表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/17

偽りの春(十章)

 先日のお蝶の唄と黒子の人形劇がいたく気に入ったらしく、代官の御付きに推挙してもらい、今日は日の高いうちに料亭に呼ばれていた。

 秋めいていた今日この頃から急に、夏の暑さがぶり返えしたことから、道を行き交う町人たちの中には、額に薄っすらと汗をかいている者もいた。

 そんな日差しの中でも、黒子はいつものように真っ黒な装束を着て、重たいであろう荷物を背負って歩いている。

 お蝶たちが呼ばれたのは、静かな町外れにある情緒が溢れる料亭だった。その場所でお蝶たちの芸を見たいというのだ。

 開かれた玄関を潜り抜け、出迎えた店の主人に連れられ、中庭に面した座敷に連れて行かれた。

「この中でしばらくお持ちください」

 と、早々に主人は姿を消した。

 落ち着いた様子でお蝶と黒子は畳に腰を落ち着かせた。

 しかし、黒子は葛籠を背負ったままだ。

 お蝶がひと言。

「あたいら、この町で人に怨まれるようなことをしたかねぇ?」

 そこら中から気配がした。それを承知で畳の腰を落ち着かせる、まさに落ち着きよう。部屋の周りは殺気を殺した野郎どもに囲まれていた。

 堰を切ったように襖が蹴破られ、押し寄せる男たちが荒波をつくった。

 すぐさまお蝶と黒子は障子を開けて逃げた。

 障子ごと敵を押し飛ばし、軽やかな足並みで縁側から庭に降りた。

 お蝶の桜柄の着物が舞い揺れ、描かれた花弁がゆらりと映る。

 庭に出たお蝶たちは、囲い込み漁に掛ったように、逃げ場もないくらい取り囲まれてしまった。

 若い衆を掻き分けて、天狐組の親分が姿を見せた。手に握られているのは珍しい短銃だ。密貿易かなにかで大枚をはたいて手に入れた品だろう。

「お紺の奴がお前さんたちのことを臭うというもんだからな。うちの若い衆が行方知れずになってるんだが、知らねえかい?」

 人に物を尋ねるにしては物騒な装いだ。周りを取り囲んでいる人数を見ると、余程お紺に気を付けろと言付けられたのだろう。

 それだけ二人は警戒されているということだ。

 この緊迫するはずの状況で、お蝶は微笑を絶やさなかった。

「親分さんのところの若い衆になにがありやしたか? あたいらはしがない旅芸人ですよ、こんな大勢に囲まれる道理はごぜえやせんぜ?」

 このお蝶の物腰を見て、親分はお蝶の実力のほどを計った。お紺の勘が騒いだように、やはりお蝶たちは只者ではないと親分は悟った。

 しかし、お蝶が行方不明になった若い衆たちをどうこうしたという、一本の線には繋がっていない。まさかこの二人が多勢に無勢をどうにかできる、そこまでの想像をするのは突拍子すぎる。たとえそれが事実であってもだ。

 そのためにまだ親分には貫禄という余裕があった。

「なんにせよ、なにか知ってることには違えなさそうだ。おれが仏の顔をしてるうちに大人しく吐いてもらおうか」

「では、ここでお魅せしましょうかい?」

 お蝶はこの世のものとは思えない美貌で艶笑した。仏の笑みではない、それは魔性そのものだった。

 親分は怯えた。この感覚は誰かと似ている。そうだ、お紺と似ている。お蝶とお紺はどこか似ているのだ。

 じっとりと滲む汗を掻きながら、親分は子分たちが見ている手前、恐怖でおののくわけにはいかなかった。

「な……にを見せてくれるっていうんだ?」

 隠そうとしても隠し切れない怯えが言葉に出た。

 お蝶はそれに気付いてされに嗾[ケシカ]ける。

「昨晩、親分さんの子分がどうなったのか、ここで再現しましょうかと、言ってるんでやすよ」

 生唾を飲み込む音がそこら中からした。

 余裕があれば、恐ろしさ半分、興味半分で見たいと思うかもしれないが、ここにいる誰もが見たくないと思った。それがなんであるかわからずとも、見たくないと本能的に危機を感じたのだ。

 なにも言わない周りの野郎どもに、お蝶はさらに言う。

「どうです? 見たくはありやせんか?」

 親分は瞬きもせずに固まっている。

 今日は夏のような季候だというのに、この場は氷結してしまったように冷える。

 お蝶はあくまで返事をまった。この時間がとても甘美なものであるように、至極の表情で艶笑している。

 息遣いが聴こえてきそうなこの場に、ガタンと葛籠を下ろした音がした。

 黒子は葛籠を下ろして、その横に正座をした。いつもで葛籠を開くことができる。

 親分の片足が地面を擦りながら引かれた。その足は爪先から酷く震えている。お蝶はもちろん見逃していない。

「このままでは埒が明きませんぜ、親分さん?」

 もう親分に言葉を返す力はなかった。

 口をパクパク動かし、今にも泡を噴いて気絶しそうだ。

 お蝶が一歩、親分に詰め寄った。

「もう十分にお前さん恐怖を味わいなすった。まだ恐怖を味わいやすかい? それとも刹那に殺して欲しいと、あたいに土下座でもしやすかね?」

 お蝶はゆっくりと目を閉じた。

 それがきっかけで子分たちが逃げ出した。親分も逃げ出したが、それを咎める子分は誰一人いないだろう。逃げるが勝ちというが、まさに今がそれだと子分も親分も思ったに違いない。

 勝ち目のない勝負を選ぶ誉れもあるが、犬死となれば話は別だ。

 お蝶は親分の背中に不吉な言葉を投げかけた。

「逃げるんですかい? 逃げられませんぜ?」

 囲まれていたのはお蝶たちではなかった。本当に捕らわれ囲まれていたのは、親分たちであった。

 それは死の罠だ。

 ところてんを押し出すように、男たちが細切れにされた。お蝶も黒子も指一つ動かしていない。男たちは自ら死の罠に飛び込み、鋭利な『網』によって細切れにされたのだ。

 目の前で細切れになった肉塊を見て、後続の男は足を止めようとしたが、その後ろから押し寄せる男によって、次々と将棋倒しになってしまった。

 細切れになって事切れたものは、まだ幸運だろう。中途半端に切られ、生きながらえた者の苦しみは壮絶だ。

 発狂した一人の男がお蝶に襲い掛かった。

 お蝶はひらりと躱し、猪突猛進の男はそのまま黒子に飛び込んだ。

 葛籠の上に座る黒子は動かない。男が自分のところまでたどり着けないと踏んだのだ。

 その予想通り、男は途中で腹から地面に落ちた。

 それはなぜか?

 男の膝はすでに断ち切られ、男は勢いだけで黒子に飛び込んでいたのだ。

 悲惨な光景に血の香りが立ち込めた。

 生き残った者たちを、お蝶はゆっくりと見回した。

「そろそろご覚悟をお決めになったらどうですかい?」

 この場に立っている者の中には親分もいた。

 震える親分の手には短銃が握られている。

 地面に向いていた銃口が、震えながら上に上げられた。

 銃口の先でお蝶は堂々と立っていた。撃てと言わんばかりだ。

「アァァァァァッ!」

 野獣のような雄叫びを上げて親分は引き金を引いた。

 銃弾は明後日の方向に飛び、快晴の空に消えていった。

 お蝶の表情はずっと変わっていない。魔性の笑みを浮かべている。

「銃なんてものはそうそう当たるもんじゃありやせんよ。そんなに震えていては余計にってもんです。あたいの業は百発百中ですがね」

 刹那、お蝶は腕を振った。

 あまりの恐怖に親分は震えすら止めてしまった。

 しかし、なにも起こらなかったかに見えた。ただ、お蝶が腕を振っただけ。

 数秒の時が流れた。

 息を呑んだ親分が急に笑い出した。

「ははははっ、なにが百発百中だ。なにも起こらんじゃないか――ッ!?」

「いえ、あたいは確かに斬りやした」

 それを理解した親分は、すでにこの時ずれていた。腰に乗っていた胴が、声を発し、躰を動かしたことによって、ずれた。胴はすでに輪切りにされていたのだ。

 血管がずれた胴が急激に動き、悶絶しながら親分の上半身は血に落ちた。まだ意識があるが、放っておけばそのうち事切れるだろう。それまでの間、存分に土を掻き毟るといい。

 生き残っていた子分たちは止めを刺されたように、次々と地面に尻を付いていった。けれど、本当の止めはこれからだった。

 黒子の手が葛籠の蓋に掛かる。

 そして――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ