⑥章[神か仏か! 副将戦――グラデーションカラーの権化VS色彩の魔術師ゴッドメッシュ]
俺は――
「お疲れ様です! 鬼頭さん、いやぁ~、凄かったです! 僕、大会を見ていてあんなに痺れたのは初めてです! 『98点』も獲ってくれたなんて! これで一気にチームレインボウを射程距離に捕らえましたね、いやぁ~……これが終わったら鬼頭さん絶対に有名ヘアーショウに引張りダコですねっ!」
時蔵が控室に戻ってきた鬼頭に頭を下げながら、尊敬の眼差しを送り、そう言った。
「へへへ、良かったぺこ~、でもヘアーショウに呼ばれても、今は店が忙しいから出られないにゃん! 月刊美容スータビリティの記事と、作品作り以外の外部活動はもう無理にゃん!」
そう言いながら、鬼頭はゆっくりと控室のソファーに座りホッと、一息ついた。すると次の副将戦に出場する京街が、荷物を持ち会場に向かう前に鬼頭に声をかけた。
「鬼頭……良くやったな。俺はお前を尊敬する――お前と組めて良かった、後は任せろ」
「はにゃ!? 京街さんにそう言われると……なんか気持ち悪いにゃん!? まあ、素晴らしい活躍をした私から一つ言っとくぺこ~、次の副将戦で出てくるドッピオさんは……美容界のレジェンド級のカラーリストにゃん……。この人に勝てる人がカラーでいるなら、私は京街さんしかいないと思っているぺこ~、神が相手だろうと――中途半端な結果で時蔵君に繋いだら……私は京街さんを許さないにゃん! レジェンドの称号を神から奪ってこいぺこ~、この点数差ひっくり返して来てね、私はここまでにゃん!」
「ああ、任せろ! 行ってくる」
鬼頭との話を終え、お題は『カラーデザイン』の副将戦に向けて、京街は控室を出る前に部屋にいるチーム美容スータビリティのメンバーに自分の覚悟を宣言した。
「時蔵、見ていろよ! ロンドン最強カラーリスト倒して――ちょっくらヘアカラー世界一になってくるからよ、その称号は俺が手に入れるべき称号だ。最高の形で時蔵に繋ぐぞ! ビハインドは5点か、そのぐらい余裕で捲くってきてやるよ、それが運命だ、久し振りに血が騒ぐぜ! 俺の究極のバンドデジネを見せてやる」
そこにいた仲間の皆を安心させ、グラデーションカラーの権化は運命の戦場へと出陣した。
チームレインボウ控室にて――フェーンが控室に戻ると、ドッピオが副将戦に向かおうとしていた。すかさずフェーンはドッピオに負けた事を詫びながら、頭を下げた。
「ガルルルル……ファック……すまねぇ、負けちまった。俺、御嬢の顔に泥塗っちまったよ、ドッピオ先輩。もう俺はレインボウに帰れねえ……クソ弱い負け犬だからな……」
「お前の作品、良い作品だったぞ。ただあの娘が鬼の様な強さだっただけだ。あんな素晴らしい美容師と戦えたんだ、誇りに思え――そして、お前はレインボウの美容師だ。だから負けたままで終わるな! いつか必ずあのパンクな女にリベンジしろ。まぁ、さっきのインタビューを聞く限りお前はあの鬼にリベンジする気満々だったみたいだし、牙は死んでねえから店に置いてやるよ!」
そう言いながら、フェーンの肩をポンと、叩いてドッピオは副将戦に向かった。
レインボウのトップカラーリスト、ドッピオ。人は彼を『色彩の魔術師ゴッドメッシュのドッピオ』と呼んだ――世界最高峰の美容技術が集まる場所ロンドン、そこでドッピオは№1カラーリストとして君臨し、特に彼が作る『ゴッドメッシュ』という神々しいオーラを解き放ちながら、まるで色が動いているように錯覚するメッシュ技術は見る者、皆を虜にするという。
カラーリストとは、日本の美容室には殆どいないカラー施術だけを行うカラーのスペシャリストの事である――カットやパーマなどの技術は全く行わず、ヘアカラーの施術だけを担当しデザインを提供する人の事をカラーリストと呼ぶ。日本では美容師はカット及びパーマ、カラーと全ての業務を担当する美容師が支流なので、カラーだけを行うカラーリストは殆どの美容室で置いてないのである。だが、海外ではカラーリストがカラーを施術するのが一般的であり、スタイリストがカットとパーマ、カラーリストがカラーと分けて仕事を行いデザインの提供をすることが殆どである。
ドッピオが特に得意とするメッシュというカラー技術とは、髪を部分的に摘み、全体的にではなく部分染めをする技術である――これをする事により、その部分だけの色が変わり髪に特徴ができ、印象が段違いに変わるという効果がある。またいくつもメッシュを入れることで髪に動きがあるように見えるのである。
ロンドンのカラーのカリスマ『色彩の魔術師ゴッドメッシュのドッピオ』彼がカラーリスト達に尊敬されカラーリストの頂点に立つ一番の理由それは――『色彩』を見極め操る彼の天才的な目と知識にあった。彼はどんな髪質でも、どんなカラー履歴があろうと、その人が望んだ色を入れる事が出来る唯一のカラーリストであった。
お客様の望み100%の色味を入れる――当たり前の様で実は一番難しい事なのである。髪質は人それぞれ違う為、同じ色を入れても皆その色が入るわけではないのである。その人に合ったカラー剤を選択してその人にあった施術方法で染める必要があるのである。その施術には美容師の『色彩』センスが問われ、経験と知識がモノを言うのである。それを百発百中でいとも容易くやってのけるカラーリスト、それがドッピオだった。
そんなカラーの神と崇められるドッピオと、グラデーションカラーの権化である京街が、初めて相対する瞬間がやってきたのであった――双方とも逃げ場はいらない覚悟があった。
副将戦はカラー以外の施術を終えているモデルに対して、カラー施術を施す為、自分のチームの他の四人の出場者とは違う大会内容になっていた。この舞台で作る『カラーデザイン』まさに一流か二流か、腕がもろに試される――開始前の準備をする京街のまえにドッピオが現れ、にこやかに挨拶をしてきた。
「いやぁ~、いやいや、こんにちはチーム美容スータビリティさん。さっきの中堅戦の御嬢さんは実に凄かったですね、この副将戦が楽しみになりましたよ!」
「うん? ドッピオさん……すげえな、日本語話せるんですね。今日は宜しくお願いします。初めまして京街空と申します。ドッピオさん、あなたの事は存じております。なんせ、美容業界で、今あなたより有名なカラーリストは存在しないですからね」
「フフフ、知っていてくれているなんて光栄だね! 宜しく頼むよ、京街空君――君もさっきの女の子みたく私達を楽しませてくれるんだろうね? 私の相手になるといいが……」
ニタァ~と、笑いながらドッピオは挑発するように京街の顔を覗き込んだ。
「ああ!? おもしれぇ……。俺は全くもってあんたに負ける気がしねぇ~ぜ,ドッピオさんよぉ! あんたのその称号は俺のモノだと、証明してやるよ!」
「うん? フフフ、思い上がりもここまでくると面白いね! フフフ、人間が神に挑む恐ろしさ身をもって体験するといいよ、格の違いを見せてあげよう」
そう火花を散らして、お互い自信満々で副将戦を行う持ち場のスペースに戻り、開始前の準備を終わらせると――副将戦の開始のゴングが鳴った。
この副将戦ではカラーの施術を行うのでアシスタントを二名外部から呼ぶことができる。京街には『キスメット』の副店長とトップスタイリストが、ドッピオにはロンドンから連れてきた『レインボウの』カラーリストが付き、運命の副将戦がいざ、開戦した。
会場にいる美容ファンの誰もが今回のビューティフルワールドはもう、『チームレインボウ』と『チーム美容スータビリティ』の一騎打ちだという事に気づいていた――『チームジャパン』も今はこの二チームと点差は殆どないが、中堅戦に出場した徳永以上の美容師はもうチームにはいない為、中堅戦を徳永で勝って点差をひらけなかった事は、負けを意味していた。それだけこの副将戦のドッピオと、京街は桁違いの知名度と、誰もが認めるカラーの美容技術力と、大会優勝経験があった。
なので、必然的に会場の注目はドッピオと、京街に集まった――その会場の空気にイギリスの大会だけでは留まらず、世界全国の大会をも制覇する百戦錬磨の色彩の魔術師ドッピオがすぐに気づいた。そして自分の対戦相手の京街を見てある事を思った。
自分の前に立ちはばかるこの京街という男の後ろ姿を、ドッピオは以前に見たことがある気がしていた……。いったい、どこで自分はこの男を見たのだろうか? ドッピオは施術をしながら自分の記憶を遡らせた――。
私はカラーリストとして、カラーに対して毎日ストイックに挑み続け、研究し、レインボウのカラーリストとして現場の仕事を愛して過ごしていた。そしたら、肩書は後から勝手に付いてきた――『色彩の魔術師』や、『ゴッドメッシュ』なんて言われるようになっていた。
エルカさんの神の様な美容に惚れ込んで、入社試験が世界最高難易度と名高い『レインボウ』の入社試験に合格して、『レインボウ』の門を潜った。スタイリストとカラーリストと違うけれども、エルカさんの息子のアーロンのボスの同期として一緒に学ばせて貰った。今はそのアーロンのボスの愛娘である御嬢の下で『レインボウ』のトップカラーリストとして仕切らせて貰っている私だが、何かを忘れている気がする……。この京街という男の後ろ姿に私は見覚えがある……。恐らく、最近の事ではない。エルカさんが引退してアーロンのボスに店長の座が変わったぐらいの時だ――私と、アーロンのボス以外に同年代美容師がいたんだ……。そう、私達は同世代三人で『レインボウ』を引っ張っていたんだ。その男は中途で『レインボウ』に加わった日本人だった。腕がとても良く、そして優しい男だったのを覚えている。
優しくて……勇気と無謀を履き違えた愚かな男だった――当時、実力主義であった『レインボウ』でその日本人は、アーロンのボスに楯突いたのか……とある大会でその頃の美容業界で間違いなくチャンピオンであったアーロンのボスに身の程を弁えず刃向かったのだ……。そして、粉砕されたのだ。
理由は知らないが、そんな下らない事をするその男を私は気遣わなかった……。あの男はこの京街という男に後ろ姿がよく似ている……。あの男は今どうなったのだろうか?
そんな事を考え込むように思い出し、施術をしているドッピオに『レインボウ』のカラーリストが、「ドッピオさ~ん」と、声をかけると、ドッピオはハッ! と、我に返った。
「いけねえ! 歳を取ると考え深くなってしまうなぁ……。そんな事、今はどうでもいいじゃねぇーか……。今はただ、御嬢を勝たす! ただ、それだけを考えよう……――舐めた口を私にきいてくれた京街とかいう世界の怖さをまだ知らない日本の猿山の大将が相手でも、私は容赦せず全力で叩きのめす! それが私のカラーの王者としてのプライドだ!」
だが、この京街という男は施術中、実に……良い目をしているな――まるでボスに刃向ったあの愚かな男が、あの大会で見せていたような……優しく、強い目だ。
優しく、強い目……か……。そう言えば私も、御嬢の喜ぶ顔が見たくて大会に出た時――「ドッピオ! あなた施術中に優しく、強い目をしていたわ! 最高よ!」と、言われた事があったなぁ……。あれは今まで生きていた中で一番嬉しかったなぁ……。
もし、アーロンのボスに刃向ったあの男が当時、今の御嬢の為に戦う私みたいに誰かの為に戦っていたら……。そうだ、たとえばエルカさんとか……――そして、この京街という男も誰かの為に戦っているとしたら……。な、なんて……ないか! 考えすぎだ! 私とこいつらじゃ覚悟の質が違う! あの愚かな日本人の事を全部見ていたのはもう『レインボウ』ではエルカさんとアーロンのボスが引退した今、私だけだ……。この二人には何も聞けねぇ! 答えなんて出ないんだ! だから、もう考えるのはやめだ。
今はただ、京街とかいう井の中の蛙を叩きのめす為――最高の作品を作るだけだ。
敵を意識するドッピオに対して、一方の京街は自分の作品に全身全霊を込めて集中していた。
京街は来年カラーの世界大会に出場する事が前々から決まっていた――その大会が美容師のカラーメインの大会では世界最大規模で、とても名誉のある大会だった。その大会で優勝を狙っていた京街は美容師を始めてから今までずっと試行錯誤しながら練りに練った最高の舞台で使う為に温存していた作品を使う事を決めていのであった。
だが、それが事は変わり、出場を予定していなかったビューティフルワールドに出場しそして京街はこの大会――どんな大会よりも最優先で、全力で勝にいきたいと願ったのであった。だから、このビューティフルワールドで世界大会の為に温存していた京街の美容人生の集大成である究極のバンドデジネを使用して作り上げるこの作品を、ここで使う事に決めたのだ。ベストを尽くして、京街はこの大会に勝ちに来たのである。
「アニキィィ……この作品、本当はアニキが世界大会に出場する時に……その名を世界に轟かせる為に作る予定だった――アニキの美容人生が詰まったリーサルウェポン的な作品なのに……。本当にこの大会で使っちゃっていいんですかね?」
「おい! バカ! 今頃なんてこと言うんだ! そのことは『キスメット』で何度もミーティングして決めた事だろ! 京街さんは勿論……皆で決めた事だろ……。うゔ……ゔゔゔ! 副店長の俺だって……不安だよ! ゔ……だって、この作品は俺達の……『キスメット』の夢だったし、この作品なら世界を獲れるって思うし……アニキを世界一にできる……なのに! これをこの大会で消費しちゃうんだ――苦しいよ……。でも、だからこそ……京街さんが勝ちたいと願うこの大会で……この世界の頂点に立てる作品を、ここで使うんだ!」
京街をアシスタントとしてサポートする『キスメット』のトップスタイリストと副店長は京街が大会に賭ける覚悟を知りながらも、京街がこの作品に馳せていた思いを知っていたので――ここにきてこの作品をこの大会で消費させてしまう事に恐怖を感じ涙が込み上げてきていた。
「お前ら……ありがとう。俺は――お前らが……『キスメット』の皆がいれば、この作品を超える作品なんて! すぐ作れると思っている! 俺の今までの美容人生なんて、すぐ超えてやる! 俺は――ここで自分の今持っている最高の技術を見せて時蔵が戦う大将戦にバトンを繋いでやりたいんだ、だから! ここで全力を出さないで、自分の為にこの作品を温存するなんて事はできない! もしそんな事をしたら……この作品に笑われて美容の神様がもう俺に……運命の微笑みをしてくれなくなっちまうよ!」
京街は皆の声を受け取った後、深く感謝をして、それでも変わらぬ自分の覚悟を伝えた――その京街の姿を見て泣き止み、恐怖が安堵に変わった仲間達の顔を見て、京街は話を続けた。
「この大会負けられないんだ、『キスメット』の皆悪いな。俺の我儘通して貰って、俺は――『キスメット』の皆がいてくれたから、長年試行錯誤したこの作品を完成させることができた。今の俺のベストを張れる作品だ、俺は尊敬する『キスメット』の皆がいるからこの先、何があろうが大丈夫だ! 必ずこの作品を超える作品を作って、世界大会も優勝する! だから大丈夫だ! それだけで……今、この作品を使う理由は十分だ! いくぞ、お前ら! 俺らの美容でこの会場を震えさせるぞ!」
グラデーションカラーの権化を崇拝し、日々を一緒に成長してきた仲間達にとって、その言葉は喜びと期待、そして――尊敬に値する熱い男の声であり、どっしりと、その胸に熱いモノを与えてくれた。それが、最高のパフォーマンスを生むことに繋がった。
「アニキは……やっぱり、俺らの最高のボスだ! 応援しよう、そして勝たせる! 勝たせてやらなきゃ、俺達の気が済まない!」
「ああ、俺を勝たせてくれ! 力を貸してくれ、1001色のバンドデジネでのホイルワークを開始するぞ!」
「任せて下さい! 俺達が入社してから、この作品を何千回練習したと思っているんすか! 万に一回もしくじるなんて、ありえないっすよ! 俺、京街さんのいる『キスメット』に参加できて良かった――京街空はやっぱり俺達の憧れのヒーローですよ!」
頼れる仲間達と心を一つにし、京街は全神経を研ぎ澄ませて、バンドデジネでホイルワークの施術にあたった。そして、京街は自分に問いかけた――。
俺は――時蔵に何をしてやれた? 頭さんに何を見せてやれる? 付いて来てくれたキスメットの皆にどんな景色を見せてやれるんだ?
俺は――この作品で世界がひっくり返る瞬間を、時蔵と頭さん、そしてキスメットの皆に見せてやりたい……。これが、俺の今出せるグラデーションカラーの最高傑作だ。
俺は――この日の為に今まで頑張っていたのかもしれない……。だって、こんなに、こんなに! 充ち溢れた気分になったのは初めてだ。ありがとう……ありがとう……みんな! この世界に俺を連れて来てくれて。
京街は心の中でそう何度も繰り返し、仲間と凄まじい手捌きでグラデーションカラーの施術を、代名詞であるバンドデジネでおこなった。
この副将戦、事前にモデルに準備として行っていい施術はカットと、パーマ、それとブリーチによる髪の脱色までだ。そこから副将戦ではスタートの合図と同時に一斉に二時間以内のカラーの施術を行い、作品を完成させ、それを審査員に評価され点数を争う。重要なのはこの『二時間』という短い時間制限だ――その時間内にシャンプーやブローの施術も行わないといけなく実際のカラーだけの施術は放置時間も合わせて一時間半程度になる。アシスタントを使える為三人での施術にはなるがものの、とても時間に余裕があるとは言えない。なので、大がかりな施術はこの大会のルールではあまり向いてなく、参加者の使用するカラーは精々多くて10色程度であり、他の毛に色がつかないようにカラー塗布後に張り付けるホイルは多くて100枚程度が限界と考え、その条件で出場者はカラーデザインを考え施術していた。
だが、明らかに京街が施術するスペースだけ空気が違っていた――カラー剤を入れるカップは数え切れないほど山積みに並べてあり、ホイルワークに使うホイルの数も他の出場者の10倍以上の枚数を用意していた。
モデルの髪を見た事がないほど細かくブロッキングしていき、数多のカラー剤から毛先、中間、根元と色を分け塗布し――ホイルでしっかりと保護しながら、目にも止まらぬ速さで三人は役割を分担しながら他の出場者が唖然する程の作業量を阿吽の呼吸でこなしていた。
他の参加チームは刷毛や、コームを使ってカラーを塗布する中、京街達だけが――京街の専売特許である『バンドデジネ』を駆使して、キスメットのレベルの高い技術者達と、色の明度を変え、ぼかしを入れながら、手で塗る『バンドデジネ』だからこそ可能な、高速塗りで施術を行っていた。
誰もが彼らの動きに注目する中――彼等達だけは、自分たちの作品の施術に没頭し、周りを一切気にしていなかった。
「ふん、確かに良い身のこなしだ。だけど、あの施術は確実に時間内には間に合わないであろうな……。カラー世界一の称号を持つ私が施術しようとも、あんな無茶なデザイン……とても時間内に完成させるのは無理だ――だけど、もし……この京街という男が、この作品を完成させたらどうなるのだろうか? どんな作品が生まれるのだろうか……カラーリストとして、とても興味がある。そして、それは私にとって――脅威になるのかもしれない……」
ドッピオは京街の施術を見て、険しい表情をしながら、一緒に施術する仲間達にそう言い、手を動かしていた。
その直後だった――さっきまで完璧な施術をモデルに行っていたドッピオの手からポトンと、カラーを塗布していた刷毛が落ちたのであった。ドッピオにおいて、それは滅多にないミスであった。
誰かがモデルを動かしたり、道具を揺らしたりしたのではないかと、ドッピオは疑った。それは自分の手捌きに絶対の自信があり、こんな初歩的なミスをしないと確信していたからだ。とは言え、大したミスではない……。施術において何の障害もきたさない小さなミスであった。
落ちた刷毛をドッピオが拾うと……また拾った刷毛がポトンと、ドッピオの手から落ちた――そこでドッピオは自分に起きている異変にようやく気づいた。モデルが動いたり、誰かが道具を揺らしたり、している訳ではなかったのだ……。
震えているのは私の手だ――。
ドッピオは心の中でそう理解し、自分自身を見つめた――。
ドッピオには分かっていたのだ、自分が脅威に感じたこの京街という男は……この作品を完成させる事を……。今まで、向かうところ敵無しだった筈の自分の手が、震えている……。その事実を噛みしめながら彼は思った。
私はこの男、京街空を恐れているのか――。
「フフフ、最高だよ! 京街空……勝負だ! 私にこれほど施術でプレッシャーをかけるとは……御嬢! だが、この老いぼれこんなところでは負けません! ゴッドメッシュだ、この髪に神達を舞い降して楽園を作る! 絶対は『チームレインボウ』だ!」
京街に負けずとドッピオは細かく、そして髪に命の息吹を与える様に生き生きと、動き戯れる様な神達を模したメッシュをモデルの髪に入れた。
ベースのカラーは楽園の芝生をイメージしたエメラルドグリーン、そこに神々しい色を放つゴールドゴッドのメッシュを舞い散らせ、癒しを感じる作品を手掛けた――その名は『ヘブンス』と、命名し、完成させた。その卓越したカラーテクニックと色彩でドッピオは会場中を揺らした。
ドッピオの作品の完成と同時に制限時間の二時間が経過した――ドッピオはチーム美容スータビリティの施術スペースを確認すると、京街達はもうすでに手を止めていて目の前のモデルに自分たちの作品を落とし込み、完成させていた。
そうか、完成したのか……。
そして私は今日、誰かに初めてカラーで敗れるのか……と、ドッピオは確信し、そっと目を閉じた……――手の震えはいつの間にか止まっていた。
ドッピオは瞑った目で創った暗闇の中で思った。京街と自分に技術的な差は殆どない、むしろ技術と知識だけで言えば、少しだけ自分の方が上だ。ただ、この一戦の作品に至っては覚悟の差が大きく出た。暗闇の中で聞こえる会場にいる人物全員を唸らせる声、京街の人間離れした作品に対して、カラー史上一番神に近い作品だと、ドッピオは思い……この副将戦の敗戦を覚悟した。
ドッピオの敗因は初めて自分の地位を揺るがさんとする才能ある相手の技術と発想に呑まれて、その相手に勝とうと戦ってしまったこと――それが、王者ドッピオの敗因であった。
対して、京街は自分自身と仲間を最後まで信じ抜き、己自身と戦った――この大会に賭けた覚悟と作品への思いが、京街を勝たせたのであった。
ドッピオの『ヘブンス』には『98点』という高得点がついた。この点数に会場が凍る中――京街の作品の審査の順番になり――その審査の評価が長引くと、審査員のアーロンから会場にアナウンスが入った。
「え~、厳選なる審査を行ったところ、訂正とお詫びがございます――今までに出ました副将戦の点数を見直し、全てに対してマイナス3点とし、訂正いたします。この為、現時点でトップのドッピオ選手の点数は『95点』と訂正申し上げます。以上です」
京街の作品に対して、エルカもアーロンも他の審査員も、議論に議論を重ねた結果、最終的に満場一致で、この形により審査の折り合いがつき――京街の点数が正式に発表された。
「チーム美容スータビリティ、京街空選手――作品名『ワンサウザントワンヘアーブッダ』審査員の評価は! 『100点』です! 大会史上初の……満点が出ました!」
実況が結果を発表し、会場を盛り上げると――その光景を目の前にして、『レインボウ』のカラーリストが「これは、どういう事ですかね……ドッピオさん?」とドッピオに尋ねた。
「簡単な話だ、京街は100点以上を叩いて……私達の点数を削る事で正当に評価されたのだ……。認めよう、100点を超えた100点を……。すまんねぇ……御嬢……同点で、大将戦に突入だ」
審査が終わった京街の作品を改めて見て、ドッピオは役割を果たせずに、追いつかれた事を認め、京街を称えた。そして、足早に自分他との控室へと戻って行った。
世界的なカラーリストも負けを認めた京街の作品、それは髪の毛一本一本と、真剣にカラーで向き合ってきた京街だから辿りつけた運命のデザインだった。
十万本以上のモデルの髪の毛に対して、究極のバンドデジネで、高速塗りを可能にしている京街だからできた作品それは、1001色のカラーを使った物凄く手のかかるグラデーションカラーであった――細かくブロッキングをして、色彩バランスが鍵となるこの作品の色味を毛先、中間、根元と上手く組み合わせ、通常二時間で三人ではとても終わらないであろう施術量を、『キスメット』の仲間と創業以来からおこなってきたこの作品を完成させるためにした何千を超える練習量で、カバーし、彩度を変えるなど工夫を凝らし、1001色を作り、見事時間内に作品を完成させた。
そんな副将戦を一位通過した京街にインタビュアーはマイクを渡し、そして京街は語った。
「俺のサロンがある京都には、1001体の仏像を展示している寺があってなぁ……そこでは自分の会いたい人物の顔をした仏像に必ず出会えると言う、言い伝えがあってね。俺は――その寺でみつけたんだ! 俺の尊敬している会いたい奴らを! 俺の作品のグラデーションカラーでも、そんな奇跡を俺は起こしたいと、俺は思いついて、この作品に辿り着いた。誰もが自分のやってみたいと思える運命のカラーと必ず出会える作品。そんな、夢のある作品になる様に願いを込めた。これが俺の今までの美容人生の集大成『ワンサウザントワンヘアーブッダ』だ! これが俺の今出せる最高の作品だ、そう胸を張って言えるぜっ!」
京街はこの日人類を超えた――その手捌きは千手観音の如く、誰もが改めて彼を『グラデーションカラーの権化』と、呼ぶに相応しいと思ったのであった。