星影さま お祝い小説
タイトル:よつ葉のクローバーに願いを込めて
『宝くじが当たったら、こんな仕事すぐやめてやる』なんて思ってた。
3Kどころか9Kと言われるようなこの仕事。
かけがえのない職業だとか、立派なことをしているとか、そんなこと言われるわりに、奴隷や小間使いみたい扱いをされることも多い仕事、看護師。
ちなみに9Kというのは、きつい、汚い、給料が安い、危険、休暇がとれない、帰れない、過酷な労働環境、化粧ノリが悪い、婚期が遅くなるの九つ。
本当にそうなのかな、なんて分析してみるけど……
基本、皆、腰やら肩やらどこか痛めてマッサージ通い。
人が顔をしかめる嘔吐物や、排泄物を扱うのなんて日常茶飯事。
みーんなやめていくから、スタッフもギリギリの人数で回しているし、認知症の患者さんに噛みつかれたり殴られるのだって、いつものことだったりする。
本当に帰れないときは日にちも越えて、お肌だって夜勤やストレスのせいでボロボロ。
アラサーに足を踏み入れつつある私も、実際結婚の兆しはなし。
うん、間違ってないや。
「申し送りを始めます」
おっと、いけない。
夜勤リーダーが管理日誌を開いている。
集中しなきゃ、と気合いを入れて用紙を挟んだ板を握った。
「昨日から送ります。三月三十一日日曜日、入院なしで退院が……」
流れるように申し送りがされて、看護師たちは受け持ち患者のもとへと散っていく。
気が重い。
だって、今日は月曜日。
入院も退院もたくさんで、朝一番から膝や腰、手の手術と、立て続け。
トップリーダーは話しかけにくい小山さんだし、受け持ち人数も多く、処置が多すぎて追いつかないのが容易に予想できるんだもの。
九時の消灯までに終われる気がしない。
ほら、早速ナースコールが同時に三つ鳴っている。
朝から忙しい日は、大抵就業時刻の十七時を超えてもずっと忙しい。これは私調べ。
今日はなんだか、ひどい日になりそうな予感だなぁなんて、ますます気が滅入ってしまう。
急いでコールをとって五○三号室へと入ると、みるみるうちに血の気が引く感覚がして、思考が止まってしまった。
三上さんが車椅子に乗り損ねて転んでいたのだ。
「失敗しちゃった、えへへ」
本人は笑っていて大事はなさそうでよかったけど、お腹の中ではぐつぐつと苛立ちが募る。
どうして、こんな忙しい日に勝手に動いて、しかも転んじゃうの!? って。
ナースコールで応援を呼ぼうとするけれど、ランプは転倒しっぱなしで、なかなか取られる気配はない。
そりゃそうか。
さっきからあちこちでコール鳴りっぱなしだったもんね。
手が空いているスタッフがいないのも当然だ。
「痛いところはないですか?」
「ないよ、全然大丈夫! 悪いけど、ベッドに戻してくんない? 一人じゃ力がはいんねぇんだ」
三上さんは、へらへらと笑いながら手を伸ばしてくる。
いつも明るく楽しい三上さんが、この時ばかりは私の邪魔をしてくる敵に思えて仕方がなかった。
笑わなきゃ。
感情的になっちゃだめ。
私が忙しいのと三上さんの転倒は、三上さんにとっては別の出来事なんだから。
そんなふうに思うのに、手術出しの準備をしたい焦りと、タイムスケジュールを崩されたことへの怒りが止まらない。
「一人で乗り移りしないでって言われてますよね!? 何で勝手なことするんですか! 私一人じゃ戻せませんし、血圧測ったり、動き見たりしたあと先生に報告する必要があるんで、ちょっと待っててください!!」
口から出てきたのは、白衣の天使からはほど遠い声。
鬼平という私の名字の通り、鬼みたいにキツくて刺々しい声だった。
ひょっとしたら顔も、鬼みたいになってるかもしれない。
「看護師さんてば、そんな顔真っ赤にして怒らなくってもさぁ~」
幸か不幸か、三上さんは相変わらずへらへらと笑っていた。
そのあとは、どうやって乗り越えたのか全然覚えていない。
ちゃんと乗り越えられていたのかどうかすらわからない。
転倒後のフォローに、手術出しと手術迎え、入院オリエンテーションに、食事介助と褥創回診。
あまりにも忙しくて、朝の検温を十五時前に回っていたことは覚えている。
記録を終えて、病院を出たのは二十二時過ぎで、うるさいくらいに鳴っていたお腹も、食事を諦めたのか、不思議と満腹の感覚だ。
食事を作るのも面倒で、大して美味しそうに見えない残り物のお弁当を買って帰った。
「何やってんだろ、私……」
棚に飾ってある高校時代の友だちと写っている写真を手にとって呟いた。
美容師の美保はいつ会っても華やかで綺麗で、事務の由紀子は会うたび仕事の文句ばかり言っているけど、楽しそうで。
二人とも充実していて、キラキラしているように見えるけど、私だけがどんどん荒んでいく。
自分で選んだはずの道なのに、自分を苦しめてくる悪魔の仕事にさえ思えて仕方がない。
「宝くじ当たってないけど、辞めちゃおっかな……」
まだ二十代だし、全然違う職に就くのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、棚に写真を戻すと、デパートの包装紙が目に入った。
「なんだ、これ?」
このデパートで買い物をした覚えもないし、大事なものをとっておく用の棚に置いている意味もわからない。
手にとってみると、なぜか固い。
どうやら、二つ折りの包装紙の中に画用紙が入っているようだ。
包装紙を開いてみて、ハッとした。
「これ、中野さんの……」
中の画用紙をそっとなぞって、呟く。
画用紙には、いびつな形をした四つ葉のクローバーが描かれ、横には“鬼平さんへ”と細かく震えた字が書かれていた。
この絵は、看護学生の実習で担当させていただいた患者さん、中野さんがくれたプレゼントだった。
小柄で、柔らかい雰囲気のおばあさんである中野さんは、『貴女のおかげでリハビリ頑張れたのよ』と自分で描いた絵をプレゼントしてくれたのだ。
『下手くそで、ごめんね。綺麗に作りたかったんだけど、包装紙しかなかったの』と、困ったように微笑んでいたけれど、その気持ちが嬉しくて。
何よりも、ここまで描けるほどに回復したことが、本当に嬉しくて。
だから私は、中野さんみたいに痛みや苦痛を乗り越えて喜ぶ人を増やせるように、たくさんの人のサポートをしていきたいってあの時決めたんだ。
視界がぼんやりと滲み、ぽろぽろと涙が溢れ、零れていく。
日々の業務に追われて、忘れていた。
自分が何をしたかったのか。
それに、看護師がこんなにも素晴らしい仕事だったということ。
病や怪我で辛い思いをしているときに、私という看護学生の受け入れをしてくれた方々がいたことも。
そして、実習終了の時に担当させていただいた患者さんと交わした握手。
この右手には『素敵な看護師さんになってね』と、たくさんの方の想いが託されてきたんだ。
「思い出せて、よかった」
ぐしぐしと涙を拭い、ベランダに出て深呼吸をした。
星が輝く空の下、一際大きな建物、病院が見える。
今日も明日も明後日も、9Kなのは変わらない。
嫌なことや辛いことだって、たぶんある。
だけど、これからはきっと大丈夫。
私の右手には、私の夢を応援してくれた患者さんたちの、優しく温かい想いがたくさん詰まっているんだ。
看護師になる夢は叶えたけれど、私の夢はまだまだ終わってなんかない。
右手を夜空に透かして、にこりと笑う。
ずっと忘れていた夢を、ちゃんと叶えなきゃ。
『患者さんに寄り添える看護師で居続ける』という、難しいけれど、とびきり素敵な夢を。
星影さま
素敵なお話のプレゼントをありがとうございます。
今の気持ちを忘れることなく頑張っていきたいと思います。
そのことを教えてくださった星影さまに感謝の気持ちを気持ちを込めて・・・
初心を忘れずよつ葉らしい看護師になりたいと思います。
よつ葉宝物になりました。