持たざる者、醜い者の思考、脳内シミュレーション
勝利に意欲的でない、
なぜなら、本人に本当に自覚できるほどの、圧倒的に才能が無く可能性が無いから。
勝利という可能性が、少なくとも本人の視点からは欠落している。
純粋に不幸で恵まれないのだ、だから自暴自棄で、いつ死んでも殺されても、根本的には構わないと思っている。
自殺志願者のような、それは有様で、短絡的で感情的で衝動的に存在する。
一瞬一瞬を刹那的に生きる事を強いられるので、当然、徹底して優しくない。
いつ死んでも構わないとは、一瞬後に死ぬ前提で生きるという心境だ。
明瞭に一瞬一瞬を生きていると、それは言えるのかもしれない。
老人はだいたい、この心境に至る、もたざる者の典型だ、持っている者もちろん居るには居るが。
あと、これは勘違いされ易いので付け加えるが、自分に利益がある場合は、当然、優しいのだ。
明瞭に一瞬後の利益を創造できるのだから、当然だ。
肝心なのは、見ず知らずの他人、世界の裏側に存在する存在に、真に心の底から、奉仕できるか、だ。
一瞬後に死ぬ前提なら、奉仕の意味は全く無い、これは当然の思考回路だ。
一瞬後、それ以上の先に、生の実感があるから、奉仕の後の、なにか心温まる感情があるのだ。
不幸な人間は、ただ希望に、超越的な無限リソースを信じて、耐え忍んでいるだけの人間だ。
死ぬのは勿体無い、だから生きてる、そのような人間が、自分以外に根本的に優しい訳が無い。
か細い希望に縋っているのだから、本当に惨めで哀れなのだ。
そんな自分の慰みモノになるものを、本当に常に求めているのが、恵まれない存在なのだ。
これは紛れもない事実だ。
本当に不幸なら、本当に、自分と同程度に不幸な人間を求める。
人間は共感とシンパシー、シンクロにシティー、特に純粋に研ぎ澄まされた感情の共有に、快楽を愉悦を抱く。
もっと言えば、不幸に直面していれば、実感できて痛感できるほどの、
それは戦友のような、共に現実を生きるような、現在進行形で不幸の憂き目に会っている、リアルタイムの存在、そんな人間を求める。
だから、本当に不幸なら、度が過ぎて不幸なら、
他人を不幸にした、世界を不幸にした、自分と同じ不幸を共有して欲しい。
これが醜い存在の真性である、実に人間らしい人間の醜さである。
これは性格が悪いと、そう表現されるだろう。
正確が悪いと、物事をすべて、このように悪い方向に悪く考える。
つまり照らし合わせれば、
自分より幸福な人間があれば、見つければ、
どうしようもなく、不幸になれっ!と、そう願うし、
自分より不幸な人間を見つけようとする、実際それを見れば、安心する。
この場合の安心とは、恐怖や不安からの一時的な脱却だ、それは娯楽であり、原始的な快楽だ。
しかし、表面的にはそれを見せないよう、している。
己の醜さを、懸命に隠しているのだ、その努力している自分自身に、酔っている。
そういう面も、普通に率直に、薄汚いと思う、くだらない有様だと、断じれる。
世間体を過度に気にするゴミは、大抵、コレだ。
己の醜さを、己が懸命に隠す、贖罪している様は、自己愛や自尊心を高めるのだ、救いようが無いほどに。
さて、これが下らない奴らだ。
そして下らない奴らは、自分でいうのも難だが、自分は下らなくないので、こういう奴らは全員死ねばいいと、本気で思っている。
自分が下らない人間の癖に、下らない人間を、あるいは自分よりも少しだけ劣等な人間の、不幸と死を願うのだ。
醜い奴は、人間を所有物であるかのように扱い、振舞う。
屈辱を与えて、勝利の快感に酔っているのだ。
不幸を解消する手段は多い、実にそのように振舞う事でもあったし、言葉遣いなどでもあった。
不幸なので、何かの場当たり的な勝利に固執する。
コツコツ積み重ねる事ができないから、眼前にある勝利には異常性を示す。
そうでないなら、ただ単に、自分は不幸だ、という意識が、非常に希薄であったように思える。
不幸だから、逆に自暴自棄になり、勝利に固執しない、無欲を演じて悦に至っているだけである。
何にでも、勝つ気でいる。
欲を抑える自制心がなかった。
勝って誰かが損をする、嫌な気分になるなら、自分の負けでいいと思えない。
生存競争に是が非でも勝利して、幸福になろうとするのだ。
、生物として欠陥があるわけではないが、ただただ醜い存在なのだ。
持たざる者は、一見、成熟した普通の有様に見えることがある。
しかしこれは誤認だ、奴らは、ただ行き詰って、その果てに絶望し、悟りきっているように見えるだけだ。
それは停滞であり、成熟というプラスの表現は沿わない。
ただただ成長限界、存在限界に突き当たり、成熟という状態に見えるだけだ、実際には低廉なのだから。
醜いものは、既に見た目が違う。
欠陥的な部分が、自分から見ると、多々散見される、直感的に透けて見えるのだ。
それは非人間的な実像として拝見される、
なぜなら自分とは比較して、相対的に、それはそれは異質な生物に見えるのだから。