表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

赤い赤い炎は誰が為に燃える


 フィーナは見た。鮮血にも似た、赤い赤い赫炎を。

 最初、燃え上がるフレイの体を見て、彼がやられてしまったのかと思った。

 しかし、それが誤りだとすぐに悟る。


 赫炎に包まれ、鎧ごと真っ黒に炭化したフレイの右半身。

 それがビキビキと異音を立てながら、半竜半人以上の異形へと変異する。手足からは鉤爪、頭からは尖角を伸ばす、焦げ付いた黒い外殻に。外殻の下には皮膚も筋肉も骨格もない。かろうじて人型と思しき輪郭を保って、ただ炎が赤々と燃えていた。


 体が燃えているのではない。体が、炎そのものと化しているのだ。


【グルルルッ】

「なん、なの、アレ」


 口から火を噴く魔物なら話に聞いたことがある。

 全身に炎を纏う魔物なら実際に見たこともある。

 しかし……『身体が炎でできている生き物』など、見たことも聞いたこともない!


『ウギャアアアアアアアアアアアアアアアア――ア? あ? へ?』


 断末魔の叫びが、困惑と恐怖と混乱の声に変わる。


 使徒は『傷一つない』己の全身を両手で忙しなくまさぐった。のっぺらぼうの顔でも、その手つきから狼狽のほどが窺える。

 夢か幻覚かと使徒が惑うのも束の間、フレイだった赫炎の怪物が動いた。


【グルア!】


 変異した右足が火を噴き、その反動で怪物は跳躍。

 最早、飛翔に等しい勢いが、上空にいる使徒との間合いを秒で殺す。

 振り抜かれた赫炎纏う右拳に、使徒の体がパンケーキのごとく噛み千切られた。


『ヒギィ!? ……ぎ? が? あ?』


 胴の半分以上が削り取られ、誰の目にも明らかな致命傷。

 しかしその体が赫炎で燃え上がったかと思えば、後には無傷の使徒が。


 炎に包まれて再生するなんて、まるで伝説に語られる不死鳥か。

 だが、それが使徒自身の意図した現象でないことは、使徒が全身で表す混乱の様子からも明らかだった。

 ならば、あの異常を引き起こしているのは、赫炎の怪物に他ならない。


 魔獣の力を操るというフレイとミクスの暗黒魔術も、フィーナにとっては十二分に未知の領域だった。司祭が変じた使徒も、神話から現れたかと見紛うほどの脅威だった。しかし、あの赫炎はそれらをも遥かに凌駕する、あまりにも人知を超えた規格外。


 一体、アレはなんだというのだ。


 フィーナは自分と仲間の獣人たちを庇うように覆い被さった、ミクスへと視線を向ける。どこか悲しげな彼女の表情に、驚愕や動揺の色はない。つまり、あの赫炎の怪物を知っているのだ。彼女も三種混合の異形に変じているが、とても気にしていられない。


 言葉にならず視線で問いかけるフィーナに気づき、ミクスが苦笑を浮かべた。


「私たち《ダークの民》に伝わる暗黒魔術、魔獣の力を操るその奥義には、大きく三つの段階があります。魔獣の素材を媒介として消費し、瞬間的に魔獣の能力を具現化するのが奥義の一【獣臨】。魔獣の素材で作られた装備を媒介に、我が身を半獣半人に変える奥義の二【獣装】。そして最後が奥義の極み――体内に魔獣の力を定着させ、己の中に獣を宿すことで、媒介を必要とせずに我が身を獣と化す【獣躯】です」


 ほとんど説明になっていないが、言わんとしていることはなんとなくわかった。

 その【獣躯】とやらでフレイが変異した結果が、あの赫炎の怪物。

 しかし聞く限り、【獣躯】自体は先に見た暗黒魔術の延長に過ぎない。


 つまり、異常で規格外なのは術でなく――。


「ただし……彼の中に宿るのは、《獣》の範疇を遥かに逸脱した《龍》ですがね」

【グルアアアアアアアア!】

『ぬ、ぐああああ! 汚らわしい魔族ごときが、図に乗るなああああ!』


 言葉こそ傲慢だがその実、恐れを振り払おうとする必死で悲痛な絶叫。

 使徒は光輪から光の矢を乱発する。矢の威力は石造りの壁を容易く穿ち、穴の周囲にはヒビ一つ入らない貫通性。冒険者はおろか、魔導鎧で身を固めた王国軍さえ、降り注ぐ光の矢に抗う術はないだろう。


 まさに神の御使いが下す裁きの光は、しかし赫炎の怪物に対し全くの無力だった。


 効く効かないの以前に、届かない。怪物の半径三メートル付近に達した時点で、光の矢が突如として発火し燃え尽きてしまうのだ。『光を燃やす』などという事象は、フィーナが知る限りどんな魔法でもありえない。しかし現実に起こっている。


 逆に怪物の攻撃は、一撃ごとに使徒の体を消し飛ばした。


 拳や蹴りの一振りで半身がボロ炭に変わり、体内から発生した火球で残りの半身が灰になる。ときに一撃では原型を失わずに済むこともあるが、原型がなくなるまでの苦痛が長引くだけ。魔力障壁や高速飛翔で抵抗を図っても、全くの無意味。


 炎に放られた木の葉のように、使徒は一瞬で火達磨と化した。

 ――そして次の瞬間には、使徒の体は傷一つ残さず元通りになる。


 再生したところで痛みはあるのだろう。繰り返すごとに使徒の声は、恐怖と絶望の色を幾重にも塗り重ねたものになる。のっぺらぼうの顔が悲痛に歪む。


 しかし、終わらない。頭を潰されても。心臓が胴体ごと消し飛んでも。全身が灰になっても。磨り潰されても。焼却されても。赫炎に包まれては蘇る。そして死ぬ。再生する。殺される。元通りになる。燃えて。燃やされて。何度でも、何度でも、何度でも!


 それは苦痛のための再生。破壊のための回復。本来なら一生にあって一度きりで済む、想像を絶する死の痛苦を、絶え間なく与えられ続ける地獄の責め苦だ。


【グルアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!】

『やめ……許し……助け……!』


 悪夢よりも酷い地獄じみた光景だった。


 光輪と翼を備え、まさに天使がごとき威容を輝かせた使徒なる存在。

 それがまるで、鳥を捌いて串焼きにでもするかのような気安さで、翼を千切られ光輪を砕かれ、八つ裂き串刺しの挙句に燃やされる。宙を舞い、地べたを這いずり、怯えた悲鳴を上げて。その有様に、神の御使いとしての荘厳さや威圧感などどこにもなかった。


 人が伏して崇めるべき絶対の存在。そう教会が声高に嘯く威信を、圧倒的な暴威が嘲り笑い踏み躙る。歴史ある信仰と神話が、紙切れのごとく炎に焼いて捨てられる。


 信心深い、平伏して神に救いを祈っていた者たちが、夢から醒めたような顔でそれを見ていた。

 そこにいるのは自分たちの不信心を断罪する天使などではなく、暴力をさらなる暴力で踏み躙られる、ただの矮小な人なのだという事実を突きつけられて。

 あの恐ろしい赫の炎に比べれば、神も天使もちっぽけな存在なのだと思い知って。


『うぐおおおお……! な、なんだ? なにが起きている? 私は死んで、生きて? うああああ! 貴様、私の体になにをしているのだあ!?』

【なにをしたかと言えば、ただ「燃やした」だけだ。その機械仕掛けの体に仕組まれた能力も、不死性も、なにもかもな】


 獣じみた唸り声ばかりだった怪物が、不意に理性的な言葉を発した。


 怪物の異形と化した側の顔には眼球がなく、空っぽの眼窩から炎が絶えず迸っている。その一方でよくよく見れば、人の形を留めている左側の眼には、変わらぬ意志の光があった。つまり、半分はフレイの意識が残っているというのか?


 あの怪物に人の意識が同居しているなど、俄には信じ難い。しかし、どこか人ならざる者じみた口調ながら、確かにフレイの声で怪物は語る。


【我が炎は赫怒の劫火。森羅万象、一切合切を焼き尽くす災禍だ。貴様が死なないのも、焼き殺す度に『貴様の「死」を燃やして』蘇らせているだけのこと。距離も、時間も、時空も、次元も、我が赫炎の前では等しく灰燼に帰すのみ。――そら、この通りにな】


 怪物が前方へかざした手のひらの上で、赫炎が燃える。

 すると、地を這い怪物から必死に遠ざかろうとしていた使徒が、瞬きの間に怪物の手に捕まった。傍からでは、使徒が自ら怪物の手元へ瞬間移動したようにしか見えない。


 距離も燃やすと怪物は言った。つまり使徒との間にあった距離を、燃やして失くしたとでもいうのか。やはり、あの赫炎は異常だ。自然現象でも魔導工学でも、現象や事象そのものを燃やすような炎なんて在り得ない。


『ひぃぃ、ひぃぃ……! なんだ、この理不尽な力は、異常だぞ!? おのれ、悪魔め! なぜ貴様のようなバケモノが私の前に、なぜ私がこんな目にぃぃ!』

【我は憤怒の化身。力なき者の、切なる怒りが我を呼び寄せた。後ろの子供たちだけではない。その卑小な優越感に浸るために貴様、どれだけ多くの獣人たちを虐げてきた? 貴様にこびりついた彼らの無念が、怨念が、我には視えているぞ】


 怪物の半身を形作る炎が揺らめき、なにかの像が浮かび上がる。

 それは、顔だった。怒りと憎しみに満ちた、獣人たちの顔だ。


 その中に見知った顔を見つけて、フィーナの心臓がキュッと締めつけられる。今、腕の中で気を失った獣人たちは、仲間の全員ではない。この場にいない仲間の顔が、怪物の赫炎に浮かぶということは……つまり、そういうことなのだろう。


 彼らが永遠に帰らぬ身と悟ったフィーナの耳に、使徒の耳障りな嘲笑が飛び込む。


『は、ハハハハ。なにを言い出すかと思えば。人の皮を被った畜生同士で、傷の舐め合いか? くだらん! 我ら穢れなき真なる人族と、貴様ら薄汚い獣人とでは、命の価値が違うのだ! 獣人ごときゴミどもの怒りなどで、この神聖なる体を傷つけるなど万死に値する大罪だぞ! 身の程を弁えろ、このクズがあ!』

「お、ま、えぇぇ……!」


 仲間を助け出した安堵と、怪物の規格外ぶりで吹き飛びかけていた怒りが再び込み上げる。こいつは自分の手で殺さねば治まらないと、憎悪の火が魂を焼く。

 しかし――その怒りと憎しみの火が、スッとフィーナの中から引いていった。


 怒りも憎しみも鎮まったわけではない。

 ただ、それらがフィーナの手元から離れ、赤い赤い炎となって怪物に吸い込まれる。


【勝手で悪いが貴様たちの怒り、引き受けさせてもらうぞ】


 半身の赫炎が火勢を増し、人のままの半身を焦がした。

 フィーナだけでなく、多くの怒りと憎しみに身を焼かれながら。

 怪物は逃げず拒まず否定せず、その全てを受け入れ引き受けていく。


「――最後の一押しになったのは私に対する侮辱でしょうが、フレイはずっと憤っていたのです。あなたたちが受けた理不尽な仕打ちに。あなたたちだけでなく、多くの罪なき獣人を嘲笑い踏み躙った、あの司祭の理不尽に。その怒りが彼を怪物に変えた」


 ミクスは泣き出しそうな顔で、しかし呼び止めることはしなかった。

 炎を纏い、炎に焼かれ、炎となる背中を、決して目を背けずに見届ける。


「恐れるのは当然ですし、感謝しろとは言いません。でも、どうか知っていてあげてください。彼が、あなたたちの痛みを思って怒っていることを」

「私たちの、ため……?」


 ――誰も助けてなんかくれない。誰も手を差し伸べてなんかくれない。

 そう言ったフレイが、ここまでフィーナを連れてきてくれた。仲間を自分の手で救えるよう、助けてくれた。無力な自分たち獣人の怒りに、手を差し伸べてくれた。


 怖いのに。恐ろしいのに。禍々しくて、異形で、異常な怪物なのに。

 まるで、小さい頃の絵本で夢見た勇者様みたいだ。


『ま、待て! 貴様、神の代理人たる我ら教会の者に手を出して、タダで済むと思っているのか! 既に聖戦の準備は整っているのだ! 我らが偉大なる神の光が、貴様ら穢れた闇を暗黒大陸から浄化する! これに逆らえば、死後も永久無限の神罰が……!』

【うるせえ、知るか。燃えろ】


 怪物に掴み上げられた使徒の全身が、瞬時に炎上する。

 皮膚が爛れ、肉が溶け、骨が焦げつく。

 今度は再生せず、かといって燃え尽きもしなかった。


 天使の皮も剥がれた司祭が、しかし人の形を保ったまま灼熱の中で踊り狂う。

 終わらない責め苦にのた打ち回るその有様こそ、地獄で業火に焼かれる咎人の姿。


『――――!』

【それは貴様が踏みつけてきた者たちの憤怒。救われぬままに命果て、それでも死に切れず世界に焼きついた怒りの炎だ。彼らの怒りが晴れるまで、彼らの痛みが癒えるまで、何日でも何年でも赫炎に焼かれ続けるがいい】


 炎の眼で一瞥したのを最後に、怪物は踵を返す。

 黒殻が赫炎を閉じ込めるように合わさって人型を作ると、ボロボロとひび割れ剥がれ始めた。黒殻が全て剥がれ落ちると、そこには元通りの姿になったフレイが。


 酷くバツの悪そうな、しかし引き起こした異常のほどに比べれば、呆れるほど軽い調子でフレイは呟く。


「悪い。またやらかした」

「いつものことでしょう? 慣れっこですよ。まあ……謂れもない誤解が、もう取り返しのつかない次元に悪化したようですが」


 そう言ってミクスが視線を巡らせた先には、頭を地に擦りつけて平伏す人々。

「これが魔王軍の力」「いや、アレこそ魔王」「いいや魔王より上の魔神」等々と、かろうじて拾える言葉だけでも、恐怖で憶測が飛び交い戦慄で妄想が加速し、話が際限なく大きくなっている様子。なんだか司祭のでっち上げよりも話が膨らんでいるような?


 たぶん実際は、どの言葉でも到底収まらないような存在なのだろうけども。


「とりあえず逃げましょう。やるべきことをやり遂げたら、後始末は偉い人に丸投げしてとんずら。これがはみだし者の鉄則です」

「どこか安全な場所で、仲間の手当てもしないとな。なんかもう、勝手に首突っ込んだ挙句に今度はこっちが巻き込んだ感じだけど……災害に巻き込まれたモノと思って、諦めてくれ。お前とお前の仲間と、お前らのご主人様の安全を確保するまではひとまず、さ」


 それでも、この二人が本当は優しい人たちだと、自分には信じられたから。

 二人から差し出された手を、フィーナは迷いなく掴んだ。


 蜘蛛糸の揺り籠が自分と仲間を優しく包み込み、蝙蝠と竜の翼で空へ連れ出される。

 異形の姿で飛ぶ二人が、フィーナの目には神様のように見えた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ