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狩人は嫁魔女と船で烏賊を狩る


 潮風の香りに、フレイは目を覚ました。

 定期的に体を揺らす感覚から、自分が船上にいることを思い出す。

 随分と、懐かしい夢を見たものだ。


「おや、お目覚めですか?」


 傍らの声に目をやれば、隣に寄り添うのは愛しい少女。


 肩口にかかる長さを三つ編みでまとめた、艶やかな紫紺の髪。春に芽吹く花を思い起こさせる薄紅の瞳。肌は雪のように白く、手足は人形めいてスラリと細い。それでいてか弱い印象を与えないのは、気怠そうな中に猛禽類の鋭さを秘めた眼差しのためか。


 しかし今、フレイを見つめる彼女の目は優しい。ずっと寝顔を見られていたと知ってこちらが顔を赤らめると、ニンマリと口元を歪める意地の悪い笑みは普段通りだが。


「どんな夢を見てたんですか? 随分と忙しい寝顔でしたが」

「百面相だったと? ……ミクスに出会ったときの夢だよ」

「なるほど、フレイが私に一目惚れのメロメロだった話ですか」

「メロメロて。いや、否定はしないけどさ」

「……いえその、そんな素直に肯定されても困るんですが」

「うわー面倒くさい」

「そういうフレイは最近可愛げがないですよ。昔はもっといじり甲斐があったのに」


 拗ねたように頬を膨らます、ミクスの照れた顔がまた一段と愛らしくて。

 ニマニマ笑うフレイに、ミクスは上目遣いで睨みながらポスポス叩いてくる。

 そんな風に二人、甲板のマストの根元に腰を下して話していると、傷痕が目立つ強面の船長が太い笑みで声をかけてきた。


「ハッハッハ! 仲が良くて結構なことだ! 男と女なんて、初々しい恋人でいるうちが華だからな! 今のうちに仲良くやっとくことだ! ガハハ!」

「私たちは恋人でなく夫婦ですよ。現在、新婚旅行の真っ最中でして」


 ちょっと自慢げなミクスの言葉に、船長は意外そうな顔をする。

 一般的に『向こう』での結婚適齢期は二十歳前後。対してフレイとミクスは十六歳前後なので、やや早熟に見えるのだ。


「しかしあんたら、変わった格好をしているね。アンカー列島じゃ最近、そういうのが流行ってんのかい?」


 船長は奇異なものを見る目だが、それも無理はあるまい。

 二人の服装は魔獣の素材を用いた、どこか秘境の先住民めいたものなのだ。


 フレイは竜種の甲殻と鱗に、熊種の毛皮などを合わせた軽装鎧。背中に装着した盾も甲殻製で、竜の牙を元に鍛えられた剣は上等な陶器のような白磁の輝きを放つ。


 ミクスはとんがり帽子にマントと魔術師の装いだが、こちらも魔獣の素材で作られた代物。他にも蝙蝠の翼の髪飾り、牙を括りつけた鱗の腕輪、蜘蛛の巣模様の腰布など、各所に魔獣の特徴をあしらったアクセサリーが身につけてある。


 そして……ミクスの格好は大きな特徴として、肌を晒す面積が大きい。

 上はヘソやら鎖骨やら丸見えで胸元も大胆に開かれ、下は非常に丈が短いホットパンツ。それにピッチリしたなめし革の黒衣が彼女の肌の白さと、無駄が見つからない完成されたプロポーションを強調している。

 マントで隠れているようでチラチラ見えるのが、また目に毒なこと。


「船長さん、長生きのコイツを教えてやろうか? それはな……他人の嫁さんをいやらしい目でジロジロ見ないことだ」


 ついつい目が行ってしまうのは無理からぬ話だが、旦那として黙ってられない。

 ギロリと睨みつければ、船長は青い顔で首を明後日の方向に捻った。


 ミクスは「独占欲が強い旦那で困りますねえ」などと口では言いつつ、満更でもなさそうにフレイとの密着度を上げてくる。

 それで動揺するフレイの様子をひとしきり楽しんだ後、船長の疑問に答えを返した。


「流行りというか、これは地元の装束ですよ。私たちはアンカー列島よりも、さらに東の出身でして」

「オイオイ、冗談きついぜ! アンカー列島は東の果て! それより東なんて言ったら、もう《暗黒大陸》しかないじゃねえかよ!」

「だから、その暗黒大陸から来たんだよ、俺たち」

「ブハハハ! じゃあ、あんたらは魔王軍の手先かなんかだってのかい? そいつは面白い冗談だな、ブハハハハハハハ!」


 笑い飛ばすばかりでまともに取り合わない船長に、二人して肩を竦める。

 フレイとミクスが育った《暗黒大陸》と、現在船が目指す《ニーベルング大陸》は、間を広大な海で隔たれていた。


 突発的に乱れる不安定な海流と天候。海中に生息する強大な水棲魔獣の存在。その他諸々の理由から、暗黒大陸まで辿り着いた例は未だなし。従って、ニーベルング人にとって暗黒大陸は未開の地。実在は知っていても実態はまるで知れない魔境なのだ。


 やれ「世界の支配を企む邪悪な魔族の巣窟」だの、「かつて地続きだった大陸を二つに割った、大いなる龍が棲む」だのと、おとぎ話の類も多数囁かれるほどで。


 この反応では、向こうで『力』を見せた日にはなんと言われることやら。

『生まれは』ニーベルングであるフレイが頭を痛めていると、突然船が大きく揺れた。

 船が右に左にと盛大に傾き、船員も同乗する冒険者たちも甲板を転げ回る。


「うわああああ!?」

「どこにでもいいからしがみつけ!」

「腕が千切れようと手を離すなよ! 海に落ちたら終わりだぞ!」

「あんたら、大丈夫かって平気そうだな!? この揺れの中で仁王立ちとかどうやって――って、え? 爪?」


 マストにしがみついて耐える船長が、フレイとミクスの足下を見て硬直する。

 二人は両足、正確にはそれぞれ具足とブーツから生えた『鉤爪』を、甲板にしっかり突き立てることで体を支えていたのだ。


 意味がわからず目を白黒させる船長を余所に、二人は鉤爪で揺れを物ともせず船の縁まで歩く。そこで揺れが治まったかと思えば、外の海面が大きく膨らんだ。

 高い水しぶきが上がり、海から巨大な影が姿を現す。


 見上げるほどの、船よりも大きい……イカ、としか言い表しようがなかった。

 それを目にした船員や冒険者たちは、次々と絶望の声を上げる。


「く、クラーケンだああああ!」

「暗黒大陸を目指した船をことごとく沈めたという、海の暴君!」

「伝説じゃあ魔王軍が飼い馴らしているなんて話まである、あの!?」

「魔の海域の番人が、なんでこんな近海に!?」

「もう駄目だ、おしまいだああああ!」


 武器を取りもせず、早々に匙を投げる面々。

 中には天を仰いで神に救いを乞う者までいる始末だ。

 そのいっそ潔いまでの諦めに、フレイとミクスは呆れる他なかった。


「なんつーか、随分と大袈裟な反応だな。歯応えのある相手なのは確かだけど。戦っても食っても、二重の意味で」

「その洒落、大して面白くないですよ? 海上で戦うとなると、船を破壊される危険性が伴う分、一層こちらが不利になりますね。……それを踏まえても、戦わずして祈るだけという行動は理解に苦しみますが」


 二人が武器を手に身構えると、船長が慌てたように叫ぶ。


「お、オイ!? まさか、クラーケンに挑むつもりなのか!? 勝てるわけがない! こんなの、攻城兵器クラスの《魔導機》でも持ち出さなきゃ、歯が立つもんかよ! 自棄を起こして挑んだところで、自殺行為だ!」

「その魔導機とやらがなにかは知りませんが、なにもせずに蹲っている方が余程自殺と同じでしょう。第一、狩りが命懸けなのは当たり前のことではありませんか。これは、私たちと彼らの生存競争なのですからね」

「狩りに絶対はないけど、まあ見てろよ。クラーケン狩りは初めてじゃないしな」

「なにわけのわからないことを言って――ぬおおおお!」


 悠長に会話している間にも、クラーケンの触腕が船に絡みつき初めていた。

 クジラも絞め殺すクラーケンの膂力を持ってすれば、この大型帆船とて長くは持つまい。こんなところで船が破壊されたら、いよいよ全員海の藻屑だ。


 再び甲板を転がる船長のことは放置し、フレイは船縁の上に立った。

 クラーケンとバッチリ目を合わせながら、手を拳の形に握る。


「よう、海の暴君。とりあえず挨拶代わりだ。――殴るぞ」


 そして《闇》で黒く燃え上がった拳を、勢いよく振り抜いた。

 瞬間、轟音と共にクラーケンの顔が歪む。あたかも、巨人の拳が突き刺さったかのごとく深々と。衝撃で巨体が大きく後退し、船に絡みついた触腕もいくつか外れた。


「く、クラーケンを素手でぶん殴ったああああああああ!?」

「いやいや、距離的にも届いてるはずないだろ!?」

「幻覚か? 今、巨大な獣の拳が見えたような……」


 棒立ちのまま、口々に騒ぎ合う船員と冒険者たち。

 すっかり観客気分の彼らへと振り返り、フレイは特に冒険者たちに向けて、冷ややかな視線を投げかけた。


「なにをボケーッとしていやがるんだ。まさか、このまま助けてもらおうだなんて、虫のいいこと考えてないだろうな? その腰や背中からぶら下げた武器は飾りか? 生き延びる気があるなら自分で戦え。船を潰されないよう触腕の相手くらいならできるよな?」

「他人の助けをアテにして怠けるような人は、クラーケンの囮兼餌にしちゃいますよ?」


 氷の礫や風の刃で触腕を牽制しつつ、ミクスもニッコリと冷たく微笑む。


「「「や、やったらああああああああ!」」」


 脅しでなく本気だと無事に伝わったようで、冒険者たちが先を争うように動き出した。

 船員たちも船に備え付けられた大砲で応戦するべく、作業に入る。

 一人取り残された感じの船長が、フレイとミクスを仰ぎ見ながら呆然と言った。


「あ、あんたら、一体何者なんだ? まさか、本当に魔王軍の……?」

「阿呆か。魔王軍なんておとぎ話だろ」

「私たちは暗黒大陸育ちの、ただのしがない狩人ですよ」


 ――いや、絶対「ただの」ではないだろ。

 そう言いたげな船長の顔に、二人は揃ってため息をついた。

 これでは向こうでも、平穏無事な新婚旅行とは行かなそうである。



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