偽りの春(十一章)
ふんどし姿で弥吉は天井から吊るされていた。
竹棒で打たれ、気を失えば冷水をぶっ掛けられる。その繰り返しが続いていた。
男たちに仕置きをされ、弥吉は死と生の境を彷徨っている。意識は朦朧として、躰が麻痺しはじめている。
この地下部屋に足音を鳴らしながら下りてくる影。
お紺は抑えきれない笑みを浮かべて姿を見せた。
「もうだいぶ痛めつけられたようだね」
弥吉の前に立ったお紺は舐め回すように物色した。
「本番はこれからだよ」
お紺の長い指が項垂れた弥吉の顎を持ち上げ、人払いをするためにお紺は片腕を横に振った。
「お前たちはお行き、あとはあたしがやるよ」
妖しく輝くお紺の瞳に見られ、仕置きをしていた男たちは早々に逃げた。
二人きりになった部屋で、お紺は積極的に責めた。
弥吉の脚に自らの脚を絡め、竹棒で打たれた赤い傷に指先を這わせた。
小さく痙攣する弥吉の反応を楽しみながら、お紺はさらに責めて攻めた。
長く伸びたお紺の舌が、汗を噴出す弥吉の胸板を這う。雄臭を嗅ぎながら、お紺の指先は次々と弥吉の敏感な部分を攻めていく。
「前からあんたには目をつけてたのさ、いつか喰ってやろうってね」
お紺の前歯が弥吉の乳首を甘噛みする。
「本当はもっと熟してから喰いたかったんだけど……仕様がないね!」
「ギャァァッ!」
眼を見開きながら弥吉は口を大きく開けた。
胸板から顔を離したお紺の口は紅く濡れていた。そして、胸板は乳首ごと皮を喰われていた。
本当に喰われると弥吉は恐怖した。
竹棒で叩かれるよりも恐ろしい。生きたまま喰われるなど、底の知れぬ恐怖と苦痛だ。
「た、助けてくれ!」
弥吉は叫んだ。
恐怖に歪む相手の顔を、さぞ至極であるようにお紺は嗤って見ていた。
「できないね」
「お、おおお願いだ!」
「あんたはあたしを裏切った、二度も」
「…………」
ごくりと弥吉の咽仏が上下した。
お紺の指先が弥吉の胸の傷をなぞる。
「ギャ!」
「一度目は、名前はなんだったかね、あの娘。ほら、あんたが惚れてた娘だよ」
それはお千代の姉であるお千佳だと知れた。お紺は二人の仲に気付いていたのだ。
「あんたがあの娘に惚れてるのを知ってね、わざと代官に売ったのさ」
嗜虐症のお紺は、弥吉を苦しめるためにお千佳を売った。
しかし、弥吉は認めなかった。
「おれはそんな女知らねえ、だから助けてくれ」
「そうだね、あんたはあの娘を忘れたように、献身的にあたしに尽くしてくれた。だから許してやろうかと思ったけど、二度も裏切られるなんてねえ」
「おれが姐さんを裏切るなんて……」
「あんたが連れ出そうとしてたあの娘。前にあんたが惚れてた女の妹かなにかだろう?」
ぎょっと弥吉は眼を剥いた。お千佳の名前すら覚えていないお紺になぜわかる?
「あんたの惚れてた娘の顔も名前も覚えちゃいないけど、臭いは覚えてね。臭いが同じなんだよ、あの娘」
臭いというのが比喩なのか、弥吉には判断できなかった。お紺に感じる底知れぬ恐怖は、人智を超えたものだ。つまり人間とは思えなかった。
次の物色をするために、お紺は弥吉の爪先から股間に向けて舐めるように見た。
「どこを喰おうかね?」
「や、やめてくれ! もう嘘はつかねえ、姐さんに魂を売る。だから助けてくれ!」
その言葉は本心だった。
「あたしに魂を売る?」
「売る、売る、だから助けてくれ!」
「醜い人間だねえ」
裏切りだった。お千代への裏切り。そして、愛したはずの女への裏切り。
弥吉は女を裏切った。
鼻水と涙を混ぜながら弥吉は泣きじゃくった。
「助けてくれ、なんでも言うことを聞く……」
「その言葉、嘘偽りはないね?」
暗がりでお紺の瞳が金色に光り、弥吉は震えるように首を縦に振った。
お紺は人の魂を買った。
「助けてやろう」
その見返りは?
「あんたがあの娘を代官の所へ連れてお行き」
裏切りの上塗りと、お紺への忠誠を見せること。
お紺は弥吉の返事など待たない。魂を売ったお紺に弥吉は拒否する権利はない。必ず成し遂げなくてはいけない。
縄を解かれた弥吉は力なく地べたに崩れた。
背を向けて立ち去っていくお紺が振り向いた。
「もし、あたしをまた裏切るようなことがあったら、地の果て地獄の果てまで追いかけて喰い殺してやるからね」
今が地獄。
弥吉は地獄から、さらに深く堕ちようとしていた。
クツクツと嗤う男の声が地下に響いた。