#2
1
高太はウサギの容体が気がかりで、様子を見に行った。
「何でここに?」
「リュウが連れて行ってくれた」
「逆鱗に触れちゃだめだよ」
「う、うん、分かってます」
それで痛い目に既に遭っているからね。
「もう、こんなんなるんだったら時間なんて早送りになれば良いのにね」
「…」
「私は闇法師が大っ嫌い。追放されて力が削がれるだけじゃ納得できない。だって、力をつけてまたこの世界を乱すかもしれないでしょ?アイツは私の母だけではなくて、他にも多くの命を奪った。幸せも、笑顔も。今でも、アイツの雄叫びは忘れないわ。いつか敵を討つと決めているの。…あっ、ごめんね。こんな話聞きたくなかったよね。私、恥ずかしいけど、一度これについて思い出すと感情のコントロールができなくなってしまうの」
高太は首を振った。
「…ううん、そんなことないよ。誰にだってあるよ、上手くいかないことの一つや二つぐらい」
「そっか…そう、ありがとう。高太の方は大丈夫?」
「大丈夫って何が?」
「見知らぬところへ来て、まだ色々不安なんじゃないかって思って」
「…それは大丈夫だよ。でも、不思議な声が…」
「声?」
「うん、とても気味が悪いんだ。『ヘッヘ…。オメェがひつ…』しか聞こえなかったけど。黒っぽい姿も少し見えた。まさかと思うけどソイツって例の闇…アイツなのかなって考えちゃった。でもそんなことないよね、気にしないで!」
「いや、あり得るかも。だけど何で?高太に取りついたってこと?」
「取りついたって?」
「ごめん…また感情のコントロールが効かなくなると困るから他の干支に聞いてもらえる?」
「そっか、ごめんありがとう。いつか…ウサギにも、本当に幸せになれる日が来ると良いね」
「えっ?」
「大切な人失って、そんなこと僕は経験したことはないけれど、すごくつらいことだよね。僕は全くの赤の他人だけど、闇法師を許せない気持ちはよく分かるよ。それでも、ウサギには笑顔が一番だからね!」
「うん!」
ウサギは嬉しそうに笑った。
「大変だ!」
誰かの声がしたかと思うとサルがいた。サルの手には新聞。相当読み込んだか、忙しくて慌てていたかで、新聞にはシワが沢山あった。サルは高太に近付き、新聞を突き付けた。
「これを見い!!」
と言ってサルが差し出したのは英字新聞。思わず固まった高太を見て、サルは自身のミスに気付く。
「あぁ違う、こっちや!!」
およそ三ヶ月前の新聞と今日の日付がついている新聞。
「ん?何…急に」
「何って記事をよう見てみい。まずは三ヶ月前の」
「じゃあ片方だけを先に見せてよ…」
「文句言うな」
「うるさいなあ。………えっ、」
高太は記事の内容に愕然とした。頭の中で喜びや楽しみといったありとあらゆるポジティブな感情が音を立てて崩れ去る。ショックは大きかった。『中一男子生徒、昨夜から行方不明 昨夜午後九時半過ぎ、中学一年の国立高太さんが行方不明になったことが判明した。高太さんは母から買い物を頼まれ、六時前に家を出た。それからおよそ三時間後、通行人が高太さんの生徒手帳を発見。警察へ届け出た。警察は国立さん宅に連絡し、その際に高太さんがいなくなったということが分かった。現在、警察は高太さんの行方を捜索中である。親子間の仲は良かったとのことで、家出との見解はない。』右側には高太自身の顔が載っていた。高太は、自分をまるで他人かのようにして見た。
「高太をどこかで見たような気がしてな、どうも気になったから調べてみたんだ。その様子だと…やはりお前さんは知らなかったのか…」
サルはもう一つ新聞を見せた。『心臓抜き取り殺人事件、悪夢再び 三ヶ月前に起きた事件と同様の事件が発生した。現時点では連続犯として警察は捜査。世間の不安は増大しているが進展はない。指紋なし、目撃者なし。手掛かりは全くといっていいほどないこの残忍な事件はいつ解決するのか。』
「心臓抜き取り殺人事件…?」
サルはその事件について説明した。
「アイツがやっていたことが人間の世界で蘇ってるんだ…」
「闇法師がやっていたこと?」
「そうだ」
「そういえばウサギは言ってた…アイツが僕に取りついたのだの何だの」
「あの反乱の前にも闇法師は幾つか疑惑があってな。そのうちの一つが、人の魂やその人自体に取りついて、心臓を抜き取り、魂や命を奪い、それを自分の力にしたり、抜き取った心臓を持ち主の人間の体に戻して気絶していたように見せかけたりして…まあ、色々やってたようだ。ひつじの神を解任されなかったから、とうじの大神も大して気になさらなかったらしい。まあ、その当時は闇法師には絶大な人気があったからな」
「そう…なんだ。ありがとう」
力が抜けたように高太は頷いた。
2
恭は罰が悪そうに去っていった。
「さっきの人って?」
「ただのクラスメートだよ」
「ふうん、珍しいよね男子が女子にかまってるのって」
「そう?」
弁当のエビフライを口に運びながら奈未は言った。
「うん、何か…懐かしい」
向日葵畑の中で莉花は大声で呼んだ。
「高太ーっ!どこにいるの!?」
追いかけっこの最中、高太が莉花のカバンを奪い取って花の中に姿を消してしまったのだ。いくら呼んでも高太は出て来ない。莉花は疲れて、その場にしゃがみ込んだ。すると
「こっちだよ!」
悪戯っ子の声が聞こえた。
高太だ!
莉花は目を輝かせながら、走り行く少年の後ろを駆けて行った。カバンは向日葵畑を抜けたところの地面に置かれていた。高太の姿はなかった。…神隠し?結局、高太は道沿いのベンチで眠っていた。
春風が莉花の髪をなびかせた。葉緑も小鳥のさえずりも全部、春を象徴していた。本来の自分なら、春は気持ちの良い季節だと、晴れやかな気分でいられるのだが。素晴らしい季節の訪れを心が楽しもうとしていない。そんな自分が何となく嫌だった。最近、莉花はとことん自分が嫌いだ。こんなに卑屈な心を持っている自分が。いつまでも、高太がいないことで、弱さを正当化している自分が。自分自身について考えるのが辛くなって、莉花は思考を止め、バスに乗り込んだ。乗客はあまりいないみたいだ。
莉花は手前から三番目の座席に腰を下ろした。向こう側の窓に視線を流すと、本日二度目の驚き、恭がいた。目を合わせるつもりはなかったが、つい視線がぶつかってしまった。
「あっ」
声が重なった。恭は瞬きを数回した。相当、昼休みのときのことがこたえていて、戸惑っているらしい。
「あのー、言いたいことがあるのならはっきり言いません?私はありますけど」
莉花が話し掛けたのは、埒が明かないと悟ったからだ。莉花の判断は正しかったようだ。
「あ、あります。今日はごめん。何か…場をしらけさせてしまった」
恭は頭を下げた。
「あ…それなら別にいいんですけど、私、気にしていないし。それより、奈未が好きっていうんじゃないよね?」
「へっ?」
「もちろん恋愛感情としての好き、だよ?」
「あ、ああ、そりゃあ分かっているよ。…何でそう思ったの?」
「うーん、何となく。好きだからからかうってあるじゃない?」
「そういうのはあると思うけど。奈未とは本当に友達でいたいと思っている。今の関係のままでいい。あの、俺からもいい?」
「うん、どうぞ」
「国立高太って奴、知ってる?」
3
天界を揺るがす大事件をひつじ使いが起こした。そのときシノビは人間でいうところの、高校生ぐらいの歳だった。事件前まではひつじ使いと修行をしていた。シノビにとってひつじ使いは頼れる兄のような存在であり、その大きな背中を追い続けていた。
ところが、事件のせいでシノビとひつじ使いとの間にあった絆は空中分解。シノビは笑顔を暗闇に捨て、闇法師となったひつじ使いは暗闇で生きた。二人は引き裂かれた。シノビの中でひつじ使いは過去の者。記憶から消し去りたいと願っている。だが、ふとある日、ひつじ使いの姿が頭に浮かぶ。それをなくそうと、二度と現れないよう、追い払おうとする。それなのに、かえって自分の中心の奥底にある良心や、とっくに捨てたはずのひつじ使いへの思いが呼び起こされて、邪魔をする。
確かにある。記憶の彼方にある。あの頃の気持ちが。信じていた自分が。しかし、昔の昔に破り捨てている。何故、また出てくるのだ?
まどろっこしさに憤りを感じ、シノビは足を踏みならした。そうしても何も変わらないことは誰よりもよく知っているのに。
だけど。自分の中にもう一人自分がいて、そっちの方の自分はよく分かっているのだ。本当はあの頃に戻りたい。ひつじ使いと同じ時を刻みたい。そう思っている自分がいることも。それを見せんとして意地を張っている。こんなの、ずっと前から気付いているー。
葛藤。迷い。悩み。苦しみ。それらの中にいる己。どう生きていくか、それを決めるのは他でもない、シノビだった。
太陽は地面を容赦なく照らし、蝉の命の叫びが辺りに拡散している。じっとしているだけでも汗が額ににじみ出てくる。
「あともう少しだ。頑張れ!」
ひつじ使いはシノビを鼓舞した。彼らは修行として山山道を登っている。
絶対この背中よりでかくなってやろう。強いっていうことを証明してやる。シノビは一歩一歩力を振り絞って前へ進んだ。シノビは、まさに廃れた根性を強く太い自信に変えている途中だった。…登り切れ。しがみつけ。
気付いたら、二人は山の頂きを望んでいた。
「登ってやったぞー!」
彼らは自分たちの言動が急に幼く感じて、笑い出した。
こんな、何気ない一コマさえ思い出として在る。
ひつじ使いの存在は大きすぎた。彼がいない心の隙間を埋めるようにひたすら努力をしていた。止まっていると悲しさを感じる。そんなときは修行をし、仕事に打ち込んだ。
大神は、そんな彼に対して心を悩ませていた。日頃から大神直属の警吏として勤労し、骨身を惜しまず、天界の為に尽くしている。責務が強く、信頼が置ける。だが、時折彼が無理をしているように見える。弱さを見せまいとして嘘をついている。早く素直になってほしい。それが心を解放することではないだろうか。そうは言っても、大神にも確かなことは見えていなかった。
そんな大神にはある孤独がある。兄の死。無惨な形で闇法師に殺された。大神の心にはぽっかりと穴があいた。抑制できない怒り。憎しみ。哀切。偉大な背中をいつか継ぐと純粋に待ち望んでいた何百年という歳月。あの優しい声はもうきけない。許せるものか。大切な家族を殺した闇法師を。
大神が罰を下す際、大神は、腹の底から怨恨、憎悪が這い上がり、鬼の形相だった。そのときの大神を間近で見ていた。そして確信した。同じなのだ。今や"闇法師"となった奴に怨みの感情を抱いている。大神が奴に思うこと全て、自分なら理解できた。
「奴を殺したいですか?」
遠い空を眺めながらシノビは大神に歩み寄った。大神は突然の客に驚く素振りを見せたが、すぐに向き直り、通常を装った。
「大神という立場上、醜悪な言動はできぬものだがー私はあの闇法師といった者、この手で直接殺したい。神でなければそうしていたところ」
「それ、私が手伝いましょうか?」
「何をおっしゃる」
「私も、あの愚行者には怨みを持っています。殺したいほど憎んでいる」
「天界を滅亡させかけたからか」
「まあ、それもありますが」
「では何なのだ。申してみよ」
「私はあいつに裏切られたのであります。同じ土を踏み、同じ空気を吸い、同じ試練を乗り越えた私をーあいつは、天国破壊という方法で裏切ったのです」
「さすればそなたの心にも孤独の穴があるのだろうな」
「確認したことはありませんが、おそらく」
皮肉混じりにシノビは答えた。
「さようか。もし、あの者が現れたら私は退位する。その際は私とー」
「ええ、必ず。けじめをつけましょう」
二人は手と手を重ね握手した。友情の証か商談の成立か、それともー。どちらにしろ、恐ろしい同盟が結ばれたのは事実であった。
雷が鳴り響いた。雨はますます激しくなる。雷火が彼らの顔を照らし、地面の水溜まりはその姿を映した。
約束を交わして数年後。シノビは大神に仕える役人として送られた。彼は大神の住む御殿に姿を現した。
「そなたの意志が固いことが分かった。復讐もついに本格的になるのだな。シノビよ、そなたが私の直属の使いとなって私の元に来たことに満悦の念である。いやあ、正義は勝利するものだな」
「喜ぶのはまだ早いかと」
シノビは一礼した。




