囲気を放っていた。

「どうぞ、こちらになります」

「え? ここ? なにか間違えてませんか?」

「間違えてませんよ。ここがえりずさんの新しいお部屋です」

「……絵里咲です」


 海堂さんは「入りますよ」と声を掛けると、中から「どうぞ」と応答があった。


――あれ? 今の声、どこかで聞き覚えがある気が……。


「いらっしゃい、百姓」

「やっぱり……」ご存知、悪役令嬢だった。「そこでなにをなさっているんですか?」


 その部屋はとてつもなく豪華だった。

 まず、天蓋付きの帳台(ベッド)がある。椿一人しか寝ていないのに、キングベッド並みに大きい。硝子(ガラス)張りの窓からは、(みやこ)の街を華やがせる赤い灯りが見渡せる。この時代の窓ガラスは一枚に数百万かかるはずだから、この部屋の窓だけで庶民の年収10年分は下らないだろう。壁には漆塗りの弓と、鷹の羽根が付いた矢が飾られている。たいへん美しいが、実用性は低そうだ。


 椿は(あや)しく光る京の夜景を背景に、帳台(ベッド)の上で正座していた。


「なにって、新しい妻を待っていたのですわ」

「もしかして、あたしの新しい部屋って……」

「そういうことですわ」

「椿さまの部屋ですか⁉」

「そう言っているじゃありませんの」

「うええ……」


 椿は、さも「貴女のために豪華な部屋を用意しましたのよ。感謝しなさい?」とでも言いたげに、胸をふんぞり返らせていた。

 「あたしみたいな田舎百姓がこんな豪華な部屋に住めるなんて夢のようだわ!」という反応を期待しているのだろう。

 だが、絵里咲は現代っ子。ドラマや漫画で、これくらいの部屋は見たことがある。


「あら。あまりに嬉しすぎて喜べませんのね」


 椿は「サプライズ大成功ですわ」とでも言いたげに、腰に手を当てた。もちろん「サプライズ」などという外来語は知らないだろうが。


 だが、絵里咲が考えていたのはお雛のことだった。

 友人が去るのを悲しんでくれたお雛の涙は、椿が七階に呼ばなければ流れなかったと思うと、いたたまれない気持ちになった。ついでに、茶々乃も枕投げで死なずに済んだはずだ。


「あの……部屋に戻ってもいいですか?」

「ここが部屋ですのよ? 絵里咲は今日からここで暮らしますの」

「えっと……それはちょっと……」


 椿と同じ部屋に住んだら危ないに決まっている。乙女ゲームの呪いのせいで絵里咲に惚れているのだから、密室で二人きりになったらなにをされるかわからない。

 お雛が絵里咲に惚れていながらなにもしてこないのは、彼女が卓越した倫理観を持っているからだ。絵里咲が主人公チャームを試したせいで生んでしまった「好き」という気持ちを必死に抑えてくれている。

 だが、椿に同じことはまったく期待できない。なんといっても()()()()なのだから。欲しいものは()()()で手に入れようとするだろう。


 どうにかして断れないかなぁと、あれこれ言い訳を考えた。お雛を理由にここを去れば、悪役令嬢がお雛に危害を加えかねない。なんとか自分自身から言い訳を探し出そうとしたが、なかなか名案は浮かばなかった。


「ほら絵里咲。――布団(こっち)へおいでなさいな」


 椿は、帳台(ベッド)に敷かれた布団をポンポンと叩いた。


「……イヤです」

「なぜですの?」

「だって怖いじゃないですか!」

「わたくしは妻に怖い思いなどさせませんわよ」

「怖いですよ! お布団が一つしかないし!」

「弓を引くにも力だけでなくしなやかさが肝要。わたくしのような武人が心得ているのは荒々しい技ばかりではありませんのよ?」


 ちょっと意味がわからなかったけど、よく考えたらど下ネタだった。

 絵里咲は顔を(しか)めて、声を荒らげた。


「技の前にまずは常識を心得てください!」

「神宮寺にとって常識は心得るものではなくて作るもの。ほら絵里咲。まずは布団(こっち)に来て話しますわよ? そんなところにいると冷えますわ」

「こんなの聞いてなかった……。もう帰りますから!」

「ここが帰る部屋ではありませんの」

「違います! お雛と茶々乃が待っている部屋に帰るんです! ――海堂さん。お部屋に戻りましょう」


 海堂は困惑気味に訊き返した。


「えりずさま。本当によろしいのですか?」

「いいんです。あと絵里咲です」

「だめに決まっているじゃありませんの。武人の妻が百姓と同じ部屋で寝るなんて、主人として到底許せませんわ」

「椿さまはあたしの主人じゃありません! あと、あたしがここで寝たら椿さまも百姓と寝ることになるんですよ?」

「うるさいですわ、百姓。――ほかの武人たちは朝の修練に備えて寝ていますのよ」

「う……。すみません」


――あたしを騒がせたのは無理やりこんなところに連れてきた椿さまでしょ!


 と言いたかったけれど、そう反駁(はんばく)することすらうるさくなりそうなので黙っておいた。

 武人は本当に朝が早くて、勤勉な連中はニワトリの鳴き声と共に武芸の修練を始める。その精神力と勤勉さは、だらけきった現代人の絵里咲にとって感服せざるをえないものだった。絵里咲も彼らの眠りを邪魔をしたくない。

 だから、小さい声で続けた。


「(なにはともあれ、帰りますからね!)」

「そうですの……。好きになさいな」

「(……意外とあっさり許していただけるんですね)」

「妻の望みですもの」

「妻じゃないし」


 同じ女性同士なのに絵里咲は妻と呼ばれ、椿が主人になるということは、花園時代の結婚は身分が高いほうが〈主人〉と呼ばれるのだろうと推測した。


 そんなことはどうでもいいとして。


 絵里咲がきっぱりと断ると、椿は少し俯いて寂しそうな顔をした。その顔を見ると、一瞬だけ罪悪感に似た感情を覚えて、去るのが申し訳ないと思ってしまった。

 とはいえ、先に無茶苦茶やったのは椿である。絵里咲は断っただけなのだから、気にする必要はないと自分に言い聞かせた。

 やはり椿の顔を見て後ろ髪を引かれる思いがしたが、思い切って踵を返した。


 部屋を去ろうとする絵里咲の背中に、椿は告げた。


「――神宮寺家に嫁ぐ者はどんな望みも叶えられる。友人の部屋に泊まるのもそのうちの一つですわ」

「(だから嫁ぎません‼)」


 心から去ってよかったと思った。

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