偽りの春(五章)
――長い悪夢から目覚めたお千代は料亭の外にいた。
心を濡らす土砂降りが地面を叩いている。
「お千代!」
名に呼ばれた。
振り向くと傘を差した弥吉がいた。
「どうして弥吉が?」
「お千代がお代官様のお座敷に呼ばれたって聞いたから、お紺姐さんに傘持ってくって言ってすっ飛んで来たんだ」
「お紺姐さんは?」
「俺が傘を渡したら、後は任せたって帰っちまった」
傘にも入らずお千代はふらふらと歩き出した。
「おい、待てよ」
すぐさま弥吉は自分の傘にお千代をいれた。
お千代は抜け殻のような表情をしている。足取りも危なく、ぬかるんだ地面ではいつ転ぶか見てられない。
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
言葉とは反対にお千代の意識が薄れ、前のめりになって倒れそうになり、すぐに弥吉が傘を投げて抱きかかえた。
「おい、しっかりしろよ」
抱きかかえたお千代を間近で見た弥吉の表情が曇る。
項垂れたお千代の首筋に残る青い痣。
「畜生ッ」
代官に目を付けられた女が付けられえる印だ。
お千代は疲れた表情で気を失っていた。
弥吉はお千代を背負い、傘を拾い上げた。
幼かったお千代が、いつの間にか大きく成長していた。弥吉はそれを背中で感じ、土砂降りの雨の中を歩き出した。
行燈は傘と一緒に投げたときに使い物にならなくなっていた。
暗い夜道が二人を包む。
夜道に消えていく二人の影をお蝶はそっと見守っていた。