#4
1
六時前とはいえ、今は一月。すっかり暗くなってしまった。コンビニや飲食店のネオンだけが暗闇に溶け込まないで目立つ。高太は歩く速度を速めた。急いでいて前を見ていなかった。ドンッ。誰かとぶつかった、そんな気がした。
「すみません」
金髪の高校生ぐらいの少年が横切った。ヤンキー?チンピラ?どっちも同じか?いや、今はそんなことは関係ないか…。気になってはいけないとは思いつつも、振り返った。しかし、通り過ぎたのは三十代のひどく疲れた様子の男性だった。仕事で疲労でも溜まっているんだ…。同情しながら交差点前の横断歩道で信号が赤から青に変わる瞬間を待った。
しばらくして信号の色が変わり、高太は渡り始めた。向こうの歩道まであと半分、右方向からトラックが猛スピードで走ってくるのが見えた。運転しているのは先程すれ違った男性。あれっ!?今、車が遅くなって運転手の顔が金髪高校生に変わった気が…。いや、三十代男性だ、違う、高校生だ三十代男性だ高校生だ三十代男性だ、金髪高校生だ…。高校生は不気味すぎる笑顔で一瞬の迷いもなく左折。その笑顔のまま突っ込んでくる。高太に迫りくるトラック。
「ハッハッハ…」
高校生は意味もなく笑っている。彼の顔に黒いひつじが浮かんだ。そのひつじは高太に向かって言った。
「お前…見たな。人間とやらは下らない産物だ…」
「僕…思い出した」
「えっ!?何を!?」
ひつじは目を見開いた。そこで、高太はトラックにひかれるまでの記憶を話し始めた。
「多分、この後僕はトラックにひかれた。そして死んでいたはず。でも僕は…生きているんだよね?」
「うん、そうよ」
「あの…もしかしてさ、ひつじはそのとき助けてくれたの?それから、ここに連れてきたの?だからトラックにひかれていないし、死んでもいない。違う?」
何年前…だったか。
気が遠くなるほど、昔のことかもしれない。それでも、現在も鮮明に覚えている。目の前で向日葵が揺れた。夏の象徴が咲く園に、一人の少年と少女が遊んでいた。人間はこんなに豊かな表情をするんだ。新しい発見をしたときは誰だって歓喜したり別の世界が開かれているように感じる。"ひつじ"という名の少女もまた、そんな気持ちだった。彼らと話したい。しかしそれは叶わない。人間には見られていけない、生まれたときからそう言われてきた。
二人に見つけられそうになると、ひつじは向日葵に身を隠す。でも、つい向日葵の可憐さに目を奪われて、背後に少年が近付いていることに気付いていなかった。
(まずい!)
ひつじは姿を消した。突如いなくなった少女に、高太は首をかしげた。どこに行ったのだろう。探しても少女はいなかった。友達になって、一緒に遊びたかったな。残念がりつつ、少女のために白い花を摘んだ。
「これあげる」
姿は見えない。どこにいるかも分からない。それでも仲良くなりたかったから。高太は花を地面にそっと置き、ベンチに座り、少女との再会を待ち続けた。
いつの間にか眠りに落ちていた。ふと地面を見ると、その花はなかった。少女だ!高太は、嬉しくて笑みがこぼれた。ふと顔を上げると、いかにも怒り心頭といった様子で、莉花が腕を組んで立っていた。
「もう、どこに行ってたのよ」
「ここにいるんだからここだろ」
「そういうことを言っているんじゃないの!」
これじゃあ、僕が悪いみたいじゃないか。実際、そうかもしれないが、もう少し愛想良くしてもらってもいいと思う。
きっと、十年先、二十年先も、こうやって目の前を歩いている彼女に振り回されているんだろうな。何年経っても変わらない関係と未来に、高太はしょうがないなとため息を尽きつつ、でもそうだと良いなと思った。それでも、莉花と仲良くやれているのなら。
…嬉しそうな君の姿。もし、私が人間なら、君と遊びたかった。君は、この花をどうしてくれたの?私を友達と認めてくれたの?花に込められた高太の思いをひつじは知りたくてたまらなかった。初めて知った。花がこれほどにメッセージを持っていることを。人間は、自分以外の誰かの不幸を喜ぶだけではないことを。高太への思いが幾多にも混合して同化して、その象徴ともいえる花は今胸にしまわれた。この花があるから、君と繋がっていられる。そういうわけではないが、花が放っている何かに胸が打たれたような気がする。
いつか会える日までさようなら。
人も神も、全てのものとの関わりが永遠に続くとは限らない。いつかは途絶える。人はその関わりを出来る限り永遠に近づけようとする。医療では、延命治療という手でー。
そうでもして生きる意味は?理由は?
ひつじは目に見えない絆の糸を見ているようだった。
私は再会したんだ、君に。
2
莉花は部活が終わり、六時頃に帰宅した。共働きの家庭。用意されていた夕食をチンし、一人で食べた。メニューは昨日、一昨日とは違う。しかしどうにも食欲がわかなくて、とうよりは、昨日と同じ味がして、残したことがバレないように親の分にそれを入れた。好きなテレビ番組を見たらテレビの電源を消し、自室で冒険小説を読んだ。それは九時を回った頃だったと思う。電話が鳴った。受話器を取り、莉花はもしもしと言った。高太の母からだった。
「高太がいない…?」
視界がぼやける。全ての神経は正常に働いているはずなのに、立っているだけで目眩がした。こういう場合、どう言葉を出したらよいのか。莉花は逃げるように母親に電話を代わらせた。
私は本当に逃げたかった、何かから。でも…結局、私は何から逃げたかったのだろう。高太の母から?電話越しに生に伝わってくる息子を失くした母の悲しみ。心の痛み。直に感じて苦しかった。高太がいたところだけ穴があいた。"失ってから大切だと気付く"そんな格言があるから、余計に感じてしまうのではなくて?…それから、言いようもない罪悪感に苛まれるのは何故?
当時のことを思い出すと、謎の罪悪感に襲われる。誰でもいいから、誰かと話せば楽になるだろう。莉花は屋上に久しぶりに行った。
屋上には先客が二人いた。莉花は恭の隣まで歩いた。
「先日、不思議な人に会ったの」
恭は返事も相槌もない。
「以前、高太をさらったかもって怪しんでいた人なの。それがどうも、『心臓抜き取り連続殺人事件』の犯人、みたいなことを言っていて…」
「嘘っ!?」
莉花を避けていたことも忘れ、恭は思わず前のめりになった。
「何か…そうほのめかしていたの。真相は分からないけれど。それから…高太は空の上にいるらしくて…。あと…ショックを受けないで聞いて欲しいんだけど、奈未の家族のもその事件の犯人の仕業みたいで…」
「じゃあ…それじゃあ、今の話が事実ならば、どうして死んだのか身内の私に教えなかったのはそういうこと?連続殺人事件の犠牲になったことを私達が知ったらさらに悲しむだろうから」
「お父さんは知っているの、本当のこと」
「たぶん…何も」
「行こう」
恭は言った。
「え?」
莉花と奈未は突然の提案に驚いた。しかし、そんな二人を気にしないで恭は走り出した。莉花と奈未は顔を見合わせた。仕方ないな、という表情で恭の背中を追いかけた。
「突然何なんですか。子どもが来たところで何にもなりませんよ」
3人はテーブルを挟んで主治医の森田と向き合った。
「死因について説明できます?」
「個人情報です」
「遺族の私には何も伝えないのに?」
「あの患者に関しては医療関係者以外に口外することはできないと決定されているんです。たとえ相手がご遺族であったとしても。分かりましたか、早くお帰り下さい」
「じゃあ、最後に1つ良いですか?」
恭は手を挙げた。
「ええ…良いですよ」
「その…心臓がなかった、とかそういうことはなかったですよね?」
「…そんなわけないです」
「それ、黙っている必要ありますか?」
「最後の質問と言っていましたよね、ではこれで」
そう言って森田は退出しようとした。
「誰も質問が最後とは言っていません。これは、質問ではなく、確認です」
「何を…」
「あんたはなんの為に医療を勉強してきたんだ。遺族に嘘をつく為か?心臓がない原因を…」
「ついていい嘘だってあるだろう。大人の社会とはそんなものなんだ。それに君らだって心臓がない遺体があると言っているが、それこそ嘘だ。私をからかうのもいい加減にしなさい。大体証拠なんかないだろう」
「じゃあ、心臓があったという証拠ならありますか?」
「は?」
「確かに、ないものを証明するのは難しいです。お化けや空飛ぶ絨毯。それらの存在は証明できません。ですが、あるものを証明するのはそれより簡単なこと…林檎だって人間だって、その存在は証明できます。だから、証明できますよね?」
「…心臓はなかった。…今のは独り言だ。さあ、早く帰れ」
「本当に私が会った高校生がやったことなのかなあ。男子とはいえそんなに何人も殺せる?あのときは夢見ていたのかも」
「今更何言っているんだよ」
「まあ…うん」
「それより、高太に会いに行こうぜ」
「そっちこそ何言っているの!?」
「会って、こっちの世界に連れ戻せば良い話だろ?」
「そんなことできる訳ないじゃないの」
「やってみなけりゃ分からないだろ。やる前から諦めるなんてことは敗者がやることだぜ」
「…どうするの」
終わりの見えない迷路に挑戦しているみたいだと莉花は思った。答えの近くにいても届かないもどかしさや、回り道を何回も通っているような感じ…。
上手くいくはずがないと危機感を抱いている自分は正しいのだろうか。不安で顔を曇らせる莉花とは反対に、奈未は活気づいていた。
高太を助けたい。ここに連れ戻したい。今この3人の中に高太もいたら…どんなに良いことだろう。だけど頭の中に浮かぶのはいつも形がはっきりしない自分達。ミイラ取りがミイラになるのでは…。
バレーボールをやっている女子のはしゃぐ声。1、2、3っ!あーっ、落ちちゃった。駄目だったね。もう1回やろう!
3年前の高太が言う。もう1回やろう!次だよ、次頑張ろうよ!
「…もう、嫌だ…」
涙がこぼれた。無理だ。前進できない。
3
あっという間に1年が経った。大神は以前より神座から動かなくなった。そして、いつもどこか遠くを見つめていた。
空には月が浮かんでいた。シノビは1人、思案にふけっていた。長い長い廊下でその月を眺めながら。
「シノビ、起きておったか」
「目がさえてしまって」
「何か考えていたのか?」
「何も…。考えているようでただぼーっとしているだけでした」
「なあシノビ、わしは思うのだが…」
「はい」
「わしは大神に相応しいといえるのか。初めて人間を侵入させてしまったのだぞ」
「大神様は勿論大神に相応しいお方でございます。何故なら、常に天界に心をお配りになられているからです。そのような心優しき方こそが我々が尊ぶべき大神なのです」
「そうか」
「はい。大神様、空に月が見えるでしょう」
「ああ、そうだな」
「月は自身が輝いているわけではありません。太陽が月を照らして初めて月は輝けるのです。大神様は、今は月と同じようです。元気がございません。私が大神様を支えます。ですのでご安心を…」
「では、今の私は輝いているのか?」
「それは…」
「気を遣ってお世辞を言わんでも良いのだ。…またな」
「大神様…」
大神がこんなに弱っているのは、初めて見た。大神の心に空いた穴は、どうやって埋めれば良いー。




