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光が見える。何の…光だ?
国立高太は自分の瞳に差し込んだ光に目を細め、その正体が気になって上半身を起こした。次に、立ち上がって辺りを見回す。機械のようなものが近くで飛んでいる気がするのは置いとこう。
「ここって…どこなの?」
周囲には誰もいない。ひたすら白い光が広がっているだけ。強い輝きを放ちながらも優しさと柔らかさが混じっている温かい光だ。
ーとにかくどこなんだ?そして端と気付く。下に空が!もしかして雲の絨毯の上に立っているの!?
「上空…!」
…だけど、状況がのみ込めない。驚きと混乱で頭がガンガン鳴っている。どうして天空に?どうやって?謎が謎をつくり出す。これは幻覚か?…もう、どうにもなってしまえ!
「やっと目を覚ましましたか」
声がして、声の聞こえた方向に頭を向けると、そこには美少女ー一風変わった姿をした、年は十歳くらいの女の子がいた。少女は高太に向かって微笑んだ。不意に高太は現実に戻った。高所にいるという恐怖が、今になって彼を襲う。
「つーか落ちるーっ!」
「落ちないよー」
今さら何を…と半ば呆れ、半ば心配する彼女の言葉で彼は我に返る。数秒前の自分は一体何をやっていたんだか。
「私はひつじ。それからここは天国なの。あ、このコは私のペットね。ちょっぴり毒舌だけど」
彼女は自身のペットと共に自己紹介をした。さっき飛んでいたのはこれだったか…と高太はヒツジ型空飛ぶミニロボットを見る。
「おメーはバカか」
さっきの出来事をネチネチと言うので"ちょっぴり"ではなくて" かなり"だと思いますけどね!
それより、それよりも、高太はひつじの口から飛び出た情報に全く追いつけない。衝撃が大きすぎて脳が受け入れ拒否している。
「て、て、天国ぅー!?」
明らかに動揺している高太をひつじは横目でチラッと見やったのみで、サラッと答えた。
「そうだよ、国立高太くん。君はまだ生きているっ!」
…ふざけてます?
「だってまだ中学一年生だもんね。死ぬのには早すぎるよね」
あの、それ、説明になっていないと思いますが…。
「どういうことですか?死んでいないのに天国にいるって…。」
「んー詳しいことはいいからついて来てね!」
「おせーぞ」
ペットの小言は余計である。
自分の身に起きた現象といい、ひつじとかいう不思議少女といい、理解不可能なことばかりだ。さらにはアバウトすぎる対応に不安だけが募る。高太は心配の色を隠せなかった。
「ナニ!?生きている人間が侵入しただと!?」知らせを受けて大神は驚倒の声を漏らした。
「マコトか?」
「さようのようで…。どうやら、何者かの手引きがあるかと…。我々としては冗談と受け取りたいのですが…」
シノビは頷いた。
「その…人間の侵入を手助けした者は誰じゃ。早急に呼び出すのだ!」
「はっ!」
「もしや奴の仕業か…いや…」
「大神様っ!その名前は禁句です故、あんな奴などー」
そうかそうか、シノビはあやつと師弟関係にあったからのう…。大神は遠くを眺めながら思案した。憂れる様に見つめた視線の先には何が見えていたのだろうか。
「あのー、あなたは"リュウ"さんですか?」
高太はひつじにリュウの家まで連れられ、彼女を呼び出すように命じられた。(これはパシリってやつだよな?)
高太を見たリュウは目を丸くして驚いていた。リュウの外見はとても個性的で、長髪を後ろで一つに高く結び、瞳は青い。鼻筋が通っていて凛とした顔立ち。衣服はウロコでつくられており、甚平に似ている。そして首には、真珠よりも一大きい丸粒でできているネックレス。もし、ここがひつじの言う通り天国で、人間の世界ではないとして、このリュウが人間界にいたら、人々は彼女をコスプレイヤーとしか思えないだろう。それに、特に日本なら、彼女の格好を白い目で見る人も多いだろう。
「そうだが…そ、そなたは生きている人間の子か」
見ただけで生きていると分かることに疑問を感じたが、高太は敢えてその疑問を声に出さず、代わりにひつじの命令を伝えた。リュウも頷いたところで、高太はリュウの手首を掴みそのままひつじのところへ連れて行こうとした。
「あっ、そこは触ってはならぬ…っ」高太は背後からただならぬ気配を感じた。理由が付けられないほどの鳥肌が立つ。
「おい…っ」
今にも地響きが起きそうな低い声。怨念に満ちた顔。
「え、リュウさん!?」
リュウの変わり果てた形相に高太は心臓が飛び出しそうだ。怖い…ここから瞬間移動でもして逃げたい…。怯える高太にリュウは容赦なく高太の髪を思いっきり引っ張った。高太の頭皮は悲鳴をあげた。
「痛い痛い痛い痛い…痛いっ!」
「なら触んなっ!」
「わー!ごめんなさい!さ、触りません二度と。触りませんから!」
リュウは尚も手を離さない。今日初めて会った。それなのにこんなに彼女に憎まれるようなこと、今までにしただろうか…。
「リュウ!目覚めてよ!」
高太の叫び声とリュウの怒声を聞きつけたひつじの言葉でリュウはやっと冷静さを取り戻し、高太の髪を離した。そして、怒り狂っているときが思い出せないほどの純真な空色の目で高太を見つめた。その瞳の青さと美しさに高太の心臓は高鳴った。その瞳で見つめてくるのだから、さらには微笑むのだから、高太の心臓はもたない。…ダメだ、一気に二人も美少女に会ってしまっていては。
リュウはひつじの存在に気付き、彼女にも笑みを振りまいた。
「ひつじか…!」
続いてリュウは高太に向き直った。
「そなたよ、すまぬ!わらわの愚行を、恐れ多いが水に流しておくれ。それから名は何という?申せっ!」
謝罪のわりには、最後は命令口調だったように聞こえたが、気にしないでいよう。
「国立…高太です」
痛みはまだ残っているし、文句を言いたいのは山々だけど、同じことをこれ以上経験したくない。
「リュウ、実はね、このコ…」
「分かっておる。死んでないのだろう?」
「ええそうよ。それでね…保護したいと思っているの」
「何を言っているんだ?それは憲法第九十条に違反…」
「でも協力して欲しいの!このコを守りたいの!」
「守りたいって何からだ…天界からの処分からか?それを恐れているならそっと人間界に戻せばいいことでは…?」
「理由は説明できないけど、私と一緒に守って欲しい…高太を」
「ひつじ…」
そのときはまだ高太は知らなかった。状況の深刻さも真実も何もかも。
不意に頭痛がした。ズキンッと頭が割れそうなほどに猛烈な痛み。高太は頭を押さえ、その場に崩れ落ちた。頭上から何やら低い声が聞こえてくる。ぼんやりと黒い何かも視界に捉えている。ソイツは言った。
「へっへっ…お前がひつ…」
声はそこで途切れた。逃げたのか。余裕があるのか。
何だ…?今、何が起きた?起きている?ソイツの存在が高太の脳をさらに圧迫する。なんだか…いしきがもうろうとしてきた…。
「…っ!高太くん!?」
慌ててひつじは駆け寄るが、突然胸を押さえ、苦しみ始めた。座り込み、苦悶の表情を浮かべる。まるで、何かに対して抗議し、格闘しているかのように。ミニペットは心配そうにひつじの上を飛び回る。リュウはひつじの胸で黒々と光っているペンダントに気付いた。怪しげで、妖艶な輝きを放っている。リュウの顔に驚きと畏怖が広がった。
「まさか、アイツが近づいておるのか…?何でこんなに黒く光るのだ…」
言いながらリュウは二人の体に自分の手をかざした。しばらくして、二人とも回復をした。リュウは聞かずにはいられなかった。
「ひつじ、早々すまん。聞きたいことと話したいことがあるのだが…」
「アイツがまたここに来るのか?」
「私の守護神が黒光りしていたのね…ええそうよ。ここ最近、よく黒光りするの。アイツの声が聞こえたり姿が頭の隅にちらつくこともよくあって」
「まさか、ひつじの『守りたい』は、アイツから守りたいということだったのか?」
「大正解。リュウの勘が良くて助かった。変なこと言って混乱させたくなくてこの守護神の件については秘密にしておこうと思っていたから…」
「遠慮するでない!仲間であろう?友であろう?それにこんな重大なこと、隠してはならぬ」
「そうよね、ありがとう」
「恐らく、大神も生きている人間のこともアイツのことも、既に耳に入っているに違いないだろう。」
「今頃、シノビは血眼で探しているわね…」
数十分後、ひつじらの仲間という者が集結した。全部で十人である。彼らは自己紹介を始めた。
ネズミ。背丈は彼らのなかで最も小さく、可愛らしい。銀色の髪を三つ編みにし、学校制服を着ている。ウシ。寝起きのような無造作な髪型は、左と右で白と黒に分かれている。彼女は眠たそうな目をこすっていた。タイガ。男でも憧れるカッコ良さを持っている。クールそうなビジュアルに関わらず、優しそうな目をしていた。続いてウサギ。ひつじ、リュウ、ネズミに次ぐコスプレ第四号。黒髪を高い位置でツインテールにしている。頭にはウサ耳カチューシャが載っている。彼女と対照的なジャーは、知的な印象を高太に与えた。トリは眠たそうどころか、完全に眠りに落ちていた。そのトリの次はイヌ。黒髪ボブで大きく丸い目。非常に人懐こそうに見えた。ラストはイノシシだった。斜めに流している前髪、低音ボイス、微笑混じりの口元で、ミステリチックだった。遅れてハクバとサルがやってきた。
全員の名を知り、高太は共通点を見つけた。
「もしかして、皆の名前って干支の名前が関係していたりするの?」
「ああ、その通りだ。我々は干支の神である。だからそれぞれの干支の名が己の名となるのだ」
リュウが説明した。
「ふう〜ん」
「『ふう〜ん』じゃないだろう。せっかく私が教えてやったというのに」
「す、すみません…」
「まあ良いが…今後気を付けるのだぞ?」
頭を下げたのは、再度リュウを激怒させないためだった。
「ねえ、ちょっといい?何で生きている人間がここにいるの?」
「私が天界の入り口をパトロールしていたときに発見したの。生きている人間の匂いがして、何か倒れていたから確認してみたら、国立高太くんっていう人間のコで」
ひつじは答えた。そしてリュウは言った。
「ひつじはこの人間を保護することを考えている」
「もし大神様のもとに連れていけば…?」
「人間に対しては、ここでの全ての記憶を抹消。天界、人間界ともに死亡届が出される。但し、人間のもともとの魂は死んではないから、誰にも見えない死んだ人ー例えるならば透明人間として永遠に生きていくことになる」
全員が険しい顔になった。
「それはさすがに可哀想よ」
イヌは保護に賛成しているらしい。しかしネズミは違った。
「危険じゃない!かくまっていたことがばれれば私たちは追放を免れないわ!最悪の場合、処刑されるかもしれないのよ。それに、第一、人間のコをかくまうなんて、天界の規則に思いっきり違反しているわ。神が違反して良いっていうの?」
甲高い声で言い放った。正しいといえば決して間違った意見ではない。突如現れたよそ者に優しくするのは少し難しいことかもしれない。ただ、その優しさが欠けていた。何のコーティングもラッピングもされていない、むきだしの感情は、高太の心を傷付けた。ネズミの言葉そのものがナイフになった。
ー皆、僕を邪魔に思っている。小さな誤解も生んだ。ー僕は一人で生きていこう。皆にとってお荷物なら、それなら…それなら…。
「いいよ、それでも。僕がここにいることが悪いんだよ。どうぞ、大神様っていう方のところへ連れて行って」
ー死を選んだっていい…。
「ダメだ!」
「えっ?」高太と干支の神たちの声が重なる。
「私はお前を守る!」
「リュウ、何を…!」
「よく話し合お…」
「…そうだな、リュウの言う通りだ。人の子一人守れなくて何が神だ。情けない。理屈よりも何よりも、人間を守護するのが我々の役目ではなかろうか」
ジャーは皆の心に問いかけるように語った。一人一人の表情がやわらかくなっていく。
「高太を…守ろう」
「ジャーが言うなら仕方ないよ」
遂にはネズミまで、
「さっきはあんなこと言ったけど、どうか忘れてくれない?私も助ける」
「皆…。ありがとう…ありがとう」
自然と涙が溢れてくる。こんなよそ者を受け入れてくれるなんて。心が皆の優しさでいっぱいになって、何ともいえない温かさを感じる。
未だに何で自分がここにいるのか分からないが、今をとにかく生きていこう…ここは天国だけど。
先程までに、「シノビ」「大神」という聞きなれない言葉を聞いていたので、思い切って質問をしてみた。
「大神様は、天界で一番偉い神様っていったら分かるかな。ほら、人間界の日本国でいうところの、首相!」
「ああ、なるほど」
「ひつじ、何でそんなこと知っているのよ」
「そりゃあ知ってるわよ」
「ふうん…」
「まったく、本当にひつじとネズミは仲が悪いわね…」
ここで空気が気まずくなったので、ウサギが雰囲気を変えようと、シノビについて説明し始めた。
「シノビは、警察みたいな存在。彼は大神直属の家来なのよ」
「へえ、そうなんだ。ちなみに、天界でも戦争が起こったことってある?」
「一昔前にあったわ…。アイツは、その卓越した力でひつじの干支の神として、この世界で知らない者はいないというほど、偉大と称されていた。しかしある日、その力を良くないことに使い、この世界を破滅寸前にまで追いやった。禁断の呪文を使ってね。アイツの名は…」
「名は?」
「アイツ名は…名はっ…」
「大丈夫かっ!ウサギっ!」
高太は、突然意識を失ったウサギを、ただ呆然と見ているだけだった。それだけだったのに、いや、それだけだったから、自分の無力さだったり、行動力がなく鈍感なところだったりが強く感じられて、自分が嫌になった。罪悪感が自分をいじめる。こういうのを、自己嫌悪というのか。
ウサギは、タイガによって病院へと連れていかれた。
「すまんな。ウサギはーアイツが暴れた事件のとき、まだほんの一歳だった。母親に抱きかかえられ、他の者と同じく恐怖と闘っていた。…幼き子にも、ショックなことならば記憶に残ってしまうのだろう。ウサギは、母親がアイツに殺されるのを自分の目で見たんだ」
頭を鈍器で殴られたのかと思った。さっきのウサギは、悲しみで心が空っぽになっていたに違いない。僕があんな質問をしたせいで。
「多分、ウサギは当時のことを成長した今でも鮮明に覚えている。時々、稀にあの惨劇が…再生されるらしい。
ひつじ使いと呼ばれていたアイツは恐れられ、闇法師となった。あの事件後、追放され、今は力が削がれていて大人しくしていると思うが…。シノビとアイツは師弟関係だった。修行中、常に行動を共にしていた。良い意味でライバルでもあった。だからこそ、私らよりもアイツを許せない気持ちはずっと強いだろう」
そうなのか。ウサギの悲しみを知らないで、僕は…僕は…。
僕の気持ちを読み取ったのか、イノシシは言った。
「なに、気にすることはない。起きたことを悔やんでも、過去は変えられないだろう。だが、現在の選択次第で未来はいくらだって変えられる。今は、ウサギの気持ちを軽くできる未来を選択すれば良いのではないか?」
イノシシの横顔を高太は見ていた。彼もひつじ使いー闇法師に残酷なことをされたのだろうか。しかし、綺麗な横顔からは憎悪のカケラなど探しても見あたらなかった。
2
桜は、時として切なげに散る。そんな儚げな花を眺めながら、松野莉花は呟いた。
「高太、いつになったら帰って来るのでしょうか…」
「ええ…。いつも悪いわね、そうやって心配して戻って来たか家に確認しに来てくれるなんて。…高太はもうー」
「そんなこと言わず、希望を持ちましょうよ。高太だって私たちに会いたいと思っているに決まっていますって。だから、必ず戻って来てくれます。必ず…必ずです!」
「そうね。今日はもう大丈夫よ。ありがとう」
高太が失踪してから三ヶ月が経つ。高太の母はいいというが、莉花は、高太を心配する気持ちを行動に移さずにはいられない。それ以上に、高太の母が気掛かりだというのもある。最近は、そっちの感情の方がむしろ強い。
親子仲は良かった。高太を失ったあの日、母は高太にお遣いを頼んだ。
「卵一パック。寄り道しないですぐ帰って来てね」
「うん、分かった」
彼は確かにその時返事をした。だがその日、高太が家に帰ることはなかった。高太が家を出てから数時間後、息子の身を案じる母のもとに一通の電話。
「実畝警察署の者です。コンビニを出てから右折してあるフェンスの下に、国立高太さんの生徒手帳が落ちていたそうで。そちらは国立高太さんのお宅ですよね。高太さんはいらっしゃいますか」
「い、いません」
母親はその場に崩れ落ちた。
莉花が塾へと向かう途中、街ではある事件について報道されていた。三ヶ月前に発生した事件。殺人だった。それも奇妙な殺され方。被害者は刺されていたわけでも、絞殺されて窒息死したわけでも、屋上から突き落とされたわけでも、毒を盛られて死んだのでもない。では何故他殺なのだろうか?跡もなく、心臓だけが抜き取られていたのだ。解剖医は、それを目にしたとき、自分の目を疑い、何度も目をこすった。しかし、目の前にある光景は、紛れもなく、心臓のみがない人間の死体である。世の中の誰もがこの事実に驚愕し、今度は自分の耳を疑った。一体誰が、何の目的で、痕跡を残さず、犯行を目撃されずに、心臓を抜いたのか。これ程不可解であれば、世界でも優秀といわれる日本警察が総力をあげても、解剖医の精鋭を集結させても、事件の解決は幻の未来だった。姿の見えない凶悪犯に人々はただただ震えるしかなかった。
その後も全く同じ内容の事件が起こった。またもや、心臓と犯行の痕跡がない殺人。人々は、次は自分の番かもしれないという恐怖下に置かれていた。その恐怖は、時が経つにつれてますます大きくなっていった。なかには、パニック障害をきたしたり、精神が異常になったりする人が出てきた。
眉を少し下げ、悲しげな口調で女性キャスターは原稿を読み上げる。画面には『速報 連続殺人事件で新たな殺人』と出ている。
「速報です。三ヶ月前から起きている、通称心臓抜き取り殺人事件。またしても悲劇は起きてしまいました。一体犯人は何人の命を奪えば気が済むのでしょうか」
ビルのモニターを見ながら莉花は思った。最悪の考えが頭をよぎった。まさか、まさか高太もこの事件の犯人に!?…いや、そんなはずがない。よりによって高太が巻き込まれたわけがない。嫌な考えを追い出そうと足を踏み出したそのとき、少年の叫ぶ声が聞こえた。
「お前だろ!なあ!お前っ!」
そう言って、人相が悪いニートらしき男性を指差す。そのニート男は見るからに怪訝な顔をした。
「お前が心臓抜き取り殺人事件の犯人なんだろ!それっぽいような顔をしているし、だらっとした生活をしているっぽいし!だってお前、ニートだろ!?」
「はあっ!?ふざけんじゃねーよ」
この様子を面白がってスマホで撮っている通行人にも腹が立った男は逆上。少年が制止する声も聞かずに男は拳を振り上げた。
気付けば体が動いていた。莉花は男の拳を両手で押さえた。少年はつぶっていた目を開け、不思議そうに辺りを見回す。男の怒りの矛先は莉花に向き、再び殴りかかる。すると、莉花と同じ制服を着た女子生徒がその手を掴み、男を背負い投げした。男の体は地面に叩きつけられた。彼女は痛がる男と放心状態の少年のそばに膝まずいた。
「女子にやられるなんて下らない。大人なら、子どもの見本になるような行動を心掛けてくんない?」
表情を変えず泰然と言い放った。莉花は彼女を知らなかった。彼女の潔さに圧倒されながらもこの人は誰と首をかしげていた。
「ニュースに踊らされるのも下らないと思わないかい」
耳元で囁いた、闇を支配しているような低い声。瞬時に莉花はその声の主が高太を連れ去ったと直感した。すぐに後ろへと体の向きを変えた。だが、ソイツはいない。どうやって姿をくらましたのだろうか。声がしてから一秒と経っていない。それが、ますますソイツを怪しくさせた。
漆黒の夜、月明かりが二人をそっと照らしていた。二人は防波堤にいた。先日の騒動のことで警察から事情聴取を受けていた。
「あーあ、もう夜だね。暗いね」
「ごめんなさいー私が変に首突っ込んじゃったばかりに。大して何にもできないくせに…」
「ううん、むしろ上から目線な言い方になるけど、見直したというか…大人しいコだと思っていたから」
「本当ですか?私のこと、知っていたんですか」
「廊下でよくすれ違っていたよね。あれ、違った!?」
「そうでしたっけー」
応答が素っ気ない莉花が気になり、そんな莉花の顔を覗き込んだ。
「もしかして元気ない?疲れた?」
「あ、気を遣わせてしまってごめんなさい。…実は、幼なじみがどこかに行ってしまって…」
目線を遠くへ向けて彼女は言った。
「私もかな。最近、大切な人を失った。一ヶ月前にね、母を亡くしたの。どうして死んだのかは教えてくれなかった。急死だったんだ。悪魔に魂売ったのかなって思ったぐらい…。今は祖母が危なくて。何なんだろう、私、恨まれることしたかなって…」
涙声になりながら彼女は語った。
「そうだ、名前言ってなかったよね。私は足立奈未」
「私は松野莉花。あのね、私、幼なじみがいなくなって、あの連続殺人事件の犯人の仕業なんじゃないかって思ったりして…」
「私もだ。同じだね、私たち」
莉花は頷いた。その目には、やっぱり涙が浮かんでいた。
分かってくれる人がいるって、そう思えてー。
学校が同じで、似たような悲涙を流した者同士二人は意気投合した。昼休み中は学校の屋上でマシンガントーク。莉花は話すか否か迷っていたが、それが落ち着いた頃、遠慮がちに奈未に打ち明けた。あのおぞましい声についてである。
「じゃあ、その人って…」
「うん…分からないよ!分からないけど…犯人かもって」
高太…。いけない、こうしてまた高太がいないことを理由にして弱音を吐いてもいいようにしている。今の自分の弱さを分かっているのになかなか強くなれない。私は強くない。
考え込む二人の間に男子生徒が割り込んできた。
「よっ!屋上でガールズトークですか…青春ですねえ」
その場の空気は一瞬にして凍った。
「…あれ?この空気ってもしかして俺のせい?」
「急に来るな、恭!」
「なんだよ、ここは大奥かよ〜」
「どう考えても違うだろ!どうして他に男子がいるのにここに来たの」
「だってさ、今日は広大が休んでてさ、お昼食べるの一人だと寂しいからさ…」
「他に友達いるでしょ…」
「ええーごめんなさいー(棒読み)」
「私をからかうなっ!」
3
シノビが大神のもとへ帰還した。大神はシノビの姿が現れたとすぐに立ち上がった。
「シノビ、どうじゃった!?」
「人間のコは見つからず。お力になれず申し訳ございません」
「さようか」
大神のみならずシノビも大分落胆している様子だった。
「どうやら強大な力で阻まれているようで…」
「やはりアイツが関与しているのか?」
「ーそれは…」
言いかけて、大神自身の言葉を否定しようとしたことに気付き、シノビは次に言おうとした言葉を呑み込んだ。
「嫌じゃのう。私が大神の座に就いてからというものどうも上手くいかぬ。先代の兄は、誰の心の声にもそれはそれは真剣に耳を傾けておった。そして、できるだけ多くの願いを聞き入れた。私は、そんな兄の大きな背中に憧れていた。だから、兄のような大神になりたいと強く願っていたというのにー。
ああ、兄は闇法師に殺られた。今もなお生きていてほしかった。何故、闇法師は私の前に出てくるのだ…」
大神は実に孤独だった。背中を軽く押せば、そのまま消えてしまいそうな危うさがあった。




