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偽りの春(三章)

「あんたが新しい子だね?」

 色香の薫るお紺の瞳で見つめられ、娘は躰を竦ませた、すぐにきつい眼でお紺の瞳を見た。

「お千代と申します」

「どこかで見た顔だねぇ?」

 切れ長の眼をさらに細くしてお紺はお千代の顔を見つめた。親分も同じようにお千代を見つめたが、すぐに首を横に振った。

「知らん。うちは入れ替わりが激しいからな、似たような顔もいたかもしれん」

「そうかねぇ」

 お紺は首を傾げながら、なにか納得のいかない顔をしていた。

「まあいいさ、付いておいで」

 お紺は流し目でお千代を見て、そそくさと履物を履いて外に出て行ってしまった。

 慌ててお千代は道に出たが、すでにお紺の姿はなかった。

「なにしてんだい、こっちだよ」

 声がした方向を振り向くと、壁と壁の間の細い道を歩くお紺の後ろ姿があった。

 細い道を抜けると急に大きな庭に出て、お紺は縁側に手をついて部屋の中を覗いた。

「弥吉、弥吉!」

 家の中に響くお紺の声。

 返事はすぐに返ってきた。

「へい、今すぐ!」

 部屋の奥からお千代と同じ年頃の若い男が顔を出した。

 男はお千代の顔を見て、すぐに眼を伏せた。お千代も男の顔を見たが、なにも言わず鋼のような顔をしている。

 お紺はお千代に向かって顎をしゃくった。

「新しい子だよ、いろいろと教えておやり」

「姐さん……部屋がどこもいっぱいで」

「それなら死んだ菊花の部屋に――」

 死んだ娘の代わりにお千代に部屋を使えと言うかと思いきや、まったく違った。

「小枝を移動させて、空いたふとん部屋にその子を入れておやり」

「へい」

 軽く頭を下げた弥吉を見ることなく、用事が済んだお紺は姿を消してしまった。

 弥吉は目で付いて来いとお千代に合図した。

 連れて行かれたのは、やはりふとん部屋だった。

 弥吉はお紺を先に部屋へ通すと、ぴしゃりと戸を閉めた。

 二人っきりの小さな部屋で、突然弥吉はお千代の両肩を掴んだ。

「おれだよお千代、わかるかおれのこと?」

「ひと目見たときから気付いてたよ」

 はしゃぐ弥吉とは対照的に、お千代は不機嫌そうに視線を伏せていた。

 畳んで積み重なっていたふとんの上にお千代は腰掛けた。

「村を捨ててやくざになってたなんて……あんたはもうわたしの知ってる弥吉じゃない」

 五年ほど前に村を飛び出した弥吉。お千代と弥吉は幼馴染であった。

 弥吉は肩を落として壁にもたれ掛かった。

「仕方ねぇだろ、百姓の倅で脳もねえ。そんなおれがまっとうな仕事に就けるわけがねぇだろ」

「だったら村に帰ってくればよかったのに……」

「一度飛び出した家に帰れるかよ。親父には勘当だって言われたんだしよ」

 沈黙が降りた。

 再開は必ずしも活気付く華やかなものではなく、長い時は人を変えてしまった。

 俯いていた弥吉が顔を上げた。

「おい、おれがここを出してやるから逃げろよ」

 お千代が返事を返すまでに時間があった。

「――足抜けしろっていうの? そんなことしないよ、するもんか」

「だってよ、ここの元締め、さっきのお紺姐さんは、人を自分と同じ人とは思ってねぇぜ。無理をさせられて何人が過労死したことか、それに……」

「それに?」

「なんでもねぇよ」

「ここの女郎屋、悪い噂があるんでしょ?」

「おれはなんにも知らね」

 急に心を閉ざして、部屋を出て行こうとした弥吉。その腕をお千代が掴んだ。

「本当は知ってるんでしょ」

 弥吉は顔を前に向けたままお千代を見ようとしない。

 お千代は強引に弥吉の腕を引っ張り、向かい合って目と目を合わせた。

「わたしの目をちゃんと見て、嘘つかないで!」

「おれはうそなんて……」

「わたしの姉さんのこと、なにか知ってるなら教えて頂戴」

「……知らない……知らないって言ってるだろ!」

 弥吉は腕を振り払い、お千代の躰を突き飛ばした。

 床に崩れるように尻を付いたお千代の目には、必死に堪える涙が揺れていた。

「わたしは姉さんのことが知りたくて、自分でここに来ると決めたんだ!」

 心の叫びをぶつけられた弥吉は拳を握って震えていた。

「おれだって……おれだって……。あいつは突然消えちまったんだ」

「やっぱりなにか知ってるのね!」

「あいつはある日突然、この女郎屋から姿を消しちまったんだ。元締めに聞いたら足抜けしたって言われた。親分に聞いたら、おれは知らないからお紺に聞けって言われた」

 それは約一年ほど前のこと、姿を消した女郎の中にお千佳いう名の女郎がいた。それがお千代の姉だった。

 睨むような慈しむような、なんともいえない表情で弥吉はお千代を見据えた。

「おまえは早くここを出て行けよ」

「嫌だ」

「お千佳はおれが探す。お前までいなくなって欲しくねえ」

「嫌だ、わたしは覚悟を決めてここに来たんだ」

「ならお代官様には近づくなよ」

「お代官様になにかあるのかい?」

「いや……別に……」

 弥吉は嘘のつけない正直者だった。

「代官がなにか関係あるんでしょ!」

「……みんなお代官様がなにか知ってるって噂してる。けどよ、相手はお代官様だぜ、どうこうできる相手じゃねぇんだ」

「意気地なし!」

「そういう問題じゃねぇだろ、畜生ッ。いいか、お代官様には近づくなよ。あとお紺姐さんにも気を付けろ、勘が馬鹿にいいんだ。無理すんなよ、あばよ」

 早口でまくし立てた弥吉は、お千代になにか言われる前に部屋を出て行った。

 部屋に残されたお千代は辺りを見回した。

 一見してただのふとん部屋だ。

 しかし、もしかしたら姉がこの部屋を使っていたことがあったかもしれない。そんな淡い気持ちもお千代の心にはあった。

 そして、自分に味方がいたことが、なによりも嬉しかった。

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