#3
1
太陽は沈み、月が地面を照らす時間になった。天国も人間の世界と同じだった。まるで子守唄のように、蝉や蛙の鳴き声が響き渡る。それ以外はしんと静まっている。ゴミをしっちゃかめっちゃかにし、普段は迷惑な烏も、日常で見なれている雀も、それから燕も皆、それぞれの巣で明日を夢見ている。
高太はまぶたを微かに開けた。まだ夜は明けていなかった。同居しているリュウには申し訳ないが、今日も眠れそうにない。高太は寝床を抜け出すと、庭のベンチに腰を下ろした。ここから、月がよく見える。月も、天国にもある。もしかしたら、この月を向こうの友も見ているのかもしれない。そう考えたら、少し心が落ち着いた。
今日の給食の献立はなに?ヨーグルトが出たら莉花は必ず近くのクラスメートにこっそり渡すだろうな。それとも、もう夏休み?通知表の成績、恭と勝負しようって決めてたな。莉花は賢いから、通知表に恐怖なんか感じないんだろうと思う。そういえば恭は、イタリア愛を語っていた。何故イタリアが好きか。理由はいたって単純で、世界遺産も美味しい食べ物も沢山あるから…って、小学生じゃないのに。でも、大人になったら旅行したい。せっかくの海外旅行だからアメリカ横断とか、ヨーロッパツアーとか。
莉花…人見知りで、人の何倍も責任感がある。幼い頃から当たり前のようにいつも一緒にいた。
恭…早く、恭とサッカーをやりたいよ。恭の周りの気さくな空気が、何よりも僕は好きだよ。
友への思いが急劇に込み上げてきた。どうして僕だけがいないんだ?何で笑い合ったり慰め合ったりできないんだ?誰よりも二人に会いたいと願っているのに。
僕は、悲しいよ。寂しいよ。
リュウの口から出た言葉にひつじは仰天した。
「高太を自分の代わりに住まわせろ、って。どうしたの?」
「それはー」
リュウはしばらく黙っていた。
「いつものリュウらしくないよ…」
「分かっておる」
「ならば何故なの。どうして役目を途中で投げ出そうとするの?」
「引き受けてくれれば良い」
「リュウ!理由を説明して。何かあったんでしょう?」
「自信がないのだ!高太は私といてもちっとも寂しさを忘れてはくれぬ。それどころか、ますます寂しさは強くなっている…。高太は、毎晩、家族や友を思って、外に出て遠くを眺めておるのだぞ」
沈黙が広がった。強そうに見えるリュウも弱さを抱えている。他の誰かと同じで悩む。それは自分と何一つ変わらない。変だ。重なって見える。涙を流したあの日の自分に。…手を差しのべよう。助け合おう。自分の知らなかったリュウは、自分が知っている姿をしている。
「大丈夫。もう悩まないで。リュウだけに任せるのは公平じゃないから、これからは交代制にしよう。それから、」
ひつじはゆっくり笑った。
「必要以上に抱え込まないで?」
「ひつじ…ありがとう。…泣いてしまうじゃないか」
「それなら泣けばいい。泣きたいときは泣けばいいの。辛いときは思いっきり辛くなればいいの。そしたらその分、未来には笑顔が待っているから。…でしょう?」
「さらに泣いてしまう…」
リュウは笑った。
2
「国立高太って奴、知ってる?」
「えっ…?」
疑心のない聡明な瞳に揺れ動く心が浮かんだ。恭と高太は知り合いだったのか。
「国立高太って…」
「知らない?俺のサッカー仲間。同じサッカーチームに所属していたんだ。同じ中学校に進学するから、そこのサッカー部には入ろうって約束した。その高太が話していたんだ。幼なじみの松野莉花のことを。名前が同じだから、もしかするとって…」
「うん…そう、私が松野莉花」
「なあ、高太がどうして急にいなくなったのか、気にならない?」
「それは気になるけど…」
「帰って来ないかも…」
「何でそんなことを言うのよ。高太の事件に興味本位なの?」
「ごめん。悪気はなかったんだよ。高太には一日でも早く戻って来てほしいと願っているよ。そんなに怒るとは思っていなかったし、本当に冗談のつもりだったんだけど」
「冗談にすることじゃないでしょうに」
「ごもっとも…。ねえ、俺、どうしても知りたいんだ。高太の笑顔を思い出す度、何でいなくなったのか、何処ヘ行ったのか、疑問がわかずにはいられないんだよ。高太がいなくなった後、不可解な事件が連発してさ。不吉だろ?不吉な流れを断ち切るためにさ、俺たちで何とかしようよ」
「それは確かに…」
「だろ?まずは高太が失踪した現場に行こうよ」
「あの、ちょっと待って。それってあの、悪いけど、ただの探偵ごっこじゃないの?」
「言うと思いましたよ…でもさあ」
じゃあどうすればいいんだよ、と言いたそうに口を尖らす。
莉花は、これまでに何度もそこの道を通った。近くに住む少年がこんなことを言っていた。
「実は僕、見たんだ。中学生がコンビニの袋を持って歩いていたの。十秒後にはその中学生はどこにもいなかった。不思議じゃない?」
少年宅から見えるその道は信号を挟むと、もちろん十秒で歩けない。歩道の信号が青ならあり得るが…。それでも信号を渡りきった高太の姿は目撃していない。道から突然高太だけ消えたー。ファンタジーじゃないんだから。思い出して莉花はため息をついた。
「恭って、ファンタジーを信じる?」
「ファンタジーは、空想で、現実にはあり得ないと思うから、信じてはいないけど…」
莉花は例の少年の話をした。恭は首を横に振った。
「そんなの変だって。ソイツがほら吹いてんじゃないの?」
「嘘を着いているってこと?近くの防犯カメラにも怪しい人物は写っていないんだよ。信じるしかないよ」
何だか惨めだ。そして悲しい。救いたいけど、救えない。自分たちが無力すぎる。
二人は次の言葉が見つからなかった。何にも言えなかった。
バスで会った日以来、もともと仲が良かったというのでもなかったが、顔を合わせにくくなった。屋上に行くこともなくなった。奈未は相変わらず莉花を屋上に誘ったが。そこに行くと恭に会いそうだった。
憂鬱な気持ちを引きずりながら帰る。この日も塾だった。空はすっかり暗くなった。怖いから早く帰ろう。歩速を早めようとして、はっと気付く。今私が歩いている道は高太が最後に歩いた道…。
「高太を返してよ…」
「じゃあ、返してあげようかな?」
信じられない。自分以外、人がいないはずなのに、独り言に版のが返ってくる。けれど、この声には聞き覚えがある。莉花は反射的にある声を頭に浮かべていた。いつかの塾の帰り、知らない男性同士の口論のあとのつぶやき。
莉花は素早く後ろを向いた。人影があった。その先に一人の高校生がいた。金髪で、制服は校則をキッチリ守っている。あるかなしかの笑みを口元に含ませて、莉花を見ている。この高校生ー?さっきとあのときの声は。
莉花も動かず、じっと相手を見つめていた。相手が何か言うまで何も言うまいと心に誓っていた。高校生は遂に口を開いた。
「一度会ったことがあるのにもう忘れたの?」
ルックスに似合わず甘い声で言う。
「街での騒ぎの!」
相手は頷いた。
「そうだよ。あのときの男だ」
「あなたは何者なの?」
すると突然に戯けてみせて、両手を上げた。
「さあ、何者だろう???」
「ふざけないで」
「おっと怖いなあ。それはこっちも聞きたいよ。だって君…」
言いながらゆっくり莉花に近付く。莉花は後退り、フェンスに背中がもたれた。
「国立高太を知っているんだろう?」
「あなたこそ、その感じだと知っているんじゃないんですか。高太と仲良くしていたんですか」
「それはこっちが聞きたいんだよね〜。何でだよっ!!!」
甘い態度から豹変、本性を露わにした。高校生はフェンスに手をかけた。
「さっさと言えばいいんだよ。あんたは国立高太とどういう関係だ?」
「ただの幼友達。あなたこそ何者なの?」
「何者かって…見ての通り高校生さ。君の愛しの高太くんに見られちゃったからなあ〜。だから始末しようと思ったらいなくてさ、この世界でペラペラ話されちゃったら困るもの」
「高太は何処なの。本当は知っているんじゃないの?」
莉花は噛み付くように質問する。
「う〜ん、上、かな」
そう言って指差したのは上空だった。
「バカ言わないで。何処にいるの」
「何度も言わせるなよ。僕らの上で楽しくやってるよ」
高校生はフェンスから手を離して、両腕を無意識に振った。
「それに、最近とっても不思議な事件が多発してない?いつ終わるんだろうねえ」
「まさか、あなたがやったの!?」
「う〜ん、それができちゃったというか。そういえば奈未っていうコのお母さんもだっけ。どうしたいか心が決まったら、またここに来てよ。いつでもいいから。じゃあね、バイバイッ」
「何がバイバイよ。ふざけないで」
沸々とわき起こる怒り。謎の高校生の背中を、見えなくなるまで睨んでいた。
「大変なことになっているなあ」
金色の髪を指に巻きつけながら彼は一人つぶやいた。
テレビの情報番組や新聞の一面、ネットニュース…。人々の恐怖がアナログ・デジタル共にひしひしと伝わる。
「こんなことで怖がるなんて人間も大したことないなあ。松野莉花は違うみたいだが…。しかし、国立高太は何処に行った。あれで本当に死んでいたなら、きっと今頃死者として天国にいるはずなんだ。そこでペラペラ喋られたら困る。いっそのこと、松野莉花たちを天界に送らせて国立高太に会わせてみるか。だけどまあ、」
彼は黒の椅子から立ち上がり、体をターンさせた。タブレットで最新の記事を読み、せせら笑う。
「『中一男子生徒行方不明、捜査は進展せず』…ふふふっはははっ。本っ当面白いね。騒がれるっていうのは」
彼は飲みかけの炭酸飲料を飲み干し、カレンダーに視線を向けた。ある日にちに赤く丸が付いている。
「国立高太を見つけたらすぐそこだ…計画を実行に移すのは…」
ダーツがその日の枠内に刺さる。そうして、不敵な笑みを浮かべるのであった。
3
その日、シノビは調べものがあって、図書館にいた。
「『色彩が与える印象』『天界の歴史』『トカゲの習性』…あった」
目当ての本を取り出し、椅子に腰掛けた。すると、大きな音がして、地面が揺れた。何だ?地震か?…いや、地震ではないな。では何だ?何が起こったんだ?次に聞こえてくる亡者や獣の逃げ惑う叫び。慌てて窓から外の様子を確認した。
目を見張った。空には黒雲が立ち込め、人や動物が慌ただしく逃げている。黒い生物が無差別に攻撃している。あの生物は何なのだ。シノビは目を凝らしてそれを見た。そしてギョッとした。その生物は、自分が敬愛していたひつじ使いだった。彼の変わり果てた外見と正義を目にした瞬間、彼への敬意は音を立てて崩れ去った。代わりに憎悪が膨れ上がった。あんな邪心の塊、自分が倒してやる!
沢山の神がひつじ使い打倒という共通の目的を抱いていた。シノビと、大勢の神はひつじ使いに向かって攻撃を開始した。呪文を唱える神。杖を振り戦闘する神。これほどの神の力を以てしても、ひつじ使いの勢いは止まらなかった。
強すぎる。今の彼はとてつもなく屈強で、倒すなどというのは下らない妄想なのではないか。
「シノビよ、なに静止しておる」
「あれほど強いので…倒せないのではと」
「何をめげておる。諦めろなどと誰が言った。団結すれば目的は必ず果たされる。おぬしは、何のために今、戦おうとしておるのじゃ?」
そうだ…!諦めてはいけない。シノビの内側から、黄金の光が解き放たれた。
「修行が完了した証だ。お前はもう一人前だ。すぐに祝福できないのが残念だが、今はそんなこと言ってられない」
一人前の証?頼りなく、地図がないと前に進めない自分が?シノビは、自身がまとっている光をじっと見つめた。不思議と眩しくなかった。
「何をじっとしておる。ぼけーっとするな」
シノビは集中力を高め、空高く飛んだ。ひつじ使いの後ろに回り込み、剣を取り出した。シノビはそれをまっすぐ振り下ろした。途端にひつじ使いの暴挙は大人しくなった。その隙きを狙い、神々はひつじ使いを一斉に攻撃した。ひつじ使いの周りに漆黒の闇が立ち込めた。注目の中、地面が割れそうな唸り声の後、ひつじ使いは動きを止め、気を失った。シノビは己の剣を見た。驚いた。修行用から大神至宝の剣に変わっている。これは…何かの暗示か?
そして、ひつじ使いは天界から追放された。
生きている人間が天界に侵入した。その知らせを受け、渦中の人間と、天国入りを手伝った者を捜索するも見つからず。相当強大な力を持っているはずだ。
アイツの罪業が人間界で蘇っているのは知っている。本当にそれか奴の仕業だったら、力を復活させ、あの日の惨劇を繰り返すのが目的だろう。さすれば矛盾だ。どんなに強い力を持っていたとしても、アイツだけでは人間の保護までは到底無理。それまでに、天界に侵入させるのに尋常でないほどの力を使うからだ。ならばあいつは、神と契約を!?…そんなわけがない。何を考えているんだ。
自問自答。その繰り返し。苛立ちが募る。
だが、何も解決はしない。




