終章[『希望』を叶えて恩返しが終わる時、僕の日常は美容を始めたあの頃と、ただ一つ変わる]
山さん! ずっと、言いたかったのですが……――。
ビューティフルワールドで大将戦 一位と、チーム優勝のタイトルを獲った僕であるが、いつも通り美容スータビリティに出勤し、編集の仕事をしていた。そんな毎日を送っていて、暫く月日が経つと、山さんが僕のデスクに来て、バン! と、机を叩いた。
「おい! お前はいつまでこんなところにいるんだ! もうあの大会から三ヶ月以上経っているんだぞ? いい加減、美容師に戻ればいいだろ! 抱えていた仕事も終わっているんだから、さっさと仕事の引き継ぎを始めろ! 社会人として、ちゃんと辞めるなら今が良いタイミングだろうが!」
「や、山さん!? な、何ですか……いきなり!」
「何ですかじゃない! 美容師に戻るんだろ? だって、お前はあんな凄い大会で優勝したんだぞ? 私は知っているんだ! 京街さんの美容室も、鬼頭さんの美容室も、お前に来て欲しいと、誘いを出していると言う事をなあ! それにエルカさんや、アーロンさんまでお前に『レインボウ』に入ってマルゲリータさんと、お互いの美容技術を高め合いながら美容業界を引っ張ってくれないかと、直々のお願いの話がきているみたいじゃないか!」
そう山さんは目をギラギラさせ顔を真っ赤にしながら、興奮した様子で僕に言った。僕は迫りくる山さんに少し後ず去りながら、涼しい顔で答えることにした。
「ああ、その件ですか……あれは有り難いお誘いですが、全て断りましたよ」
「なんだと!? こんなおいしいくて、光栄な話を断る美容師がどこにいるんだ!」
「ハハハ、いないと思いますよ……そんな美容師」
「バカ! お前は断っているじゃないか……」
「だって僕……美容師じゃなくて――編集者ですよ?」
「え? 何バカな事を言っている! お前はビューティフルワールドの覇者じゃないか……」
「山さん! ずっと、言いたかったのですが……――」
「な……なんだ? 時蔵」
「僕、この会社辞めませんよ? だって、ここが僕の居場所ですし、やりたい事ができる仕事場ですから! それにようやく月刊連載をまとめて『魔神の美容』のテキストブックが出版できそうなのですよ! ほら! この企画書見てくださいよ! これが出版されれば、僕の『希望』も叶いますし、見事に僕の物語はめでたし、めでたし、で終わりますね!」
「え……? それは……どう意味だ? 『魔神の美容』のテキストブックを出版したら、ここをやめると解釈していいのか? それなら美容師をやりながらでも出来るだろ? 私がお前の働く美容室に打ち合わせに行ってやるぞ!」
「え! そう解釈しないで下さい! だから、僕は辞めないんですよ! こ・こ・を――辞めないんですよ! 辞めたのは美容師の方ですよ! 僕は山さんと、ここにいたいんです!」
僕がそう言い張ると、山さんはポカ~ンと、口を開けて衝撃を受けた様子だった。
「と、時蔵……お前は……あんなに良い腕を持っているのに……自分の当初の目的も達成したのに――それでも編集者をこれからもやると言うのか!?」
「はい。ここからが僕の本当の物語の始まりですよ! 二期ですよ、二期! これからも宜しくお願いします山さん!」
「本気なのか……? じゃあもう鋏は握らないのか?」
「う~ん、そうですねぇ……若葉寮では子供達や先生達をこれまで通りにやりますけど……。あ、後『魔神の美容』のテキストブックを作る時も握りますね、そのぐらいじゃないでしょうか? もう僕が鋏を握る機会は……。まぁ、編集者として要望があった時は握りますが、滅多にないでしょうね!」
「そうか……ハハハ、じゃあ……たまに私の髪も切ってくれな……。驚いて目眩がしてきたよ」
「大丈夫ですか!? そんなに驚くような事ですかねぇ……。僕は編集者です! これから死ぬまできっとそうでしょう! この美容業界が大好きです――僕が美容に携わってきてから見てきた数えきれない奇跡の様な光景を、先刻の沢山の美容師の人達に経験して欲しいのです! それを応援できるのは、本を作る編集者です! 僕にはそれが一番です! 美容師には、未練はありません! 僕にはやりたいことがありますから! 最高の美容師人生でしたよ」
「お前がそこまで言うなら、ここに残ることがきっと正解なのだろうな。だって、お前はそういう奴だからな! 私も時蔵、お前が残ってくれて嬉しいよ……本当に、本当にな……良かった。私は――お前の事がどうやら……好きみたいだ」
「あ! ずるい、山さんがそれを先に言うんですか……あ、でもよく考えたら僕の方が先に山さんと、ここにいたいんです! とか、言っていますねっ! これはつまり――僕の方が先に山さんの事を好きと言ったのと同じですね! 僕の全てが詰まっている『魔神の美容』この企画、一緒に練ってくださいよ!」
「時蔵……。うん。最高の美容技術本にして、沢山の美容師たちに届けて――素晴らしい景色を見せてやろうな!」
そう言いながら山さんは僕に右手を差し出した。僕はその柔らかな手をギュッと掴んで握手を交わした。やっぱりここに残って良かったと、心の底から安堵した――。
後日、僕は美容スータビリティの皆と協力をして『魔神の美容』という本を完成させた。僕は『希望』を形にして美容師人生を終える事ができた――そして、本格的に編集者一本の人生がスタートした。
山さんと付き合うことになった僕は、今日も編集の日々に明け暮れながらその本を見つめて思った――京街さんはカラー世界大会に出場して優勝し、今やカラー世界一の称号を得たし、鬼頭さんは東京№1美容師と呼ばれる程になった。頭さんの右手は今も動かないものの……ゆっくりと、リハビリをしながら全国各地を周って美容講師として『魔神の美容』を沢山の美容師に指導している。皆がイキイキと美容の世界で頑張っている。そうそう! そう言えば、若葉寮長は良い人が見つかり、プロポーズをされて近々結婚をする事になったらしい! 本当におめでとうと言いたい。それでも今まで通り、僕の尊敬する母である事は変わらないし、若葉寮の皆の良き母親だ。僕の尊敬する人達は皆、自分の物語を楽しむ事ができる一流の人達だ!
僕が美容を始めるきっかけとなった頭さんと出会ったあの日から、僕の日常は相変わらずに美容と向き合って進化していく日々である。
『あなたにスータビリティする美容技術を届ける』、それが僕の働く会社、美容スータビリティのミッションステートメントであり、これからの僕の美容業界での使命だ――。
昔の日常の僕と、今の日常の僕とで、ただ一つだけ変わった事は、僕の居場所はもう美容室ではなく、この編集部だと言う事だ! あとは、何も変わっていない。魔法の様な美容に打ち込む魅力的な毎日を僕は過ごしている――。